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逃げて、逃げて、その先にあるもの

作者: ウォーカー
掲載日:2023/06/05

 夜も遅く、深夜と言える時間。

静まりつつある町を、若い男がトボトボと歩いている。

その若い男は、その日の仕事を、途中で抜け出してきたところだった。


 その若い男は正直者で、何かと苦労をさせられる性格をしていた。

若くして両親には先立たれ、

黙っていると、他人の仕事を肩代わりさせられる。

食事をしようと食堂に行けば、自分だけが順番を飛ばされる。

何か手続きをする時は、自分だけが手間取って待たされる。

何をやっても上手くいかない、損な性格、損な境遇。

今日も本当は休日だったのに、急に休んだ他人の代わりの夜勤だった。

しかし、そんな生活ももう限界。

とうとう耐えきれなくなって、仕事を途中で放り出して、

逃げ出してきてしまったのだった。

「他の人の代わりに休みを潰されて、しかも逃げて来てしまった。

 これからどうしよう。」

その若い男が落ち込んでいると、雨まで降り出して。

雨はすぐに本降りになって、夜の町とその若い男を濡らしていった。


 本降りの雨の下、その若い男が夜の街を歩いている。

どこにも行き場がない。

家に帰るでもなく、トボトボと歩いていると、

ふと、道路の向こうに、ずぶ濡れの子犬がいるのが目についた。

捨て犬なのか、子犬は全身を雨で濡らして寒さに震えていた。

その若い男と子犬の目が合う。

すると子犬は、仲間を見つけたとでも思ったのか、

その若い男の方へヨロヨロと歩き始めた。

ガードレールの下を潜り、車道を横切ろうとしたところで、

車道の遠くから音高くエンジン音が迫る。

猛スピードの車が車道を走り抜けようとしていた。

その車の行く手には、車道を横切ろうとする子犬の姿。

しかし、そんなことにはお構いなしに車は迫って来る。

「あぶない!」

哀れな捨て犬の姿が、自分の姿と重なって見えたのかも知れない。

その若い男は、子犬を庇おうと車道に飛び出て、

猛スピードの車に撥ね上げられてしまったのだった。


 真っ暗な穴の中を、体が真っ逆さまに落ちていく感じがする。

ハッと、その若い男が目を覚ますと、

周囲の様子が一変していた。

真っ赤な空に、立ち枯れした木々が立ち並ぶ。

そばには空より赤い池があって、ボコボコと泡が浮いては消えていた。

まるで地獄のような光景。

それを証明するかのように、

角を生やした人影が、その若い男のところにやってきた。

人影は中肉中背の二人連れ。

鬼のような恐ろしい形相の仮面をしていて、

角もその仮面から生えているようだ。

その若い男が地面に倒れている視界で確認する。

すると、仮面の人影もその若い男の人相を確認したようで、

最初にギョッとして、次に厳かな声色で話し始めた。

「ほぅ、また人間が落ちてきたか。

 よく来たな。

 ここは、あの世。

 死んだ人間が来るところだ。」

「・・・何だって?」

あの世、という言葉に怪訝そうにするその若い男に、

仮面のもう一人の人影も口を開いた。

「そう、ここはあの世。

 正確には、地獄の入り口。

 現世で死んだ人間は、まずここで閻魔大王様の審査を受けるのです。

 現世で徳を積んでいれば、極楽浄土の天国へ。

 悪事を働いていれば、この地獄での労働が待っています。

 冗談のように聞こえるかもしれませんが、今言ったことは全て事実です。」

「とはいえ、閻魔大王様は多忙なお方。

 死ぬ人間は後を絶たないし、審査を受けるまでに時間がかかる。

 審査の順番待ちをしている間、この地獄で体験生活をするといい。

 案内をしてやるから、ついて来なさい。」

「地獄の体験生活、だって?」

恐ろしいような親切なような話に、

その若い男は地面から起き上がって首を傾げた。


 その若い男の前を、仮面の二人が先導して歩いている。

声の様子からして、二人は中年の男女のようだ。

その仮面の二人に、その若い男は疑問をぶつけた。

「じゃあ、ここは本当にあの世なんですか?

 冗談ではなくて?」

「そうだ。

 ここは本当にあの世、地獄の入り口だ。」

「あなたは現世で、何か命に関わることをしたのではなくて?」

「そういえば、子犬を助けようとして、車に撥ねられたかも・・・」

「では、その時に命を落としたのでしょう。

 まだ若いのに、かわいそうに。」

「動物を助けようとして死んだのなら、お前は天国へ行けるかも知れないな。

 いずれにせよ、閻魔大王様の審査を待つが良い。

 その間、この地獄の入り口にある集落で、地獄の体験生活をしてもらう。」

「突然、地獄で労働しろと言われても、大抵の人は耐えられませんからね。

 閻魔大王様の審査結果が出るまでに、練習をしてもらってるんです。

 徐々に負担を大きくして、慣れていけるように。

 まあ、天国に行くあなたには不要かもしれませんけどね。」

「俺たちは、地獄の体験生活をする人間を監督する、

 いわば鬼の代わりみたいなものだ。

 地獄の体験生活の間は、俺たちの指示に従うこと。

 いくら天国に行ける人間でも、

 地獄のルールを破れば天国行きは取り消し。

 その上で、地獄よりも辛い地獄に落とされることになる。

 心しておくんだな。」

「はぁ・・・」

「見えてきましたよ。

 あれが、地獄の入り口の集落です。」

仮面の女が指し示す先、

地面に大きな穴が口を開け、その中程に、

木造の建物が寄り集まっているのが見えてきた。


 その集落は、粗末な木造の建物がいくつか集められ、

そこに、粗末な布だけの衣服を着た人たちが生活していた。

その集落を取り囲むように、大きな穴が開いている。

あるいは、大きな穴の中程に小島があって、

そこに集落があると言う方が正しいかもしれない。

粗末な木で組んだ橋が、大穴の外と内を僅かに繋いでいた。

ここ地獄には昼も夜も無いようで、

人々は代わる代わる寝て起きては労働に勤しんでいる。

労働とは言うものの、その内容は、

大きな岩を素手で運んで積み上げる、といった単調なもので、

その単調さ故に心身に負担が大きく、修行の意味合いが大きそうだった。

地獄の集落に連れてこられたその若い男も、

早速その日から、労働に参加させられることになった。

自分の体ほどもありそうな大きな岩を素手で担いで運んでいく。

運び終わったら、今度はそこに転がっている岩を担いで戻る。

来る日も来る日もその繰り返し。

汗びっしょりになるまで働いても、何の成果もない。

ただ言われるがままに作業をするだけ。

まともな人間なら、すぐに音を上げてしまいそうなものだが、

仮面を付けた人影が何人も監督役として目を光らせているので、

そう手を抜くわけにもいかない。

それでも人間の不正を全て見抜くのは難しいもので、

ずる賢い人間は、運ぶ岩を砕いて軽くしたり、

他の人間が運んだ岩を奪ったりしていた。

もちろん、その若い男は正直者だから、

インチキすることもなく、黙々と大きな岩を運んでいた。

すると、正直者につけ込む人間に目をつけられることになる。

意地悪な人間たちがやってきて、岩を運ぶその若い男に言った。

「おい、俺の分も運んでおいてくれないか。

 仮面の連中にバレないように、手前までで良いからさ。」

「あんたが運んだ岩、一個もらっておくよ。

 いっぱいあるんだから、一つくらい良いだろう?」

相手は複数人で、断ろうにも断れない。

そうしてその若い男は、この世でもあの世でも、

他人に利用されて損をする生活をさせられることになった。


 その若い男が、地獄の集落で過ごすようになって、

もう何日が経っただろう。

最初は日数を数えていたが、今ではもうそれも辞めてしまった。

毎日毎日、岩を運ぶ生活。

それだけならばまだいいのだが、

意地悪な人間たちに仕事を押し付けられ、成果を奪われる。

そのことは、その若い男の心身を疲弊させていった。

仮面の監督役たちに訴え出ても、のらりくらりとかわされてしまう。

そうして疲弊していくその若い男を、物陰から心配そうに見ていたのは、

最初に案内をした仮面の男女だった。

「あいつ、大丈夫かなぁ。」

「心配ですけれど、

 この地獄のルールでは、

 私たちは何も手出しできませんものね。」

「まだ閻魔大王様の審査までには時間がかかりそうだ。

 それまで、あいつが我慢できるといいんだが。」

そんな二人の心配は、現実のものとなる。

それからしばらくしたある日のこと。

その若い男は、岩を運ぶ労働の最中に、逃げ出してしまったのだった。


 地獄の集落、粗末な木造の建物の間を、その若い男が必死に駆けている。

「もう、まっぴらだ!

 いくら岩を運んでも、何も残らない。

 意地悪な連中に成果を奪われて、誰も助けてくれない。

 こんなところ、もう嫌だ!」

そんな泣き言を溢しながら、その若い男が走って逃げている。

遠くから、その背中を追う仮面の人影たち。

その若い男を集落に案内した、仮面の男女だった。

「待て!どこへ行く。

 この集落の周りは大穴で、穴の下は地獄よりも辛い地獄だ。

 どこにも逃げ場は無いぞ。」

「閻魔大王様の審査を受ければ、天国に行けるかもしれないのよ。」

「そんなの待ってられない!もうこんなところは嫌なんだ。」

言っていることはただの泣き言のようだが、

しかしその若い男も、何の考えも無しに逃げ出したわけではない。

この集落に入ってくる時に通った橋があるはず。

それを目指していた。

もう間もなく、橋が見えてくるはず。

そう思ったがしかし、無常にも、そこに橋は無かった。

どうやら常設の橋では無かったらしい。

集落の外へ繋がるはずの橋は、遙か対岸に引き上げられていた。

呆然と立ち止まり、肩で息をするその若い男に、

遅れて追いついた仮面の男女が言った。

「もう観念しろ。

 橋が無ければ、この集落から逃げる方法はない。」

「作業は辛いでしょうけど、もう少し我慢して。」

仮面の男女の説得に、しかしその若い男は耳を貸さない。

右に左に周囲を見渡して、何とかして逃げる方法を探している。

そして何を思ったのか、崖にしがみついて、

集落を囲う大穴を下り始めたのだった。

「僕は諦めないぞ。

 橋が無ければ、素手で崖を越えてやる。

 ここでの労働で体は鍛えられてるんだ。」

その若い男は鍛えられた足腰で器用に崖を下っていく。

こうなってはもう、仮面の男女も後を追うことはできなかった。

「無茶は止めろ!

 ・・・駄目だ。もう追いかけられない。

 この大穴の先は、この地獄よりも辛い地獄だ。

 あの子に耐えられるだろうか。」

「仕方がありませんよ。

 またここに来ることになったら、その時は迎えてあげましょう。」

仮面の男女が覗き込む眼下の大穴。

その若い男の姿は小さくなって、やがて見えなくなってしまった。


 真っ暗な穴の中に、その若い男がいる。

手足は痺れてしまって、

崖に掴まっているのか、穴を落ちているのか、

もうどちらなのかもわからない。

ふわふわと体が闇の中を漂っている。

すると、遠くの闇の先から、か細い光が。

それが段々と大きくなっていって、視界がぱっと開けた。


 目に映るのは、いっぱいの夜空。

降りしきる雨が、顔を、体を叩く。

その若い男が目を覚ますと、雨降りの地面に横たわっていた。

体を起こそうとすると全身に激痛が走る。

しかし、骨に異常は感じず、大きな出血も見当たらず、

命に関わるほどの怪我ではないようだった。

首を動かして頭を起こすと、そこは車道。

ガードレールが取り囲み、ビルや住宅が立ち並ぶ。

久しぶりに目にする、いつもの光景だった。

ふと、柔らかくて温かい感触。

腕の中を見ると、ずぶ濡れの子犬が丸まっていた。

「・・・そうか、ここはあの日の夜か。

 この世に戻ってきたんだ。」

しかし、その若い男が感慨に浸る余裕はなさそうだ。

腕の中の子犬は寒そうで、

このままでは今にも動かなくなってしまいそうだった。

「助けてやらないと。でも、僕にできるかな。」

不安になりそうになって、ふっとその若い男は笑った。

「できなければ、またあの世に逃げたら良いか。

 あの世もこの世も、初めてじゃないから、何とかなるだろう。」

そうして、その若い男は、痛む体を引きずって立ち上がった。

目の前には、真っ暗で雨降りの、

地獄よりも辛い地獄が待ち受けている。

腕の中の子犬は雨に濡れてずっしりと重いけれど、

きっと耐えられるはず。

何故なら、地獄で運んだ岩よりは軽いはずなのだから。



終わり。


 気分を変える。環境を変える。逃げる。

これらはどれも似ているのに、他人からの評価は大きく異なるものです。


できなければ、いっそ逃げてしまえばいい。

逃げて逃げて元に戻っても、今度はできるかもしれない。

そんなことがあって欲しいと思って、この話を書きました。


作中の若い男のように、損をして辛い思いをしている時も、

きっとどこかで誰かが見てくれていると、そう願っています。


お読み頂きありがとうございました。


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