【幸せを数える】
夕暮れの帰り道。頭の中でカレンダーを思い浮かべて数えてみる。
黒い数字が仕事のある日。三月は二十。そして今月の残りの四。足したら二十四。
それはきっとあっという間で、きっととても、長い。
今の仕事もあと二十四日と思えば感慨深い? ううん、せいせいするのかな。自分が決めたことだけど、すべてを手放しでよくやったとは、まだ言えない。
不安な気持ちばかりを閉じ込めたまま、私の体はとぼとぼと前に進む。
自宅の屋根が見えてくる。ふと、顔を上げたら、二階の窓。ガラスごしに、あなたがこちらを見ていた。
私に気づかれたことに、気づいているのかいないのか。あなたは目をそらすことも、微笑むこともしない。
にっこり笑って手を振って、おかえり、なんて言ってくれたら、とてもとても、かわいいのに。……実際にそれをするあなたを想像して、口の端から苦笑が漏れる。いや、逆に、怖いか。
さっきまで、これからの不安な未来を数えていた指で、あなたと過ごした幸せな日を数える。一、二、三、ああ、もう四年になる。あなたと一緒に暮らし始めてから。
思えば、あの時だって。あなたと暮らすことを決めた時だって。私は、本当にそうしていいのか、不安ばかりだった。
小さなトラブルが起きるたびに、私なんかと暮らさない方が、あなたは幸せだったのかもと。ひとり思っては憂鬱だった。
でも。
あの時あなたを手放すことなど、私にはできやしなかった。
四本の指を折り畳んだ自分の手から、再び二階の窓に視線を向ける。あ、もういない。
もしかしたらと淡い期待を持って、私は玄関の扉を開く。
「ただいま」
おかえり、なんて言葉は返ってこない。家の中はしぃんとしたまま。迎えに来てくれたりは、やっぱりしないんだよね。
私はため息をついて二階に向かう。
あなたがさっき立っていた場所。それは私の寝室の窓。
レースのカーテンの向こうには暮れて行く空。私は自分のベッドに目をやる。
朝、私が出て行ったままの、ふくらんだ布団がそのまま残っている。
私はそっと、そのふくらみに手を置いた。あなたがここにいるのはわかっている。
「ただいま」
もう一度声をかけても、あなたは返事などしない。
ねえ、もしかしたら。私が帰って来るのを、窓からずっと見ててくれたの?
それで私が帰ってきたから安心して、また、お気に入りの布団で眠ってるの?
問いかけたところで、あなたは素直に答えてくれないだろうから。私はあなたが一番好きな言葉を口にする。
「ごはんにしようか?」
私が布団に声をかけたら、案の定、あなたはもそもそと顔を出した。
そんなあなたに、私はいつも笑顔にさせられる。
あなたは私に何もしてくれないけど。
私はあなたのためにならなんだってできる気がするよ。
いてくれるだけでいい存在。私もあなたにとってそうならいいのに。
と思いながらも、私が働かないとあなたを困らせてしまう。だから次の職場でもがんばって働こう。あなたがこれからも、私なんかと暮らさない方が幸せだった、なんて思わないように。
四月からちょっとだけ愚痴が多くなるのは、許してね。
目を細め、くるくるとのどを鳴らすあなたの耳を、私は幸せを数えた指先で、そっと撫でた。
(幸せを数える/終)
*
*
*
2019年02月23日 (土) 活動報告掲載小話
2月22日の猫の日小話でした。この日に限らず毎日猫の日でも何ら困ることはないのです。




