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【チキン】

 もうすぐ引越しだ。いろいろやらなくちゃならないことはある。ある、って。わかってるけど進まない。

 そのときメッセージの通知が入った。


『起きてる?』


 それは幼なじみの怜汰れんたからだった。

 起きてるよ、と、私は返事をする。するとまたすぐにフキダシが浮かぶ。


『いまひま?』


 怜汰は四月からも、実家から通える学校に行く。私が引っ越したら、会えなくなるんだなあ。そんな気持ちがふいにわいた。


「ひまかも」


 私は中途半端に物を詰めたダンボール箱を横目に、今の気持ちを文字にする。

 そしたら、次に返ってきたのはこんな言葉だった。


『コンビニ行くけど、行く?』


 コンビニ? と一瞬首をかしげる。この時間に? 今二十一時……うーん、補導される時間ではないけど、もう夜なんだけど。でも、塾に行ってた時もこのぐらいだったら出歩いてたしなあ……いいかあ。

 それにちょっとわくわくする。夜のお出かけ。


「行ってもいいよ」


 私はそう、返信した。


 ***


 外寒いかも、って上着を羽織って、玄関に向かう。リビングのソファーに転がってたお母さんが、顔だけ上げて聞いてくる。


慧子さとこ、どっか行くの?」


「コンビニ―、れーちゃんと」


 ちっちゃいときからの怜汰の呼び名を出せば、お母さんは「あー、気をつけてね。あ、あと、みかんありがとうって言っといて」って、またソファーに沈んでった。

 みかん。

 そういえば怜汰んちの庭にはみかんの木があって、「勝手にできる」とかってこの季節はちょくちょくみかんを分けてくれる。

 店で売ってるやつより確実にすっぱいけど、私はけっこう好き。砂糖かけるけど。

 行ってきますと小さく言って、玄関を出る。たぶんそろそろ来るはずだ。怜汰んちの方向を見てたら、ああ、ほら、きたきた。人影。

 ……人影?

 私は思わず顔をしかめる。

 怜汰は徒歩で、やって来た。


「怜汰、免許取ったって自慢してたのに。どういうこと?」


 そうなのだ。怜汰は先日めでたく車の免許を取得した。実家にいるなら車がないと不便だもんね。私はしばらく自分で運転する予定もないから、まだ原付免許だけ。

 だから今夜は怜汰の運転する車で、最寄りのコンビニまでぶいーんと連れてってくれるのかと思ってたのに。

 文句を言う私と並んで歩きながら、怜汰ははあ、とため息をつく。


「車、ねーちゃんが乗ってって。まだ戻ってない。飲み会で遅くなるって」


「えー、それで徒歩なの? 本気?」


 私も文句を言いながらも、すでに怜汰と一緒にコンビニに向かって歩き始めている。うちからコンビニまではふたつのルートがあって、ひとつはふつうに国道沿いを進むだけ。もうひとつは田んぼを挟んだ農道を進む。ふたつのルートは並行してるから、結局どっちを進んでも距離は変わらないんだけど。

 私たちは通学でも使ってた、農道の方を自然に選んでた。ふたりともスマホを懐中電灯モードにして、足元を照らしながら歩いてく。

 うちから最寄りのコンビニまでは徒歩片道一時間。

 ……もう一度言うけど、最寄りで徒歩一時間……!

 自転車だと二十分ぐらいだったかなあ。

 で、車だと、信号に引っかからなかったら五分かそこら。

 いや、これ、いったん家戻って、お互い自転車取ってきた方がよくない?

 いや、でも、それはそれでタイムロス?

 ぶうぶう文句言ううちに、もう家からけっこう歩いてしまった。

 あーもう。ここは腹をくくって歩いてやるか……!


「何買うの?」


 私は気を取り直し、怜汰に聞いてみる。


「いや、急にあの、ラーメン食べたくなって。あの、麺に味ついてるやつ」


 それを聞いて、私の頭に白とオレンジの横縞のパッケージが浮かぶ。


「ああ、あの元祖ラーメンみたいなラーメン?」


「え、もしかして慧子んち、あった?」


「いや、ないわ、なさそう。うち、それ、買い置きしないし。怜汰んちレギュラーメニュー?」


「んーん、ぜんぜん。たまに自分で食べたくなったら買う感じ」


「いっつも食べてるわけじゃなくて?」


「あー、そういや、しばらく食べてない」


「食べてないのに? なんで急に」


「なんでだろ。急に。そのままバリバリ食べたくなった」


「あー、お湯かけないんだ。味濃くておいしいよね、あれはあれで」


「なー、うまいよなー」


「やばい。話聞いてたら、こっちまで食べたくなる」


「慧子も買えば? てか、おごるし、付き合ってくれたお礼に」


「徒歩一時間、いや、往復二時間付き合わせてそれだけ?」


「あはは」


 怜汰は楽しそうに笑ってる。それにこっちもつられて笑ってて、変な感じ。


「なんか急にそういうの食べたくなるときって、体に不足してる栄養のせいだって、見たことある」


「へー」


 せっかくだから調べてやろう。私はスマホで検索する。


「ジャンクフードとか無性に食べたくなる時は……あ、カリウム不足」


「えー、あれってジャンクフード?」


「そのまま食べるんだからジャンクなんじゃない?」


「カリウムって何に入ってんの」


「えとね、肉、野菜、果物、豆、魚などに多く含まれます、だって」


「あらゆる食べ物に入ってんじゃん、それでも俺不足してんの? やっばー」


「ちゃんと栄養取ってんの?」


「取ってる取ってる。ふつうに飯食ってるし」


「あ、そういえばみかん。ありがとうってお母さんが」


「ああ、あのすっぱいみかん? どういたしまして。もらってくれて助かる。……あ、あれにも入ってんの?」


「何が?」


「カリウム」


「みかんに?」


 私は再び、スマホをのぞいた。

 みかん、みかん。

 ちょうどその時、国道の方、向かいから一台車が走ってきてるのが見えて、あー、車だーとか、思って。なんかあちこちに意識が飛んでたんだよね。

 歩きスマホに気を付けましょう。そんなことはわかってる。

 ここが農道で、左右どっちも草の斜面で、その下は田んぼだとか。そういうのも知ってたんだけど。

 そのときはほんと、私はうっかりの塊になってたんだ。

 ふっと気づけば片足が浮いてた。踏みしめたはずの道がない。うわ、やばい。

 ゆっくりと景色が流れる。これって走馬灯なのかな、うわ、走馬灯って死ぬときのやつ……!

 けど、こうして足を踏み外した私は、田んぼには落ちなかったし、死ぬこともなかった。スマホも無事だった。


「あっぶな」


 私の腕をひっぱって、抱き寄せて、怜汰が頭の上で唸る。


「ケガしてない?」


 呆れるように怜汰は言って、私から手を離し一歩下がる。


「してないと思う」


 でも、だいぶドキドキはしてる。スマホを握りしめた手が震えてる。


「ひっぱったとこ、痛くない? 強くつかみすぎたかも」


「あー、でも、つかんでくれなかったら、落ちてたし。ありがとう」


「ここから道狭いから。もうちょっとこっち寄って歩いて」


「うん」


 私はなんだか、怜汰に触れられたところが熱い気がして、こっそりと腕を撫でながら歩いた。

 いま、どのぐらい歩いたっけ。コンビニまで、あとどれくらいかかるんだっけ。

 そんなことを考えながら、しばらく無言で歩いた。

 なんか怜汰に言わなくちゃいけない気がするけど。

 怜汰もなんか、言いたそうだけど。

 でもふたりとも、言葉が出てこないんだ。

 もう少し暖かい季節になったら確実に、田んぼのカエルとか、すごい鳴いてるんだけど。今夜は静かで、ちょっと気まずい。

 さっき怜汰に助けられたときのドキドキを思い出してまたドキドキしちゃってる。

 まさか心臓の音なんて、聞こえないだろうけど……どうしよ。


 そのとき背後から、ブーンとエンジン音が近づいてくるのが聞こえた。

 ああ、国道のほう。車が通るんだ、って思ったら。


「あ、慧子。後ろ車来てる」


「え、こっち?」


 私たちが歩いている農道も、車が通れる幅がある。田んぼを耕すトラクターとか、軽トラとかも通れる幅だ。たまーに近所の人も、国道の方通るより近道だからって、こっちを走ったりもしてる。


「道、譲ろう」


 怜汰は冷静にそう言って、少し幅の広いところで立ち止まる。車を運転する人だって、そっちのほうが安心して追い抜けるだろう。

 私も怜汰のそばに立つ。車のライトが近づいてくる。眩しいなあ、って思ったら、車は私たちの横を通り過ぎて、そして。

 少し先で、停車した。


「え、止まったんだけど」


 私が顔をしかめたら、怜汰もうげ、みたいな声を出した。

 でも、その「うげ」の正体は、私の気持ちとは少し違ってるやつだった。


「あれうちの車だし。ねーちゃんだ」


「え、おねーちゃん?」


 私は目を瞬かせる。あ、ほんとだ。あの車種あの色あのナンバー。間違いなく怜汰んちの車だし。ウイーンと開いた運転席の窓から顔を出してこっちを見たのは、間違いなく怜汰のおねーちゃんだった。


「あんたら何してんの? 家出? あ、かけおちー?」


 まさかの言葉に、私たちはふたりとも、同時に挙動不審になる。

 おねーちゃんはあははと笑って、「乗る?」と車を指さした。私たちは素直に、おねーちゃんの言うとおりにした。


「いやー、飲み会終わって帰ってたら、そこ通り過ぎたときに農道であんたらがいちゃいちゃしてんのが見えたから」


「ねーちゃん飲み会って、酒は?」


「飲むわけないじゃん、車なのに。飲みません。飲まなくても飲み会は楽しいからねえ」


「あれは慧子が転びそうになったから助けただけ」


「ですです」


 怜汰とおねーちゃんの会話に、私も相槌を入れる。おねーちゃんは信じてくれたかどうかわからないが、


「ごめんね、慧子ちゃん。怜汰があほで」


 と呟いた。

 たぶんそのあほは、ふたりで徒歩でコンビニに行こうとしてたことのせい。


「あのコンビニ、今二十四時間やってないからね。たぶん二十二時とかそんぐらいで閉めてたよ。んで朝は七時から」


「え! 知らないんだけど」


「人手不足だって」


 田舎あるあるなのかもしれないけど、……仕方ない。


「私もお夜食買お。飲み会の後ってスイーツめちゃくちゃ食べたくなるんだよねえ」


 おねーちゃんはそう言って、あっという間に私たちをコンビニに運んでくれた。

 が。

 残念なことにこのコンビニに、あのラーメンは売ってなかったのである。残念。

 怜汰はかなりしょんぼりしてた。


「もー、別のラーメンおごってやったんだから、いーでしょー」


「これじゃなくてポリポリ食べたかったのに」


「体に悪いって。慧子ちゃん、見習っちゃだめだよ。ひとり暮らし始めてもマネしちゃだめだよ」


「はい」


 私は結局、コンビニに行って欲しいものとかもなく出かけたんだけど、おねーちゃんおすすめのスイーツをおごってもらってラッキーである。

 帰りも車で家まで送ってもらって、おねーちゃんと怜汰に手を振って見送った。

 家に入ったら、私が出かけた時と同じポーズで、リビングのソファーにお母さんは転がっていた。


「おねーちゃんも一緒だったんだね」


「んー」


 詳しく話すとややこしい気もして、そういうことにすることにした。

 おねーちゃんに買ってもらったスイーツは冷蔵庫にしまう。部屋に上がってひとりになったところで、スマホにメッセージ。

 怜汰からだった。


『食ってる?』


「食べてないよ。っていうか食べない」


『なんで』


「太るじゃん」


『さっき歩いたから大丈夫』


「いやいやいや」


 怜汰にメッセージを返して、はあ、と息を吐く。

 もしおねーちゃんが来なかったら、どうなってたんだろう。

 ……たぶんコンビニに到着するの、二十二時過ぎてただろうから。閉まってるコンビニ見て絶望して、それからまた一時間かけて歩いて、うち、帰ることになってたのかな。

 間抜けすぎるなあ……。

 帰り道も怜汰のどうでもいい話とか、愚痴とか、そういうの聞いて歩いたんだろうな。

 そうしてたら、もうちょっと、なんかさあ。私も怜汰もさあ。

 さすがに言いたいことが言えてたのかもしれない。


 別に今からでも言おうと思えば言えるんだよ。伝える方法はいくらでもあるよ。

 私は開いたままのメッセージアプリに、文字を打ち込んでみる。


「好き」


 あー、ないないないない、これはない。ない。送れない。だめだ。私は慌ててその二文字を消去する。

 だって怜汰は幼なじみだ。家族ぐるみの付き合いだ。ずーっと今まで腐れ縁。ずーっとずーっと一緒だった。私はもう、いなくなる。遠い町にしばらくの間。そこ受験するって話しても、怜汰、そーなんだってあっさりしてたじゃん。反応薄って思ったよ。怜汰こっち残るって知って、私もちょっとそうしようかとか考えて、でもそんなことしても怜汰とどうにかなる保証なんてなくて、っていうか、怜汰とどうにかなりたいとかそんなの。

 ……ああ。

 さっき足を滑らせて、助けてもらったときの感触が、一気にぶり返してくる。うれしかった、ドキドキした。

 あのとき言ってしまえばよかったんだろうか。そしたら何か変わってたんだろうか。離れ離れになっても大丈夫な、そういう関係になれたんだろうか。


 そのとき握りしめたままのスマホの画面に、新しいメッセージが届く。


『明日もひま?』


 私はちらりと自分の部屋の現状を見る。中途半端に詰められた段ボールの群れ。記入しなくちゃいけない書類。処分しないといけないあれやこれや。

 でも、一番に何とかしなくちゃいけないのは、たぶん、やっぱり、こっちだよ。


「明日も、まあ、ひま」


『車借りたからリベンジさせて』


 怜汰はどうやら今日、目的のラーメンを買えなかったことが、本当に本当に、悔しいらしい。

 私はOKのイラストを送る。

 明日こそ、買えるといいね。


『じゃあまた明日、昼ぐらいに連絡する』


 怜汰から届いたおやすみのイラストに、私もおやすみ、と返して。今日はおしまい。

 私がこの部屋で過ごす日があと何日か、カレンダーで数えてため息が出る。

 新生活は楽しみだけど、やっぱいろいろ、心が揺れる。

 でも、がんばんなくちゃね。

 私は元気を出すためにも、やっぱりおねーちゃんにもらったスイーツは今から食べることにした。 


 *

 *

 *


 うちの弟はあほである。本当に、あほすぎる。

 ずーっと片思いしっぱなしの、幼なじみの慧子ちゃん。姉の目から見ても明らかにお前、慧子ちゃんのこと好きだろう、と気がついて早何年? そろそろ付き合ったか、付き合ってないのか、もう付き合ってるよね、なんでまだ付き合わない……? そんな姉の苛立ちには気づくことなく、とうとうふたり、別々の進路。慧子ちゃんは都会の学校に進学が決まったそうだ。それでも怜汰は何もしてない。ほんとにもう……。

 もうおねーちゃん、見守るのやめるよ、と思ってた。けど、あの夜飲み会に参加した帰り道、家の近くの農道で、ふたりの姿を見てさあ。春の夜、抱き合うふたり、青春じゃん。……でも待って、あまりにも急展開すぎて、おねーちゃん動揺しちゃった。動揺しすぎて車すぐにUターンして、農道爆走してふたりがどうなってるのか見に行っちゃった。よけいなことだったかな、ごめんね。おねーちゃんもあほでごめんね。

 でも結局、コンビニ行く途中だったとか言うし、やっぱり弟のほうがあほなんだよ。慧子ちゃんを送り届けてから、おねーちゃんは激怒した。「ねーちゃんまじでしらふ? 酒入ってんの?」と突っこまれながらも言いたいことを言ってやったよ。


「あんたさっさと慧子ちゃんに告白しなさいよ、まだしてないとかほんとにあほすぎる、都会に行ったら慧子ちゃん絶対あんたのことなんかすぐに忘れるよ!」


 怜汰もさすがに、目が覚めたらしくて……ていうか、遅すぎるから。


「明日告白する。絶対する。だから車置いといて」


 って。

 ま、せいぜいがんばってよね。っていうか慧子ちゃん、あんたのこと好きだと思うから大丈夫だよ。本人同士がわかってないだけで、まわりから見たらバレバレなんだよ。


 ……でも、やっぱり、うちの弟ほんとにもう、あほで。

 免許取ったばっかりでがちがちに緊張したドライブデートが、そんなうまくいくわけないじゃん。たどり着けたのはそこのコンビニ。んで、コンビニの駐車場で、どうにかこうにか告白できたって。……はあ。

 まあ、うまくいったみたいだから、いっか。


(チキン/終)

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