2話
狩猟の時間は終わり、ブランチが始まった。貴族たちが狩った動物を使用人たちがさばいて肉料理を作り、酒もお菓子もたくさん振る舞われた。
今回の狩猟は『伯爵の跡継ぎ』が初参加であるということで、貴族たちは自分の娘を連れてきていた。狩猟から戻ったジョフリーに貴族たちは次々と娘を挨拶させたが、ジョフリーは狩りがうまくいかなかったことに腹を立てて、最初は不機嫌だった。しかし貴族の娘たちにもてはやされ、次第に機嫌は良くなっていった。
「おい、ジュリア! お前もこっちに来いよ!」
調子に乗ったジョフリーに誘われて、ジュリアは露骨に嫌な顔をしたが、それに気付いた母親から「そんな顔をしてはダメよ、お望みなんだからお話くらいしてきなさい」と促され、しぶしぶジョフリーのそばへ行った。
引きつった笑顔でジョフリーのもとへ行くと、強制的に隣に座らされた。
「見てみろ、俺はみんなから人気があるんだぞ。その中でもお前のことを気に入ってやったんだ。隣に座れて嬉しいだろ?」
「……」ジュリアは黙って人形のように座っている。
すると他の貴族の令嬢がやってきた。
「ジョフリー様、私も隣に座らせてください。ローゼン伯爵家といえば、ジョフリー様のお父様であられるダレン・ローゼン伯爵が一代で大きな資産を築かれたと伺っておりますわ。ぜひ私とも今後お見知りおきを……」
「そうなんだよ、すごいだろうお父様は! もともと広大な領地はあったんだが、さらにいろんな商売も手広くやってるんだ。詳しくはよく知らないが、とにかく将来全部俺のものになるんだ! 羨ましいだろう!」
集まっていた令嬢たちはため息とともに、「素晴らしいですね」と言い、ジョフリーに取り入ろうとしている。
「そうですか……」とジュリアは興味なく聞いていた。自分たちと使用人たち、そして領地の村人たちが食べていければ、そんなにたくさんの資産は必要ないだろう。なぜみんなが羨ましそうなのか、ジュリアには理解できなかった。
しばらく隣に座っていたが、隙を見て抜け出した。そのとき、群がっていた令嬢たちがひそひそ話しているのが聞こえる。
「ローゼン伯爵は用心深くて、この狩猟くらいしか大勢の前には現れ
ないらしいのよ」
「この狩猟にだって、伯爵が招待した客しか来ませんもの。資産を狙って近づく者を警戒しているんでしょうね」
「だから、このチャンスに伯爵にもジョフリー様にも気に入ってもらわなくちゃ。婚約者に指名していただきたいわ」
(ご令嬢たちも大変なのね。でも私にはアルフレッドという素敵な婚約者がいるもの。みなさん、がんばってね)
心の中で令嬢たちを応援して、ジュリアは両親の手伝いに戻った。
狩猟のスケジュールがすべて終了し、招待客も帰り支度をしていたとき、ローゼン伯爵とジョフリーがキャトリー子爵夫妻とジュリアのもとにやってきた。
「今日はご苦労だった。ジョフリーも楽しかったらしい」
「それは何よりでございます。ジュリアもジョフリー様にお会いできて嬉しく思っております。そうだろう、ジュリア」
両親からそう言われても、ジュリアは愛想笑いひとつもせず、返事もしなかった。
「そうか。それなら話は早いな。実はジョフリーが君の娘を気に入ったと言ってきたのだ。どうだ? 息子の婚約者候補としてやってもいいのだが……」
両親は慌てて、何やら歯切れが悪くもごもごと言っていたが、割り込んでジュリアがはっきり伝えた。
「ローゼン伯爵、私には幼い頃から約束している婚約者がおります」
それを聞いたジョフリーは、「生意気だ」とか「こっちから言ってやったのに恥をかかせられた」とか、色々と悪態をついてその場を去った。ローゼン伯爵も「そうだったのか、それは知らなかった」と言って少し不機嫌そうだったが、何事もなく帰っていった。
両親は「もったいない話だったな」とがっかりしていたが、その会話を聞いたジュリアは怒りだした。
「ひどいわ! お父様とお母様は私より伯爵が大事なの?」
「そういう訳ではないが……あの伯爵家の跡継ぎに望まれるなんてこんないい縁談はない……お前の婚約は時期尚早だったと……」
「何てことを言うの?! 私がアルフレッドとの結婚を望んでいることは、お父様もご存知のはず! 婚約者だから結婚するのではないんです、一緒にいたいから結婚するんです! 私の幸せは身分やお金では買えないわ!」
「ああ、すまない……だが、世の中はお金が無いと不幸になることが多い。娘の幸せを思ってのことだったんだが……機嫌をなおしてくれないか? そうだ、お前にこの懐中時計をあげよう。きれいだと言って欲しがっていただろう? これで許しておくれ」
純銀製のきれいな彫刻を施した懐中時計をポケットから出し、ジュリアに渡そうとしたが、突き返された。
「今までは欲しかったわ。でもそれは伯爵家から分家になった時にもらって、今まで受け継がれてきたものでしょ? 伯爵の物なんて、もういらないわ!」
「あらあら……ローゼン伯爵を嫌うなんて、あなたくらいなものよ。困ったわね……」と母親はため息をついた。
それ以降、毎年の狩猟でローゼン伯爵が訪れても、ジュリアが手伝いに行くことはなく、ジョフリーと顔を合わせることもなかった。
ーーその8年後ーー
アルフレッドとジュリアは20歳で結婚した。アルフレッドも優しい好青年に成長し、ジュリアも美しさが増して、誰もが振り向くほどだった。両家から祝福されて、とても良い結婚式を挙げた。
「良いときも悪いときも、富めるときも貧しいときも、死がふたりを分かつまで、愛することを誓います」
念願の結婚生活が始まった。
アルフレッドの兄のアランも、妻と一緒にモンタニエ子爵家の跡継ぎとして切り盛りしていた。その家を出てキャトリー子爵家へと婿養子に入ったアルフレッドも、ジュリアと一緒にキャトリー子爵領を盛り上げていこうとがんばっていた。
しかし、モンタニエ子爵家に比べて、キャトリー子爵は農地経営がうまくいっておらず、借金もあり、裕福ではなかった。借金の利子を払うだけで精一杯だった。それでもアルフレッドとジュリアは幸せだった。毎日一緒にいることができれば、それだけで貧しさも苦ではなかった。
結婚して間も無く、また伯爵の狩猟の季節がやってきた。アルフレッドも手伝うことになり、キャトリー子爵夫妻から手順を聞いていたときだった。
「ジュリア、あなたにもそろそろ狩猟の段取りを覚えてもらわないと。これからはあなたとアルフレッドが取り仕切っていくのだから……」
そう母親が切り出すと父親も続けて言った。
「そうだな。もう結婚したことだし、あのことは気にしなくてもいいだろう?」
「え? 何ですか? あのことって……」
不思議そうにアルフレッドが聞くと、ジュリアは渋々その当時のことを話した。
「そんなことがあったんだね……12歳だったとはいえ、ジュリアが素敵だったから声をかけたんだろう。でももう8年経つなら彼も覚えていないんじゃないかな、それにこれからも手伝わない訳にはいかないだろう?」
アルフレッドが優しく説得する。
「でも、本当に嫌だったの。嫌な感じがしたのよ。彼に……ジョフリー様に会いたくないの!」
父親がたしなめるように言った。
「ジョフリー様は毎年参加されている訳じゃないんだ。確かに態度は悪いが、最近は森に入っても狩りをせずに女性に囲まれてしゃべっているだけだ。狩りは貴族たちにとっても社交の場なんだから、夫婦で挨拶しておきなさい」
「俺も一緒にいるから。僕たちはもう結婚してるんだから、心配いらないよ」
両親だけでなくアルフレッドからもそう言われると、ジュリアは了解するしかなかったが、嫌な足音がひたひたと近づいているようで、不安が消えることはなかった。