【冬至のころに】
冬至に向けて太陽は、日に日に早く、沈んでしまう。
真夏だったらまだぜんぜん、余裕で明るい時間なのに。仕事を終えて退社する時刻には、もう外は薄暗い。大通りにはヘッドライトをつけた車が行き交っている。
あと三十分もすればほんとに夜になりそうだ。少しでも明るい時間に家に戻りたいと気持ちが急くのはどうしてだろう。誰か待っているわけでもないのにな。
心持ち大股で駅に向かう途中、かばんの中でスマホが震えた。
のぞいた画面に、あなたの名前を見つけて心臓が跳ねる。すぐに通話ボタンを押したいし。だけどこんな道の真ん中で通話し始めるのも、周りの人に迷惑だし。どこか話をしてもいい場所を、探しながらスマホを握る。
こういうとき、要領よく応答して、手短にこちらの条件を伝えて。少しだけ待ってもらうとか。それとも帰宅してから折り返す約束をするとか。そういうことができたらいいのに。
だめだなあ、あなたの名前を見てしまったら。いますぐ話がしたくてたまらなくなるんだ。
ほら早く通話のボタンを押さなくちゃ。切れてしまうのが一番嫌だ。道沿いの公園のベンチに狙いを定め、急ぎ足で進みながら受話器のマークをタップする。
『あ』
すぐにあなたの声が聞こえて、胸のあたりがあたたかくなる。
――うん。大丈夫。時間あるよ。
公園のベンチはつるりとした灰色の石でできている。クッション性もなく座り心地も良くはない。春とか秋なら心地よく石のぬくもりとか感じられるんだろうか。真夏は焼けてて熱そうだ。座ったら尻が石焼きになりそう。今の季節はとても冷たい。平らな面にのせた尻から体温を奪って、代わりに冷え冷えとした冷たさを与えてくれる。冷冷冷、ほんとに冷たい。できることなら片尻ずつ交代で浮かせたい気持ち。座ったのは失敗だったかな。けど、スマホの向こうから聞こえてくる声に、すぐに夢中になって返事をする。
――仕事終わったところ。まだ外だけど。そんな寒くない。
嘘。本当はけっこう寒い。ぴう、と、スマホを当ててない方の耳を、冬の風が撫でていく。片手で耳を覆う。覆った手のひらも耳より冷たくて、そろそろ手袋も出さなきゃな、なんて考えた。
――んーん、さみしくなんかないよ。
これも嘘。本当はとてもさみしい。
――特に変わったこともないし、毎日元気。
ああ、また嘘だ。仕事が忙しすぎて、毎日泣きそうになってるのに。
元気ないって弱音を吐いて、心配させたくないから強がってしまう。
――え、あはは、そんなことあったんだ。楽しそう。
あなたの話す近況報告に、いいなあ、一緒にやりたかった。と。そんな願いは口に出せない。
黙ることは、嘘ではない。嘘をついていないのに。
時間がすぎて、空が暗くなって、気持ちが焦る。
だからつい、尋ねてしまった。
――今度いつ会えるかな。
そしてすぐに思い直した。いけない、こんなことを聞いてはいけない。
ほら、すぐにフォローして。
――しばらく難しいよね? そっち、忙しいんだもんね。
私が嘘をつくように、あなたも嘘、ついてたら嫌だなって思って。
嘘、つかなくていいように、しなくちゃって思って。
――ごめん、そろそろ切らなきゃ。
ちょっと泣きそうになるのは寒くて鼻の奥がツンとなるせいだ。
上ずった声を聞かせたくなくて私はまた嘘をつく。本当はいつまでだってこうしていたい。あなたとつながっていたいのに。
――またね。
嘘ばかりの私の言葉。できることなら最後のひとこと。
これだけは、嘘じゃなく、してほしい。
冷たくなった指先で通話終了を押しかけた、ときに。
『あ。年越しは一緒にしたくて。会お』
信じられない言葉が聞こえて、私はまたスマホに耳を近づける。
なんだよそういうつもりなら、さっさと一番に言ってよ。もったいぶりやがって。もう、本当に。もう。
怒ったせいか、驚いたせいか、うれしかったからか。きっと全部。
私は頬を赤らめて、あなたに一生懸命返事する。
――うん。もちろん大丈夫。うん。すごく楽しみ。ありがとう。そうだね、また、予定決めよう。連絡。うん。
今度こそ本当に通話終了。終わってしまって、残念。だけど胸はドキドキしている。私はベンチから立ち上がる。
腰も足も耳も冷たくなっちゃった。けどぜんぜん辛くない。私の中身はあたたかい。
スマホをかばんに片づけながら、私はふと、さっきまで腰かけていた平らな座面に触れてみる。
私なんかじゃ温めきれなかった石の冷たさが、熱を持った手のひらに心地良かった。
あなたに今度会うときは、冬至も過ぎて、夏に進み始めた日。
とてもとても楽しみだ。
あ、私、今大丈夫になっている。あなたのおかげで私の嘘が、ぜんぶ本当になったみたいだよ。
(冬至のころに/終)




