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妖精は片翼で飛ぶ  作者: Nica Ido
12/31

12話

「ただいま! セシル!」フェルナンドが両手を広げる。


「お帰りなさい! パパ!」


 家に帰ると娘のセシルが飛びついてきた。この家には、まだ4歳のセシルと父親のフェルナンド、そして使用人のラスロの3人暮らしだ。フェルナンドの妻はセシルを出産すると、産後の肥立ちが悪く亡くなってしまっていた。


 フェルナンドは騎士として、主君であるローゼン伯爵へ仕えていたが、それは忠誠心ではなく、騎士として生活費を稼ぐためだった。


 フェルナンドは騎士として鋭士であり人望も厚いため、騎士の中でもリーダー的存在だ。


 しかし、ローゼン伯爵よりもセシルが大事なフェルナンドは、アルフレッドの報告を理由に、戦地から一時的に帰ってきた。


「セシル、数日だが、家で一緒に過ごせるぞ」


「本当に? お仕事しない?」


「ああ! しないよ。一緒に遊ぼう」


 セシルは飛び上がって喜んだ。


「良かったですね、お嬢様」と、そばにいたラスロは微笑んだ。


 翌日、ラスロだけが買い出しに出かけた。使用人はラスロ1人だけしかいないため、普段は仕事で家にいない父親の代わりにセシルの世話もして、買い出しにも一緒に行っている。しかし、今日はフェルナンドが自宅でセシルと待っていてくれるという。


「では旦那様、昼過ぎには戻ってまいります」そう言って荷馬車で出かけていった。


 居間でセシルと一緒に遊んでいるフェルナンドのもとにひとりの男が訪ねてきた。隣の部屋で待つようにセシルに言うと、セシルはふくれっ面をしながらも言う通りにした。


 玄関のドアを開けると、そこにはキャトリー子爵が立っていた。


「いやあ、昨日はすまなかった、ローゼン伯爵の前で怒鳴ったりして。君のプライドを傷つけたお詫びにワインを持ってきたんだ。他の騎士に君の住所を聞いたら教えてくれてね……中に入ってもいいかな?」


 フェルナンドは変だと感じた。なぜキャトリー子爵が俺を訪ねてくる? 昨日の報告がらみなのだろうが、訪問を受ける筋合いはない。


しかし、貴族を追い払うこともできない。


「……どうぞ」


 居間のテーブルを挟んで、向かい合って椅子に座る。グラスを要求されたので、フェルナンドは適当にその辺にあったコップを乱暴に出した。キャトリー子爵はそのコップにワインを注ぎ、フェルナンドに勧める。


「美味いワインなんだ。乾杯しよう」


 乾杯し、フェルナンドは一口飲んだ。キャトリー子爵はコップを口の近くまで運んだ。しかし、口を付ける前に「今、何時かな?」と銀の懐中時計をおもむろに見た。結局ワインを飲まずにコップをテーブルへ戻した。何か芝居じみている。


「パパ!」と隣の部屋からセシルが駆けよってきた。


「セシル、まだ向こうへ行ってなさい」


「嫌よ! 一緒に遊ぶって約束したんだから、ここにいる!」


「おやおや、銀の髪が美しいねえ」とキャトリー子爵はセシルの頭を撫でようとするが、セシルは嫌がり父親に抱きついた。フェルナンドは彼を早く追い出そうと詰め寄る。


「用件は何ですか? ワインを持ってきた理由は謝罪ではないでしょう?」


「……君はアルフレッドが生きていると思っているんじゃないのかね? どこまで証拠をつかんでいるんだ? 何を隠している!」


 だんだんと興奮してきたキャトリー子爵は、机を叩いて急に立ち上がった。


「隠す? 俺が? あれは戦死だと言ったのはあなたたちだ。俺が何を知っていると……」


 言い返している途中、胃に激痛が走った。フェルナンドは急に脂汗をかき、身体が痺れ出す。


「くそっ! 何をしたっ!」


 キャトリー子爵につかみかかり殴り飛ばした。部屋の壁まで吹っ飛んだキャトリー子爵は、切れて血が出た口を手で拭い、壁をつたって立ち上がった。


「お前がいなくなれば、アルフレッドが生きているなんて思うやつはいなくなるんだ。お前さえいなくなれば……そしてこの話を聞いたこの娘も……」


 フェルナンドはだんだんと息ができなくなり、口から血を吐いて倒れた。もがく姿を見ながら、キャトリー子爵はセシルへ近づき、髪をつかんで引っぱり上げた。


 そこに「旦那様、ただいま戻りました」と玄関から声がした。その声に慌てた隙を見て、セシルはキャトリー子爵の足元に噛みついた。キャトリー子爵は反射的にセシルを振り払った。


 セシルが倒れたところに何か光る物が落ちている。それは銀の懐中時計だった。見覚えのない懐中時計をセシルはとっさに拾って服の中へ隠した。


 キャトリー子爵は後ずさりしながら、逃げるように部屋から出ていった。一部始終を見ていたセシルは恐ろしさで震え、フェルナンドの倒れているところまで這っていき、「パパ……パパ……」と言いながら身体をさすった。


 荷馬車から荷物を降ろしていると、走り去るキャトリー子爵とすれ違った。帰ってきたラスロは倒れているフェルナンドを見て驚き、荷物を投げ捨てて駆けよった。セシルはラスロを見て、せきを切ったように泣き出した。セシルを抱きしめて、「旦那様! 旦那様!」と声をかけると、フェルナンドは息も絶え絶えにラスロへ言った。


「よく聞いてくれ。セシルを連れて逃げてほしい。さっきいたのはキャトリー子爵だ。ローゼン伯爵と共謀している……このままだとセシルも狙われてしまう……」


「旦那様! しかし……」


「キャトリー子爵の姿を見たお前も危ない……早く……」


 ラスロは「親友がモンタニエ子爵領の村にいます。しばらくそこへお嬢様と一緒に身を寄せます。お医者様を呼んでおきますので、もうしばらくのご辛抱を……」と涙ながらに伝えた。


 旅の資金を家中からかき集めたラスロは、「行きましょう」とセシルを抱きかかえた。胸の懐中時計をギュッと握りながらセシルは泣き叫んでいる。ラスロは胸が張り裂けそうだった。


 荷馬車で病院施設まで行き、フェルナンドが家で倒れていることを医師に伝えると、すぐに家まで行くと言ってくれた。ラスロは「先に行ってください、後から向かいます」と医師に言いながら家まで戻らずに、その足でモンタニエ子爵領の村へと向かった。


 医師は家の中で気絶しているフェルナンドを発見して診察した。すぐに毒だと分かった。テーブルにワインがある、おそらくこれに原因があると思い、毒を特定して解毒するためにもワインを病院施設まで持ち帰ることにした。


 気付け薬でフェルナンドの意識を戻し、たくさん水を飲ませては吐かせ、解毒にも効く薬草を煎じて飲ませた。


「おーい! フェルナンドが大変なんだ。手を貸してくれ!」


 医師は近所の者に声をかけて、自分の馬車に乗せて施設まで運ぶことにした。フェルナンドは身長も身体も大きく、運ぶためには近所の助けが必要だった。おかげで騒ぎが大きくなる。


「フェルナンドはどうしたんだ? 部屋が荒れていたぞ」


「戦地から昨日帰ってきたばかりじゃないか……」


「いつも一緒の使用人と娘がいないな。そういえば泣き声が聞こえていなかったか? まさか……使用人が連れ去ったのか?」


 噂が広まっていくのは早かった。医師は翌日にローゼン伯爵へ面会を申し入れた。フェルナンドはローゼン伯爵の騎士だ。あることないことで噂も大きくなっていることだし、毒もかかわっている。あとで知れてしまうより今すぐ報告しておくべきだと医師は考えた。


 すぐに来るようにと言われ、執事に案内されて医師はローゼン伯爵邸の応接間に通された。


「フェルナンドがどうしたって?」


 挨拶する前にローゼン伯爵から問い詰められた医師は、経緯をありのまま報告した。現在は一命は取りとめている。そして毒も予想がついたため、いくつか解毒剤を与えているが、意識はもうろうとしている。どこまで回復するかはわからない状態だと伝えた。


「犯人はわかっているのか?」


「いえ、事故なのか、事件なのかすら……私は医師ですのでわかりかねます。ただ、毒の入ったワインがあり、そのワインが注がれたコップは2つありました」


「家族は?」


「娘が1人と使用人が1人。ただ、私を呼びに来たあとから帰ってきていないようです」


「そうか……報告ご苦労だった。診療代金は私がすべて払おう。私の騎士がそんな目にあうとは残念だ。あとはこちらに任せてもらおうか」


 ローゼン伯爵はにこやかに微笑んで医師を帰すと、そのあとイライラしたように執事を呼んで、「キャトリー子爵を呼べ!」と命令した。


 呼び出されてやってきたキャトリー子爵はローゼン伯爵から怒鳴られた。


 雇い主へ報告するために戦地から戻ってきた騎士が、翌日に毒殺されかけたのだ。その報告の内容がアルフレッドの戦死についてであれば当然、疑いの目はローゼン伯爵とキャトリー子爵へ向く。


「お前だろう! 簡単に毒など使いおって! アルフレッドの死を再調査されたらどうするのだ!」


「ですから、あの騎士さえいなくなれば、誰もアルフレッドが生きているなどと思わないだろうと……」


「愚か者め! アルフレッドの調査の件をフェルナンドが誰にも話していないという証拠も無いのに、彼だけ殺して何になるのだ!? ことを荒立てずに知らないフリをすれば、疑いが自然消滅するように根回しもできたのだ! いらんことをしおって! そして彼は我が騎士の中でもリーダー格の男なのだ。その男が伯爵家の領地で毒殺などされては、犯人探しで大きな騒ぎになる。お前だけが責任を取れば済む話ではなくなってしまうのだぞ!」


 ローゼン伯爵は物に当たり散らして、キャトリー子爵を震え上がらせた。それでもキャトリー子爵はローゼン伯爵にどうしても伝えなければならないことがあった。


「実はですね、ローゼン伯爵。あの……フェルナンドの家に行ったときに、使用人と娘に顔を見られてしまいました。それから……私の銀の懐中時計を落としてきてしまったようで……まだ現場には見に行ってないのですが……」


「貴様は次から次へと……なぜもっと早く言わぬのだ! 今さら現場へ探しに行くことはならん!」


 ローゼン伯爵は『今後この男は自分の足を引っぱる存在になるかもしれない』と眉をひそめ、舌打ちした。大きくため息をついて座り、対策を練っていると、キャトリー子爵も座ろうとしたため、「お前は座るな」とにらみつけた。


 しばらく沈黙が続いたが、やっとローゼン伯爵が口を開いた。


「彼のことは、私が施設に監視をつけてこのまま軟禁しよう。毒で意識がもうろうとしているらしいからちょうど良い。そして、毒を盛ったのは逃げた使用人にしよう。『キャトリー子爵の懐中時計を盗んで、それが主人にバレて、毒を盛って、娘を人質にして逃げた』という筋書きだ。私が手配書に懸賞金を付けて探させる。フェルナンドが生きていることもわかるように書いて貼り出そう。こちらとしては、フェルナンドが切り札だ。余計なことを言ったり、国へ訴えたりしたら、切り札の命が危ないことくらいわかるだろうからな」


 ローゼン伯爵は、「騎士の毒殺未遂の犯人を、賞金をつけて探してやるんだ。私はいい主君だろう?」と笑った。キャトリー子爵も笑うと、「お前は笑うな」とにらみつけた。

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