9話
リーリーのあとをついていくと、泉があった。そしてこの泉の中に入って、泳がずに水底を歩いて向こう岸に上がるよう指示された。
泉をのぞきこむと、水面には自分の顔ではない、知らない顔が映っていた。髪は赤色からエメラルドグリーンに変化している。しかし今は色々考える暇を与えてもらえない。リーリーが泉に飛び込んだので、アルフレッドもすぐさまついていった。
泉の中はとても澄んでいて、水底を歩くとゆっくりと泥が舞っては沈んだ。渡りきって水から顔を出すと、そこはもう森の中ではなく、色とりどりの花がどこまでも咲き乱れる美しい草原のような場所だった。
「ここが世界のすべてにつながっている中心地点さ。みんなで集まるときはここに来るんだ。ほら、もう仲間たちが来た」
「こんにちは! 私はカムム!」
「やあ、僕はエピロだ。ゆっくり遊んでいきなよ!」
そのあとも、『サオン』『ナテ』『イレルリク』という名の妖精たちが寄ってきて、手や服を引っぱりながら挨拶してくれた。みんなが果物を運んできてくれたので一緒に食べ、歌ったり踊ったりするのを眺めて楽しんだ。
そして妖精たちに誘われてついていった場所には、地面を覆い隠すほどの宝石があたり一面に散りばめられていた。
「欲しいならいくらでもあげるよ」とリーリーが言う。
アルフレッドはしばらくぼーっとしていたが、我に返って思い出した。
「これは……幼い頃、母から何度も聞いた物語と一緒じゃないか……」
アルフレッドは妖精たちに礼を言うと、急いでポケットに入るだけの宝石を詰め込んだ。
「リーリー、ありがとう。でも、もう帰ろう。俺を首都に近いところへ連れてってくれないか? この宝石で服や靴を買って、身なりを整えて家に帰りたいんだ。馬も必要だし……」
「えー! もう出ていくのかい? しばらくゆっくりしていけばいいのに……」
「リーリー、悪いけど今すぐ案内してくれ」
「……」
リーリーや他の妖精も頬を膨らませて不機嫌になっていたが、リーリーはあきらめて、みんなに「じゃあ、またね」とウィンクした。すると他の妖精たちもキャッキャ言いながら出口近くまでついてきて、名残惜しそうに手を振った。
首都に近い、神殿近くの林の奥から出てきたリーリー。続いて出てきたアルフレッドは急に叫び声をあげた。
「わあああーー!! なんだ、この痛みは……身体中がきしんで……血が枯れていくような……ううっ!」
のたうち回るアルフレッドを見て、リーリーはため息をついた。
「あーあ……あのままみんなと遊んでいれば良かったんだよ。僕らの世界と君たち人間の世界では流れている時間が違うんだ。君たちの世界の10分が、僕たちの世界の1年さ。さっき2時間くらい僕たちの世界にいたから……12年分の時間が君の身体の中で一気に過ぎてる。つまり、アルフレッドの身体は今32歳になろうとしているってことだね」
「そんな……あの妖精の話は本当だったんだ……」
アルフレッドは意識が薄れゆく中で、幼い頃母親に添い寝してもらいながら、何度も話してもらった妖精の物語を思い出していた。
『むかしむかし、ある森に妖精がいました。村の女性が森へ薪を取りに入ったところ、その妖精に出会い、誘われて妖精の国へついていきました。するとそこには、輝く宝石があたり一面に転がっていました。妖精から、一緒に遊んでくれたら宝石を持って帰っていいと言われたけれど、女性は怖くなってすぐに帰ってきました。村に帰ってその話をすると、村のみんなは袋やかばんを持って妖精の森へ入っていきました。けれど、誰も戻っては来ませんでした』
「そうか……この話は『誰も戻って来なかった』じゃなく、『戻ってきたけど時が経ちすぎて消滅した』のか……」
そのままアルフレッドは気絶した。すると近くで人間の気配がしたため、リーリーは急いでアルフレッドの胸元に隠れた。
「え……ちょっと! 大丈夫ですか?!」
通りかかった彼は神殿の神官の付き人だった。アルフレッドの身体にふれると、体温が高いことに気付いて、急いで神殿に戻り神官へ報告した。しかし神官の言葉は冷たいものだった。
「それはいけません、流行病だと大変です! 首都の端のほうに、流れ者たちが住む区域があるでしょう? その者たちを呼んで、連れ帰らせなさい。大神官様にうつりでもしたら取り返しがつきません。さあ、急いで!」
そうして貧しい人々が肩を寄せ合って暮らす区域へ運ばれたアルフレッドは、病人が集められている小屋で寝かされた。普通なら服などを探られて物を盗られるのだろうが、今のアルフレッドは筋肉隆々の背の高い男だ。その区域にいる痩せ細った人々は恐ろしくて手を出せなかった。ただ、アルフレッドが死んだら身ぐるみ剥ぎ取ってやろうと狙っていた。
「あーあ、いやだねえ、こういう人間とはお友達になりたくないもんだ。あれ? こういう人間ってどんな人間だろう? 人間なんてみんな同じかもね」とリーリーは小屋の屋根に座ってつぶやいた。
アルフレッドは目を覚ました。正確には、時々意識が戻っていたが、身体中が悲鳴をあげて動けなかった。久しぶりに起き上がるとふらついてめまいがする。胸元からリーリーが顔を出して「おはよー」と声をかけてきた。妖精の世界から戻って何日経ったか聞くと、すでに1週間だと言う。おぼろげに記憶に残っているのは、この1週間の間、男の子がスープらしき食事を口に運んでくれていたことだった。
「リーリー、俺の世話をしてくれていた男の子のこと、わかるか?」
「わかるけど……その前に、臭いぞアルフレッド! 胸元にいる僕の身にもなってくれよ!」
アルフレッドはよろよろと歩き出して小屋を出た。まずは近くに宝石商がないか探してみる。さすが首都だ、端の区域からでも割とすぐ近くに商店がいろいろ揃っていて、小さい宝石商を見つけた。
宝石商に入る前に、ポケットの中身をチェックした。大丈夫だ、宝石はちゃんとある。しかし、念のため一番小さい宝石をひとつだけをお金に換えることにした。
店に入ると、店主が「いらっしゃいま……」と声をかけ終わる前に口と鼻をハンカチで押さえた。
「すまない、事情があって着替えも風呂も今からなんだ。ここに宝石がある。金貨に交換したい」
その宝石を見た店主は、目を丸くして驚き、宝石とアルフレッドを交互に見て、咳払いした。そして、店の奥に行くと、金貨を革袋に入れて持ってきて、「こちらでいかがでしょう?」と笑顔で渡した。
中を確認すると、金貨が30枚入っていた。アルフレッドは「わあ、こんなに入ってる!」と思ったが、顔には出さず「結構だ」と返事をして店を出た。
そのあとは、体に合う服と靴とカバンを買い、宿屋で部屋を借りて風呂にも入った。ちゃんとした鏡で顔も見た。やはりまったく知らない32歳の男だった。
髪もひげも伸び放題で、とりあえず自分で切った。床屋はまた今度でいいと、まずは久しぶりにまともなベッドで横たわる。
「顔も身体も、本当に別人だな。そして気持ちは20歳のまま32歳になってしまった。ジュリアは元気にしているだろうか。ローゼン伯爵はなぜ俺を殺そうとしたんだ? 殺し屋を雇ってまでわざわざ戦地に……」
アルフレッドは胸騒ぎがした。宿屋の主人へ連泊することを伝えて料金を払い、情報屋を紹介してくれるように頼んだ。宿屋近くの酒場で情報屋に会うと、アルフレッドは「内密にローゼン伯爵家とキャトリー子爵家の、今日までの12年間のことを調べて欲しい」と伝え、金を払った。「3日後に報告する」と約束して情報屋は酒場を出ていった。
「不安だ……ジュリアの嫌な予感もよく当たっていた。彼女の言う通りに志願兵などにならなければ……」
志願兵にならなければ幸せだったのだろうか、と考えを巡らせたが、だからといって今さらそんな選択をすることはもうできなかった。