28話
ーー麦の暴落が始まった頃のローゼン伯爵邸ーー
久しぶりに家族全員が集まった夕食だったが、和やかな雰囲気はまったくなく、まるで会合のようだった。
ジュリアはブティック『アデレード』の見学期間は終了し、今はローゼン伯爵夫人の輸入雑貨のショップを任されている。
『アデレード』での勉強は、狭い世界から一歩踏み出したような感覚になった。良い経験になり、何より楽しかった。ジュリアは元々働くことが好きなタイプだったが、両親から教わった農地経営は、言われたことをやっていただけで、自分で一生懸命考えたり、接客したりすることはなかった。
でも今は、接客したお客様から「ありがとう」と言われることが嬉しくて、ジュリアなりにがんばっている。そんなことを食事のときに話したいと思うが、家族団欒などこの場には無かった。
「ジョフリーは農地経営をちゃんとやっているのか? 麦の価格が去年に比べて下がり始めているぞ。もう少し収穫量が上がるように考えて工夫しなさい」
ローゼン伯爵はジョフリーに領地の半分を任せているが、息子に甘いのが欠点だ。ジョフリーは自分ではやっているつもりなのだろうが、何でも人に任せっきりで、うまくいかなければ責任転嫁して、任せた者を激しく叱責するような仕事ぶりだった。
「ちゃんとやってるさ。不作なのは天候や土地が悪いんだよ。次はたくさん収穫できるように厳しく言っとくから大丈夫だよ」
「何の保証もなく大丈夫なんて言うもんじゃないぞ。がんばりなさい」
「がんばるからさ、また金が必要なんだ、少しまとまった額が欲しいんだけど、いいかな」
「またか……無駄遣いもほどほどにしておけよ、麦が暴落でもしたらそんな場合ではなくなるんだからな」
その会話を聞いていたジュリアと息子のルディは小さくため息をついた。領地のために使う金ではなく、酒や遊びに使う金だ。金の無心をするときだけ、こうして夕食に顔を出すのがお決まりだった。
しかし今日は珍しくローゼン伯爵夫人も口を挟んだ。
「ジョフリー、あなたはもう36歳でしょう? 早く仕事を全部任せられるようになってね。私はそろそろ引退して、優雅に過ごしたいのよ」
「任せてください、お母様。ではちょっと出掛けるのでこれで失礼するよ」
「ふらふら遊んで回るのもいい加減にしなさい、身体を壊すわよ」
母親のセリフを聞き終わる前に、ジョフリーは席を立って出ていってしまった。食事にはほとんど手を付けていなかった。
そのあとは、ナイフやフォークがカチャカチャと音を立てるだけの食事になった。食後のコーヒーを待つ間に、ローゼン伯爵がルディへ話しかけた。
「ルディ、騎士見習いはどうかね?」
「はい、まもなく1年経ちます。王宮では皆で切磋琢磨して精進しております」
模範のような回答をして、祖父と会話のラリーをする気がないルディに代わって、ジュリアがその場を取り繕った。
「最近は剣術や礼儀だけでなく、王宮の中で来客の接待や食事の支度の手伝いなど、いろいろと経験しているようですわ」
「そうか。戦に行けば、身の回りのことや食事も自分で全部しなければならないからな。まあ、我が伯爵家の未来の跡継ぎであるルディが戦地などに足を踏み入れることは無いから安心するがいい。王宮でチャンスがあれば王族にしっかりと自分を売り込んでおきなさい」
ジュリアは青ざめた。モンタニエ子爵家の跡継ぎであるアレンの代わりに、戦地に行ったアルフレッドが戦死したことを思い出すと、今でも心が張り裂けそうになる。
「……お祖父様、これから母に配膳のマナーなどを教えてもらう予定なのです。お先に失礼させていただきます」
ルディは母親を気遣って、嘘の理由を告げるとジュリアと一緒に退室した。扉が閉まると、ローゼン伯爵は小さく舌打ちした。
「……10年以上昔のことで、まだ何か気にしているのか、あの娘は……ルディを産んでいなければ今頃追い出しているところだ」
「でも、ジュリアに任せた店は、まあまあ売り上げがいいのですよ」
すました顔でコーヒーを飲む夫人の口から、そんな褒め言葉が出るとは思わなかった。それでも、ローゼン伯爵はジュリアを認める気はないようだった。
「ジョフリーの妻なのだから当然だ。少しは才覚を持っていてもらわねばな……」
ダイニングルームからジュリアの部屋に付き添ってきたルディは、ジュリアをソファに座らせると、グラスに水を注いで持ってきた。
「お母様、大丈夫ですか? 辛そうな表情をされて……食事が合いませんでしたか?」
「いいえ、違うの、私は大丈夫だから……」
すると勘の良いルディは「お祖父様の言われたことが原因なのですか?」と聞いてきた。
ジュリアはしばらく黙ってしまった。何か答えなければ、と考えたが、ちょっと気を緩めたら、思いの丈を話してしまいそうだった。こんな話を知られたくない。しかし、嘘はつきたくない。気持ちを切り替えて、ルディの母として答えた。
「もう気分は良くなったわ、ありがとう。ルディの生まれる前のことをちょっと思い出してしまっただけなの。気にしないで、本当にもう大丈夫だから」
「僕が生まれる前に何かあったのですか?」
「私の大好きな人が戦争で亡くなってしまったの。それだけよ」
ルディはもうこの話はやめようと思った。そう思ったにもかかわらず、無意識にジュリアに聞いてしまった。
「その人を今でも愛しているのですか?」
「……今は……ルディの母として、ルディを愛しているわ。これが答えじゃだめかしら?」
ジュリアは優しくルディの手を取って握り、少し悲しげな表情で微笑んだ。ルディは一瞬うつむいて、笑顔を作ってから顔を上げた。
「僕もお母様のことが大好きです。では、この話はここまでにして、温かい飲み物でも一緒にどうですか?」
「そうね、ホットミルクでも飲みましょうか?」
「お母様、僕はもう大人なのでコーヒーにします」
「あら、そう? ふふふ……でも砂糖とミルクは入れるのでしょう?」
ルディは、いつか母が過去の話をしてくれる日が来るといいな、と思った。そのときが来たら、それがどんなに辛い話だったとしても、話して大丈夫だと母が思ってくれるような大人になっていようと心に決めた。




