21話
シモンはジスラン・ピエトリと会う約束をしてロベルト商会へ向かった。応接間に通されると、ジスランはシモンを笑顔で迎え入れた。
今後の輸入業を運営するために、ジスランの持つ船を数隻借りる契約と、いくつかの機材と倉庫などの手配も頼んだ。その注文内容に回転石臼があったことから、ジスランは冗談半分で言った。
「おやおや、カフェの次はパン屋でも始めるおつもりですか?」
ジスランは書類に不備がないか目を通しながら、穏やかに笑った。
「その通りだ。そして農業にも口を出す。馬に引かせる鉄製のすきもそのために注文した」
シモンも書類にサインしながらそう答えた。
「シモン様は貴族ではないので、荘園はお持ちでないはずですが、どちらかを援助されるのですか?」
「さすがジスラン、お見通しだな」
「しかし、高利貸しでもない限り、貴族と関わってもあまり利益にはならない……というのは凡人の考えなのでしょう。シモン様がそうされるのには、きっと利益以上の価値があってのことでしょうから……」
楽しそうに、そしてシモンの腹を探るように話すジスランを横目に、契約を終えたシモンは席を立った。
「では、用意が出来次第、船を出発させたい。よろしく頼む」
「はい、人夫を揃えておきます。明後日に打ち合わせしましょう」
ジスランはシモンを外まで見送りながら、次の展開を楽しみにしていた。直感的に、おそらく援助すると言っていた農地はモンタニエ子爵領だろうと考えた。その村人であったシモンが、村を出た償いとして金を払って農具を差し出すのか? そしてパン屋? 何を考えているのだろう?
ジスランの想像を超えてくるシモンの次の一手だ。カジノも大成功を収めている。大きなトラブルも起こさず、最近は王族もお忍びで通っていると聞く。水面下ではジスランの高利貸しにも客がうまく流れてきている。
カジノを始めると聞いた当初、成功するは難しいと考えていたジスランだが、なぜ当然のように利益を出しているのか理解できない。しかし、経営は何の不安要素もなく順調だった。
「何か不思議な能力でも持っているのか、神でも味方に付けているのか……退屈させない男だ」
フッと思わず笑い、ジスランは早速シモンの依頼に取り掛かった。
ある日、天気の良い午後。セシルが部屋で勉強をしていると、部屋をノックする音が聞こえた。セシルが返事をするとシモンが入ってきた。
「珍しいわね、シモン。お昼まで屋敷にいるなんて。どうしたの?」
ニコニコと嬉しそうに、セシルはシモンの腕を握ってソファへ案内し、メイドにコーヒーを頼んだ。
ソファに座ったシモンは、セシルの手を握って微笑み返した。
「フェルナンドの居場所がわかった。彼は元気だよ」
父親が今も無事だとの知らせに、嬉しくてセシルはしばらく言葉にならなかった。唇をかみしめて、声を出さずにはらはらと泣いた。シモンを見つめて「そのまま話を続けて」と目で訴えた。
シモンはカフェバーで配送業も営んでいる。荷物や郵便物を預かり、届ける。その仕事の中にまぎれさせ、フェルナンドを助けた医者モリス・ハモンドと手紙でコンタクトを取っていた。
セシルやラスロからその医者の人柄を聞くと、当時セシルの母親の往診も行ない、母親が亡くなってからも、生まれたばかりのセシルをしばらく気にかけてくれて、熱が出たりすると必ず駆けつけてくれていたと言う。ならば、フェルナンドやラスロの人柄も少なからず知っていただろう。
そして毒の事件が起き、ラスロがセシルを連れて逃亡した。変だと思っただろう。しかし、医者としての立場なら、患者の命を守ることを優先しているはず。だからこそ、フェルナンドの主君であるローゼン伯爵へ報告しただろう。
おそらくこのモリス・ウィルソンという男は金のためではなく人のために医者になったような、良心的な人物だろう。悪人ではなさそうだが、ローゼン伯爵に歯向かうほどの正義感を持っているかどうかはわからない、とシモンは考えた。
慎重に、相手の出方を見ながら、文面で『ローゼン伯爵よりもフェルナンドの味方なのかどうか』を見極めていった。自分の素性も明かせない、ましてやセシルやラスロのことも伝える訳にはいかない。万が一この医者がローゼン伯爵に寝返って情報を売ってしまえば、あっという間にこちらの状況がバレてしまう。
シモンは『自分はフェルナンドの味方である』ことだけを伝える内容で、助けたいという思いの手紙を書いて送った。もし相手が差出人を調べようとしても、カフェバー『ファルファデ』預かりの手紙であれば、差出人がオーナーのシモンということを秘密にできる。
そうしてしばらく手紙のやりとりを続け、交渉を進めて、やっと情報が得られた。
現在、フェルナンドはローゼン伯爵の軟禁から離れて、キャトリー子爵の屋敷近くの空き小屋で、キャトリー子爵の使用人から見張られて暮らしていると書かれていた。
しかし、毒の後遺症で足に麻痺が残っている、意識の障害もある、とも書かれてあった。
それを聞いてショックを受けるセシルだったが、シモンは彼女の手を握ったまま、静かに話を続けた。
「セシル、最後まで落ち着いて聞いてくれ」
セシルは一生懸命うなずく。まったくしゃべることができないほど泣きながらも、視線はシモンから外さなかった。
「セシル、さっき『足に麻痺が残り、意識の障害あり』と言ったが、それは表向きにそうしているだけで、本当は意識も正常に戻っているし、足も歩けるほどには回復しているらしいんだ」
「本当……なの?」
「ああ、医者とフェルナンドの2人だけしか知らない事実なんだ。回復したと知れば、キャトリー子爵から何をされるかわからない。しかし、逃げるとなれば、走れるほど足が回復していない。自分が人質としてここで静かにしていれば、セシルたちともいつか接触するチャンスがあるかもしれない。そう考えてずっと病人のフリを続けているそうだ」
セシルはこの12年間、父親が自分たちのためにがんばってくれていたことを知り、シモンの胸にしがみついて泣いた。それでも声を上げないようにしていた。
「泣くのはお父様に会ってからと決めていたのに……少しだけ、もう少しで泣き止むから……」
シモンは優しくセシルを抱きしめて、「フェルナンドへ手紙を書くか?」と聞いた。
この医者は月に2度ほど、フェルナンドを往診しているらしい。頼めばフェルナンドにセシルの手紙を渡してもらえるだろう。しかし危険も伴う。もし医者の情報が全部嘘で、これが巧妙に仕組まれた罠だったら……もしくはセシルの手紙をキャトリー子爵が見てしまったら……不安要素は色々あるが、セシルが手紙を出すことで、精神的に辛いであろうフェルナンドの励みになる。
泣き止んだセシルは顔を上げて、深呼吸をした。普通に話をしようとがんばっていたが、まだ声は震えている。
「ありがとう、シモン。でも手紙は書かないわ。そのお医者様は、私を生まれた頃から知っている、とても良い人なの。だから信用できるし嘘を言っていないと思う。でも万が一私の手紙が見つかったりしたら、お父様の12年間の努力が無駄になってしまう。ここまで待ってくださったお父様ですもの、もう少しくらい待ってくれるわ」
「わかった。では準備が整い次第フェルナンドを奪還する。一緒に迎えに行こう」
真っ赤になった目で笑顔を見せるセシルを、もう一度抱きしめたシモンは、セシルが落ち着くまでそばにいた。




