11話
雑踏の中、酒場で情報屋の報告を黙って聞いた。
12年前、志願兵の報酬が尽きた頃に、モンタニエ子爵はローゼン伯爵に間に入ってもらい、高利貸しを紹介してもらっている。利子が高額なため、今でもまだ完済できていない。
流行病の風評被害が今も続いているため、領地の権利と責任はモンタニエ子爵家に持たせたまま、収穫はすべてローゼン伯爵を通じて高利貸しへと借金返済に当てられている。ローゼン伯爵ならマージンをしっかり取っているだろう、との話だった。
そして、ローゼン伯爵家の跡継ぎのジョフリーは結婚した。相手はキャトリー子爵の一人娘のジュリア。ジュリアはモンタニエ子爵の次男のアルフレッドと結婚していたが、1年も満たないうちに夫が戦死したため、両家に祝福されて再婚した。同年に男子を出産する。
ジュリアの結婚により、ローゼン伯爵とキャトリー子爵は親密になり、今ではモンタニエ子爵家の村の管理はキャトリー子爵がおこなっており、羽振りもいい。
報告は以上だ、と言われた。
情報屋と別れ、宿屋に帰ってきたアルフレッドだったが、愕然として、抜け殻のようになっていた。アルフレッドにとってジュリアとの結婚生活は2か月前の話だ。それなのに、こんなにも時が流れて、こんなにも状況が変わってしまった。
「リーリー! お前のせいだ! 妖精の世界なんかに連れていくから……」
「何だよ、アルフレッド! 君が行くって言ったんじゃないか。『人間が自分の意志で入ってくること』が決まりなんだ。僕のせいにしないでおくれよ!」
リーリーは怒って窓から出ていってしまった。アルフレッドにもわかっている。リーリーのせいじゃない。でも誰かに当たらないと耐えられなかった。
ローゼン伯爵が許せない! ジョフリーが許せない! キャトリー子爵が許せない! そして……ジュリアが許せない!
「ジュリア……待つと言ってくれたじゃないか……だから俺は帰ってきたのに……」
怒りと恨みと嫉妬に心と身体が占領され、不運を呪い、一晩中泣き明かした。リーリーは宿屋の屋根に座って、朝まで部屋には戻らなかった。
次の日の朝。リーリーは窓からそっとアルフレッドの様子をのぞいた。ベットは昨日のまま乱れていない。一睡もしていないのだろう。
「アルフレッド……お腹すいたよー……なんちゃって。僕たちは人間の食べ物を食べなくても、花の蜜で充分なんだけどね。でも、人間の食べ物も美味しいね。僕は好きだよ」
アルフレッドの肩に止まって、マイペースに話すリーリー。彼の顔を見ると、やつれていたが目はギラギラとしていた。
「リーリー、俺は一晩考えたんだが……どうしても許せないんだ。なぜこうなってしまったのかと考えると、それは俺が無知だったからだと思う。何も知らずにだまされ、何も知らずに利用された。俺をだまし、利用したやつらに後悔させてやりたいんだ。俺と同じように、『なぜこんなことになってしまったんだ』と思わせないと、生きてここにいる意味がない……」
「そうだそうだ! いいじゃないか! 何でもやりなよ! こーしてっ、こうだ!」と、リーリーはパンチやキックのまねをした。
「……2つ目の願い事を言うよ。復讐をやり遂げられるほどの知識や賢さを与えて欲しい。代わりに今までの記憶、俺が幸せだった頃の思い出、喜びや幸せの感情を渡す。叶えてくれるか?」
「うん、わかった。君がこれから生きていくために最低限必要な記憶は残しておいてあげるよ。僕って優しいね。じゃあ、ベットに横になって」
横になると、リーリーはアルフレッドの眉間の上あたりにキスをした。すると糸が切れた人形のように脱力し、深い眠りについた。
ーー12年前。アルフレッドの戦死が伝えられた日ーー
「失礼します、ローゼン伯爵。フェルナンド・ジェレミアスです。」
敬礼して執務室に入ると、ローゼン伯爵はキャトリー子爵と酒を酌み交わしていた。明るいうちから酒か、と小さくため息をついたこの男は、主君であるローゼン伯爵へ騎士としての報告をするためにやってきた。
「何ごとかね?」ローゼン伯爵はブランデーを飲みながら返事をした。
「実は、戦地でも軍事指揮官に確認されたのですが、モンタニエ子爵家の村人100人を先導して戦地に来たアルフレッドという青年について気になることがありまして、一応のご報告です」
部屋の空気が一変した。戦いに慣れた者なら、これは何かあると感じるほどの雰囲気だった。しかし、ローゼン伯爵はそしらぬ顔で答えた。
「ああ、確かに私は国王への忠義として、私兵や傭兵を用意して戦地に送った。そのうちの1部隊がモンタニエ子爵家の村人で構成されていたな。まとめ役として我が伯爵家の騎士である君たちを一緒に派遣したが……何に気付いたと言うんだね?」
ローゼン伯爵の向かい側に座っていたキャトリー子爵は、フェルナンドに背を向けたまま、振り向かなかった。しかし緊張しながら耳を傾けていることが背中から伝わってくる。
この反応はおかしい、あり得ない。俺が知らないと思っているのだろうか。戦地ではリーダー格の者の顔や名前は把握しているし、素性も知っている。アルフレッドはキャトリー子爵の娘婿じゃないか! なのに、このよそよそしさは何なんだ……とフェルナンドは怪しく思い、慎重に報告した。
「アルフレッドの戦死の報告があった夜に、国王陛下の軍事指揮官から呼び出されました。戦死の報告をしてきた者たちの話はつじつまが合わない、再度確認するように、とのことでした。私がその者たちを問い詰めると、敵がいるはずもない森の中で戦死したと言うのです。戦死した場所に案内させたのですが、目を離した隙に逃げられてしまいました」
キャトリー子爵はたまりかねて「それで! どうだったんだ! もったいぶらずにさっさと言え!」と立ち上がってフェルナンドをにらみつけ怒鳴った。ローゼン伯爵が「まあまあ、落ち着け」と諭すと、キャトリー子爵はブランデーを一気に飲んで、乱暴にソファへ座る。フェルナンドは話を続けた。
「逃げた者たちから聞いた場所には、岩石が積み上げられており、その中にアルフレッドは埋まって死んだと言っておりました。結構な重さの岩石を1つずつ退けてみると、確かに血痕は大量に付着していたのですが、死体が無かったのです」
これはマズいことになったとキャトリー子爵は脂汗をかいた。もしアルフレッドが死んでいなかったら、ジュリアはジョフリーと結婚できない。アルフレッドが生きていたら離婚が成立しないからだ。しかし、ローゼン伯爵は落ち着いて対応する。
「しかし、私たちは先ほどアルフレッドの戦死の知らせを受けた。死体の有無はそちらで確認してくれと軍事指揮官に伝えたまえ。それほどの血が付いていたのなら間違いなく死んでいるだろう。死体は野犬や熊にでも食われたかもしれないな、かわいそうに……」と、ローゼン伯爵は感情の入っていない声で言った。
フェルナンドは鼻で笑った。それはない。野犬や熊があの岩石を退けて、食って、また元に戻したとでも言うのか?……いや、待てよ、死体が無いのは……もしかしてまだアルフレッドは生きているのかもしれない。自分で抜け出て、何か理由があって自分で岩石を元に戻したのなら、死体が無いのもうなずける。ならば、これ以上詮索するのはやめたほうがいい。そう考え、ローゼン伯爵の話に合わせて報告を終わらせた。
「ははは! それもそうですね。その調査以降、彼はこつぜんと消え、1か月も行方がわからないのですから、戦死の判断は間違いないのでしょう。すみませんでした、余計なことを言いました。では、失礼します!」
再び敬礼し、フェルナンドは部屋をあとにした。
キャトリー子爵は血相を変えてローゼン伯爵へ「どうしましょうか?」と尋ねた。
「何をどうするのかね? まったく君は小心者だ。万が一彼が帰ってくるとすれば君のところだろう? そのときは君が内密に始末したまえ。彼はもう戦死した者なのだよ」
そうは言っても、死体が無かったのだ。死んだという証拠がないことを確認した騎士が現れた。戦死の知らせが来たにもかかわらず、わざわざローゼン伯爵に報告してきたあの騎士は、きっと『生きている』と思っているに違いない。そして生きている証拠をつかんで持ってくるのではないか? そうなれば結婚は破談になってしまう。そんなことを考えながら、キャトリー子爵はポケットの中にいつも入れている毒の小瓶を握りしめた。




