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妖精は片翼で飛ぶ  作者: Nica Ido
24/31

24話

 ある新月の夜、シモンは目立たない服装でキャトリー子爵領の中に忍び込んでいた。キャトリー子爵の屋敷の近くにフェルナンドが監禁されている小屋がある。その小屋が見えるところで息を潜めて様子を伺っていた。


「リーリー、頼みがある」


「何だい? 3つ目のお願いが決まったのかな?」


 シモンの胸元のボタンとボタンの間からリーリーが顔を出した。ポケットの無い服のときはいつもシモンの胸板に押し潰されて窮屈そうにしている。


「これは願いじゃない。リーリーへ仕事として依頼しているんだ。いつも渡しているパンやケーキを給料だと思って、ちょっと頼まれてくれ」


「何だよ! ひどいじゃないか! 僕は君の優しさだと思って食べてたのに!」


 リーリーはシモンの胸を両手でバンバン叩きながら怒っていた。


 困ったなと思い、シモンは首筋の後ろ髪をさわりながら、言い方を変えてもう一度頼んだ。


「働かざる者食うべからずと言うじゃないか……友達の頼みだと思って引き受けてくれよ。リーリーじゃないとできない仕事なんだ。帰ったらリーリーの好きそうな甘い物やミルクを用意するよ」


「友達? 僕と友達ならいいよ。フルーツも食べたい! それで何をしたらいいんだい?」


 簡単に丸め込まれて機嫌をなおしたリーリーは、シモンの肩に座って彼が指差す方向に目を向けた。フェルナンドが監禁されている小屋の入り口に長椅子があり、そこに見張り番が座ってワインを片手につまみを食べていた。


「今からあの見張り番が気付くくらいのところに石を投げる。見張り番はその音を確認するため椅子から離れるから、その隙を狙ってワインに『これ』を入れてきてほしいんだ」


 シモンは小瓶の栓を抜くと、持ってきた『リーリー用の小さな木の器』へ、透明の液体を注ぎ入れた。


「それは何?」


「眠り薬だ。こぼさないように持っていってくれ」


「僕のお気に入りの器が台無しじゃないか! また新しく作ってくれるんだろうね? そうじゃないと仕事しないぞ!」


「わかった、わかった。じゃあ頼んだぞ」


 シモンが少し大きめの石を投げた。ドスっという音が暗闇に響く。


「わっ! びっくりした! 何か落ちてきた……のか?」


 見張り番はランプを手に持って、音がしたほうへ近づいていった。その隙にぼんやり輝くリーリーが、ふわふわと長椅子に近づいてワインボトルの口から眠り薬を上手に流し込んだ。


 首をかしげながら見張り番が戻ってきた。何も問題なかったことにホッとして、またワインを飲み始める。


「ただいまー。こぼさずに入れてきたよ。上手だっただろ?」


「ああ、この作戦はリーリーのおかげでうまくいくよ」


「そうかい?! ははは! 僕のおかげだね! これぐらい簡単さ! またいつでも仕事してあげるよ!」


 シモンは隠れたままで深夜になるのを待った。見張り番もぐっすりと眠っている。すると遠くから闇夜にまぎれて馬車の音が聞こえた。


 シモンが馬車に近づくと、セシルとラスロが降りてきた。セシルは今となっては懐かしい男装をしている。ウィッグを外した銀髪は肩まで伸びていた。


「さあ、行こうか」


 3人で小屋にそっと近づき、ドアをゆっくりと開けた。足音を立てないように気をつけて、まず最初にシモンが中に入った。すると背後から人影が忍び寄り、すばやくシモンの首に腕を回して喉元にフォークを当てている。その人影はフェルナンドだった。


 シモンの耳元で「何者だ!」と問うフェルナンドの声には殺気があった。敵なら躊躇なく首にフォークを突き立てるだろう。


 シモンは両手を上げ、抵抗する気がないことを示しながら「あなたを助けにきた」と告げた。


 フェルナンドは自分の後ろに気配を感じて振り返った。ドアの外には銀髪の少女が立っている。


「……お父様……」


「……セシル……なのか?」


 驚きのあまりフェルナンドはフォークを落とし、無防備な体勢でシモンに背中を向け、セシルを見つめていた。


 セシルの目の前にいるフェルナンドは、自分が4歳の頃に見た父親の姿とはずいぶん違っていた。身体も痩せて、頬がこけて、白髪も増えていた。


 しかし今、セシルに「おいで」と言わんがばかりに笑顔で両手を広げている父親は、あの頃の姿のままに見えた。


 フェルナンドに飛びついたセシルは「お父様、これからはずっと一緒よ!」と言い、胸に顔をうずめた。


 フェルナンドはしっかりセシルを抱きしめ、「よく今まで耐えてくれた……やっと会えたね、セシル……」


 この瞬間を12年間も待ち焦がれた。必ず会えると信じて今日までがんばった。支えてくれたラスロや協力してくれたシモンがいて、そして今につながっていることに感涙した。


「旦那様、ご無事で何よりです」とラスロも涙ながらに声をかける。


「ラスロ、お前には感謝しかない。今までセシルを守ってくれてありがとう。あの小さなセシルがこんなに大きくなって……俺もお前も老けたな」


「はい、旦那様」とラスロは泣きながら微笑んだ。


 シモンは外の様子を伺いながら、3人に声をかけた。


「ここに長居は無用だ。できるだけ穏便にここを去りたい。見張り番が眠っている間に出よう。フェルナンドは俺が背負う」


「お前は誰なんだ? なぜ味方をする?」


「詳しい話はあとだ。馬車へ急ごう」


 フェルナンドを背負って外へ出ると、シモンは眠っている見張りの飲み残したボトルワインの中身をすべてその場で捨てて、証拠を隠滅した。


 ラスロに足元を照らしてもらいながら静かに歩き、馬車へ到着した。ゆっくりとフェルナンドを後部座席へ乗せると、シモンは乗らずに御者の席へ歩いていく。


 それに気付いたラスロは「私が馬車を運転します」と言ったが、シモンは「久しぶりなんだからフェルナンドと3人で座るといい。運転の腕はラスロに負けるが、まあ我慢してくれ」と微笑んで、シモンは御者の席に座った。


 あまり音を立てずにゆっくりと馬車を走らせ、キャトリー子爵の領地を出た頃には少しずつ夜が明けようとしていた。そこからシモンは自分の屋敷に向かって馬車のスピードを上げた。


 小鳥がさえずる朝のうちに屋敷へ到着し、シモンはフェルナンドに声をかけた。


「屋敷に着いたぞ。今日から自分の屋敷だと思って過ごしてくれ」


「ありがとう、アルフレッド……いや、シモンだったな。おおよその話は娘とラスロから聞いた。やっぱり生きていたんだな」


 シモンはフェルナンドを背負って歩きながら話を続けた。


「俺のせいでフェルナンドを巻き込んでしまった。この12年間の長い年月は取り戻せないし、謝罪して済むことではないのは充分承知している。だが、できるだけの挽回をさせてほしい。フェルナンドには戦地で洋服をもらった恩も返さねばならないからな」


「ははは! そんなこともあったな! 俺にとっては遠い昔のことだが……お前にはまだ1年も経たない出来事なのか……俺はお前を恨んではいない。だが、頼らせてもらうよ。ありがとう」


 シモンはフェルナンドから受け入れてもらえないと思っていた。憎まれても当然の立場だ。しかし彼は『頼らせてもらう』と言ってくれた。シモンの身体の奥底から熱い気持ちが湧き上がってくる。リーリーに対価として渡してしまった感情だったが、この気持ちは人間が生きていくための必要なエネルギーなのかもしれない。それは『恨み』や『怒り』では得られない、未来へ進むための大きな力になるような気がした。


 屋敷の1階にフェルナンドの寝室を用意していたシモンは、部屋に彼を連れていくと丁重にベッドへ寝かせた。


「今日はゆっくりと休んでくれ。もう意識が混濁しているフリもしなくていいんだ。起きたらみんなで食事をしよう。フェルナンドの好物を用意するが、何がいい?」


「肉がいいな! それとワイン! この12年間は流動食のようなものやミルクばかりで、幼児になった気分だったんだ。ははは! やっと肉が食える! ニンニク効かせてくれ!」


「急にそんなの食うと身体がびっくりして吐くかもしれないが……そうなってもいいさ。今日からは好きに過ごしてくれ。ブランチに用意させよう」


 シモンが部屋を出ると、セシルが部屋の前でモジモジしながら立っていた。セシルの頭をなでたシモンは、もう一度フェルナンドの部屋の扉をノックして開けた。


「ちょっと待って、シモン……お父様は、もう寝るのでしょう? 邪魔しては……」


「それならフェルナンドと一緒にセシルも眠ればいい。ほら、照れずにそばへ行っておいで」


 セシルの背中をそっと押して部屋に入れると、彼女は振り返って「ありがとう」と微笑んだ。シモンは少し微笑み返して、そっと扉を閉めた。


「今まで我慢した分、たくさん父親に甘えるといい」そうつぶやいて、シモンは部屋をあとにした。

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