第五十六話 おっぱい星人、暴かれる
「……バリ……エラぁ……」
くの字に折れたティッツボムは数歩たたらを踏むと、上目遣いに俺とバリエラを睨み、ゆっくりとくずおれた。
その背後にはもうドンしかいない。
「ひっ」
バリエラが一歩踏み出す。ドンが一歩後ずさる。
もう一歩踏み出す。ドンが下がる。
さらにもう一歩。ドンの背中が氷壁にあたった。
背後を掻きむしるように手を動かすドン・マルミエの姿はいっそ哀れだった。
「ドン、観念してください。もう終わりなのですよ」
そんなドンにバリエラが静かに告げる。平坦な声に込められているのは怒りか、それとも別の感情か。
しかし、それを聞いたドンの顔から恐怖の表情が消えた。
取り乱した動きもぴたりと収まる。
「……何が、終わりだと?」
「貴方が、です」
「ふざけるな、俺は何も終わっちゃいねえ!」
ドンが吼えた。
「お前ら女はいつもそうだ! 俺が、俺たちがコツコツ積み上げてきたものをそうやって力で蹂躙して奪い去ってしまう! 舐めるな! てめえらがどれだけ俺を折ったつもりでも、俺は折れねえ!」
バリエラは無言でドンを見つめていた。
裏路地時代、彼女らに何があったかは知らない。ドンにもきっと守りたくて、守れなかったものがあるのだろう。
ドンが立ち上がる。背筋を伸ばし、乱れたスーツの襟を直す。
「俺は悪魔に魂を売っても俺であることを通すぞ!」
そして、ドンはひときわ大きく、叫び声をあげた。
「アンティバスト! 力を貸せ!」
「あいよォ」
反応は氷壁の向こうからあった。
途端、氷壁の砦がまるで幻かのように解けて消えた。
「……ッ!」
城壁の上で応戦していたミルヒアたちの足場も当然なくなる。
さすがに魔力強化された体を持つミルヒアたちが転落でダメージを負うことはなかったが、数の不利から俺たちを守る盾は失くなってしまう。
一瞬あっけにとられたものの、状況を把握しジリジリと包囲の輪を狭めるチンピラたち。
その中を、マントで身を包んだ3人が悠然とドン・マルミエに近づいていく。
「手を出すなとか言ってねえでよォ、意地張ってねえでさっさと縋りつきゃいいんだよォ」
「うるさい……さっさと片付けろ……」
「じゃあこっからはオレが仕切るぜェ、選手交代だァ」
先頭の女がフードごとマントを脱ぎ放つ。
氷壁を消したのは、もちろん乳を呪う手を持つ乳憎むものだった。
「アンティバストッ! やはり貴方がドンの背後にいたのですねっ!」
バリエラが手甲を前に身構える。
「そうだぜ?」
乳憎むものはからかうように答えた。
「逆に誰だと思ったんだよ。テメェらがクソ生意気にも守り固めてっからこっちが手間かける羽目になったんじゃねえか」
むしろ心外だと言わんばかりに肩をすくめてみせる。
「毒とか病気とか使う方法も考えたんだけどなァ、この世界の女と来た日にゃクサレ〈房珠〉のせいでどいつもこいつも体は頑丈ときてやがる。男ばっかり殺して女を取りこぼしちゃ意味ねえからよォ」
顎先でドンを指す。
「で、いい感じに乳を憎んでる奴を見つけたんでな。兵糧攻めに協力してもらったってわけ。わかるんだよ俺にはそういうやつ」
俺が乳揉む力で〈房珠〉の魔力を追えるように、乳憎むものには乳を呪う力で見えるものがあるのだろう。もしここまで決定的に道を違えている相手でなければ、いろいろ話したかった。
「ドン……貴方、世界を壊すとわかって、アンティバストに協力したのです?」
バリエラの問いにドンが嘲るように答えた。
「この世界など、とっくの昔に壊れてるだろ? 壊れてないと思っているのは力のある奴だけだ」
「だけどっ……!」
「ならば力で守ってみせろよッ! てめえだって守れなかっただろうが! こんなクサレ世界、壊せるもんなら喜んで壊すぜ!」
「……ってえワケだァ」
乳憎むものがニヤリと笑った。
「貴方……ドンになにを吹き込んだのです……ッ!」
飛び出そうとしたバリエラを乳憎むものが制する。
「おっと、魔法はなしだァ。 ここから先は文明的な方法で決着つけようぜェ?」
マントを脱ぎ前に出るのはルカートとモンタリウェ。
ルカートの〈房珠〉から発動するは無効化魔法の波動だ。バリエラの両手を覆っていた光の手甲が消滅する。
バリエラは舌打ちをすると飛びのいて距離を取った。その動きを見るに、当然のように〈脚力強化〉なども無効化されている。
「おおっとそっちもだ。魔法はよくないなァ。オレたちは人間だ。まずは会話を楽しもうぜ」
モンタリウェの〈房珠〉が向けられているのは後方のミルヒアたち……こいつルカートの無効化魔法を揉用しているのか……
バリエラをかばう様に前に立った俺を見て、乳憎むものはニヤリと笑った。
「随分ご活躍じゃねえか糞野郎。いい身分だな? いい子ぶって女誑かして、主人公にでもなったつもりか?」
乳憎むものがニヤニヤと俺を嬲り始める。くそう、こいつの口撃は同郷の感覚で攻めてくるから堪えるんだよなあ……
「テメェはどうせただの乳好きの変態だろ? てめえの正体、ちゃんとあいつらに伝えてるんだろうなァ?」
……今ここで、俺たちに揺さぶりをかけるつもりか。しかし……どうすればいい?
俺が黙ってるのを見て、乳憎むものは俺にとどめを刺すと決めたらしい。
大きな声でミルヒアたちに告げた。
「なあ知ってるかァ? オレたちのいた世界じゃ、〈房珠〉ってのはこの世界の尻と同じようなもんなんだぜェ? コイツァてめえらの〈房珠〉を見てずっと発情していたってわけだァ! 知られてないことをいいことになァ!」
……
そうか、そう説明すればよかったのか! なんで俺の変態性を的確に表現しやがる!
いや、気づきを得ている場合ではない……な。
これは最悪のタイミングだ。
最悪のタイミングで皆を失望させてしまった。
そうだ、これがおっぱい星人の本当の姿なんだ……騙していてすまなかった。
この戦いの間だけは隠しておきたかった……あとでどのような報いを受けようとも。
だが、すべては終わってしまった。
これは、罰だ。みんなどんな目で俺を見ている? 知りたくない。だが、逃げるわけにはいかない。
俺が、おそるおそる振り返ると……
皆ニヤニヤと照れていた。
……へ?
「なんだァ? テメェら、その顔は……?」
乳憎むものさえも不審そうな顔でミルヒアたちを見ている。
「やー、だって、ねえ」
砂霧の耳がへにゃんとしている。珍しい。遠目にもデレデレオーラが出てる。
「安心しました。〈房珠〉ばかりで女性に興味がない男性かと思っていましたが、そんなことなかったのですね」
デボネアの言葉に皆が頷く。え? なに? そういう目で見られかけてたの? おっぱいばっか見てたのに。
「弟弟子とばっかり仲良くしてるから、もしかしたらそっちの方なのかと疑いかけたこともありましたわ」
プニルがとんでもないことを言ってくる。ごめんね! そう見えてたの!? 俺らはプラトニックな師弟関係よ!?
「ごめんねばすちあ、ずっと求めてくれてるのボク気づかなかった」
氷毬がなんかずっとウルウルした目でこっちを見ている。大丈夫かなこの子。帰ったら押し倒されるどころか俺攫われそうな気がする。
「不覚ッ! 不覚ッ! 不覚ッ! なんでアタシは反応できなかったんだッ!」
灼狩がモンモンとして頭を振り回している。今日きみすごい残像出すね?
「ばすちー、そんなことで嘘ついてたの? 言ってくれればよかったのに」
奏鳴がうりうりと〈房珠〉を寄せる。うう、確実にマウントを取りに来てる。でもイイ……
「バスティアはお姉ちゃんにこうされて喜んでたんですねえー」
バリエラがふわりと俺の頭を〈房珠〉の間に抱きしめた。うおお今までと違う意識した抱擁……感触は同じはずなのに頬に感じる柔らかさが違う……
後方から「あーっ」っと声が上がる。
「おかしいだろ!? テメェら、頭イカれてんのかァ!?」
困惑と怒りに満ちた声が俺たちを引き戻した。
完全に無視された形になった乳憎むものが叫んでいた。いやまあ、不本意ながら少し気持ちはわかるよ乳憎むもの。俺も皆の反応は予想外だった。
「おかしいのは貴方です。アンティバスト」
ミルヒアがかわいそうなものを見る目で言葉を発した。
「貴方のいた世界の常識がどうかは知りません。でもバスティアはこの世界のルールの中で、私たちのために尽くし、私たちを助けてくれました。貴方と同じような力を持ちながら、私たちとともにあってくれました」
おそらく己が一歩退いたのに乳憎むもの本人は気づいていないだろう。
「そんなバスティアだから私たちは惹かれたんです。今までそっけなさすぎると思ってたくらいで、ちゃんと私たちに興味を持ってくれていたと知って、喜ぶ以外にありません」
みんな大きくうなずいてた。灼狩とかみんなの3倍くらい頷いてる。
「自分が好きな人が自分に興味を持っていてくれた。それ以上の喜びがありますか!?」
ミルヒアが乳憎むものをびしっと指さした。
「貴方、他人に好かれたことないでしょう!」
「グッ……!」
おお……珍しい……
あの、いつも人を見下していた乳憎むものの顔が、引きつっている。
そうか、俺がこの世界で積み上げてきたものは、無駄じゃなかったんだ。
何か一気に気持ちが楽になってきた。折れかけていた気持ちに火が戻ってくる。
そうだ、今は乳憎むものだ。こいつを倒さなきゃ終われない。
生気を取り戻した俺の顔を見て、乳憎むものは狂ったかのように吠えたてた。
「……ッッ、どっちにしてもてめえらは終わりだァ! 魔法も使えねえ中でこれだけの数どうやっても相手にはできねえだろッ! シンプルに物量に飲み込まれて死ねやァッ!」
「いや、長々話してるとこ悪いけどな」
俺はパタパタと手を振った。
やっと、揃ったんだ。お前が出てきてくれたことで。
「俺たちの勝ちだ……なあ? セプト師範。そろそろ助けてくれ」
俺は高い天井に向かって、声をかけた。
「あいよ」
シュルルル シュルルル
「なんだと……うっ!」
「これは…」「クソっ! 動けない!」
同時に天井の梁から、物陰から、あるいは積まれた箱の中から、無数の投げ縄が投射され、乳憎むものら三人を拘束する。もちろん投げ縄は魔障布……それも高級魔障布だ。
それを投げたのはもちろん宵影流の男たち。四方八方から鎖分銅のように乳憎むものたちを幾重にも拘束していた。
それと同時に……
カッ
数人のチンピラを巻き添えに、倉庫の扉が吹き飛んだ。
「なんだっ!」「誰!」「何が起きた!」
まさかの方向からの攻撃に動揺するチンピラたち。
そこに響くのは、うらぶれた倉庫には不釣り合いの涼やかでおっとりとした、それでいて無慈悲な決意をはらんだ声だった。
「聖都指定重犯罪人アンティバスト確認。これによりブラーレス商会を重要参考人と指定、同商会による民間人に対する乱闘行為を確認。大墓院騎士パンプローヌの名において鎮圧を開始いたします」
〈聖雷光〉ではじけ飛んだ門に月影を背負って立つのは、すでに〈魔頭〉を完全臨界状態にした、パンプローヌとその騎士団だった。




