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第五十七話 おっぱい星人と乳憎むもの


「よう、ブラーレスは無事釣れたみたいだな」

「ああ」


 ブラーレスから手紙……果たし状が届いた夜、セプト老が俺の部屋を訪ねて来ていた。

 こっちは男部屋だ。中には俺と、レーダー知覚で不審者の接近を伝えに来てくれた灼狩しかいない。


「なるほどな、そっちの姉さんかい、隠密殺しの凄腕は」

「襲撃の可能性は十分にあるしな。助かってるよ」

「もったいないお言葉です」

 灼狩はかしこまって頭を下げた。これは頭をなでてほしいの合図でもあるので存分に応えてやる。 


「しかし、まさか王が聖都まで動かしているとは思わなかったよ」

「流通工作に関する俺たちとの合同調査の提案て形だけどな。仮にも王からの直々の提案だ。聖都も無視できやしないさ」

「失礼だけど、今の王都の力で聖都が動くとは思わなかった」

「だから聖都側も、厄介払いにちょうど謹慎で冷飯食ってた騎士様をあてがってきたわけだな」


 セプト老の言っていた奥の手とは、聖都の最大戦力、大墓院騎士のことだった。それもなんのめぐりか派遣されたのはパンプローヌだという。

 奇妙な縁ではあるが、知った顔というのは安心できる。


「いくら執行権のある大墓院騎士でも堅気をなんの名目もなくガサ入れはできないからな。調査を担当していた俺たちがしくじった以上、そっちに丸投げになってすまねえ」

「いや、こっちも仕掛けるつもりだったから、純粋にバックアップしてもらえるのは助かるよ」

「乱闘になれば、騎士様も現行犯で介入する名目が立つ。そうすれば商会本体に査察に入れる」


 セプト老の接触目的はこれだった。火のない煙を掴むために別件で付け火しようという実にえげつない手である。しかもけしかけるのは自分たちの手のものではなく聖都戦力だ。抜け目ないにも程がある。

 相手の嫌がる手を打つが本質の宵影流。その哲学は仲間を利用するときにすら発揮されるらしい。だが、利用される形になってもこちらの手が増えるのはありがたい。作戦の前提から変わってくる。


「そっちがやり合いはじめたら、すぐにでも介入できるように手配しておく」

「いや、セプト師範、ブラーレスの尻尾をもっとはっきり掴めるかもしれない。今の段階ではまだあくまで可能性だが、展開次第ではその場にブラーレスが確実に黒である証拠を呼びだせる可能性がある」

「ほう、それは?」

乳憎むもの(アンティバスト)だ。奴がこの件に絡んでいるなら、俺たちが姿を現す場には高確率で姿を現す。可能な限り俺たちが粘って奴を引きずり出してみせる。そうすれば聖都も大義名分をもって執行できるだろう」

「不確定だな? もし違ったら?」

「そのときは適当なとこで助けてくれ。それでも乱闘の介入の条件は満たせるはずだ」

「適当な野郎だぜ」

 セプト老は愉快そうに笑った。


「じゃあ、こっちの介入のタイミングはそっちに任せる。いつでも動けるようにはしておくが」

「そうだな。俺が空に向かって『助けてくれー』って言ったときで頼む」

「そのシーンが想像できねえな」

 セプト老はもう一回大きな声で笑った。


 それが、二日前のことだ。


    *    *    *

 

 パンプローヌの登場で戦局は完全に追撃戦の体になっていた。

 もともと〈聖雷光〉は多数の暴徒を鎮圧する対人兵器と呼べる魔法だ。半発動状態でもあれだけの被害を撒き散らした無慈悲の雷光がギンギンに張り詰めた〈魔頭〉から今日は完全に発動している。

 完全状態の〈聖雷光〉は照準が定めやすいからなのか指向性まで兼ね備えていた。器用にチンピラたちを薙ぎ払っていく。そして討ち取ったチンピラたちは次々と騎士団の面々に捕獲されていた。

 あれほど威勢を張っていたドンですら、この圧倒的な光景の前には力なくへたり込んでいた。もう彼は終わりだ。この世界の法と秩序で今までのツケを無慈悲に払うことになるだろう。


 知ってはいても圧倒される光景だった。

 そんな地獄を生み出している規格外の〈房珠〉の遊星の向こうで、パンプローヌはふわりとほほ笑んだ。

 うん、いいね。超乳もいいものだと思えてきたぞ。

 おっぱい星人(バスティアン)に新たな扉を開かせるとはさすが大墓院騎士様である。


「お久しぶりですバスティア様」

「元気そうで何よりだ。パンプローヌ。助かったよ」

「いえ、これがわたくしの本来の職務ですから」

 おっとりほほ笑むパンプローヌの向こうでチンピラが3人焦がされている。片手間でこれか……完全状態のパンプローヌの力を侮っていたことを心の中で詫びる。強さの単位1パンプローヌを上方修正しておかねばならない。


「礼を言うのはわたくしのほうですわ。こうしてあの二人をわたくしの前に引き出してくれましたもの」

 ロープで拘束されたルカートとモンタリウェを指し示す。

 その顔はいまだに歪められた狂気を帯びていたが、〈聖雷光〉を見る目は恐怖に染まっていた。

 特殊な魔障布で抑え込んでやっと封印か叶う強力な魔法だ。二人がかりでも抑え込むことはできないことを知っているのかもしれない。いや、抑え込めたらパンプローヌの下で準騎士などしていないよな……


「操られているとはいえ、こちらはこちらで落とし前をつけさせていただきます。ブラーレス商会も同様に。バスティア様はどうぞあの怨敵と決着をおつけくださいませ」

「そうさせてもらうよ」

 このまま捕えても乳憎むもの(アンティバスト)の身柄は聖都預かりになるだろう。だからその前に盛り芸術(モリ・アーティ)の情報を引き出さなくてはいけない。

 

 勝った、という慢心があったのだろう。


「まだだッ!」

 乳憎むもの(アンティバスト)を拘束していたはずの魔障布ロープがはらりと解けた。

 その手には、ぎらりと輝く大ぶりのナイフがあった。そうか……〈房珠〉相手には無敵に近い乳憎むもの(アンティバスト)ではあるが、本人の戦闘力自体はかつての世界の女性のそれそのままだ。この世界では女性が持つに珍しい護身用の武器を持っていてもおかしくはなかった!


 ざわりと取り囲むように展開する宵影衆の面々……だが!

「来るんじゃねえ!」

 乳憎むもの(アンティバスト)盛り芸術秘具モリアーティズ・ガジェット(蜃気楼〉(ミラージュ)をばら撒いて逃げる。

 むき出しの土床が、木の箱が、鉄の柱が、次々と〈房珠〉を得て魔物化する。魔族化させている余裕はないようだったが、それでもこれだけの数の魔物の足止めとなると、宵影衆では追撃は不可能だ。


 追いかけられるのは、俺だけだ。

 両手にオリハルコングローブを嵌める。


「逃がすかよ!」

 駆けだす俺の目の前に生み出されたばかりの魔物が襲い掛かる。

「邪魔だっ!」

 土くれから生まれたノーム…魔族化すらしていない。乱立する土杭をかわし、すれ違いざまに〈房珠〉を掌握、ノームを音もなく消滅させる。

 左右から迫るウッドゴーレムとアイアンゴーレム、攻撃の質量はありそうだが動きがあまりにも鈍重だ。いまさらこの程度で俺を止められると思うな!


 地上は包囲されていると見たか、倉庫備え付けの階段を駆け上る乳憎むもの(アンティバスト)

 屋根の上に出るつもりか。逃がすつもりはない!

 一瞬でゴーレムたちを端材に戻した俺もそのあとを追いかける。


    *    *    *


 倉庫の屋上はかなりの広さを持っていた。それでも身を隠す場所などない。

 シルフを作って操る暇もなさそうだと判断すると、乳憎むもの(アンティバスト)はようやく足を止めた。手にしたナイフを投げ捨てる。

「それで追い詰めたつもりかよ……いいぜ……殺せよ……オレはまだ乳を呪い飽きてねえぞ」

 それでも、振り返って俺を睨む瞳はいまだに強い眼光を放っていた。


「死んで渡守に会ったら、まだ未練を晴らしきってねえって言ってやる。そうしたらオレはまた乳を呪いにこの世界に戻って来るぜェ。あるいはてめえの知らない別の世界に飛ばされるかもなァ。そのときはてめえの手の届かないところで乳を呪いつくしてやる。ハハハざまァみろ」

 この期に及んで俺をあざけるような物言いだった。

 いや、嘲笑っているのは自らか。その歪んだ笑みは血を吐きだす苦悶の表情にすら見えた。

 

乳憎むもの(アンティバスト)……なぜそこまで……」

 思わず口をついて出た俺の言葉に、乳憎むもの(アンティバスト)は絞り出すように叫んだ。

「乳が憎いからに決まっているだろォ!」

 そして、乳憎むもの(アンティバスト)はライダースーツの胸元をはだけだ。そこに見えるのは、それはもう見事な無乳だった。


「男も女も乳、乳、乳。口では綺麗ごとを言いながら結局は乳ばっかり見てやがる!」

 前世で何があったかは知らない。だが、彼女もまた身を焦がすほどの未練をもってこの世界に降り立ったのだ。

 俺にかけられる言葉はない。結局は、俺も彼女も前世のツケをこの世界に押し付けている異邦人に過ぎない。

 

 乳憎むもの(アンティバスト)が血走った目で俺に怒鳴った。

「なあ、お前おっぱい星人(バスティアン)なんだろ、こんな胸でも揉めるっていうのかァ!?」


 ああ、ああ、それが、お前の憎しみの本質なんだな。

 慰めの言葉も、叱責の言葉も俺には言う権利などない。


 だから、おっぱい星人(バスティアン)として応えよう。


「揉めるとも」

 俺は静かに言った。もうそこに怒りも憎しみもなかった。

 一歩一歩、乳憎むもの(アンティバスト)との距離を詰める。

 不思議と乳憎むもの(アンティバスト)に抵抗されるとは思わなかった。


乳憎むもの(アンティバスト)、お前は勘違いをしているよ」

 

 俺は両手のグローブを外した。

 俺の力はなんだ? 〈房珠〉を揉む力だったか? いや違う。

 俺はおっぱいを揉む力を与えられて、この地にやってきたんだ。

 ならば!


「無乳とは、おっぱいがないことじゃない。無乳というおっぱいがそこにあるんだ!」



 だって女の子が胸元はだけていたら、それだけでもう最高だろうがッ!



 そして俺の手は確かに乳憎むもの(アンティバスト)の無乳を掴んだ。


「ぐあああああああああ!?」


 乳憎むもの(アンティバスト)の無乳から、光が弾けた。


    *    *    *


「テメェ……本物の馬鹿だな」

「前世じゃよく言われたよ」

「その上、変態の糞野郎だ」

「そっちも言われ慣れてる」

「張り合いがねェ」

 屋根の上に大の字に倒れた 乳憎むもの(アンティバスト)は力なく笑った。


「ああ、くだらねェ。結局オレにも憎むべき乳があったってわけかよ」

 大の字に倒れた乳憎むもの(アンティバスト)の体がぼんやりとした光に包まれている。

 俺が怪訝そうに見ているのに気づくと、乳憎むもの(アンティバスト)はなんでもないかのように言った。

「未練が、解けちまったからな。オレはもうこの世界にはいられなくなったらしい」

 衝撃を受けた俺の顔を見て、乳憎むもの(アンティバスト)はもう一度笑った。


乳憎むもの(アンティバスト)が乳を揉まれて改心しましたとか、しまらねえだろがァ……」

 乳憎むもの(アンティバスト)の体が光の粒になって薄くなっていく。

 その顔は、今までに見たこともないほどに穏やかだった。

 乳憎むもの(アンティバスト)はゆっくりと目を閉じた。


 俺は彼女を抱きかかえるようなことはしなかった。

 それは信念のまま最後まで戦った彼女の最期を侮辱する行為のように思われたからだ。

 それを感じ取ったのか、どこか満足そうな口調で乳憎むもの(アンティバスト)は俺に告げてきた。


「せいぜい急ぐんだなァ? おっぱい星人(バスティアン)。オレが失敗したことはすぐに盛り芸術(モリ・アーティ)に知れるぜ。ヤツはオレが世界を壊すのを待っていたに過ぎねえ。世界を亡ぼす前の座興で遊んでやがっただけさ。今度こそ動き出すぜ、ヤツが」

盛り芸術(モリ・アーティ)……奴はどこに現れる?」

「てめえが住んでた西の街に決まっている。ヤツァてめえにご執心だったからなァ」


 エルブレスト……!


「あばよ、糞野郎。……テメエは糞野郎の中でも飛び切りの糞で……それでいて少しはマシなバカだったよ」


 そう言い残して、未練から解き放たれた乳憎むもの(アンティバスト)はすべて光の粒になって虚空に消えた。

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