2. 心の中の薔薇
「なぜまだここにいるのだ!」
「まあ、王子どうなさったの? それにレディの部屋にノックもなしに踏み込むなんて殿方のすることではありませんわ」
制服から私服のドレスに着替えていた。黄色の淡い色のドレス、フリルがついている。
エドモンドを待っていた訳ではない。
荷物は、鞄ひとつ。
昨日のうちに荷物は伯爵領に送っておいた。
その様子を誰かが進言してしまったのか、部屋を見渡すと私の視線を避けるようにして、そっぽを向く侍女が二人。彼女たちの仕業であることは間違いない。
学校から帰ると同時に留まるように言われた。
留まるという言葉を使うということは、私が出ていく意思があることを知っているということである。
学校の事が広まっている?
それにしては、早すぎる。
「図書室に二人揃って来るようにとのことです。陛下と王妃様がお待ちです」
エドモンドの顔が引きつりまくっている。
そうでしょうね。私に非はないのだから、ただでっち上げもいいところである。
普通に婚約破棄できるのならば、私もさっさと王宮を後にしたかった。
王子の背後に隠れるようにして、目立たないように歩いて行く。
王子様、巫女姫様の呼び声が所々から聞こえる。
あとそうだった。王子の方にも仕上げを施さないといけなかった。
「エドモンド王子様、昼間の女性ですが、婚約破棄した後に婚約なさる予定ですわよね?」
「その予定だ」
「少しお待ちになった方がよくてよ」
「どういう意味だ?」
「あれだけかわいいのだから、他の男性からも言い寄られているのではなくて? 真実を確かめてから婚約された方がいいかもしれませんわね?」
仕上げは、私が王都を離れたところで行う。
誰かに彼女に話しかけるように言うだけでいい。
言葉は魔法だ。言葉に出すと真実味を帯びる。
忘れていたはずの言葉がどこかで思い出されて芽吹いていく。
本当に信頼し合っている二人なら、こんなことで揺らがないはずである。
小さな意地悪を彼は許してくれるだろうか。
二年間、流されるままに震えていた娘は、もうここにはいない。
ごめんなさい。
もうあなたの好む女性を演じることはできない。
ここで終わりにしましょう。
二年前、東屋のテーブルと椅子に座っていた。
体は冷え切っているのに足が動かない。
ここは何の雑音も聞こえてこない。
ただ風が木々の葉っぱを揺らし、その音が聞こえてくるだけだ。
湖に浮かんでいる東屋にひとりいると、ぽつんと船が浮かんでいるように不安定な場所にいるような気分になる。
「どうしたの?」
通りかかったエドモンドが首をかしげる。
「空気がいい場所にいたかったの」
彼の手が私の腕に一度触れて、離れて、もう一度ゆっくりと触れる。
遠慮がちにどう触れていいのかわからないとでもいうように彼の手には迷いがある。
「こんな場所にいたら、凍えてしまうよ」
侍女二人を振り切って走ってきた。
エドモンド王子の手も冷えていて、ずっと探し回っていたのだろうということが伝わってきた。
「……ありがとう」
「いいんだよ。辛かったら僕のところに来るといい」
寒いはずなのにどんどん顔に熱を帯びていく彼を見ていた。
私の心の中にも彼の熱が移ってきたみたいに熱くなったのを覚えている。
あの時、心の中で芽吹いた小さな蕾は、花咲くことはなく、今日枯れてしまった。
胸の痛みは、枯れてしまった花の棘である。
その棘が刺さっているから、痛いのであって、彼の心が得られなかったせいではない。
スカートのフリルを握りしめる。