25話
フェルナンドを奪還した日の朝、見張り番は小屋の長椅子で目覚めて、「やっちまった!」と飛び起きた。
だが、過去何回か寝落ちしたが小屋の中はいつも変わりなかった。だから今日もしれっとした顔で交代が来るのを待つつもりだった。
念の為に確認する。変わりないだろうと決めつけていた。余裕をかまして小屋の中をのぞいたのだが、見張り番は二度見した。ベッドに誰もいない。
「嘘だろ……」と急いで小屋の中に入り、隅々まで見たが、やっぱり誰もいない。全身の血の気が引いた。
足をもつれさせながらも、急いでキャトリー子爵の屋敷へ向かって走った。
「ご主人様、たっ大変です! あの小屋の男が逃げました!」
「何……何だと? そんなはずはない! 何の冗談なんだ?! ほぼ寝たきりだった男が逃げ出せる訳ないだろ! まさか……誰か来たのか?!」
「実は……夜中に少し眠ってしまいまして……しかし誰か来たなら私は起きるはずなんですが、そんな気配もなかったし……昨夜は怪しい者もいませんでした。あの男が自分からそっと出ていったとしか考えられなくて……」
通常の居眠りではなく、睡眠薬で深く眠らされていた見張り番がシモンたちに気付くはずもなかった。証拠の睡眠薬入りワインはすでに空っぽだ。
「そんな……どういうことなんだ……急いでローゼン伯爵に知らせなければ……お前は何人かに声をかけて付近を捜索しろ! あの身体なら逃げても遠くには行けまい! 捕まえて連れ戻せ!」
すでにフェルナンドは首都近くのシモンの屋敷に移動完了している。もう捕まえることも、居場所を突き止めることも不可能だとは気付いていない。
すぐさま馬車を走らせて、キャトリー子爵はローゼン伯爵邸へ向かった。
ローゼン伯爵の執務室に案内されたキャトリー子爵だったが、部屋には誰もいなかった。しばらく待たされたあと、ローゼン伯爵がイライラした様子で部屋に入ってきた。
「何だ! この忙しいときに何の急用なんだ!」
「それが大変なんです! フェルナンドが逃げました!」
「……誰かが連れ出したのか? 仲間がいるのか?」
「いえ……それがどうも1人で逃げたようでして……」
ローゼン伯爵は不機嫌に、そして面倒くさそうに言った。
「では捜索したまえ。捜索して見つからなければ、あの身体では野垂れ死ぬしかなかろう。協力者がいないのならなおのことだ。もうあの男にこだわらなくてもいいじゃないか。君の娘はジョフリーの嫁になって12年経った。孫も立派に育った。今さらあの男が何をしゃべろうが関係ないだろう?」
「しかし……毒殺未遂を起こした私への恨みもあるでしょうから……あのときにいた使用人も娘も見つかっていませんし……」
「それは知らん! お前が勝手にしたことだ! 尻拭いは自分でしろ! それよりモンタニエ子爵領の利益はどうなってるんだ? 私にまったく納めてないじゃないか!」
ローゼン伯爵はモンタニエ子爵と高利貸しとの橋渡し役をしている。裏で高利貸しと手を組んでいるローゼン伯爵に頼まなければ、借りたくても貸してもらえないように仕組まれていた。
麦などの農作物をローゼン伯爵が市場価格より安く買い取り、その差額の収益を高利貸しへ返済分として渡すという役目になっている。
そして、その管理をキャトリー子爵へ依頼している。ローゼン伯爵領よりキャトリー子爵領のほうが距離が近いという理由もあったが、ローゼン伯爵の息子の嫁であるジュリアはキャトリー子爵の娘だ。その実家が借金しているというのも体裁が悪かったため、利益を分け与えることにした。
そうすることでキャトリー子爵は『ピンはね』して利益を得て、自分の高利貸しへの返済にあてることで借金を完済することができた。
ローゼン伯爵も、安く買い叩いた麦をキャトリー子爵より受け取って、それを高く売ることで利益を得ていた。そして、その利益の少しだけを『モンタニエ子爵の返済分』として高利貸しへ返済していた。
そんな状態では永遠に借金は終わらない。しかしモンタニエ子爵領の農地は、かつて『流行病』が出た土地のため、風評被害がいつまでも尾を引いていた。しかし『キャトリー子爵領の麦』と一緒にすることで、すんなり売れるということもあり、安く買い叩かれてもなかなか文句が言えない状況が続いていた。
キャトリー子爵はモンタニエ子爵領の利益について聞かれ返答に困ったが、怒鳴られる覚悟で正直に答えた。
「今年も不作だったので、去年と同じ金額で麦を買い取ったのですが、なぜか豊作の年と同じくらいの安価な値しか付かなかったんですよ、このままだと高く買い取ったことになるなと思って……だから麦はすべてモンタニエ子爵へ戻して、返金させたんです」
「……そうか、まあ……そうなるのは仕方がないな。とにかく今は高利貸しも貸し渋るほど麦が値崩れしているんだから、お前もフェルナンドにかまっている余裕はないだろう? 我が伯爵家も他の事業の黒字を増やさなければ……こちらの領地は広大な分、損害も大きく税金の支払いも大変なんだ! 今後フェルナンドが見つかろうが死んでようがいちいち私に言ってくるな! そっちの問題はそっちで解決しろ! そして早めにモンタニエ子爵から利子分だけでも集金して持ってきてくれ!」
そう言い放つと、ローゼン伯爵は執務室のドアを激しく閉めて出ていった。
「高利貸しが貸し渋っているのか? それは大変だ。私も早く、借りられるうちに借りなければ……」
また高利貸しを紹介してもらおうと、キャトリー子爵はローゼン伯爵のあとを追いかけた。
ーーシモンの屋敷ーー
真昼の時間になり、フェルナンドは目を覚ました。いつもの習慣で頭は動かさずに目だけで周囲の様子を伺った。
シンプルだが明るく広い部屋に大きなバルコニーがあり、白いレースのカーテンが緩やかに風にそよいでいる。
「そうだった……もう俺は病人のフリをしなくてもいいんだ……」
隣でセシルが寄り添って眠っている。フェルナンドはセシルの頭や頬をなでた。すると目を覚ましたセシルは微笑んですぐに涙を流した。
「お父様……まだ信じられなくて……お父様がそばにいることが……夢ではないのよね?」
「同じ気持ちだよ、セシル。でも夢じゃないんだ、ちゃんとそばにいる。しばらく一緒に寝るか?」
「でも、もう私は16歳なのよ。そんなに甘えてもいられないわ。ちょっと待っててね、シモンを呼んでくるわ」
そう言いながらもセシルは父親の手を握ったまま、なかなか離れられず今までのことを話したりしていた。するとノック音が聞こえてシモンが部屋の扉を開けた。
「おはよう、フェルナンドとセシル。よく眠れたか?」
シモンは車椅子を押しながら入ってきた。フェルナンドを抱えようとシモンが近づいたが、フェルナンドは自分でベッドから立ち上がり、移動して車椅子に座った。
「訓練して、普通に生活できるようになるつもりなんだ。俺を甘やかさないように頼むよ」
フェルナンドは明るく笑って、車椅子での移動も自分でして見せた。出会った頃に比べて痩せてはいるが、寝たきりのフリをしていた割には腕の筋肉も体つきも悪くない。きっと監視の目を盗んで鍛えていたのだろう。
「フェルナンド御所望の肉料理を用意している。みんなでブランチしよう。リーリーも紹介するよ」
屋敷の1階、日当たりの良い場所に居間があり、中に入ると食事の用意がされていた。窓は開けられていて、外から気持ちがいい風が入り、開放感がある。
シモン、フェルナンド、セシル、ラスロ、そしてリーリー。みんなでテーブルを囲んで食事をした。
「今までの食事の中で、今日が一番美味しく感じます」とラスロが涙を流した。
「湿っぽいのは無しだ、ラスロ。一緒に肉を食おう! 本当にお前には世話になりっぱなしだな、苦労をかけた……すまなかった!」とフェルナンドが涙をこらえて豪快に肉にかぶりつく。しかし、あごの力が弱まっていて、なかなか飲み込めないようだった。
「お父様も湿っぽいこと言ってるじゃない。でも本当に今日の食事は美味しいわ。こんなに心が満たされて、それだけでお腹いっぱいになっちゃう……」とセシルもはらはらと泣き始めた。
「まいったな、楽しい食事にするはずだったんだが……」とシモンは首筋の後ろ髪をさわりながら苦笑した。




