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【いちばん笑顔】

 三月十二日、金曜日。

 職場の皆の義理チョコに便乗し、私もほのかな恋心を配ったのがひと月前。

 十四日は日曜日だから会社は休み。だから、お返しが来るなら今日だろうって予想して、朝からなんだかそわそわしてる。

 しかし私のデスクに来てくれるのは、ほんとに義理で配った人ばかり。それはそれでありがたいけど、でもやっぱり残念だ。


 あの人は、お返しなんかくれないか。

 ちょっと拗ねた気持ちでパソコンと向き合う。


 画面にはあの人からの仕事のメール。お疲れ様です、から始まって、よろしくお願いしますで終わる、ビジネスな文章。

 私は返事を書きながら、眉間にしわを寄せる。

 これは仕事のメールなのに、あの人宛だと余分に悩む。語尾ひとつに無駄に迷って、くだけた言葉にしてみては消し、顔文字なんか入れては、やっぱり消して。結局いつも面白みのない言葉の羅列。だけどそれだって、緊張しながら一文字一文字入力してる。

 私は社交辞令に見せかけて、本気のことしか書いてない。毎回よろしくお願いしたいし、ありがとうございますって心の底から思ってる。

 お返事お待ちしてます、と打って。

 なんだか催促してるみたいで悪いなって思って消した。

 何かいい言葉はないのかな。あの人に負担をかけず、だけどちゃんと言いたいことが伝わる言葉。

 いつでも待ってます、も、まだ重い?

 もっとくだけて大丈夫?

 考えてもしっくりこないけど、終業時間はやってくるから。もういいやって送信する。


 勤務時間が終わったのにちっとも嬉しくない。

 帰り支度をしていたら、上の階からお疲れ様ですとあの人が階段を下りて行く。その姿をいつもこっそり見ている私。でも、今日の表情は、私の知らない顔だった。

 だってものすごく笑顔だったから。あんな嬉しそうな顔、初めて見たよ。


 何かいいことがあったのかな。仕事終わって家に帰るのがめちゃくちゃ嬉しいとか?

 あの人が楽しい気分なら私も嬉しいはずなのに。嫉妬にも似た気分になる。自分勝手で嫌になる。


 *


 土曜日も日曜日も。のんびり過ごしながらふと思い出すのはあの人の笑顔。どうしてあんなに笑ってたのか、考えれば考えるほど知りたくなる。それで勝手に理由を想像して、ちょっと落ち込んだりもする。あの人を笑顔にできる誰かが、あの人にはもういるのかもって思ったら。勝手に胸が痛くなる。

 片想いは楽しいけど、半分くらいは、やっぱりしんどい。


 *


 三月十五日、月曜日。

 休み明けは必ず憂鬱。仕事は嫌じゃないのに。行けばそれなりにがんばれるのに。それにほら、あの人にだって会えるし、と。なんとか自分を励まして、のろのろと準備して出勤する。


 始業時間前。おはようございますって。

 私のデスクにやってきたのは、あの人だった。


「ホワイトデーのお返し」


 差し出された小さな包みを受け取って、私は動揺する。よく考えたら、十四日により近い日付けは十二日の金曜日よりも今日、十五日の方だ。

 忘れられてたわけじゃないんだなあって、安堵する。


「バレンタインの、お返しじゃないんですか?」


 嬉しすぎて舞い上がって、よけいなことを言う自分の口が嫌になる。あの人は表情を変えず、確かに、と呟いた。


「貰い慣れてないから、返し慣れてなくて。ごめん」


 謝ることではないし、そういうところも好きだなあと思う。その気持ちがこぼれてしまわないように、私は別の話題を口にする。


「そういえば金曜日の帰り際。なんかめちゃくちゃ笑顔でしたよね? あんなに嬉しそうな顔、初めて見ました」


 週末何度も思い出しては考えたこと。

 今私が話している内容は、あの人にとってはどうでもいいことだったのかも。あの人は固い顔のまま。それでも私は話し続ける。


「何かいいことあったんですか? あ、仕事終わって家に帰れるのが、とにかく嬉しかったとか?」


 冗談めかして、疑問を問うた。


 片想いは楽しいけど、苦しい。ふわふわした気持ちでいるのは、幸せだけど、ふとしたきっかけであっけなくしぼむ。だからもう、楽になりたくもあった。あの人が、私の思いなど関係のないところで、十分に幸せなことを知れば。私の片想いなど、ギリギリの義理の隙間になど入る必要もなくなるから。スッキリ諦めて、社交辞令にまみれた言葉を交わせるようになれるから。


 すると彼は小さな声で、

「メールが来て嬉しかったから」

 と、言った。


 私は反射的に唇を噛む。そっか、彼には。メールひとつで、あんなに笑顔になれるくらいの、相手がいるんだ。

 そう考えて胸がぎゅうっとしめつけられる。きっと今、自分はいちばん悲しい顔。

 見せるわけにはいかなくて、俯いたら、彼の手がそっと、私の手元を指差す。


「それ。俺のケータイ番号。よかったら、連絡して」


 お返しの包みに貼られた付箋。


 私はぎゅっと顔面に力を入れて、平常心を装った。改めて確認するのはパソコンの送信済みメール。ああそうだ。私も、金曜日。彼にメールしたんだ。


『いつでもご連絡ください』


 そんなの、ビジネスメールの常套句。息をするみたいに皆添えてる言葉だよ。それを本気にしていつでも連絡してたらご迷惑だよ。

 なのに、彼には伝わってしまっていたのかな。あなたのメールひとつで笑顔になるのは、私も同じ。

 顔を伏せた私の顔に浮かぶのは、それこそ、金曜日の彼の笑顔にも負けないぐらいのいちばんの笑顔。


 本当に、連絡してもいいですか。


(いちばん笑顔/終)


2021年03月14日 (日)活動報告掲載小話

ホワイトデー小話でした。


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