【夏と握手】
夜の八時を過ぎてもなお。空は薄く、明るくて。
「夏至っていつだったけ」
「もう過ぎたよね」
梅雨が明けたら完全に夏だよね、とか。そんな話をしながら、一緒に並んで歩く、帰り道。
私は彼が、好きだけど。
彼が私を好きかは、わからない。
嫌われてはないと思う。
だってこうして、隣に並んで歩いてくれるし。
どうでもいい話だって、聞いてくれるし話してくれる。
もしかしたらこれは、彼にとってはぜんぶ、社交辞令的なやつで。
誰と歩くことがあっても、同じような態度かもしれないけど。
私はそれでもいいなあって思う。
彼と一緒の時間を過ごせることは、それだけで。
私にとっては何物にも代えがたいこと。
空なんか見上げて歩いていたものだから。
ふたりの距離がいつの間にか近づきすぎて、お互いの手がぶつかった。
わざとじゃないけど、彼に触れてしまって、私はこっそり息をのむ。
少しだけ触れた部分がぞわわって、した。
私よりも温度が低い手。
でも彼は何事もなかったように、その時していた会話を続ける。
だから私も何事もなかったことにする。
「あじさいも終わりだね」
「今年、なんか白っぽいの多くなかった?」
枯れ始めたあじさいは、ちょっともの悲しい。
あ、でも。少し先の植え込みのは、まだきれいに咲いている。
夜に溶ける、艶やかな紫色。
なんて、よそ見して歩いたものだから。
また、ちょっと手がぶつかってしまった。
「あ、ごめん」
そして二回目は、彼もなかったことにせず。
短く謝罪の言葉を吐いた。
「ごめん」
私も思わず謝り返す。
あなたに触れてしまってすみません。……なんて。
ほんとは謝りたくないし。
謝られたくもないんだけどな。
私は勝手に、しょんぼりした気分になって。
それからしばらく、黙って歩いた。
夜の始まりは遅くなったのに。
始まってしまえば一気に夜になる。
さっきまで水色の残っていた空も、どこもかしこも紺色だ。
そして私は学習しない。
だからさ、ちゃんと前向いて。
ちゃんと距離取って。
しっかり歩いてないと。
あちこちよそ見しながら、ふらふらしてたら。
ぶつかっちゃうのに。また、手。
三度目の、彼の手に触れた感触に。
「ごめん」の「ご」まで口に出た私。
だけど、「ご」は「ごめん」には育たなくて。
そのまま、
「んご!」
って、変な声、出た。
だってぶつかった手を、彼がぎゅって、にぎって。
ふたりの顔の間に持ち上げたから。
「もー、ぶつかりすぎるし。にぎっとこ!」
「ご」
私は再び変な返事をする。きっと顔、真っ赤だったと思う。
夜でよかった。きっとはっきりとは、彼には見えてないはず。
でも私にはちゃんと見えたよ。
にこにこと笑う、彼の笑顔。
だからもう、いいのだ。
彼が笑ってくれるなら。私はずっと真っ赤でいるし、変な声出すよ。
それから分かれ道にたどり着くまで、ずっと手、にぎってた。
「じゃあ、また明日な」
彼は私から手を離して、さよならを告げる。
「うん、また明日」
また明日、会おうね。
……って、そういう意味だよね?
また明日も、手、つないでくれるのかな、とか。
そんなことを考えるのは私、欲張りすぎだよねえ。
お互いに離した手を顔の横に広げて。
こもった熱を逃がすみたいにひらひらと振って。
バイバイをする。
お別れしたのに。
五本の指がぜんぶしあわせで。
「ご……」
って、ひとりで自分の手見て。
笑ってしまう、夏の夜。
(夏と握手/終)
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2021年07月12日 (月)活動報告掲載小話




