第九話 おっぱい星人、死地に吼える
草原、荒野と抜け裾野に足を踏み入れたころには、周囲はまるで局所的な嵐のようになっていた。
ヒヒヒ……と笑うような声を上げて飛び回っているのは全裸の少女たち。周囲の木々は根元から吹き飛ばされ何度も地面に叩きつけられたのだろう。まるで山崩れでもあったかのような有様だった。
「これは思ったより状況が悪いですね」
岩陰から窺っていたデボネアがつげる。彼女はすでに広範囲に〈認知阻害〉を展開しているが、ここが相手に気づかれずに近づける限界距離のようだった。
〈房珠〉を授かったものは自らの在り方を貫こうとするのと同じくらい、自らを脅かそうとするものを排除したがる。一度仕掛ければ決着がつくまで戦闘が止むことはない。可能な限り効率的な一撃で先制したいところだ。
ふむ、と思案顔をしたプニルが手早く指示を出す。
「〈拡散雷網〉で先手を取りますわ」
「御意なのです。発動に合わせて対吹き上げ防御に入りますです」
「なんとなく名前で予想がつきますけど〈拡散雷網〉というのは?」
「プニル様の切り札の一つです。発動に時間がかかりますが広域に電撃を放てる対多数特化の魔法です」
「なるほど、まず数を削らないと話にならないですしね」
「いきますわよ」
意志の共有ができたと見るや、プニルは〈鞘〉を脱ぎ払い、複雑な〈詠衝〉を開始した。
降って湧いた至近距離〈詠衝〉である。ありがとうございます。
複雑に緩急をつけて形を変える小ぶりながらもハリのある〈房珠〉と〈魔頭〉の動きを、俺は乳揺れの動きを鮮明に脳裏に焼き付けるおっぱい星人奥義〈追陽炎〉で心のメモリーに大量保存する。
「バスティア……なんて集中力」
「味方とはいえ至近距離で魔法が使われたらこれほど緊張するとは。さすがはバスティアというところか」
「どんな過酷な修羅場を得てきたのか想像もできないです」
「すでに彼の中では戦闘は始まっているのだ。私たちも引き締めていくぞ」
何か聞こえるけど知らん知らん。
長い〈詠衝〉の仕上げとばかりにプニルは自らの〈魔頭〉をひねり上げた。そして一気に岩から飛び出すと、一塊の暴風娘たちに向けた〈魔頭〉を解放した。
「はあっ!」
短い呼気とともに〈房珠〉の内部で練り上げられていた高密度な魔力が〈呪紋〉を通って電撃に変換され、一気に開かれた蛇口から迸るかのように〈魔頭〉から広がっていく。
同時にミルヒアは迂回するように敵との中間距離に移動、〈認知阻害〉を解除したデボネアは射線が通る位置に移動しつつ〈移動速度低下〉の〈詠衝〉に入っている。俺はバリエラとともに皆の中間点に移動する。
「ヒヒヒィ!」
無数の雷条がシルフたちを穿ち、そのまま消滅させた。長い〈詠衝〉を伴うだけあって素晴らしい威力だ。それでも散弾銃で虫の群れを落とすようなものだ。うち漏らした大多数がプニルに殺到する。
しかし、足元から巻きあがった風はプニルのミニスカートを舞い上げただけだった。すでに〈体重増加〉が発動している。
「ちょっと! バスティアなにを見てるんですか! すけべ!」
あっそれは見てはいけないやつなんですねっ!? ちくしょういまだにこの世界の恥じらいラインがよくわからない。
しかしさすがにプニルたち3人のコンビネーションは年季が入っていた。敵の攻撃が途切れたと見るやバリエラはプニルの〈体重増加〉を解除、同時に〈加速移動〉でポジションをとったプニルがデボネアの〈移動速度低下〉で足止めされたシルフを一条の雷条で貫通して倒す。
そしてデボネアたちに流れてくるシルフの一団はミルヒアが万全の迎撃態勢で打ち落とす。
所詮意思のないつむじ風の化身だ。数は多くても北風と太陽の逸話のように無駄な攻撃しか繰り返せない。
はずだったのである。
「あうっ!?」
軽快に暴風の間を跳ねていたプニルが空中で撃ち抜かれたように弾かれた。
「……!」
咄嗟に俺だけ反応できたのはぶっちゃけ暇だったからだ。一番よく跳ねまわるプニルの美乳に集中していたから初動が間に合った。
ドドドド
転がったプニルを〈虎伏〉で抱え上げ〈点睛〉で横に飛ぶ。さっきまでいた場所に吹き上げられた瓦礫が正確に吹き注いだ。
降り注ぐ瓦礫、瓦礫、瓦礫。
これは避け切れない!? と思った瞬間、頭上に光の天蓋が現れた。
ドドドドドドドドド
バリエラの〈物理城壁〉だ。悪夢のような石の雨を世界の法則を無視してはじき返してくれている。
その隙に俺は腕の中にいるプニルに呼びかけた。
「プニル!?」
「しくじりましたわ……!」
プニルの目の周りには、細かい木片が突き刺さっていた。完全に視界を潰されている!
まさか……?
舞い上げた木片を横合いから叩きつける。一度持ち上げた瓦礫を狙って上から吹き落とす。
このようなこと、ただの自然現象が起こさない。
明確に悪意を持って、こちらを仕留めようと策を練っている……!
「こいつら、すでに魔族化してるぞ!」
俺が叫ぶのと同時に足元が浮かび上がった。こっちが〈障壁〉と〈体重増加〉を同時に展開できないことまで読まれてるのか!
「バスティア! どっちに!?」
「! 右だ!」
目が見えないプニルが俺の指示に合わせて魔法で空を蹴る。俺は空中で身をよじって己の身をクッション代わりにして地面を転がった。
至近距離からの落下とはいえ勢いがついた転落のようなものだ。痛みを感じるより前に衝撃で息が詰まる。
ああ、ミルヒアたちが何か叫んでいるのに風の音にかき消されてなにも聞こえない。
すでにこちらは仕留めたと思っているのだろう。敵の大部分がミルヒアたちに向かっていたのである。
壊滅の危機だった。いろいろなものが現実性を手放していく。
そして、そんな状態なのに、腕の中のプニルの声だけははっきり聞こえた。
「バスティア……逃げなさい」
「……プニル?」
「私の作戦ミスですわ。全方位に雷撃を放って敵の気を引きますから、その隙に皆を連れてお逃げなさい」
「まだ魔法が撃てるならやれることがあるだろう!?」
「ダメですの!」
プニルが右手を持ち上げた。
手首が向いてはいけない方向に曲がっている。
「これでは強い魔法は〈詠衝〉できませんの。手遅れになる前に決断しなさい!」
いっそ悲鳴だった。
しかしおかげで現実感が戻ってきた。そうだこれは現実なのだ。
まったく。
このプニルという女はストイックに見えて見切りが早すぎる。
だから、俺はこの見切りたがりに教えてやらねばならない。
「いいや。やれることならあるさ」
目の前におっぱいがあるのに諦める? そんなことはありえない。
なぜなら俺はおっぱい星人。
命を賭けて乳を揉むためここに来た男だ。
「プニル、俺の言うタイミングに合わせて魔力を練り上げろ」
「!? なにを!?」
「二人で倒すぞ。あいつら全員」
俺はそういうとプニルの返答を待たずに、プニルの背後に回りこんだ。
そして、両の手で〈房珠〉をわし掴みにする。そのまま猛然とプニルの〈房珠〉を揉み始める。
「……! この動きは…‥いえ。〈詠衝〉は!」
さすが歴戦の冒険者だ。それ以上余計なことは言わずに俺に〈房珠〉を預け、素直に魔力を練り上げ始めるプニル。
脳裏に克明に浮かび上がる〈追陽炎〉の記憶。乳揺れの記憶。俺はただそれを忠実に再現すればいい。悠長に時間をかけている暇はないから速度は倍以上だ。それでも手のひらから伝わる魔力の感触が正常に魔法を練り上げているのがわかる。仕上げに狙いをつけて〈魔頭〉をひねり上げて叫ぶ!
「いまだ! ぶちかませ!」
〈拡散雷網〉!
カッ
練り上げられた魔力は〈詠衝〉に充実に雷の渦を生み出し、今まさに左右から瓦礫と吹き上げを放とうと連携してきた二体を弾き飛ばした。
「〈代理詠衝〉……! こんなの聞いたことありませんわ……」
かつてデボネアの〈足絡み〉にノイズを送り込むことはできたのだ。俺の手は〈詠衝〉そのものに干渉ができる。ならば〈妨害〉ではなく正規の〈詠唱〉を再現してやれば?
〈詠衝〉どおりの魔法が発動するのが自明の理である。
勝算があった賭けとはいえ、咄嗟の無茶な思い付きがよく成功したものだ。手のひらにある〈房珠〉に感謝とねぎらいの念を送る。それに呼応するかのように、両の手から伝わる〈房珠〉の熱が訴えかけてくる。このおっぱいが行ける世界はこんなものではないと。自分はまだまだ戦えると。今間違いなく俺の両手とプニルの〈房珠〉はひとつになっていた。心地よい一体感に酔いそうになりながら、プニルに語りかける。
「まだまだいけるだろう?」
俺の挑発的な問いに、いまだ血で顔を濡らしたプニルが不敵に答える。
「バスティア、手が止まっていましてよ。こちらはすでに準備できていますわ!」
「さすがだ。今度はさらに早く動かすぞ!」
俺たちの反撃が始まった。
〈拡散雷網〉! 〈拡散雷網〉!
〈拡散雷網〉! 〈拡散雷網〉! 〈拡散雷網〉!
〈詠衝〉を繰り返すほどにその動きは滑らかになっていった。そしてシルフに理性が目覚めていたのが逆にシルフたちの明暗を分けた。
先ほどの攻撃は連射できるものではあるまい……雷撃!
発動の間隔は見切った。このタイミングで襲い掛かれば……雷撃!
予想より早く次弾がきた、ならばもっと早く詰め……雷撃!
いっそ向こうが合わせてくれているかのように綺麗にカウンターが決まっていく。
ようやく怒りと打算を天秤にかけたシルフたちが撤退を考え始めたころには
「いやぁぁぁぁっ!」
ズドム
残ったシルフたちもミルヒアたちにほとんど殲滅させられていたのだった。
それを見届けて俺は大の字に倒れ込んだ。今になって全身の痛みがまとめて脳に押し寄せてきた。限界であった。なぜかプニルに一緒に倒れてきた。とすん、と頭を預けてくる。すでに顔の傷は〈房珠〉の『プニルを在らせようとする力』によって自然治癒が始まっていた。つくづく〈房珠〉持ちはずるい。
「なんでお前まで倒れてくるんだ」
「ごめんなさい、まだ目が見えなくてよろけてしまいましたの」
うそをつけ、もう見えてるだろう。と視線で訴えかける。プニルは静かに微笑み返してくる。やっぱり見えてるじゃねえか、と口を開こうと思ったが、今度こそ体も意識も限界だった。
薄くなる視界の外で、なにやってるんですかーというミルヒアの叫び声が聞こえた気がした。