第五十八話 おっぱい星人、決意する
「プニル! このままでは馬が潰れます! 速度を落としてください!」
「回復魔法で無理は利かせられませんの!?」
「限度がありますっ!」
「チィッ!」
プニルは派手に舌打ちをして馬の速度を緩めた。それでも十分に速いが。
乳憎むものの最期の言葉を受けた俺たちは、全速でエルブレストへの帰還を開始した。
ギルドに頼み予算度外視で足の速い馬を確保する。
不思議と誰も乳憎むものの言葉を疑おうとはしなかった。他ならぬ俺自身が乳憎むものの言葉を信じていたからかもしれない。
エルブレストが最悪の危機に見舞われているのだ。
俺はミルヒアの後ろに乗っていた。役目は手綱に集中するミルヒアに代わって〈房珠〉から〈体力回復〉を〈代理詠衝〉することだ。
驚くべきことに、乳憎むものの話を聞いても、ミルヒアたちは俺が〈代理詠衝〉することに難色を示さなかった。むしろ、逆に俺が〈代理詠衝〉を申し出たときにミルヒアが皆に誇らしげな顔をしたような気がするのだが、きっとそれは自意識過剰の見間違えだと思う。そのあと奏鳴が爪ですっごい蹴ってきた。痛かった。
ちなみに、プニルの後ろに氷毬、デボネアの後ろに灼狩、バリエラの後ろに砂霧が乗っている。俺だけでなく聖獣たちも馬には乗り慣れていないからどうしても二人乗り態勢になってしまう。荷重で馬に無理をさせている分を魔法で補うと進軍効率はとんとんだ。ちなみに奏鳴は偵察も兼ねて自前の飛行魔法で空を飛んでついてきている。
「みんなー、前方にうちらの馬車見えてきたよっ!」
食料を満載した馬車を随時先行させておいたのが役にたった。追いつくたびにそこで補給をする。事情を話すと護衛の冒険者たちも半信半疑ながら可能な限り旅程を速めてくれることを約束してくれた。
* * *
補給ついでに野営を取る。焦る気持ちはあるが長丁場だ。皆言葉数少なく野営の支度をする。
「ばすちー、奏鳴が先行して街を見てこようか?」
焦る俺たちに奏鳴が告げる。
「いや、相手は乳憎むものの上位互換だと思ってくれていい。何が起こるかわからないから危険だ」
奏鳴は黙って引き下がった。
俺が奏鳴の〈高速飛行〉を借り、さらにもう一人運んで、という計画もなくはなかったが、少数が疲弊した状態で先着しても戦力の逐次投入になってしまう可能性が高い。
結局は奇手を弄するより一秒でも早く歩を進めるしかないということになったのだ。
ただ、歯がゆい。
「パンプローヌさんたち、うまくやってるでしょうか」
ミルヒアが場の空気を変えようとするかのように話を切り出す。ちなみに俺はさっきからミルヒアにぬいぐるみよろしく抱えられている。拒否権はないし行使する気もないのでされるがままだ。
結局ブラーレス商会絡みのあれこれの後処理はパンプローヌ達に丸投げしてきた。テロリストに加担していたこの上ない証拠も挙がったうえ、モンタリウェとルカートの奪還も成功したのだから、彼女の任務としては最大級の戦果ともいえる。ちなみに二人の歪みは矯正してきてはあるが、両名共に完全に意識がなかったわけではないようだ。項垂れてパンプローヌに従っていた。
ただ、聖都に属するものとして盛り芸術絡みのこちらの件には関与させられない。これは流通の調査を命じられたセプト老も同様で、彼らも急いで王の元へ報告に戻っていった。
「少なくともドンはもうおしまいでしょうね」
バリエラが黙っているのでデボネアが言いにくいことをスパッと言った。実際大墓院騎士に現行犯であげられたのだから、それは間違いないだろう。
「商会の面々は……おそらくは他の商会に吸収されていくのではないでしょうか」
ちらりとバリエラの方を窺いながら、デボネアそう締めた。バリエラはまだ黙っていた。ティッツボムのことを考えているのだろう。
ミルヒアが無言で俺をぬいぐるみのようにバリエラに差し出した。バリエラは無言で俺を抱きしめる。レンタル抱き枕か俺。いいけど。役得だけど。
「みんな早く寝たらどうですの。明日も早いですわよ」
プニルがせかすようにそう言う。皆だまってその言葉に従い寝床に入った。
* * *
そろそろ東の霊峰近くの集落かというとき、上空の奏鳴が異常を伝えてきた。
「来た時に通った村が、なんかでっかくなってる!」
「でっかく!?」
「なんかめっちゃ人がいっぱいいる!」
奏鳴の言葉からはすべてがわからなかったので、俺自身が奏鳴の魔法を借りて上空から偵察する。
理解した。
「みんな! 東の集落が街からの避難民の野営地になってる!」
俺は見たものを皆に伝えた。
集落にはかなりの数の避難民が収容されていた。
仮設の天幕が無数に建てられている。俺たちが先行させた食料品の馬車はここで停止していたらしく、心得た行政官やギルド関係者たちの手によって避難民に分配されていたようだ。
そんな中、事情が聞けそうな知り合いを手分けして探していると、背後から声をかけられた。
「師匠……!」
振り返ると、避難民の一角にいた短髪の少女が駆け寄って来た。こんな子に見覚えはない。
だが……この短髪と師匠という呼び名には、心当たりがあった。
恐る恐る、尋ねる。
「お前……まさか、リコルか!?」
「はい、僕はリコルです」
俺は絶句した。
リコルは変わり果てた姿になっていた。
「リコル……お前、その体……」
「はい……僕は女の子になってしまいました」
泣き笑いのような顔で答えるリコル。
リコルの胸には確かに力持つ〈房珠〉の控えめなふくらみが存在していた。
おのれ……おのれ盛り芸術。
俺の弟子によくもこんなよくわかっている〈房珠〉を盛ってくれたな……ッ!
「師匠、僕、こんな体になっても、力に飲まれずに師匠の教え通り、ミアたちを守ったよ……」
「リコル……よくやった。お前は俺よりよっぽど大したやつだ」
心からそう思った。近くにいてやれなくて済まない、という言葉は飲み込んだ。
それは自分の力でやるべきことを成し遂げた戦士にかける言葉ではない。
だから別の言葉をかける。
「お前は俺の誇りだ」
「ししょぉ……嫌われるかと思ったよぉ……」
「そんなわけないだろう」
抱き着いてきたリコルの頭を撫でてやる。
しかし、そうするとこの避難民たちは……
「よう若いの。ご活躍らしいじゃないか」
俺に語り掛けてきた銀髪の貴婦人……ややたれめだけど〈房珠〉でかいな……まさかこの人も……
「バンドル店主!?」
「ああ」
顔と性別は違っても苦笑する表情の作り方は同じだ。〈鞘〉屋のバンドル店主に間違いなかった。
「見ての通りだ。街にいた男たちはみんな〈房珠〉を生やされ女にされちまった」
「数日前、急に町中の男に〈房珠〉が生え始めたんです。それで……力を得た元男の人たちが反乱を起こしました」
聞き覚えるある声が混ざる。ああ、この声は記憶の中にある声そのままだ。
「タチアナさん、ご無事でしたか」
「ええ、おかげさまで」
大変なときに街にいられなかった俺が何のおかげさまなのかしらないが、ギルド受付のタチアナさんも無事街を脱出できたようだ。
すると、タチアナさんは俺の考えを読んだかのようにこう言った。
「ここにいる人たちが助かったのは、ある意味バスティアさんのおかげなんですよ」
「だな。間違いない」
バンドル店主も頷いた。
「〈房珠〉が生えた途端反乱を起こしたのは、主に労働者や農夫などの、あまり身分の高くない人たちです。でも、バスティアさん症候群のおかげで地位が改善していた男性たちは混乱の中でも比較的理性的に行動してくれました」
「衛視隊や冒険者の混乱が少なかったのがでかい。おかげでかなりの住民が街から脱出できた」
「そうだったのか……」
巡り巡って奇妙な人の縁を感じる。
「お姉様は……お姉様たちはどうなりましたの!?」
俺たちの姿を確認したプニルが寄ってきてタチアナさんに詰め寄る。タチアナさんは申し訳なさそうに俯いた。
「領主様たちはまだ街に残っています。可能な限り暴走した人たちを制御して街を守ってみせるって」
「お姉様たち……」
プニルがぎゅっと目を閉じる。
「すまないが、街で何があったのか知っている範囲で教えてくれないか」
「避難する寸前までしかわからないが、それでいいなら」
バンドル店主の言葉にうなずく。
「数日前、エルブレストに大きな地震が起こったんだ。それで慌てて表に出ると、街の中に巨大な山が二つ生まれていた。双子山だった」
盛り芸術……盛りやがったな……
「その山の突端が光ったかと思ったら、その光を浴びた男たちに次々と〈房珠〉が生え、女に変っていったのです」
「俺もこのざまだ」
「そうこうしてるうちに、街のあちこちで暴徒が暴れ始めたんです。魔法を使って」
「それだけじゃない、街中に魔物まで湧き出して大騒ぎだ」
「比較的荒事慣れしてる私たちはある程度対応できましたが、町全体の被害はとても把握しきれません」
「お前さんとこのちびたちが無事なのは、お前さんのとこに弟子入り志願しに行ってた連中の手引きもあったようだぞ」
「そんなことがあったのか……」
近しい人たちが助かったのは、縁と偶然の絡まった奇跡のようなものだったんだな。
「ひとまず皆が助かってよかった」
俺は「無事でよかった」という言葉をかろうじて飲み込んだ。
* * *
「みんな聞いた話は大体同じみたいなのです」
集落のあちこちに散って情報収集していた皆が持ち寄った情報も大体同じだった。
「街は暴徒に飲まれ、その暴徒たちすら今は魔物でどうなっているかわかりません」
デボネアが冷静に言った。どれだけ街の被害が拡大しているかはすでに想像の域でしかない。
これ以上は自分たちの目で確かめるしかなかった。
「お姉様たちを助けに行きます」
プニルが絞り出すかのような声で言う。
「これは完全に私の私情ですわ。ですからお願いする形になってしまうのですが」
遠慮がちにこちらを窺ってくるプニルに先を言わせない。
「今更それはないだろう」
「これはもう私たち全体の問題ですよ」
「あたしたち本来の役目としても、エルブレストの危機は放置できないしね」
聖獣たちも頷いた。
「もとよりこれは俺と盛り芸術の問題が元だ。巻き添えにしてるのはこっちだ」
両の拳を握りしめる。挑戦を受けているのはおっぱい星人であるこの俺だ。
「奴は間違いなく、街の真ん中にできた山のてっぺんで俺を待ってる」
誰よりも演出にこだわった男だ。もはや確信を超えた事実として、奴はそこにいる。
「行こう。俺たちの街を解放するぞ」
これは俺たち全体の戦いだ。
みんなでこれから暮らす街を取り戻すのだ。
ラスト二話、14日の昼と夜に二回更新します。
最後まで是非お付き合いください。