5. 婚約破棄……
初めて王宮内のプライべート空間の図書室に足を踏み入れた。
家族団欒の部屋として使われている場所に呼ばれたということは、家族同然を意味する。
婚約者といえ、今までこの空間には入ったことはない。
王と王妃はソファーに座ってくつろいでいるようにみえる。
部屋の片面は、ぎっしりと本が詰まっている。
本棚に視線が行きそうになるのを堪えつつ、執事に促されるままに向かいのソファーに座る。
王子は落ち着かない様子で、私の後ろ側に立っている。
「どういうことだ! 国を挙げて見つけた巫女姫と婚約破棄とは! しかもどこの誰かも名前もはっきり言えない令嬢のために破棄……」
王の血管が切れてしまいそうな勢いにエドモンド王子は押され気味である。
少しずつ後ろに下がっていっている。
どこの誰かもわからないのは、魔法にかかっていたからですとは言えないですよね。
初歩的な魔法の知識を頭に入れるのを忘れてしまったために疑念が働かなかった。
すぐ後ろに立っていたはずの王子は、遥か後ろに行っていた。後ろに置いてあった国家の花を模したライトスタンドを倒しそうになり、反射神経の良さで自分が倒れることで、それを防いだ。ライトスタンドをもとに戻すと一歩、さらに一歩と後ろの方へ行ってしまった。
「巫女姫の役割を果たせず、申し訳ありません」
「アリシアには、責任はありません。大丈夫ですよ」
王妃が寛容な言葉をかけてくださる。
「皆の前で婚約破棄をしたからには、このままという訳にはいきませんよね?」
「無論、エドモンド、おまえには責任がある。その娘を連れてきて、申し開きをせよ。アリシア、それまで王宮に留まってはくれないか?」
もう一秒たりともここには留まりたくない。
最後の礼儀を果たしたく、王と王妃の前にいる。
それに偽りはない。
ドレスの上に上品に重ね合わせた手を握りしめ、深呼吸をする。
すぐに答えてしまっては、用意していた言葉のように感じてしまう。
少し考えたようにみせかけながら、少し弱弱しい笑みと共にお二人の顔を見る。
「お暇を頂きたいと思います……」
王の視線がエドモンド王子にいっている間、ずっと目を見開いていた結果。
涙が零れた。
これで十分なはず……。
「……うむ。無理を言って悪かった」
王宮に暮らすということは、巫女姫の役目から逃れられない。この国の運命を占い導く存在であるはずだった。もう役目は終わらせたい。
「アリシア、無理を言っているのは、承知の上です。もう少しだけ、ここにいて。お願いよ」
目の前に来て、俯いている私の手を握りしめ、涙を流しているのは王妃も同じことだった。
「王妃様、立ってください。そんな風に王妃様が跪いていいはずがありません」
「いいえ、ここは公の場ではありません。息子が招いたことに母として謝るのは当たり前のことです」
そこまでされて、NOと言えるはずはなく。
「……わかりました」
やっとで絞り出した声がお二人にとってどう映ったのかわからないが、顔がにこやかな顔に変貌した。
婚約破棄、それがどんなに難しいものなのかを身をもって体験をした。
家同士の結婚とも言われている。偽装結婚をしてお互いに恋人を持つ。そんな仮面夫婦もいる。
今日中に家に帰れるはずだった。
御者を待たせてある。馬車に飛び乗ってしまいたいのを堪えながら、王宮内の自室へ向かう。
エドモンド王子は、まだ図書室の中、王と王妃に怒られていることだろう。
そこでお二人に諭されないといいのだけど。
迂闊だった。
王子が初歩的な魔法にかかっている事実を教えてしまった。
それがどのように働くのかわからないまま、次の日を迎えた。