3話
ローゼン伯爵の狩猟の朝。色々と準備して使用人たちと森へ行き、狩りの案内係と打ち合わせや料理の手配、馬の準備、伯爵や貴族たちのテーブルの用意など着々と進めていた。
そこへ招待客たちも到着し、ローゼン伯爵が馬車から降りてやってきた。キャトリー子爵たちは森の入り口で出迎えた。
「キャトリー子爵、今年もよろしく頼む」
「はい、かしこまりました。それから、今年からお手伝いいたします娘のジュリアと娘婿のアルフレッドです」
紹介された二人は伯爵へお辞儀した。
「ああ、娘は結婚したのか。それに比べて、うちの息子はまだのんびり構えて結婚しておらんよ」と笑った。
すると伯爵の背後から声がした。
「よお、ジュリア。久しぶりじゃないか、元気にしていたか?」
ジュリアに緊張が走った。目の前にジョフリーが立っている。
「……お久しぶりです、ジョフリー様」
「初めまして、ジョフリー様。私はジュリアの夫の……」
アルフレッドが近づいて挨拶をしているにもかかわらず、それを無視してジュリアのそばへ近寄った。
「さらに美しくなったな、ジュリア。今までお前を忘れたことはなかったぞ」
ジョフリーはジュリアの頬へ手を伸ばした。それを察したジュリアはアルフレッドの隣へ逃げてジョフリーを避けた。
「では、準備がありますので失礼します。行きましょう、アルフレッド」
急いでその場を離れようとするジュリアにジョフリーが叫ぶ。
「あとで俺の席へ来い! いいな、必ず来いよ!」
ジュリアの嫌な予感は高まっていく。心臓の鼓動が早くなる。『嫌だ、早くここから離れたい、帰りたい』そう思っていたところ、アルフレッドに慰められた。
「あれが例の伯爵のお坊ちゃんか。失礼なやつだ、人を見下している。ジュリアが嫌がるのも無理はないな。来年からジュリアは手伝わなくてもいいよ。俺からキャトリー子爵に話しておくから、今日は先に家へ帰るといい」
ジュリアはホッとして「ありがとう、そうするわ」と微笑んだ。
アルフレッドは「気をつけて」と言うと、ジュリアの頬にキスをして、使用人たちが待っている森の中へ小走りで行ってしまった。
先に帰ろうとジュリアが馬の準備していると母親がやってきた。
「ジョフリー様があなたをお呼びなのよ。ちょっとだけでいいから行ってくれないかしら?」
「嫌よ! 私は家に帰るわ!」
母親は困った顔をしていたが、ジュリアはお構いなしに帰ろうとした。それを引き止めるために、母親はやむなく本心を打ち明けた。
「ジュリア、少し話を聞いてくれるかしら? 実は今、伯爵から紹介してもらった高利貸しへの支払いが滞っていてね、支払いを待ってくれるよう伯爵からお願いしてもらおうと考えているところなの。だから機嫌を損ねる訳にはいかないのよ。少しでいいからジョフリー様のご機嫌をとってくれれば帰ってもいいわ、お願いよ」
母親に懇願され、しょうがなくジョフリーの待つ森の木陰の席まで行った。
ジョフリーはもうお酒を飲んで、令嬢たちをはべらせている。
「おー! 来たか! 隣に座れ」
「……」
黙って座ったジュリアの顎に手をかけて、無理やり自分のほうへ顔を向けさせる。
「本当に美しくなった。いや、あの頃からすでに美しかった。あれから何年経った? えっと、俺が今24歳だから……8年か! 早いな……俺もいろんな女性と付き合ったが、なかなかピンと来なかったんだ。今日その理由がわかった。お前だ! お前が頭にチラついてたんだ……」
「ジョフリー様、もう酔っていらっしゃるんですか?」とジュリアはジョフリーの手を払いのける。
「狩りが始まるまで二人きりで話そう。こっちへ来い!」
そう言ってジュリアの手を引っ張り、自分の乗ってきた伯爵専用の馬車へ向かう。
嫌がるジュリアへ「何だ、相変わらず生意気だな」と言い、力任せに連れて行った。ジョフリーの取り巻きの令嬢たちも驚いて「何なの? あの女性は?」と、冷たい目線をジュリアへ向ける。
「誰か! 助けて!」ジュリアは大声を上げ続けた。
彼女の嫌がる態度と声に苛ついたジョフリーは、巨木の陰へジュリアを引っ張り込んで、反射的に顔を殴ってしまう。「しまった!」とジョフリーは思ったが、癇癪を起こしているため、もうどうにも自分では感情を抑えきれない。
ジュリアの叫び声を聞いたアルフレッドは、声のする場所まで走り寄った。そこで見た光景はジュリアが殴られ口から血を流し、今にも洋服を剥がされようとしているところだった。
「やめろー!」
アルフレッドはジョフリーを押しのけ、ジュリアを抱きかかえた。
「何だ貴様!」とジョフリーはアルフレッドにも殴りかかろうとする。しかし、アルフレッドのほうが強かった。反対にジョフリーは殴り返された。
初めて殴られたショックでジョフリーの怒りは頂点に達する。持っていた銃でアルフレッドを撃った。肩をかすったが、大した怪我にはなっていない。しかしアルフレッドにも『殺される』という恐怖が植えつけられた。殺さなければ殺される。アルフレッドも必死で向かっていき、銃を奪って遠くへ放り投げ、ジョフリーに覆いかぶさって、抵抗しなくなるまで殴り続けた。
そこへ銃声を聞きつけたキャトリー子爵と使用人たちがやってきた。
「何と言うことだ……アルフレッドがジョフリー様を殴っている! 大変だ、早く止めろ、アルフレッドを取り押さえるんだ!」
2人がかりでアルフレッドの両腕を掴んでジョフリーから引き剥がしたが、まだ興奮状態で息も荒く「離せ!」と叫んでいる。
「お父様、アルフレッドは悪くないわ! 先に私を殴ったのはジョフリー様なのよ!」とジュリアが弁明する。
「ジュリア……これは誰が先だとかいう問題ではないのだよ……」とキャトリー子爵は青ざめながらつぶやいた。
倒れていたジョフリーがゆっくりと上半身を起こした。
「だっ、大丈夫でしょうか? ジョフリー様」
キャトリー子爵が近寄り、手を差し伸べたがジョフリーに払いのけられた。
「貴様、この俺を殴ってこのままで済むと思うなよ! キャトリー子爵! お前もだ!」
捨て台詞を吐いて、伯爵専用馬車のほうへヨロヨロと歩いていった。
一連の騒ぎが耳に入ったローゼン伯爵は、狩猟を即座に中止にした。そしてキャトリー子爵へ一言だけ伝え、招待客とともに帰っていった。
「今日のことはよく覚えておけ。代償は払ってもらうぞ」