ぬらりひょんとは
「君はぬらりひょんを知っているかね?」
「は?」
まともに活動をしている部員がいない文芸部の部室で、つまらなそうに本を読んでいた先輩が、本をテーブルの上に置いて私に尋ねた。ソファー(何故か文芸部の部室にはソファーがある)で寝そべって漫画を読んでいた私は、彼の言葉に戸惑った。
「ぬらりひょんですか。何か、妖怪の親玉、みたいなやつだった気がします」
「妖怪の親玉…」
彼は顎を擦りながら、私に鋭い視線を向けた。
「違いましたっけ。ごめんなさい、妖怪に詳しくなくて」
「いや…」
彼は頭を振り、
「そうか、ぬらりひょんって、妖怪なのか」
「え?」
そんなことを言いだした。
「えっと、妖怪ですよね?」
「妖怪なんだろう? 親玉なんだろう?」
「えっと、先輩、ぬらりひょんのことを知ってて、聞いてきたんじゃないんですか?」
「知ってたら聞かないよ」
まあ、そりゃそうかもしれないけど。
でも、後輩との話のきっかけにしようと思って言い出したんだってそりゃ思うじゃないのさ。
私が憮然と(唖然と?)していると、彼は、
「ぬらりひょんって、どんな外見をしてるんだい?」
「知りませんよ、そんなの」
「まあ、知らないなりに」
「知らないなりって何ですか…」
例えばそうだな…、と彼は棚から原稿用紙を取り出し(本当は、文芸部は作品を書いて発表しなければならないそうだ。しかし、私が入部して以来、そんな部員の姿を見たことがない)、桝目をまったく無視して絵を描き始めた。そんなことをしても良いのか分からないが、止める間もなかった。
描き終えたのであろう。彼は私の前に絵を突き出した。…頭に皿をのせており、そこには『王』と一文字書かれている。その皿の下に黒々とした髪を腰まで伸ばした偉丈夫がいる。…。髭も蓄えており、何か関羽みたいだった。
「これかな」
「皿乗せた関羽じゃないですか」
そのままの感想を言うと、彼はなるほど…、とまた顎を擦った。
「関羽じゃないのか」
「ぬらりひょんだって言ってんでしょ」
「ゆらりひょんは、わからんな」
「そうでしょうよ。だから、想像図だったんでしょうよ」
そうだったな。
と、彼はまったく覚えてはいなかったであろうことを誤魔化すように言って、また、原稿用紙を引っ張り出した。
私は面倒くさくなって、再び漫画を読み出した。
漫画を読み終えた頃だろうか、彼が「出来た」と言った。
「これだな」
また原稿用紙を突き出された。
また、頭の上に『覇王』と書かれた皿が乗っている。そうだった、まず、そこを指摘しなければいけなかった。ぬらりひょんに皿はない。…いや、待てよ。ないっけ? 皿。何か禿頭のおじいさん、ってイメージなんだけど。
ともかく、目線を下げてみる。…そこには、髭を剃った偉丈夫の姿があった。…ん?
「先輩、これ、何ですか?」
「それはな、髭を剃った関羽だ」
「ぬらりひょんを描けって言ってんだろうが。…いや、ぬらりひょんを描くって言ってたろうが」
私が指摘すると、先輩は心なしか嬉しそうに。
「いや、もう、ぬらりひょんとか、いいんじゃないかな。やっぱ、関羽が良いよ」
うるせえよ、馬鹿野郎。もうどうだっていいよ。
と、私は顔をしかめてソファーに横になった。ふて寝である。
「しかし、ぬらりひょんが関羽だったとはな」
「うるさい、バーカバーカ。本物のバーカ」
先輩はしみじみと呟き、私は彼にクッション(何故か文芸部の部室にはクッションもある)を投げつけた。




