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妖精は片翼で飛ぶ  作者: Nica Ido
4/31

4話

「何てことをしてくれたんだ、アルフレッド!」


 狩猟が中止になり、家に帰る馬車の中でキャトリー子爵が声を荒らげた。


「なぜですか?! あいつはジュリアを殴ったんですよ! そして俺も銃で撃たれた。殴り返さないと俺たちが殺されていたんだ……」


「くやしいのはわかるが、相手はあの伯爵の跡継ぎだぞ! 何があっても逆らってはいけない相手だったのに、お前は殴り倒したんだ!」


 キャトリー子爵夫人も肩を落として深いため息をついた。


「これでもう、狩猟はこの森では開催されないでしょうね……毎年良い収入源になっていたのに……高利貸しの件はどうしましょう……きっともう待ってはもらえないわ、家財道具を差し押さえられてしまうかしら……」


 アルフレッドは納得できなかった。『被害者はジュリアと俺だ。なのにこの雰囲気は何だ? 悪いことなどひとつもしていない』と思っていたが、キャトリー子爵夫妻のあまりの落胆ぶりに『俺が悪かった……のか?』と錯覚をおこしてしまいそうになり、何も言えなくなった。


 アルフレッドは隣に座るジュリアの手を握って微笑んだ。ジュリアも微笑み返してくれたが、殴られて腫れた顔が痛々しかった。それを見て怒りが再燃する。しかし何もできない自分が不甲斐なく、こぶしを握りしめた。




 ローゼン伯爵とジョフリーは伯爵邸に帰り着いた。出迎えた使用人たちはジョフリーの顔を見て驚いた。オロオロしているとローゼン伯爵が「医師を呼べ」と命令した。


「ジョフリー、痛むか?」とローゼン伯爵は心配そうに声をかける。


「痛いよ! でもそれ以上に悔しい!」とジョフリーは震えながら答えた。


 自分の部屋に戻り、メイドが着替えを用意する。メイドは怪我をしたジョフリーから八つ当たりされないかビクビクしていたが、彼は怖いくらい落ち着いていた。診察を受けて痛み止めを飲み、腫れを抑える塗り薬を医師が塗り終える頃、ローゼン伯爵が部屋に入ってきて、医師に容態を聞いた。


「骨や身体に異常は無いそうだ。安心したぞ。打撲が良くなれば問題ないとは、若さだな」


「……」


「もっと荒れているかと思ったが、冷静なようだな。それでこそ我が伯爵家の跡取りだ」


「……お父様、お願いがあります」


 ジョフリーの真剣な眼差しに気付いたローゼン伯爵は、医師もメイドも部屋から下げさせた。


「お父様、俺はジュリアが欲しい。結婚したい」


「何?! お前、こんな目に遭ってまだあの女に執着するのか?」


「今日気付いたんだ。きっと俺は8年前……森の中で初めてジュリアと出会ったあの時からずっと好きだったんだと思う」


 ローゼン伯爵はジョフリーの話を黙って聞きながら、こんなに真剣に話す息子を見るのは初めてだと少し驚いていた。『もう息子も24歳になった。条件の良い縁談はいくつもあるのだが、しかし……』と考えを巡らせていた。


「俺と彼女を結婚させてくれたら、これからはお父様の仕事も勉強するし、跡継ぎとしてがんばるから、お父様の力で何とかしてくれよ!」


「そうか……わかった。どちらにしても、お前をこんな目に遭わせたあの男とキャトリー子爵をこのままにしておく訳にはいかんからな。私に任せておけ、どんな手を使ってもあの娘を手にいれてやろう」


 ローゼン伯爵は立ち上がり、部屋を出て執事を呼ぶ。


「キャトリー子爵に貸している高利貸しを呼んでくれ。それから娘婿のことも調べて報告しろ」


『ジュリアが手に入る』その喜びで興奮していたが、しばらくすると痛み止めが効いてきて、ジョフリーはゆっくりと眠りに落ちていった。




 ある日、キャトリー子爵宛にローゼン伯爵から書簡が届く。そこには『伯爵邸まで来るように』と書かれていた。


 キャトリー子爵は肝が冷えた。あの騒動についてだろう、何か悪いことが待っているに違いない。しかしこちらに選択権は無い、行くしかない。


 キャトリー子爵夫人が心配そうにソワソワしている。


「また騒ぎ出すといけないから、ジュリアとアルフレッドにこの書簡のことは内緒にしておきなさい」と妻へ伝えたキャトリー子爵は、伯爵邸へ向かった。


 伯爵邸は宮殿のように広く豪華で素晴らしい屋敷だった。同じ貴族でもこんなに差があるのかと見せつけられているようだった。キャトリー子爵も貧乏ではなかったが、この数年は領地の収穫量も減っていた。高利貸しに利子ばかり払い、借金の元本が減らない状況が続いている。今は利子の支払いですら待たせて、その分で農具を買って収穫量を増やしている。とはいえ劇的に増えた訳ではなく、すぐに返済することはできない状況だった。


 執事に案内され、何と言われるのか不安に思いながら伯爵の執務室に入った。


「ローゼン伯爵、手紙を拝見してお伺いいたしました。先日は娘と娘婿が大変に無礼なことを……」


「まあ、掛けたまえ」


 言葉をさえぎられたままソファへ腰かけると、メイドがコーヒーを運んできた。ローゼン伯爵は執務机から移動してキャトリー子爵の目の前に座る。メイドが部屋を出て行き、二人きりになったところでローゼン伯爵は用件を話し始めた。


「以前、私がキャトリー子爵へ紹介した高利貸しに、頼んでほしいことがあると言っていたな?」


「はっ、はい……実はこの1年間、元本はおろか利子さえ支払いが滞っている状況なのですが、もう1年間、支払いを待ってもらえないだろうかと……ローゼン伯爵から口添えしていただければ、高利貸しも信用して待ってくれるのではと思い、相談しようと考えておりましたが……」


「良かろう。取り計らってやる」


「ええっ!? よろしいのですか? しかし……」


 話がうまく行き過ぎている。息子が殴られたことへの腹いせが必ずあるはずだと冷や汗をかいた。


「もちろん見返りは求める」そう言うと、ローゼン伯爵は小瓶をテーブルに置いた。


「この小瓶は何でしょうか?」


「これは毒だ。この小瓶1つで10人分の致死量だ」


 声にならないほど驚いた。これをどうしろと言われるのか、キャトリー子爵は恐ろしくなり震えだした。


「そう慌てるな。なにも人殺しをしろと言っているのではない。お前の娘婿はモンタニエ子爵家の次男だそうだな。そのモンタニエ子爵家の領地の村が3つある。その村の各所の井戸や農業用水に、これを数滴ずつ垂らして回るだけで良い」


「そっ、そんな!! できません! そんなことをしたら農作物が全滅してしまう……それどころか、村人の命が……」


「農作物はダメになるだろうが、人間は数滴の毒で死にはしない。多少苦しむかもしれないが、それだけだ」


 ローゼン伯爵は顔色ひとつ変えずにコーヒーを飲んだ。商談の話をするかのように毒を盛れと言う。何と恐ろしい人なんだ、逆らったら次は自分たちが危ないかもしれない、と思っていたところに、気味が悪いほど優しく微笑んだローゼン伯爵が話しかけてきた。


「君もあの婿養子がジョフリーを殴ったりしなければ、と思っただろう? 私もそうだ。キャトリー子爵は悪くなかったんだよ。だから報復はモンタニエ子爵家にすればいいと思わないかね? 君ならモンタニエ子爵家の領地内をよく知っているだろう? ちょっと懲らしめないと私もジョフリーも気が収まらないからな」


「しかし……罪のない村人まで苦しむのは……」


「君の婿養子にだけ罰を与えてもいいんだよ。ただし、それなら高利貸しに口利きしてやるつもりはない。屋敷でも家財道具でも差し押さえられればいい。私の知ったことではない」


 キャトリー子爵は悩んだ。本当は悩むような問題ではない。即座に断らなければならない依頼だ。しかし、今は自分たちが危ない。屋敷や家財道具を差し押さえられたらどうする? 使用人たちも路頭に迷ってしまう、と色々考えて返事ができず頭を抱えた。


 するとローゼン伯爵は立ち上がり、メイドを呼んで何かを指示した。そして改めてキャトリー子爵の隣へ座り、微笑みながら最後のとどめを刺した。


「では、こうしよう。君の高利貸しの利子を私が肩代わりしようじゃないか。去年の分だけじゃない、今年の分もだ。残るは元本だけとなれば随分楽になるんじゃないかね?」


「ええっ!! でもなぜそこまで……」


「あとで旨味がある話になるからな……まあ、キャトリー子爵が考えなくてもいいことだ。とにかく、毒といっても人間は死なないんだ。しばらく畑も人間も弱るだけだし、このことは私たち2人の秘密だ。ちょっとしたことをするだけで借金が楽になるんだから、家族のことを思えば何も迷うことはないだろう?」


 キャトリー子爵は断れない状況で恐ろしいことを指示されているのは理解していた。しかし、それさえすればキャトリー子爵家は許されて楽になるという条件だけが頭の中でクローズアップされ、その条件に押し潰されてしまった。


 メイドが部屋に入ってきて、ブランデーのロックを持ってきた。目の前に出されたブランデーを、震える手で一気に飲み干したキャトリー子爵は、テーブルに置いてあった毒の小瓶をつかみ、自分のポケットへ押し込む。それは、依頼を受ける意思表示だった。


「それでいいんだよ、キャトリー子爵。モンタニエ子爵家は君のところより裕福なんだろう? いいじゃないか、少しくらい困っても」


「そっ、それもそうですね。少しくらい大丈夫ですよね……」


 メイドがおかわりを注ぐと、またすぐに一気に飲み干した。その姿を見てローゼン伯爵は笑顔だったが目は笑っていなかった。

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