20話
翌日、シモンはジョフリーの予約の時間前に、ブティック『アデレード』へ向かった。
「いらっしゃいませ、シモン様」
「今日はスーツを3着ほど新調したい。それから、オーナーは今日いらっしゃるかな?」
「はい。少々お待ちください」
店員がオーナーの部屋へ向かったあと、シモンは広い店内を見回した。カフェオレのような色の髪を清楚にまとめた女性がこちらに背中を向けて立っていた。
「ジュリアだ、間違いない」そう思ったシモンは一瞬目がくらんだ。気がついたときには、無意識に近づいてジュリアの肩をつかみ、振り向かせていた。
「何をするのですか! 離しなさい!」
強い眼差しでシモンをにらみつけ、手を振り払ったジュリアは12年という年月が経ったとは思えないほど凛として美しいままだった。シモンはもう少しで危うく抱きしめてしまいそうだった。何とか思いとどまったが、まだ気が動転している。
「ああ、これはすまないことをした。私の知り合いに似ていたので思わず……失礼した。お許しいただきたい」
シモンはそう告げると逃げるようにきびすを返した。
「待って! 私と会うのは初めて……かしら?」
ジュリアが呼び止める。シモンは自分に、『今日はジュリアに接触するいい機会だと思ってやってきたのだろう』と言い聞かせた。軽く深呼吸をして振り返る。
「そのようです、私の勘違いだった、気にしないでほしい……」
そのとき、シモンの後ろからやってきたオーナーが優しい声で挨拶した。不穏な空気は一気にリセットされた。
「いつもありがとうございます、シモン・イザード様。あら、ジュリア・ローゼン様、お知り合いですか?」
「いえ、私がシモン・イザード様のお知り合いに似ているらしく、お間違いになられたようです」
ジュリアはお辞儀をしてその場を離れた。無意識にジュリアを目で追ってしまうシモンに、ジェルベルガは軽く咳払いをした。
「ご用件は、私の部屋で伺いましょう。どうぞこちらへ」
シモンはジェルベルガと一緒に店の奥へ入っていった。ジュリアは振り返ってシモンの後ろ姿を目で追っていた。
オーナーの部屋に入りソファに座ると、タイミングよくコーヒーが運ばれてきた。
「今日はいかがされましたでしょうか? 私をお呼びになったと聞きましたが……」
「たいしたことではないんだ。少し聞きたいことがあったので、話しができればと思ってね」
「お話ですか? まあ、嬉しい。おしゃべりは得意ですのよ」
「勲章授与式についてなんだが……」
この国では毎年、国王や王族が選んだ国民に勲章を授与する式典があり、国全体がお祭りムードとなるほどだった。国への功績や個人の業績によってだが、それは貴族だけでなく平民からでも選出されている。
「確か、オーナーは国王陛下より勲章を授与されたと記憶しているのだが……」
「ええ、そうです。そんな昔のことをよくご存知で……」
部屋の中を見回すと、角のサイドテーブルに勲章が飾ってあった。
「私は王太后陛下のデザイナーとして長年仕えておりましたので、ありがたいことに選んでいただきました」
「すばらしい勲章だ。そのときの話を詳しく聞かせてもらえないだろうか?」
「あらあら……自慢話になってしまいますわね」
コーヒーを飲みながら、詳しく勲章授与式について話を聞いた。それは今後のシモンの計画に必要な情報でもあった。
しばらくしてシモンとオーナーが店の奥から店内へ戻ってきた。シモンのスーツを選ぶために店員が一礼して迎えると、ジェルベルガは店員に目配せをした。
「本日は私がコーディネートさせていただいてもよろしいでしょうか?」
それを聞いた店員は一礼して後ろに控えた。
「それは楽しみだ。すでにご存知かもしれないが、私はカフェバー『ファルファデ』を経営している。店で着用するスーツを選んでほしい」
「はい、かしこまりました」
ジェルベルガはニコニコしながら、まったく隙がない上品な物腰で彼のスーツを3着分、あっという間にコーディネートした。彼に似合うスーツを迷いなく選び、細かい調整や直しも過不足なく完璧で、高級店のトップに立つ者のスムーズな仕事ぶりはさすがだった。
オーナーであるジェルベルガが自ら接客するのは珍しく、店員やジュリアも離れたところから一部始終を見て勉強していた。
「ではスーツは仕上がり次第、屋敷へお届けいたします。またいつでもおしゃべりにいらしてくださいね」
ジェルベルガはシモンにやさしい言葉をかけてお辞儀し、店の奥へ戻っていった。
買い物を終えたシモンは、帰り際に思わずジュリアの姿を探してしまい、彼女と目が合ってしまった。するとジュリアは駆け寄ってきてシモンに話しかけた。
「あの、シモン・イザード様。今日は突然のことだったとはいえ、私から手を払い退けられ、気分を害されたことでしょう。お互い、今日のことは忘れましょう。それで良いかしら?」
ジュリアはニコリと微笑みかけてくれた。シモンは自制したものの、髪を撫で、頬に手を当てキスをしたい衝動にかられた。無意識に手が出ないように、一定の距離を保ってシモンも微笑み返した。
「ああ、そうして頂けるとありがたい。先ほどお名前をジュリア・ローゼン様と伺いましたが、ジョフリー・ローゼン様のご夫人でしょうか?」
シモンは知らないフリをして確認した。
「……はい。ジョフリー・ローゼンは夫ですが……」ジュリアの表情が少し曇った。
「今夜、偶然にも『ファルファデ』にてジョフリー・ローゼン様にお会いするのです。今後親しいお付き合いになれば、またジュリア・ローゼン夫人にもお会いすることになるでしょう。以後、お見知り置きを。では、失礼」
シモンは鼓動が早くなっていることを隠すため、短めに会話を終わらせ扉へ向かった。
店を出て、用意された馬車に向かうシモンと入れ違いに、王宮から早めに到着したルディがジュリアを迎えにきた。
店の入り口でシモンを見送る母親の姿を見て、その目線の先にいる体格のいい男を見たルディは、「あの方が気になりますか?」と母親に質問した。
「そうね、なぜか見送りたくなって……」
ルディもジュリアと一緒にシモンの乗った馬車が見えなくなるまで見送った。
自分の予想以上にシモンはジュリアに会って動揺してしまった。冷静な『シモン』を押しのけて、無意識に『アルフレッド』が出てくるとは思っていなかった。気を抜くとジュリアに触れようとしてしまう。感情は対価として渡してしまったはずなのに、突発的な衝動が抑えられない。
ジュリアに会いたい気持ちが強いからこそ、今後はできるだけジュリアには会わないほうがいいのかもしれないと、馬車に揺られながらシモンは自分を分析した。
夜になって、ジョフリーが女性3人をはべらせて『ファルファデ』へやってきた。
「ようこそジョフリー・ローゼン様、特別席をご用意しております」
「おー! 来てやったぞ。何だお前、デカい身体だな、傭兵でもしてたのか? 頭も筋肉でできてるんじゃないか?」そう言ってジョフリーは女性に向かって誘い笑いをする。
「いえ、体格に恵まれただけです。ご案内します」
3階の特別席には花がたくさん飾られて、ソファにはレースがたっぷりあしらわれた肌触りの良いシルクのカバーが掛けられ、可愛い色のクッションやぬいぐるみもたくさん置かれている。
「きゃあ、可愛い! ジョフリー様、素敵なお部屋!」
「まるで宮殿の一室のようですわ! 物語の中に入り込んだ気分!」
素敵な演出に女性たちは喜んではしゃいでいる。それを見てジョフリーは自分の手柄のように満足していた。
「ではジョフリー・ローゼン様、お飲み物はシャンパンをご用意しております。まずは飲みながら食事されますか? それともボードゲームでも……」
「カードだカード! 金なら持ってきた! 俺を楽しませろ!」
シオンはカードを配り、いつも通りの勝負をする。良い感じに盛り上がるように勝たせたり、掛け金が大きいときには勝つか負けるかのヒリヒリした手札を配る。ジョフリーのようなタイプは金を稼ぐのが目的ではない。大金をさらりと使いながらも気取った態度をとることで、もてはやされ王様気分で快感を得る。
このジョフリーという男は、何もせずともローゼン伯爵の跡取りというだけで欲しい物は手に入る。だが、常に『満たされる』ことを求め、虚しさの埋め方を知らない。ならば破滅を知り、廃人となってしまえば虚しさなど感じることもないと教えてやろう。シモンはそう考えながら次々とカードを配った。
たっぷりと楽しんで、女性たちの前で大金を気前よく支払い、店を出るジョフリーたちを、馬車までシモンが見送る。
「本日はありがとうございました。次のご予約は3日後となっております」
「わかった、今度はチェスでもいいな。じっくりお前の相手をしてやろう。えーっと、お前、名は何と言うんだ?」
「このカフェバーとカジノ『ファルファデ』のオーナー、シモン・イザードと申します。今後ともジョフリー・ローゼン様にはごひいきにしていただきたいと思っております」
「『ファルファデ』……『いたずら好きな妖精』か? 身体に似合わずロマンティックな名前を付けたものだ! ははは」
女性たちも一緒になってせせら笑った。馬車に乗り込んだジョフリーは、「では3日後にまた頼むぞ、シモン」と笑顔で去っていった。
「お待ちしております」シモンは深々とお辞儀をする。
今日のところはこれくらいでいい。焦ると警戒される。ローゼン伯爵は用心深く、なかなか人前には現れない。同時進行で兄のアランやフェルナンドも救わねばならない。
ビジネスを通じてローゼン伯爵に接触し、信頼を得てから計画を実行する。ローゼン伯爵には未来も希望も与えはしない。
馬車が見えなくなった頃に、ポケットからリーリーが顔を出した。
「あいつ、シモンが言ってたローゼン伯爵ってやつの息子だろ? なのに仲良くしていいのかい? 3つ目の願いでシモンの嫌いなやつを全員抹殺することもできるよ」
「そんなことを願うなら、俺は何を差し出したらいいのかわからんな。対価が足りないんじゃないか?」
「そっか、シモンはもう寿命半分使ってるからね、何があるかなあ……」
「リーリー、君は最初の頃に比べたら、すいぶん俺に気持ちを寄せてくれるようになったな。味方になってくれて心強いよ」
そんなつもりはなかったリーリーだったが、そう言われると恥ずかしくなり、またポケットに戻った。
見上げるとぼんやりとした月が浮かんでいた。リーリーと出会った夜もこんな月だった。殺されかけて、森をさまよい歩いたあの日を思い出す。シモンの中では、まだあの夜から半年しか経っていない。なのに現実はこうも変わってしまった。
シモンはおもむろに月へ背を向け、賑やかな店の中へ入り、扉を閉めた。




