8話
「あーあ、人間と目が合っちゃったよ。まったく面倒くさいことになったなー」
目の前には手のひらより小さい、絵に描いたような妖精がうっすら光りながら、4枚の羽を羽ばたかせて飛んでいた。
アルフレッドは意識がもうろうとしていた。しかし、お構いなしに妖精は話しかけてくる。
「僕の名前はリーリー。君たちの世界では妖精って呼ばれてるみたいだね。僕たちの世界では、『僕たちの目と目が合った人間』とは死ぬまで一緒にいなくちゃいけないって言う『決まりごと』があるんだ。僕たちの寿命は千年くらいあるからね、だから君が死ぬまでってことになるんだけど……もう死んじゃうのかな?」
「……死にたくない」
「そっかー、じゃあ今から言うことをよく聞いて、そしてよく考えてよ。僕たちは『死ぬまで一緒に過ごす人間』には、3つの願い事を叶えることができるんだ。でも、『世界征服』とか『永遠に生きる』とかはたぶん無理だね。願いを叶えるには、それと同じだけの対価が必要なんだ。君が途方もない願いを言ったとしても、それに釣り合う何かを持っていなければ叶えられない。わかったかなあ? さあ、何か願いと対価を言ってごらんよ」
ニコニコと笑って願いを叶えると言っている妖精。アルフレッドはこれが現実なのかどうかも確信が持てなかった。しかし、このままでは死んでしまう。そして、ただここから這い出ただけでは、また狙われて殺されてしまう。どうすればいいのか必死で考えて答えを出した。
「リーリー、お願いだ。ここから脱出するための屈強な身体がほしい。外見も別人になるようにしてくれないか。対価は俺の残りの寿命の半分を渡すよ」
「君は自分の寿命がどれくらいかも知らないくせに対価にするんだね。もし残り1年の寿命だったら全然足りないよ……なんてね! ははは、冗談だよー。対価として釣り合いそうだから受け取るよ。その願いを叶えるねー!」
リーリーは岩の隙間を縫って近づき、今にも死にそうなアルフレッドの頬にキスをした。すると身体や顔に波打つような感覚があり、何かが増えて何かが減っているようだった。それに伴って痛み、痺れ、痒みも一斉に全身を襲ってきた。しかしアルフレッドは死ぬ訳にはいかないと、そのいろんな感覚に耐えた。
「1つ叶え終えたよ。今の君ならここから出られるんじゃないかな?」
リーリーはそう言いながら、岩石の間をすり抜けて先に外へ出た。アルフレッドも全身に力を込めてもがき、岩石の山を少しずつ何度も持ち上げて、まず手を動かす隙間を作り、持ち上げ、押しのけた。そうして、やっと脱出できた頃には深夜になっていた。
アルフレッドの肩に止まって自分の羽を見たリーリーは、大きくため息をついた。
「さっきの石の衝撃で羽が少し欠けちゃった……ガッカリだよ。まだ飛べるみたいだからいいけど、治るかなあ……君の洋服の中にいれておくれよ」
アルフレッドはボロボロになった自分の服を見た。ボタンは弾け飛んでいる。今までの身体とは全然違う、腕も太く胸板も厚い、たくましい身体つきになっていた。目線が高い、おそらく身長も前より高いのだろう。
リーリーはその洋服の中にスッと入り込むと背伸びをした。
「じゃあ、おやすみ。僕がいることを忘れて押し潰さないように気をつけておくれよ! あっ、それから、今日は僕をかばってくれてありがとう」
月の光を浴びながら、しばらくじっと立ちすくんだ。というか、座り込んだら洋服が裂けてしまいそうだった。手を見てもゴツゴツしていてまったく別人の手だ。靴も窮屈で、立っているのがやっとだった。断層の崖に寄りかかり、靴の足先とかかとの部分をナイフで切り取った。これで少しは歩ける。上着で何とか隠せているが、ズボンも窮屈で腰に引っかけているだけだ。いつ裂けてもおかしくない。
「このままじゃ、殺される前に変質者で捕まってしまうな」
アルフレッドは首筋の後ろ髪をさわりながら、何からどうすればいいのか考えた末に、自分のいた野営まで戻ってみることにした。
騎士のいるテントの陰からそっと様子を見る。まず襲ってきたやつらはいないようだ。そしてまだ寝ていない騎士たちはカードで賭け事をしたり、酒を飲んだりしている。
そのまま裏へ回って、洗濯物などが投げ置かれているところへ行ってみた。騎士は身体の大きな男が多い。とにかく大きそうで入りそうな洋服を選ぼうと漁っていると声をかけられた。
「おい! お前、何してんだ、見ないヤツだな……」
アルフレッドはゆっくりと振り返った。そこには騎士が1人立っている。
「どうした、服がズタズタじゃないか。ははは! お前すごい筋肉なのに仲間にいじめられたのか? 服なんか泥棒すんなよ。ちょっと待ってろ」
その騎士の男はテントに戻っていった。
アルフレッドは悩んだ。どうする? このまま逃げるか? 別の隊まで行ってみるか? しかしここを離れたらもう戻ってくるのは無理だし、服も靴ももう限界だ。ウロウロしていてローゼン伯爵の刺客たちに見つかったらどうする?
立ちすくんでいる間にもう騎士が戻ってきた。
「ほれ! 俺の服と靴だけど、やるよ。体つきも俺と似てるみたいだから丁度いいだろう。次はやられたらやり返せよ!」
そう言って、ファイティングポーズからのワンツーをして見せた。
「ありがとうございます。この恩は忘れません」
「こんな汚れた服で大げさだな。もう寝ろよ! お前、名前は?」
アルフレッドは聞こえないフリをして名前を言わずに、服を抱えてその場を離れた。ちょうどそのときに向こうから別の騎士が呼びに来た。
「おーい、フェルナンド! 軍事指揮官がお呼びだぞ。何かやらかしたのか?」
「何もしてねーよ!」と頭をかいたその騎士は、面倒くさそうにテントへ戻っていった。
軍事指揮官が動いたということは、自分の戦死が伝えられたのかもしれない。そう思ったアルフレッドは足早に立ち去った。
近くの雑木林で急いで着替えた。リーリーが服の中で寝ていることをすっかり忘れて乱暴に脱ぐと、服から飛び出してしまった。でもリーリーはぐっすり寝ている。
そっと両手ですくい上げ、「そうだ、これから死ぬまでリーリーが一緒なんだ」と、改めて意識しながら服の中に寝かせて戻した。そして自分が埋められた森の中へ向かった。
「万が一、ここを確認しに来られたときのことを考えて、岩石を同じように積み上げておくべきだな」
前の身体なら、両手で足を踏ん張ってやっと持ち上げられていたような重みの岩石も、今なら楽に運べた。
おおよそ元通りに積み上げたあと、さらに森の奥へ移動した。火を起こすとバレてしまう。ぼんやりとした月の明かりを頼りに、少しでもここを離れようと歩いた。
気がつくと朝になっていた。倒れた巨木の陰に隠れて眠っていたアルフレッドは悪夢にうなされて起きた。自分の身体を見て、夢ではなかったんだと再認識した。
「はっ! リーリー! 大丈夫か?」
胸元をのぞいたが、リーリーはいなかった。もしかして押し潰してしまったのかと焦っていると、リーリーが飛んで戻ってきた。
「おっはよー! はい、これ朝ごはん! そういえば、君の名前は何? 歳はいくつ? お腹は空いているかい?」
リーリーは自分の身体くらいあるオレンジ色の果物を取ってきてくれたが、一口で食べ終わるくらいのサイズでしかなかった。
「俺はアルフレッド、20歳だ。昨日は願いを叶えてくれてありがとう」
「若いんだね、アルフレッド。僕は480歳くらいかなあ? 願いはあと2つ残ってるからね。いつでも言ってよ」
アルフレッドは果物を少しずつ噛んで食べた。とても甘くて美味しかった。美味しくて、いろいろ思い出し、涙が出てきた。
「おいおい、泣くなよー。困ったなー。あれ? 何で僕が困るんだ? やっぱり泣いていいよ。僕、困らないことにしたから」
しくしくと泣くアルフレッドの横で、鼻歌を歌いながらひとりでくるくると飛び回って遊んでいるリーリー。しばらくそんな時間が過ぎていった。
「なあ、リーリー。君はどこから来たんだ?」
アルフレッドは気持ちを切り替えるためにも、リーリーのことを聞いてみた。
「僕? どこからっていうか、世界からだよ」
「でも、俺と出会ったってことは、この森の中に家とかがあるんじゃないのか?」
「僕たちの世界はいろんな場所と繋がっているんだよ。君たち人間だって、地上で行けない場所はないよね?」
それはそうだが……とアルフレッドは返答に困り、後ろ髪をさわりながら質問の角度を変えてみた。
「人間は飛べないし、不思議な力もないし、千年も生きないから、生きる場所を大きく変えることはあまりないんだ。だから、君もこの森の中にずっと住んでいたのかなって思ったんだよ」
「そうか! ごめんごめん、君たちは陸地でしか繋がっていなかったね。僕たちは森や泉や洞窟の、空気が澄んでいるところへ空間的に繋がっている、と言えばいいのかな? だからこの森から違う国の森へも散歩がてらに行けちゃうのさ」
「おい、待ってくれ……じゃあ、俺もそこを通ればこの森から簡単に脱出できるじゃないか」
「まあ……ね」
リーリーは意地悪そうな笑みを浮かべて、楽しそうに空を飛び回った。
「じゃあ、行ってみるかい? 僕たちの世界に」