冬戦【_WAVE_3】都市ミーモル
・3
『新エリア解放』という通知が届き、新たに移動が可能となった場所とは非戦闘地域『都市ミーモル』である。そこは、風守と比べると、街全体の雰囲気は似ていて、人が多いのが特徴といったところだろう。なによりも、(プレイヤーではない)子供の姿が通りで見ることができた。
そして、これまでにはなかった描写が、いくつかこの『都市ミーモル』にはある。プレイヤーにはない、本物としか思えない「出血の描写」があった。赤い血だ。ネズミにも、風守のNPCにも、赤い血が出ることはない。プレイヤーと同じで、怪我をすると光の粒が舞っていたはずが、『都市ミーモル』の住人だけはより現実的で生きているような様子が見て取れた。世界も。
これが新しいアプデなのか。確定ではないだろうが、そう判断はできる。
もし今後、プレイヤーもNPCも怪我を負えば赤い血が流れるようになるとしたら、人によっては嬉しくないアプデとなるかもしれない。
『都市ミーモル』のように『現実』により近付ける。『WAVE』において、どれだけの人がそれで喜ぶのかは難解だ。今後どうなるかなんてわからないが。
とにかくそれは大きな変化ではあった。
都市ミーモルにある料理店セルブ、今日もその店は休まず開けていた。料理店セルブでいつも元気に働く若い女タニア・フェルトンは、カウンターの前で片付けに勤しんでいる。そして、首を捻っていた。
彼女の祖母であるジェーン・フェルトンは心なしか忙しそうで。
「ここにもないか」
タニア・フェルトンがそう呟いた。それを見て、みさやはしかとするわけにもいかず話しかける。「タニアさん、何か探しているようにも見えるけど、どうかしたの?」
「いやね、まあなんでもないんだけど。大事なものをなくしちゃって」
「大事なもの? それってどんな?」
「あんなもの、どこの誰が持っていくんだろうね」ジェーン・フェルトンが大きな音を立てて、そう言う。乱暴に掃除道具のバケツを床に置いたようだ。「つまんないコソ泥が出たもんだ。街にいるクソガキ共かね」
ジェーン・フェルトンは短い息を吐くと、店の奥へと行ってしまう。
「おばあちゃんは、ああは言ってるけどね。秘密だよ? お父さんの形見なんだ」
「ああ、なるほど。だから、機嫌悪そうなのか」
「そうなの。うるさくてごめんね」
ツガクに呼ばれてカウンターから離れると、みさやはテーブルに着いて、二人にわけを話す。普段であれば静かで穏やかな店が、ちっと荒れている理由である。
ガンスリンガーはカウンターにいるタニア・フェルトンの方を見て水を飲んでいた。彼女も荒れ具合が気にはなっているようで、その様子を窺っている。
彼の次の任務の話になる。戦闘地域『ヌエ川』にみさやは向かうことになる。今回はこれまでにあったような物資を集める任務ではない。風守に住むNPCから、仕事として受けた依頼だ。報酬は金銭。NPCの依頼と言えば場合によっては金銭ではないこともあるが、このたびはずばり金である。
商人からの頼みだった。断ることもできただろうが、東はそれを受け入れた。それがみさやにまわってきた。
戦闘地域『ヌエ川』とは大雑把に説明すると、豊かな自然、ヌエ川と呼ばれる川を中心に林が広がっている。ヌエ川を渡る方法は立派な橋以外にも幾つかあり、林に関しては木々のあいだ場所によって建物があったりする。それらはあまり丈夫そうには見えない建物ではあるが、ひとつ言えることは水や食料のない戦闘地域ではない。木が並ぶだけ、動物がいるだけ、緑が広がっているだけのようで、細かいところを見ていくと、場にそぐわない戦闘機のように見える壊れた機体が落ちていたりもする。
みさやが向かうことになった場所は『ヌエ川』の北側になる。どこから出発となるか、それは運に任せるしかない。北であればおそらく危険が少ないだろう。もし南であれば、橋を渡ることになるかもしれない。
廃都や複合商業施設とは、また違った。
プレイヤーにとっては「敵」とばったり出くわすことが多い印象があった。どれだけ音に注意していようと、他のプレイヤーに遭遇することもあれば、それが複数のネズミだったりもする。近かったり、遠かったり、銃声が林を駆け抜けていく。これといって予兆もなく一瞬で撃ち殺されることもある。物陰に隠れて息を潜めるプレイヤーに狙撃されて。
現在のヌエ川には、プレイヤーの狙撃手は少ないかもしれない。話を聞くことがなくなった。
NPCが出した依頼は、北にある赤いバツ印が目印の建物へと向かい、「腕時計を取ってきてほしい」ということだった。腕時計を見つけ出して、風守に持ち帰ればいい。
話を聞けば、商人の友人が、その建物でなくしたに違いないと言っている。
そこには、では新しい物を買ってしまえばいいだろう、という考えもあるかもしれない。しかしそうだとするなら、まずこのような仕事にはならなかっただろう。
NPCからの頼みは、やっておくといい。これはみさやがツガクから教えてもらったことだった。たとえば、買える物が増えたりなどなにかと得があると。
都市ミーモルにある料理店セルブで軽い食事をしてから、ガンスミス(ののの)のもとで重要であろう準備を終えたみさやはヌエ川に向かうと、そこからさっそく自分の位置がどこであるのかを探した。その数は三名。彼のほかにツガクとガンスリンガーがいる。
残念なことに、ヌエ川の南側のようだった。橋まではそう遠くはない。
「南のようだ」
ガンスリンガーはそう言った。地図を広げたわけでもないというのに、彼女はその景色だけで自信のある態度を取っている。
「だな。南だ。ここなら、うん、あの橋で行くか?」
ツガクも位置を知っている。みさやは二人を見て、いい加減覚えないといけないのだろうと思う。どこに何があるのか。それを把握しているだけで、戦闘も有利になる。
「橋がいいのか?」みさやはその考えはなかった。「遠回りのほうが安全じゃないか?」
「どちらが安全かで考えると、なんともいえない」ガンスリンガーはヌエ川のある方角に体を向ける。「気を付けて行く。それに変わりはないだろう」
「橋なら、こっから途中までだったら走っていける。それまで他のプレイヤーはいないだろう。だから、橋付近で、気を引き締めて。そんな感じか?」
ツガクの意見から少し間をおいて、「橋にしよう」とガンスリンガーは言う。男二人は同意した。
バツ印の建物まで、距離があるな。みさやは銃に目をやると、風守に帰った後のことを考えた。このとき考える必要はない。でもやめることができずそれは頭に浮かんできた。出発前の出来事、のののについてもしばしば脳裏に浮かんでくる。
彼は、あの時のお礼はもう言った。
「ガンスリンガーの用事とやらは、バツ印の建物付近で済むんだよな?」
ツガクが予定を確認している。場所はわかっている。あとはどう動くか。
「ここからなら、話していたとおり、先にそこへと寄ることになる。それが終わったら、腕時計を見つけて、回収地点を目指そう」
三名というこの組み合わせは、みさやには非常に珍しいように思えた。東は、その数三名で物資を集めるようなことは、彼の知っている限りではないといっていい。しかも、この時に限っては東が二人。もう一人はガンスリンガーである。彼女は東の人間ではない。
この任務、よく許可が下りたものだ。東は距離を縮めたい、彼女を迎え入れたいと考えている、ということだろうか? 赤タグ、用心棒、西に取られるわけにはいかないと。
仲間から聞いた話がある。みさやはそれを実際に見たわけではない。どうしても関心があった。ヌエ川の任務で聞いてみようかと彼は思っていた。
移動時に、みさやは尋ねる。話す暇などないのは理解している。
「ガンスリンガー、人から聞いた話で、聞きたいことがある」
彼女は口を開かなかった。立ち止まると、その目で彼をまっすぐ見詰める。
「最近のことだ。フロントラインと戦ったってのは本当か?」
「戦った。まあ、そうだな」
「なぜだ?」
これは本人に聞くしかない。みさやは待ってみる。この会話も少しだけのつもりだった。
「なにか理由でもあるのか?」
「理由は、私にもわからない」頭を働かせている。偽るとかではなく探しているようだった。「彼女が戦いたいと言うから。それで」
「勝ったんだろ?」ツガクが言う。
「ああ、それは」
ガンスリンガーはどこか他人事のような反応をするとしばらく黙ってしまう。太陽が雲に隠れたのを見て、彼女は「それより、先を進もう」と口にした。
この話はそれだけで終わることはなかった。彼女が静かに語り続ける。人を惹きつける女性フロントラインとは、『あれ』が初めてではないらしい。
騒動が起きる前の頃から、ガンスリンガーは『フロントライン』を知っている。それは相手が自分と同じ赤タグだからではない。
今では西の代表といえるフロントラインが、用心棒の仕事をしているガンスリンガーと会っていた。その方法はわからないが彼女が会いに来ていたようだった。
ガンスリンガーは三回ほど彼女と戦ったと言う。それで、四回目。どうやって私の居場所を見つけていたのかはわからないが、私に会いに来て、私と「戦いたい」と伝えてきた。
他の用心棒にそのことを教えると、こんなことを言われたらしい。変わったやつもいるもんだ、と。用心棒なんて、会おうと思って会えるような相手ではない。フロントラインという女はどうやって見つけているのか。
悪いことをしていれば、こちらから会いに行く。
その三回とも結果は、ガンスリンガーが勝っている。それで今回の四回目も。
だが、彼女は勝ち負けにさほどこだわりはないようだった。
それより、冷静に判断していた。
彼女が私に合わせているだけで、得意な距離で戦っているわけではない。
目的地のためヌエ川へと目指し、大きな橋がそろそろ見えてくる頃になると、先頭を走っていたツガクがその足を止めた。そこにいると既に分かっているかのように、目視をしようと彼は警戒している。
危ない場所だ。みさやもそのくらいは知っていた。だから、遠回りを提案していた。
このまま橋に向かっていくと、戦闘地域『ヌエ川』のボスネズミと出会う可能性がある。ボスネズミなんて、必ず戦闘地域を歩いているわけではない。配置されていないことだってある。
奴らを倒すことが目的でもないと、会いたいとはならないだろう。
名前は『コルタン』。運が悪いとは言えないがツガクが視認する。仲間のネズミもいる。
「コルタン。サブマシンガンだな。お仲間も元気そうで」
「取り巻きは、三人か?」みさやは他にいないことを確認して言った。目で分かる数はそれぐらいしかいない。そしてネズミたちは気付いていない。
「三人だろう」ガンスリンガーは言う。「ほかにはいない」
「いままで試したことないんだが、あいつの弾切れを待つってのはできるのか?」
「ネズミの弾は無限だぞ。弾切れはない」
「えっ、無限? チートかよ。それは知らんかった。ああ、そっか。みたことないな」
「やり方としては、どうしようか。あの取り巻きとか、銃声聞いたら突っ込んでくるタイプだから、落ち着いて待ってちゃんと狙わないと、こっちがやられる」
「この弾で、あのアーマー、抜けるか?」
「その弾なら、抜ける」ガンスリンガーは彼の銃を見てそう言った。「ヘルメットも抜ける。安心して、思い切りやれ」
「ボスでも安心しろ。お前も知ってるだろ」ツガクは笑った。「コルタンは、ボスの中でも要領よければ倒しやすい。どのボスにも言えることだが、見つかってしまうと難易度が格段に上がってしまうがな」
「私が誘導しよう」彼女は右側の林を見ている。
「いいのか? 任せて?」
「ネズミ一匹とボスを頼む」
やり方に複雑なところはなかった。ガンスリンガーが取り巻き一人の頭を撃ち抜く。彼らが動き出したところ、男二人が横から攻撃を仕掛ける。
ガンスリンガーは手際よくもう一人の頭を撃ち抜いた。みさやもネズミの胴体を狙い、数発当てて簡単に倒す。
コルタンが最後に生き残った。彼は被弾した体で、みさやを狙う。
しかし、みさやの撃った弾で彼も倒れてしまった。
「なかなか倒れないな」
コルタンに近づいたツガクは、物色し彼の認識票を見つけると、それを手に取り軽く投げる。
ボスネズミ『コルタン』。みさやの名前もある。彼は見てからポケットにしまった。
被弾した。たいしたことはなく、ボディアーマーが防いでくれた。それでも回復はしておかないといけない。
「制作者アリア」『WAVE』をやっている人であれば、その名ぐらいは、誰もが一度は見たことがあるのではないだろうか。フリーゲームとしてこの『WAVE』を作ったという。
アリアがどんな人物であるのか、それは誰にもわからなかった。年齢、性別と、公開されているわけではない。くわえてそれが、本名というわけでもないだろう。
アリアは、この状況を把握しているのか。これは不具合なのか? それとも、アリアが意図的に『始めた』ものであるのか。
プレイヤーの間では、よく話題となった。
ガンスリンガー、用心棒である彼女でも、少なくとも何も知らないようだった。
「私は、アプデに関しては何も聞いていない。アリアから、冬のイベントについては知っていたけど。しかし、あの『新エリア解放』という通知は」
「ほかの用心棒たちもか?」ツガクは問う。
「それは、わからない」
「わからない? わからないって?」みさやはその反応が気になった。
「今の『WAVE』に、用心棒は私しかいないかもしれない」
彼女は騒動の日から他の用心棒を探していた。しかし、いまだに一人も見つけることができていない。用心棒たちがいるであろう専用の施設、そこに行こうが一人として誰もいなかった。管理と連絡を取ろうとしても応答はなし。彼女もこれがどういう状況であるのか詳しくは理解できていない。
「たとえば武器商人のNPC」ツガクは少し間をおいて言う「あのケイカってお嬢様とは、ちょっとした知り合いなんだろ? あの子に聞くってのも無理なのか?」
「彼女はほんとうは用心棒で働いていた。色々と事情は聞いてみた。だけど、手掛かりとなるものは――。整備士のののも、医師アクアも、用心棒で働いていた。彼女たちの話によると、気付いたら風守にいたらしい」
『みふゆ、元気でいらしたのですね。わたし、あなたと会えて、とても嬉しいですわ』
ケイカが言った言葉だ。その喜びようはある程度親しいものでないとそうはならない。
用心棒たちが姿を消し、その施設で働いていたNPCが風守に移住している。武器商人、医師、整備士、この状況をどう考えるべきだろう。
NPCたちに異常が見られるのかというと、そのようなものは見当たらない。みさやは首を振り、思考した。変化だけでいえば都市ミーモルの住人ぐらいか?
ガンスリンガー、彼女以外に『用心棒』がいないとするなら、それはこれからプレイヤーはどう生きていくべきだろう。
少女が言っていたように、「いつ戻れそうなのか」。
『黒虎』。黒い触手。ガンスリンガーはそれについても何も聞いていないと言う。あれは、ボスネズミでも、強化ネズミでもない。まったくべつの「何か」である。
仮定して廃工場にいるボスネズミ『マグノシュカ』を倒せば、ゲーム終了なのだとすれば――それなりの戦力がいるだろう。
東も、西も、最近街で姿を見かけることの増えた彼女の話をしている。
もともと、そこそこ有名な人だ。プレイヤー名『みゆみふゆ』ではなく、多くが彼女をガンスリンガーと呼ぶ。
特に、命中精度に定評のある人物だ。地下区画八発の弾丸、とか。
わかりやすいのであれば、人が投げた水入りペットボトルを撃つことができるという話がある。テニスボールでもいいらしい。地面にバウンドさせようと、おもしろいくらいに綺麗に撃ち当てることができるんだとか。だれが、そんなことを試したのかはわからないが。
だから人は言った。予測でしかないが、彼女は僅かな未来が見えている。
続いて『おうが79』の話となる。風守で広がる噂では、姿を見せない謎多き彼女は彼と会っていたということになっている。水や食料を運んでいた。きっとそれだけではないだろう。そう――何のために――そんなことをしているのか。
今回の任務の同行、ガンスリンガーの用事とは、そのおうが79に関係がある。バツ印の建物付近に彼がいるらしく。彼女は会いに行くため。
「彼に水や食事を持って行った、というのは本当。でも、弱みを握られているとか、そんなことはない。なぜ、そういう話になる?」
ガンスリンガーは不思議でならないようだった。
「そうでもないと、『普通そんなことするか?』ってことじゃないか? 何も知らないと、何も見てないと、あとは想像するしかないだろ」
「それは。なるほど」
「まあ、俺もバカだなあとは思う」
「彼に頼みがあって。それをやってもらっていた。他に頼める人がいない」
彼女は隠し事でもあるのだろう。微妙な空気があった。ツガクは感じ取り、そっと問う。「おうが79ってのは、どんな男だ?」
「どんな男?」ガンスリンガーは身振りを入れて考えている。「ゲーマー、だろうか」
「ハッカーとか言われてるが、そういうことか?」みさやが言った。
「そういうことではない。何と言えばいい。とにかく頼りになる」
扉を鍵を使わず開けた。彼が「ハッカー」と呼ばれるようになった理由を知っていれば、関係ないというのははじめからわかる。では、ゲーマーと彼女に呼ばれるのは。
会話をしていると、その彼がいるであろう地点周辺へと辿り着く。小さな山がすぐ近くにあり、その麓と思えばいいだろうか。これ以上先に行くと林を抜ける。背の高い木は減って、草地になっている。
「待て」
ガンスリンガーが腕を伸ばす。声からして、視線の先に敵がいたようだ。
「あれは」とツガクが言う。
「強化ネズミだ」
ガンスリンガーの冷静さを横に、みさやにはそれは見覚えのある光景だった。『あの女』がいる。強化ネズミとわかる敵影、その傍には、足のない、顔の半分がわからない女がいる。二度目だろうと、どことなくクリオネを思わせる。足のない人魚。
「ガンスリンガー、あれって」みさやは彼女に向けて声をかけた。戦ったことがある。
「彼も赤タグだから。リストに載ってる。狙いは彼だろう」
「どうする?」ツガクは声色を変えた。「この感じ、おうがはやられているかもしれないぞ。一人でどうにかなるような状況には見えない」
「私が行く。二人はバツ印を目指せ。そこで落ち合おう」
「それは、マジで言ってんのか?」
「私なら平気だ。それに、いずれにせよ、いい加減終わらせないといけない」
「駄目だ。できると言うのなら、本当にできるのだろう。それでも駄目だ」
みさやは彼の焦りが見えた。「ツガク、お前」
「最後まで、見守らせてもらうぞ。それでいいか?」
「好きにしろ」
ガンスリンガーが終わりに見せた小さな微笑みは、みさやの抱いた心配を蹴散らしてしまう。ああ、ほんとうにこの人はやってのけるのだろうと。
荷物を預け、身軽になった彼女は(彼が予想した通り)ホルスターの銃で戦うようだ。傍で、桜花爛漫がいつでもいいぞと待っている。
彼女は奇襲をするつもりはないらしい。
もう、奇襲も意味ないとでも思っているのか。
『あれ』がガンスリンガーの存在に気付く。遅れて、強化ネズミが動きを見せる。
銃撃戦がすぐに起こることはなかった。
「撃つなら、よく狙え。そこに迷いがあってはならない」
強化ネズミは胸の機関銃を発砲する。しかしながら、その弾道は。
銃声は林から草地、山へと駆け巡った。その響きがしばらくして途切れる頃に、また一発の銃声が聞こえる。
桜花爛漫の引き金が引かれた。弾丸は、相手の頭部へと命中。強化ネズミは壊れかけのランプのようにその機能を停止しようとしている。
「命は無駄にするな」
そうしてガンスリンガーは銃口の向きを変える。
『あれ』は何もしない。ただ見ているだけだった。
「彼の次は、誰にする? また私か? 私にしろ。私はいつでも構わない」
足のない人魚は見詰めていた。そして姿を消してしまう。
危険が去って、みさやたちはそこから直ちにバツ印を目指したりはしないで、おうが79について彼の情報を探した。彼はここで野営をしていたようだ。装備は本格的ではなく、かなり小規模の生活をしていたように見える。
ガンスリンガーは歩いて探している。野営にその周りを注意深く。
「死体は、ないな」みさやは言った。
ガンスリンガーは地面に触れている。足跡でも探しているのだろうか?
彼女はこんなことを言った。おうが79は偶然なのかここを離れている。死んではいない。
そして、ようやく彼女は探し物を見つけたようだ。邪魔な草木や土を退けている。
小さな袋、そこに入っていたのは手帳だった。
「一つの目的は終わった。バツ印を目指そう」
手帳を持ち帰るようだ。この為に持ってきたのだろう食料と水を置いていくと、その場を離れようとする。
赤いバツ印の建物までは近いとはいえ、少しばかり距離はあった。それまで、ネズミに遭遇することはなく、怪我もなく、辿り着くことができる。
バツ印が壁に書かれた建物。誰が書いたのかそれはわからない。
アリアが作ったというのなら、アリアでいいのだろう。
林を抜けて遮るものがない場所だ。商人が言っていた建物はこれで間違っていない。その友人は、大事な腕時計をどこに置いてきたのか。
建物にネズミがいる様子はなかった。周辺についても、危険があるようには見えない。みさやは二階へと上がっていく。
目的のもの、それはテーブルの上にあった。小さな建物だ。時間はかからなかった。
「なんだこれ?」
みさやは手に取って確かめながらそう言った。彼はひとまず見る角度を変える。
「どうした? ハズレか?」
ツガクの声を聞いて、みさやは振り返る。手の上にある疑わしき腕時計を見せた。
「止まってる。これ、壊れてるぞ。これを取ってこいと言っているのか?」
「ガラスにヒビが入っているな。たしかに針も動いていない。いちおう見た目は聞いていたとおりには見えるが。しかし任務の話の中で、壊れてるとは聞いてないな」
「ここまで走ってきて、時間かけて、これではないと言われるのは嫌だな」
「もう少し探すか」
夜、あのあと何事もなく帰還し任務を終えて、料理店セルブにみさやは戻ると、さっそく食事をすることにした。ツガクもいれば、ガンスリンガーもいる。彼は疲労を感じ喉がほどよく乾き、腹も減っていた。
NPCが求めていた「腕時計」とは、あの建物で見つけた壊れた腕時計であっていた。ほかに腕時計と呼べるものが見つからなかったので、間違っていなかったというNPCの反応で安心する。ヒビが入っていようが、針が止まっていようが、報酬もしっかりもらった。
「はい、どうぞ」
ツガクが食事を用意した。セルブの料理を食べた後に、(酒も手伝ってか)彼が機嫌良さそうにお椀をテーブルに置く。
「これは?」
ガンスリンガーは見るのは初めてなようで、目の前のそれを体を左右に揺らして眺めている。
「お茶漬けだ。ぶちうまいぞ」
彼はお店の厨房を借りて作ったようだ。缶詰ばかりでは飽きるだろと、みさやは以前にご馳走してもらったことがある。騒動が起こる前だ。殺し合いばかりではない、こんなこともできるんだぞと。
「……美味しい。旨い。うまいな」
彼女にも好評のようだった。
料理を食べ終わった頃、タニア・フェルトンがカウンターに戻ってくる。セルブの厨房を借りたわけであり、ツガクは感謝の言葉を述べると、彼女はとくに問題はないようで「ううん」と首を横に振る。知らない、異国の料理だから、私のほうこそ、ちょっと邪魔だったかも。彼女はそう言って笑っていた。
彼女は店の奥から何か取ってきたようだった。缶の箱が、カウンターの上に置いてある。
タニア・フェルトンが右手に持っている物に、みさやは目が留まる。
それは腕時計であり、よく見ると。
彼は言った。「その腕時計」
「それ」ツガクも気付いた。
「うん?」タニア・フェルトンは眺める行為をやめる。「これ? 探してたら見つかったんだ。ほらっ、言ってたお父さんの形見。よかった。これでやっと、おばあちゃんも元気になるかな」
テーブルに腕時計が置かれる。ガラスのヒビ、針も止まっている。まちがいない。
「いったい、どういうことだ?」
みさやの問いに、ガンスリンガーも答えは見つからない。