22. 秘密の名前
出立の挨拶をするために母のいる部屋をノックした。
「おはようございます。母上、出立をしたいと思い、ご挨拶に参りました」
「……アリシア? その恰好で行くの?」
髪はひとつに無造作に束ねてある。灰色のマントに同色のパンツ、ブーツを揃えていた。
軽めの剣を腰に下げている。
「危険な旅のため」
「待ちなさい! 危険を承知で行くの?」
「ここにいても同じ危険を味わいます。それよりも自分の魔法を思い切り使えるところだと遠慮はいらないかと」
私の腕を母の手がしっかりと握っている。その手が小刻みに震えていることから、動揺が伝わってくる。
「お兄様と合流できれば、かなり安全だと思います」
兄と顔がそっくりだと言われていた。
背は足りないかもしれないが、勘違いしてくれたら危険をスルーすることができる。
副騎士団長を務めていたが、引退を宣言して田舎の方に引きこもってしまっていた。彼の熱しやすく冷めやすい性格が災いをなし、次々にお相手の女性を変えた結果だった。
紋章付きの馬車はわざと選択しなかった。
地味でどこの家紋なのかもわからない少し小さめの馬車を調達してもらって出発をする手はずになっている。
巫女姫の地位を降りた。
この情報が出回らないうちに早めに動いた方がいい。
しかし、どのような形で利用されるかわからない。
これで襲われてしまっては、目的地までたどり着けない。
小さなカドレナの街で落ち合うことになっている。
日暮れまでにたどり着ければ、そんなに危険な旅でもないだろう。
「ごめんなさいね。ずっとひとりにさせてしまって。顔をもう一度見せて頂戴。あなたにフラメルのご加護を」
フラメル家は、普通の庶民の出だ。母の曽祖父であるニコラ・フラメルが錬金術で成功を成し遂げた。その技術は、フラメル家の最大の秘密のひとつになっていた。しかし、貴族へと成り上がり、フラメルの名前を捨て、シドニーの苗字になったはずなのに誇らしげに母は昔の苗字を使いたがる。
まるで庶民の方が自由でよかったとでもいうようだ。
父は伯爵家の跡継ぎだったために子爵家の令嬢を娶るのに周りから反対を受けていた。
それをイエスにしたのは、ひとえにフラメル家の秘密も相続できるとわかったからだ。
裏の苗字のフラメルの名前を聞いたとき、アシュリー伯爵の顔色が変わったという。
美しい子爵家の娘と伯爵家の息子の恋物語は、ひとつの物語になるほどに有名になったが、裏事情までは誰も知らなかった。
それが父と母のなれそめだ。
「母上にもご加護を。でもその苗字はもう使わない方がいいと思いますよ」
「秘密の名前を話せる相手は限られているわ。アリシア、貴女だから話したのよ」
きっとお兄様がここにいたら、イーサン、貴方だから話したのになるだろう。
兄と比べられて育った。優秀な兄は自慢だった。
そのうちに道楽が好きな息子に育ってしまうのだけど。
「お元気で」
マントを翻すようにして、母に背を向ける。元気なところをアピールしたつもりだったが、余計な心配をかけたかもしれない。
大きな街道から外れないようにして、少しずつ少しずつミクロフィアの土地に近づいていく。
行程的には四日間の旅になるが、もういけないと思って一度は諦めてしまった。
でも行けるとわかってから、どれだけ待ち望んでいたかきっと誰にもわからない。
あの土地で過ごした時間は、自由でゆっくりとしていて本当に自分らしく生きれた。




