【夏の味】
朝起きて、景色が違うことに気づく。
そうだ、私、実家に戻ってたんだっけ。
昨夜いつの間に寝たんだろう。
夢も見ずに寝たのはいつぶりか。
自分の棲み処にいるときは、いろんなものに、うなされるから。
朝日が昇るのを感じながら、静かにこっそり身支度をする。
せっかく早起きしたのだから、散歩でもしてみよう。
ふだんなら絶対やらないこと。
今日も雨が降るかもしれない。
どんよりした空の下、朝の空気の爽やかさも、どこかしっとり湿ってる。
近所の神社を通り過ぎ、向かうのは海。
吹いて来た風に、「海のにおいがするね」と、言うのはきっと、海から遠くに住む人だ。
私にとってはあまりにも、当たり前の肌触り。
コンクリートの堤防に、しがみついている急な階段を、そろそろと下りて、砂浜へ。
そこに並んだ消波ブロックに、腰を下ろして息を吐く。
顔を上げたら、海がある。波、光、繰り返される音。
ああ、やっぱり、私はこの景色が好き。
しばらく見つめてそれから、唯一の持ち物をポケットから出した。
どこへ行くにも手放させなくなった端末に、そっと指先を添える。
今なら素直に伝えられる。
そばにいたら言えない言葉。
ありったけの気持ちをしたためて、あなたに送る。
ほんの少しの時間のつもりが、けっこう時間が経っていて。
画面の数字に驚いて、消波ブロックから飛び降りる。
ざくりと靴が砂に埋もれる。それ以上、捕まらないよう、足を動かし脱出する。
階段を上って、堤防のてっぺんから、海を見て。
また来るね、って。大きな何かに確かに誓う。
実家に戻ると、朝ご飯の用意ができていた。
かごいっぱいに盛られた茹でたとうもろこし。
つやつやと並んだ黄色い粒に笑顔が浮かぶ。
大丈夫、今年もちゃんと、夏が来る。
(夏の味/終)
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2021年06月08日 (火)活動報告掲載小話




