第四十九話 おっぱい星人、密約と本音 ~狼&鷹~
【買い出し三日目 午前】
「バスティア様、尾行されています」
「なに?」
「気づかないふりをしてください。近場と遠間に気配を感じます。どうしましょう。撒きますか? 迎え撃ちますか?」
「遠間のはどんな具合だ?」
「こちらを観察している感じですね。どこの手の者かはわかりません」
「ブラーレスのものか乳憎むものか……どちらにしろ釣れるなら釣りたいがまだだな」
「ではこちらは様子見で。近いのはどうしますか」
「相手の数がわからないな……近場のは何人だ?」
「3人です。いずれも女ですね」
「少ないな。ブラーレスの手の者じゃないか?」
「さっきの店で買い物するところを見ていた連中です。羽振りがいいと思って目をつけられたかと」
「そういう手合いか。いけそうか?」
「お任せください。仕留めない程度に無力化ですね」
「それで頼む」
灼狩と市場を回っていた時のことである。襲撃される可能性については頭の片隅に置いてはあったが、こと灼狩と一緒にいるときは奇襲の心配は一切ない。
俺たちは悠々と路地に入ると、無警戒に尾行者たちは後をつけてきた。もうそれで終わりだ。
灼狩の〈限定加熱〉で急性の熱中症にされた3人は、脅迫の一言も発せられないままずるずると地面に倒れた。ちなみにいかにも荒事で慣らしてますと言わんばかりのパンクなお姉さんたちである。なかなかよい〈房珠〉をお持ちではあったが名目上とはいえデート中なのでストレートガン見は控えて〈幻照〉ガン見を使うにとどめる。
「相変わらず、見事な手並みだ」
「恐れ入ります」
灼狩はうやうやしく頭を下げる。長身でクールビューティーな灼狩だが、俺には一貫してこの態度だ。他の聖獣や仲間たちの前ではぶっきらぼうな姉御っぽい雰囲気を出しているのに。
「そんなにへりくだってくれなくてもいいのに。俺は別に主じゃないんだから」
「お嫌ですか?」
灼狩が泣きそうな顔をする。慌てて違う違うと伝える。
「いや、無理させていないか心配になって」
「無理なんてとんでもないです! アタシはむしろずいぶん楽を……」
灼狩は黙り込んだ。そして、意を決したように言った。
「バスティア様、少し、どこかでお話しませんか?」
珍しいお誘いだった。
運河のほとりのベンチに並んで腰かける。周囲には疎らに人がいるが警戒はもう灼狩に丸投げだ。
きちんと膝をそろえた灼狩は恥ずかしそうに言った。
「アタシは、バスティア様が上に立っていてくれると、落ち着くんです」
「落ち着く?」
「アタシは元々、上に立つ器じゃないです」
「よく聖獣のみんなをまとめてると思うけどな」
「それはバスティア様がいるからです」
灼狩は姿勢を正して切り出した。
「バスティア様、アタシたちの主になる気はありませんか?」
「あるじ?」
予想外の言葉に戸惑うが、灼狩の目は本気だった。
「はい。アタシも、氷毬も、奏鳴も、砂霧も、バスティア様のことをお慕いしています。すべてが終わってからで構いません。アタシたちの主として、上に立つ気はありませんか」
「ちょ、ちょっと待ってくれ。俺は従者だ。主とか急に言われても理解が追いつかない」
「そういう人間の世界の仕組みの話じゃないんです!」
がうがうと耳を立てる灼狩。さすがに周囲の目を引きかねないので抑えるように促す。
「従者だってのは言い訳だった。すまん」
くーんとなった灼狩に謝る。確かにこれはフェアな言い方ではなかった。
「だが、そのだな、俺には一応心に決めた人がいて」
「ミルヒアは世界を助けたらいいって言ってます」
え?
「全部終わったらバスティア様に子供ねだってもいいって言ってました!」
「ええええええ」
なにそれミルヒアなんかとんでもないこと言っちゃってるんですけど。
灼狩の目を見る。ウソは言ってないガチな目だ。
「返事を、今すぐくださいとは言いません」
灼狩の目に映るのは、決意の光で爛々としていた。これは……狩人の目だ。
「でも、アタシたちは、バスティア様が、いいんです」
「うん」
かろうじて、頷いた。
* * *
【買い出し三日目 午後】
「そっちを見せてもらおうか」
「ああ、それは北部の小麦だ。良い品だぜ」
つん、つんつん。
「……いや、その隣のほうがいいかな」
「そっちかい? それは川向こうのライ麦だ。そっちもなかなかの品だ」
つん、つんつん
「……それは?」
「ああ、これも北部の品だ。大麦だがこれもまあ悪くねえ」
つん
「それにしよう」
「勘弁してくれ。いいとこ全部持ってかれちったら商売あがったりだ!」
店主が大仰に嘆くが知ったことではない。案の定奏鳴は嘘の心音の合図の「つん、つんつん」を送ってきた。
音使いの奏鳴は心音を聞き分けることができる。細かい心境などはわからないまでも、嘘をついた時の跳ねるような鼓動は聞き逃さないそうだ。交渉の連れとしてはこの上ない心強さである。
手早く配送の手配を終えると、奏鳴が嬉しそうに飛びついてきた。
「ねえ、他に何買う?」
「もう少し穀物系を確保しておきたいな。次も頼む」
「あいあいおー、奏鳴におまかせだよ」
奏鳴はぎゅっとこちらの腕を抱きしめた。これが奏鳴の考える正しいデートスタイルらしい。
左手にぎゅうぎゅう押し付けられる奏鳴の豊かな〈房珠〉、というか完全に腕が谷間に挟まってしまっている。
柔らかさと弾力だけでなく鼓動の音まで伝わってきて……これは非常によくない。
……何がよくないんだ?
おっぱい星人なら何も考えずに楽しめばいいだろうに。
心の中に自分じゃない声が存在する。ひっかき傷のような、罪悪感。
そんな俺の顔を奏鳴がじっと見つめている。透き通ったサファイアブルーの瞳は、どこか憂いを含んで見えた。
あわてて気恥ずかしくなってこちらから顔を逸らす。心の底が見透かされているような気分になった。
奏鳴がぽつりと口を開く。
「あのさ」
「ん?」
「ばすちーってさ」
奏鳴は珍しく、言葉にするかするまいか、悩んでいるようだった。
「らしくないな。聞きにくいことか」
「うん」
「……なんだ?」
「ばすちーってさ、いつも嘘ついてるよね?」
どくん
「……なんのことだ?」
「あはは、今もそう。ずーっと、奏鳴たちに、何か隠してる」
「……」
「……言いたくないなら、いいけどさ。少し、寂しい、かも」
「俺は……」
お前たちが思っているようなまともな人間じゃないんだよ。
お前たちに慕ってもらえるような資格はないんだよ。
喉元まで言葉が出かかった。だけど、飲み込む。
その言葉は、俺を信じてくれている彼女たちへの侮辱。
すべてをさらけ出してしまいたい。それで楽になりたい。そういう気持ちはある。
だが、それで彼女たちを失ってしまったら?
俺はきっともうここから先は戦えなくなる。
「別に、いいじゃん。ばすちーはばすちーだよ」
「俺は、まともじゃないんだ」
「奏鳴たちだってそうだよ。だから、ずっと一人だった」
奏鳴は俺の腕をとって路地の陰に俺を導く。
「ばすちーはね、もうちょっと他人に甘えることを覚えたほうがいいよ」
「今でも十分に甘えさせてもらってるつもりなんだけどな」
どう考えても俺の方が世話になりすぎている。
「そーいうんじゃないんだよなーっ」
奏鳴はちょいちょいと手招きしたと思ったら、がばりと俺の頭を抱きしめた。
「放すなよ、ばすちー」
「え、なに、ちょ、うわ」
〈高速飛翔〉
奏鳴は俺を抱きしめたまま、夕闇が迫る街の空に飛びあがった。
家の屋根が物凄い勢いで小さくなっていく。いや、これどれだけの高さだ!?
風が寒く感じないのは奏の〈飛行補助〉が発動してるからだが、落ちたら破片すら残るかわからない高さなのは間違いない。
「あははははは」
「ちょ、奏鳴、これやばいって!」
「やでーす、やめたげません」
奏鳴はにんまり笑うと、とんでもないことを言いだした。
「じゃあ、手を放すよ」
「な!?」
奏鳴が本当に手を離したので慌てて奏鳴にしがみつく。
必然的に〈房珠〉の間に自分から顔を埋めにいくことになる。
「あはは。ばすちーかっこ悪い」
「奏鳴ぃ……!」
「ね、ちゃんと自分から抱きしめられるじゃん」
「!」
「言い訳が欲しかったら、奏鳴が用意したげるから、たまには正直になりなよ」
「奏鳴……」
そうか、俺はかっこつけてただけか。
やっぱり、甘やかされてるなあ。
「ありがとう、奏鳴、次抱きしめたくなったら、俺の方から抱きしめる」
「そーしなそーしな。奏鳴ちゃんの羽毛はいつだって準備万端だぜい」
奏鳴はもう一回俺の頭を抱きしめてくれた。
「奏鳴が奏鳴でいるかぎり、ばすちーはずっとばすちーだよ」