第五十九話 おっぱい星人、盛り神の前に立つ
前もって話を聞いていた俺たちですら馬上で呆然とする羽目になった。
「なんだあれは……」
エルブレストの外壁を視認できる距離から、すでにその異様な光景はこちらに伝わってきていた。
街の真ん中に小高い双子山ができているのがわかる、いやそれは聞いていた通りだ。
だが、恐るべきはその肉肉しいハリとつやのある質感。あれはまさしく本物の……
「街に、〈房珠〉が生えています……」
ミルヒアがうめいた。町全体に異様な魔力を感じる。
あれでは時が満ちれば、エルブレストは〈房珠〉の在り方に飲まれて女体化してしまう。
横たわっても天を衝く二つの〈房珠〉にはそれだけの力を内に孕んでいた。
いや、すでに町全体の異常はこの距離からも見て取れた。
決して低くない城壁の中で、明らかにスケールがおかしい何かが蠢いている。
建物が、街路樹が、城壁の一部が。
盛り芸樹の手によって魔物と化していた。
ぎり、と奥歯をかみしめる。
この街は俺にとってすでに第二の故郷になっていた。
盛り芸樹……これがお前の望んだ景色なのかよ。
「……行きますわよ」
時刻はすでに夕方だ。このままだと夜に差し掛かるが、双子の安全のためにもこれ以上時間はかけられない。
あまり近くまで寄せては馬が馬頭鬼かケンタウロスにでもされてしまう。適当なところで降りて俺たちはプニルの号令で街に向かって駆けだした。
* * *
街に近づいて真っ先に反応してきたのは城壁が変じてできたゴーレムだった。増幅されているのは外敵からの侵入を阻む在り方といったところか。四肢の先端を石の小手でで覆った肉感的な全裸の巨女はなんというか、スケールと目線的にとてもまずいシロモノだった。
「バスティアは見ないでくださいっ!」
鈍重なゴーレムの攻撃をかいくぐり、ミルヒアの増幅された〈踏み込み〉からの飛び蹴りがゴーレムの腹部に突き刺さる。人間として出してはいけない突破力を受けてゴーレムはやはり大変にまずい倒れ方をした。
なるべく下半身側から近づかないようにしてゴーレムを《矯正》する。すぐに無数の石材に戻るが、崩れた石材にはまた新たな〈房珠〉が生え魔力が流れ込み、新たな石小人に変容しようとしている。
「きりがない! 突破するぞ!」
このままだと無限の消耗戦を強いられるだけだ。
「プニル! 二人はどこにいる!」
「裏庭の別邸に籠っているはずですわ!」
「あそこか! まっすぐ向かうぞ!」
目抜き通りを全力で突っ走る。侵入者を排除する在り方を増幅された扉の魔物、道を隔てる特性を増幅された柵の魔物、地面から栄養を吸い上げる特性を増幅された街路樹の魔物……あれはドリアードといったか……などがそれぞれ衝突した特性同士で争っている。
「まるでおとぎ話の地獄のようですわ」
〈高速移動〉で魔物たちの間をすり抜けたプニルが苦々しげに吐き捨てる。
俺たちが倒したものだけではなく、互いに破壊し合ったゴーレムの資材がまた新たなゴーレムとして魔物化していく。もしかしたらその言葉は正鵠を射ているのかもしれない。この光景を作っているのは未練で死ぬに死にきれなかった亡者なのだから。
「全部倒さなくていいのは多少は救いですが……気分のいいものではありませんね」
ここに来るまでに、激戦の痕跡と血の跡を何度も見かけている。視界にあふれるおっぱいバトルを見てもテンションが上がらないのはそのせいだ。おそらく力を得て街を荒らさんと立ち上がった暴徒たちは、魔物と化した街そのものに排除されたのだ。一時の力の夢を見た代償としては、あまりにも惨い最期だった。
そうなると、この状況は双子には完全に分が悪い。対人においては最強ともいえる双子の洗脳魔法であるが、無限に再生するゴーレム相手ではどこまで通用するか怪しいものだ。
あの砦のような別邸なら仮に〈房珠〉を盛られて魔物化しても双子に害は与えないだろうが、街からの独力の脱出は不可能になっているだろう。
大通りの分岐点に来たときには、太陽はすでに沈んでいた。代わりに月が東の空から顔を出している。
目の前で地面から起き上がる石畳娘を適当に蹴散らした俺たちは選択を迫られていた。
このまま左に勧めば、マンチェスター邸のある高級住宅地だ。豪族たちの館の防御システムが魔物化していれば、今までよりも剣呑な障害となって立ちふさがるに違いない。だが、ここから先は基礎魔法がなく〈暗視〉が使えない俺は乱戦では足手まといになる。
そして、右手には盛り芸術が盛った双子山がある。
盛り芸術は間違いなくこの山の頂にいる。奴を止めなければ、この街の異常事態は終わらない。
「この山の上に、モリアーティがいるのですね?」
「ああ」
ミルヒアが俺に確認を取る。ああ、俺にはわかる。山の頂から、尋常ならざる、それでいてどこか懐かしい気配を感じるのだ。
「二手に分かれましょう」
俺の答えを聞くや否や、誰よりも早く、ミルヒアがそう言った。
「バスティアは、モリアーティのほうに向かってください」
「私たちは、お姉さまたちの援軍に行きますわ。街を取り戻すのは私たちの役目ですもの」
皆が頷く。俺も頷いた。もはや余計な言葉を交わさずとも、それが最善であると皆が理解していた。
「ばすちー」
「ああ」
奏鳴が差し出してくれた〈房珠〉をヒヒイロカネグローブで揉む。
奏鳴の〈高速飛行〉が俺の手に宿る。
「みんな、行ってくる」
「絶対に勝って戻ってきてください」
「ああ、みんなのおっぱいを揉みに、俺は必ず勝って戻る」
理由があって揉む〈房珠〉ではない。
ただ揉みたいと思うほど愛しい相手のおっぱいを揉みに戻る。
最大級の未練を抱えて、俺は夜のエルブレストの空に飛びあがった。
この未練がきっと俺をもう一度皆の元に導いてくれると信じて。
* * *
奴は、二子山の片方の〈前頭〉の上に腰掛けて、空を見ていた。
輝く満月が少しずつ天頂に近づいている。
俺は無言でその山の頂に降りた。
奴との間には、交わさねばならない言葉があった。
「遅かったね。だいぶ待ったよ」
かつて、ファミレスで待ち合わせたときのような気楽さで、盛り芸術はゆっくりと振り返った。
「だが、いい夜だ。最高のタイミングだったよ。久しぶりだねおっぱい星人」
「盛り芸術……お前……その姿……」
俺の記憶の中の盛り芸術は、卒業の時別れたままの、髪を坊ちゃん狩りにした眼鏡の小柄な男子高生だった。
今俺の目の前に立っているのは、身長こそ小柄のまま変わらないものの、長い黒髪を持つ眼鏡の女子高生だ。その胸には確かな〈房珠〉が宿っている。
「盛った……のか……自分に〈房珠〉を!」
「まさか普通の体のまま千年生きられると思ってないだろう?」
そうだ、ただの人の身で千年を生きられるはずはない。砂霧たちの話を総合すれば盛り芸術がすでに人間を捨てていることが想定できていたはずだ。
しかし……
なんという……なんといういい仕事を……!
「あらゆるものに〈房珠〉を盛った僕はふと思ったんだ。今なら完璧な乳を盛れるんじゃないかってね」
盛り芸術は自らの胸を見下ろす。
「そして完璧な〈房珠〉を得た僕の在り方は、乳を盛る概念と一体化した」
巨大な〈魔頭〉からふわりと降り立つ。こいつ黒いセーラー服まで自前で用意したのか……
「今や僕自身が、乳を盛るという概念なのさ」
そう宣言する盛り芸術はもはや文字通り神と呼ぶべき異質の気配を放っていた。
「そういえば乳憎むもの撃破おめでとう。彼女なかなか面白かったろう?」
ついでの世間話のように盛り芸術はその名を口にした。
「乳がないことを嘆くあまり、すべての乳を呪うと決めたおかしな女さ。あまりに哀れだから僕が〈房珠〉を盛ってやろうとしても断固として断るもんだから、興味がわいて好きにやらせてみたけど結局口だけだったね」
「彼女をバカにするな」
彼女の生きざまとは決して相容れない。だが彼女の無乳と散りざまををバカにするのはおっぱい星人として看過はできない。
盛り芸術が意外そうな顔をした
「おっぱい星人の口からそんな言葉を聞くなんてね。キミおっぱい以外のことはどうでもいい主義じゃなかったのかい?」
しかしそれも一瞬のことだ。
「まあどうでもいいことさ。彼女が失敗した以上は、僕は僕のやり方でこの世界をリセットさせてもらう」
「なんでこの世界を滅ぼそうとする!」
そうだ、その真意を俺は聞きにここまで来たんだ。
「そうだね、僕もキミにはそれを知ってほしくて、ここで待っていた」
〈魔頭〉にとんと背をつけ、盛り芸術は語りだす。
「だれもが本来あるべき魅力を存分に振るい、あるいは誰もが望むべき自分であることを叶えてくれる、そんなおっぱいを盛る力が僕は欲しかった」
盛り芸術は目をつぶる。その表情からうかがえるのは、彼……彼女が本心からの言葉を吐いているということだけだ。
「そうして得たのがこの〈房珠〉を盛る力さ。この力は僕の乾きを癒してくれるはずだった」
盛り芸術は顔をあげた。その目は悲しみに染まっていた。
「だが、この街を見てみてくれ。男たちは力持つ〈房珠〉を得た途端今までの恨みを晴らすべく暴動を起こした。そんな奴らも同じく力を得た魔物の前にはひとたまりもなかった」
悲しみの光の中に、絶望が、そして狂気が混じっていく。
「虚しいよ。盛られた後の世界には、何の価値もない。だから。僕はまた新しいまっさらな世界で乳を盛る」
そして、盛り芸術はとんでもないことを口にした。
「そこで、僕はこの地球に乳を盛ることにした」
「なん……て?」
「この地球に〈房珠〉を盛り、この星をまるごと在り方から作り替える。この世界は僕に無限に乳を盛られ続ける楽園になるのさ」
なんでもないことのように、盛り芸術は説明を始めた。冷静さを失っている様子は全く感じられない。
「だが、星ひとつに乳を盛るとなると、手持ちの盛り芸術秘具を総動員させても質量が足りない。さすがの僕でも素材なしには乳を盛ることはできないからな……そこで」
盛り芸術は天を指さした。
そこにあるのは、煌々と輝く巨大な満月……!
「あの月、半分に割って盛り付ければ、この惑星のちょうどいいおっぱいになると思わないか?」
……
「盛り芸術! お前狂ってるぞ!」
「おっぱい星人に言われたくはないな!」
それは、親友であり同志だった俺たちが初めてお互いを否定した言葉だった。