26話
みんなで泣いたり笑ったりしながらブランチを終えたところで、メイドたちがお菓子やケーキ、フルーツをコーヒーと一緒に運んできた。
「わ! このフルーツは何だい? 見たことないや」
「これはライチって言うんだ。皮をむくと半透明のゼリーのような実が入ってるぞ」
リーリーは自分の手や足を使って黒い皮をはぎ取り、かぶりついている。
「美味しいね! 僕、これ好きだな! あと、そのケーキも食べるからね!」
「誰も取らないよ。じゃあ、こっちに置いとくからな」
生クリームたっぷりのメロンケーキを1つ、リーリーの目の前に皿を置いて乗せた。
「不思議だな……子供の頃に妖精の物語を聞いたことがあるが、本当に目の前に妖精がいるなんて、今でも信じられないよ。でも、確かにライチは減っていってるもんなあ……」とフェルナンドはリーリーをじっと見つめていた。
シモンはコーヒーを飲みながら、ナイフで木を削っている。それは『リーリー用の小さな木の器とスプーン』だった。手づかみで生クリームを食べているのを見て、スプーンのような物もついでに作っている。
「ねえ、シモン……今頃キャトリー子爵はお父様を探してるわよね?」
セシルは心配してシモンに聞いた。
「探しているだろうな。しかし見つからなければ深追いしないさ。そんな余裕はないだろうから……」
「なぜそう思われるのですか? 私は不思議に思っていたんです。なぜこのタイミングでの救出になったのかを……」
ラスロの質問の答えを、みんなが知りたがっていた。全員に注目されたシモンは、木を削りながら説明した。
国へ払う税金のため、領地で収穫する『ライ麦』や『オート麦』の取引価格に頼っている貴族が多い。
『ライ麦』や『オート麦』は収穫しやすく価格も安いため、庶民用の通称『黒パン』の材料となる。
『小麦』は育てるのに手間がかかり、白いパンの材料として高級品のため、金持ちか貴族以上しか購入しない。
去年から麦が不作で価格は高騰していた。しかしシモンは安い麦を大量に国外から輸入して、利益は度外視して安く一般に流通させた。すると国内産の麦は輸入の麦に比べて高く、売れなくなった。
しかもシモンは先回りして、ローゼン伯爵領とキャトリー子爵領以外の農地からは適性価格で買い取っているため、困ってるのはこの2人だけだ。
特に土地が痩せているキャトリー子爵領では、ほとんどの農地で『ライ麦』や『オート麦』を栽培し、その収穫に頼っている。
シモンの工場のパンは庶民用の黒パンを作っている。そのパンの販売価格も安く設定した。自分でパンを作るより買ったほうが安ければ、庶民の家庭にも麦は普及しなくなる。
庶民が一気にシモンの工場のパンへ殺到して買えば、『ライ麦』や『オート麦』はどんどん下落する。だが、普段は『小麦』を買って白いパンしか食べていない貴族は、下落に気付くのが遅れる。
「なるほどな……行き場のない麦は二束三文で売るしかない。少ししか収穫できなかったのに安値でしか売れないなんて、ローゼン伯爵とキャトリー子爵は困るだろうな」とフェルナンドは意地悪そうに笑った。
「だから今はフェルナンドのことに構ってられないのさ。小さな痛みは大きな痛みにかき消されるのと同じだ。キャトリー子爵はフェルナンドを捜索するだろうが、おそらくローゼン伯爵はもう動くことはないだろう」
そうシモンが言ったあと、リーリーが飛んできて、生クリームでベタベタな手でシモンの腕をピシピシ叩いた。
「僕のおかげで作戦はうまくいったんだろ? それもちゃんとみんなに言ってくれなきゃ! 僕はお仕事したんだからね!」
「そうだったな……今回はリーリーが重要な役目を果たしてくれた。眠り薬を見張り番のワインに入れてくれたからな。『誰かが助けに来た』という痕跡は残してない。『フェルナンドがフラフラと小屋を出て蒸発した。そのあと行方がわからない』ということにしたかったんだ。セシルやラスロの存在に気付かれる訳にはいかないからな」
麦が暴落して赤字という大変なときに、偶然フェルナンドが行方不明になった、という筋書きにすることが大事だった。勘の良いローゼン伯爵に疑われると面倒なことになる。
「じゃあ、安心してお父様と暮らせるのね!」
「ああ、大丈夫だ。そして、キャトリー子爵を追い詰めるためにもフェルナンドが必要なんだ。そのときにラスロの懸賞金付きの手配書も無効にする。そうすればもうセシルたちが身を隠すこともない」
フェルナンドは、騎士だった頃を彷彿とさせる力強い声で、シモンに「何でも言ってくれ! 協力するからな!」と言い、車椅子で近寄り握手を交わした。
その手に握力はなくとも、シモンは心強く感じた。
ーーモンタニエ子爵家ーー
「こんにちは、私のことを覚えていらっしゃいますか?」
モンタニエ子爵の屋敷を訪れたのはシモンだった。しかし、今回は『ファルファデのオーナー、シモン・イザードの使いの者』として兄のアランを訪ねてきていた。
「ああ、覚えているよ、もちろんだ! あの惨敗したカードゲームのときは世話になった。シモンは来ていないのか?」
「はい、お忙しい方ですので、私だけが代理で伺いました」
「いやいや、気にしないでくれ。今、美味しいコーヒーをいれるから、ちょっと座って待っててくれないか」
「おかまいなく……」
屋敷に入ると懐かしさで気が緩みそうになった。しかし、今は兄と弟としての会話はできない。使いの者としての礼儀正しくしなければならない。
コーヒーの良い香りがする。兄はコーヒーをいれるのが上手だったことを思い出した。
「今、妻も息子も畑に行ってて俺1人なんだ」
テーブルの上の散らかっている物を端に追いやって、コーヒーをテーブルに置いた。
「息子さん、おいくつですか?」
「10歳と8歳だ。男兄弟で元気が良すぎる……俺の親も、俺と弟を育てて大変だったんだろうと、今になってわかったよ」
弟とは俺のことだ、と思ったシモンは、思い出話になる前に、もう子供や家族の話題を避けた。
「今日アラン様にお会いしたのは、オーナーからの3つの申し出をお伝えしに来たのです」
「ああ、シモンのお願いなら聞こう。金は貸せないけれどね、ははは」
「その逆です。今、『ライ麦』や『オート麦』の在庫はございませんか? あれば是非買い取らせていただきたいのです」
「ええ?! そりゃあ……こちらから頼みたいくらいだが……うちの麦は値段がつかないだろう?」
「大丈夫です。ちゃんとした適正価格で算出します」
シモンは今の在庫の量を聞いて、すぐさま計算した。本当は暗算で金額を言えるのだが、紙に書き出してアランに見せた。
「こんなに?! いいのか?」
「はい、もちろんです。良ければ明日にでも引き取りに伺います」
シモンは計算した金額の金貨をアランに先払いした。
「そして、2つ目をお伝えします」
アランのコーヒーを飲み干すと、シモンはモンタニエ子爵の領地と今後は手を組みたいと申し出た。
元々、モンタニエ子爵は領地として大きな村を3つ持っている。そして近くに高い大きな山があって、そこから流れる豊かな川がある。水もきれいで、本来なら良い土を持つ村だった。
それが『毒』に犯されて『流行病』の扱いを受けて、おそらく風評被害もローゼン伯爵が過剰に吹聴したのだろう。
このままモンタニエ子爵家の借金も減らず、良いように利用されるのは許せないシモンは、農地を立て直すために「オーナーとの協力体制」ということでアランに納得してもらえそうな計画を持ちかけた。
「アラン様、実は今、オーナーはパン工場をお持ちで、庶民用の黒パンを焼いています。おかげさまで大繁盛しているのですが、今後は『小麦』を仕入れて高級な白いパンも製造し、貴族や王族にも販売しようと考えているのです」
「ああ! それ知ってるよ。ここでも黒パンをよく買ってる。首都のパンを載せた荷馬車が、最近この近辺まで販売しにくるんだ。家で作るより安くて美味しいよ。そう考えたら、その工場で作る白いパンはもっと美味しいんだろうな」
「そこで、こちらの農地で私ども専用の『小麦』を作っていただけないでしょうか?」
「何だって?! うーん、そう簡単に言うが『小麦』を栽培するには、普通の畑では使わないような深く耕せる機材や道具がないと難しいんだ。それに収穫も『ライ麦』や『オート麦』に比べて少なくなるし……」
そこでシモンは持ってきた資料をアランに見せた。ロベルト商会のジスランに頼んで、すでに良い機材を揃えていた。
「機材や道具はこちらの資料の物をすでにご用意しております。それに、こちらは土壌が豊かだから問題ないとオーナーが申しておりました。家畜を放牧したり休耕地に分けたりして、少なくても品質の良い『小麦』を作ってくれたら高値で買い取るとのことです」
「なぜ、そこまでしてくれるんだ……」
「もちろん、オーナーは元モンタニエ子爵領の村人だからです。本当ならこんなに長く領地を離れるなんて御法度なことですし、せめてもの罪滅ぼしだと思ってのことでしょう」
モンタニエ子爵である両親は引退して、別宅で過ごしている。現在、その跡継ぎであるアランが全権を握り、何とか借金を減らそうとがんばっているが特に良い方法も見つからず、今日に至っている。
アランはこのチャンスにすがってみることにした。
「やってみるよ。もっと『小麦』のことを勉強して、早速今季から植えてみる。シモンによろしく伝えてくれ」
「かしこまりました。最初は種の仕入れなどで準備が必要と思われますので、これを資金に使ってください」
金貨の入った袋をアランに渡した。先ほども金貨を受け取ったが、この金貨には責任という重さが加わっていた。
「アラン様、最後に3つ目のお話です。私どもで人を雇って、領地の中を通っている川に水車をいくつか設置させていただけませんか? そこで石臼での製粉まで行なってから納品していただきたいのです」
先代のモンタニエ子爵のときから、水車のための準備を行っていたことは、小さい頃から見ていたアランもシモンも知っていた。川の高低差を調べて水路を作り、その幅や深さを調整する工事は村人たちで少しずつ進めてきた。
やっと条件が揃ったところで、あの『流行病』があり、水車を作るための資金も、村人たちの生活のためにすべて使い込んでしまった。
山からのきれいな水が流れる立派な水路があって、決して痩せた土地ではないモンタニエ子爵の領地なのに、たくさん収穫できるからという理由だけで『ライ麦』や『オート麦』ばかりを育てるのは、経営の下手なキャトリー子爵が管理しているからだ。
アランは自分にとって利益しかない話に喜んで、思わず立ち上がってシモンに両手で握手をした。
「何てありがたいんだ! この領地では村1つに大きな石臼を1つずつ、それを牛で引いて使っていたんだ。前は石臼も数台持っていたんだが、資金が足りなかったときに売ってしまった。村人にはずっと我慢させてばかりだったんだ。みんな喜ぶよ! しかし、水車を作る資金はどうやって返せば……」
「アラン様が水車に払うお金はありません。私たちもアラン様に『水車の使用料金』を支払わず、無料で使わせていただき、製粉してもらうのですから。代金で相殺しますので大丈夫です」
そう説明しながらも、シモンは考えていた。理不尽にキャトリー子爵から管理されて、その指示に従い安価で作物を作り続けなければならなかったのは、本当に悔しかっただろう。いつまでも借金が終わらない生活をしながら、腐ったりせずに今でも変わらぬ笑顔を見せるアランを、弟としてシモンは誇りに思った。
「『小麦』が収穫できたら、キャトリー子爵を通さずに、直接シモンへ渡していいのか?」
「はい、結構です。次の収穫までには、こちらのほうでキャトリー子爵に話をつけておきます」と、シモンは力強く答えた。
アランはこの話を聞いて希望が湧いてきた。とにかくまずは借金を払って、息子たちに負債が残らないようにしなければならない。早速『小麦』の勉強をしよう。別宅にいる両親に聞けば、知恵を貸してくれるだろうと考えた。
「また日を改めて打ち合わせにまいります」と挨拶し、シモンは馬車で帰っていった。
馬車を見送ると、アランは急いで別宅に行く準備をした。実は、借金が減っていないことが後ろめたく、両親にはあまり会いに行っていなかった。知恵を貸してもらうのは口実で、本当は両親が喜んでくれそうな話を早く伝えたかったのかもしれない。
「アルフレッドが戦死してから、暗い話ばかりだったからな。ひさしぶりに良い話をしたら笑い合えるかな……そうだ、妻も息子たちも連れて行こう」
アランは妻たちのいる畑へ向かって、笑顔で走っていった。




