第四十七話 おっぱい星人、縁と過去 ~熊&狐~
【買い出し初日 午前】
買い出し作戦の初日の午前は氷毬と行動を共にすることになった。
狙うのは下町区画の農作物取引問屋だ。
「じゃあ、この芋の袋を…‥‥」
「あい、どうもね」
「お兄ちゃん、それだめ」
店頭に並んでいる芋の袋を軒並み仕入れようとした俺の手に氷毬がしがみつく。
「……店主、悪いけど念のため袋の底のほう見せてもらえるか?」
「ああ、いやあ、ははは、すまないすまない、間違って処分するほうの芋を店頭に出しちまってた」
店主が慌てて奥から出してきた袋の山に、今度は氷毬は頷く。
「やあよかった。そちらに不義理な商売をさせずに済んだよ。じゃあそちらをもらおうか」
「へへへ……おまけさせてもらいますんでどうぞ勘弁を」
腐った芋を回避して新鮮な芋を次々仕入れる。
仕入れにおいて氷毬の鼻は非常に強力な武器だった。たとえ見えないところの腐敗であっても、袋の奥に隠してあっても、氷毬の鼻はそれを嗅ぎ漏らさない。こちらを素人目利きと侮って吹っ掛けてきた店は逆に返り討ちにあって良品を次々吐き出す羽目になっていた。
まあ実際俺が素人目利きなのは確かなのだ。功績は100%この頼りになる自称妹分の手によるものである。
「予定よりも早く量確保できそう」
「氷毬が優秀だからな」
「うへへ」
帽子を外して頭を撫でてやる。青みがかった小さな熊耳が掌にふわふわ当たってこっちも気持ちいい。
最近氷毬は背中を預けてくる〈房珠〉ふにふにのおねだり以外にも、しきりに頭を撫でるようにせがんでくる。小さくて可愛らしい氷毬にそうせがまれるのは悪い気持ちがしないのでこちらも応じてやると、氷毬はことのほか気持ちよさそうに目を細める。
フリントでの宣言通り、氷毬は二人きりの時は俺をお兄ちゃんと呼び始めた。そしてそう呼び始めるようになってから、ますます甘えてくるようになった。
「氷毬は、お兄ちゃん子なんだな」
「ちがうよ?」
なんとはなしに口に出た言葉に、返ってくるとは思わなかった答えが返ってくる。
「だって、ボク、家族いたことないもの」
「……えっ」
無神経なことを聞いてしまった。
「ごめん」
「? あやまることないよ。気にしてないし」
氷毬は本当に気にしてないごいう風に笑った。
「じゃあ、なんで急にそんな呼び方を?」
「んー、お兄ちゃん欲しくなったのは、ほんと」
氷毬が真剣な目でこちらを見つめる。この子は、本当に大事なことを言う時は、丸い目をますます丸くして、じっとこっちを見る。
「だって、お兄ちゃんなら、家族だから、ずっと一緒にいられる」
ずっと一緒にいられる。
その言葉を、氷毬は力を込めて言った。
俺たちの関係は、名目上は相互的な利害関係の一致によるものだ。
互いに乳憎むものの脅威から身を守るために手を組んでいるに過ぎない。
じゃあ、乳憎むものを倒したら?
氷毬と俺を結ぶ縁は、なくなってしまう。
だから、氷毬は新しい確かなつながりを求めた。
「ボクね、はぐれ熊なんだよ。仲間も、友達もいない」
察しがついた。結界の一部となったとき、氷毬は千年前の世界から切り離されたのだ。
「でもね、仲間にいてほしいとか思ったことは一度もない。ばすちあたちと一緒に行くまで」
声が小さくなっていく。
〈房珠〉の在り方を変える力は希望にして残酷だ。誰もが自分の全てに責任など取れるはずがないのだ。
「ばすちあたちとは、ばすちあとは、離れたくない」
それが、自分で運命を選んでしまった氷鞠が俺に伝えられる精一杯のわがままだった。普段の氷鞠からは想像もできないほど、かすかな声で訴える。
「だから、ボクがお兄ちゃんて呼んでる間は、ばすちあは、遠くに行っちゃだめ」
「大丈夫だよ。俺はどこに行く気もない」
「ほんとう?」
「約束する」
氷毬は返事の代わりにぎゅっと頭を胸に押し付けてきた。
その頭を抱き寄せるように撫でながら、もう一度言う。
「俺は、氷鞠のいるこの世界からどこにも行かない」
* * *
【買い出し初日 午後】
砂霧を連れて交渉をする場合、もうすべて砂霧に任せていい。
「いや、この品なら銀貨20はないでしょ。せいぜい8だね」
「いやいやいや、勘弁してくれ。こちらにも仕入れ値ってのがある。15でどうだ」
「やー、それにしても2倍以上は吹っ掛けすぎたね。8だよ。それでもギリギリ儲けが出るでしょ?」
「だからそれで持ってかれたらたまらないんだよ。じゃあ12で」
「バスティア、次行くよ」
「ちくしょう! わかったよ! 10だ! 持ってきやがれ!」
「10か、10ならまあいいかな。ギルドのほうに配送してくれるならそれで」
「とんでもねえやり手だな姉ちゃん……」
「やー、そんなに褒めないでほしいな」
歴戦の商人相手にも一歩も引かない。それでいて、ギリギリやりすぎて恨まれずに相手に利益が出るラインを狙って交渉をしている。
悪意と智謀を相手に戦ってきた彼女にとってはまさにホームグラウンドというわけだ。
「それにしても、驚いたな。砂霧が相場にこんな詳しいなんて」
「いやあ、全然知らないよ」
あっけらかんと答える砂霧。
「あたしが読んでるのは、相手が騙そうとしている心の色と、本気で焦ってる心の色、あとは絶対許さないって心の色のラインだね」
「……つまり?」
「つまり、まあ、相手がギリギリまあいっかってなるとこ見切って値段付けてるだけ。相手が値段教えてくれてるのさ」
さらっと言ってのけてるが、もはや読心術の域だ。絶対敵に回したくない。
商店の店頭を跳ねるように渡っていく砂霧のあとをただついていく。
時折砂霧が振り返るので、大丈夫、ついてきてるよと手を振る。
それだけで砂霧は満足そうに、また商店の物色に戻っていく。
それだけの繰り返しで、あっという間に時間が過ぎて行った。
「やー、遊んだ遊んだ!」
「すごかったな……本当に出る幕がなかったよ」
運河のほとりの公園で芝生の上に大の字に寝っ転がって、砂霧は楽しそうに笑っていた。
早々に買い物が終わってしまったので、こうして俺たちは割り当てられた残り時間を公園で過ごすことにした。砂霧たっての願いでもある。
春のそよ風に吹かれながら、しみじみと砂霧が言う。
「ああー、自由っていいね」
「山にいるときは自由じゃなかったのか?」
「まあ、不自由はしなかったけどね。なんていったらいいのかな。自由そのものがすでに誰かに決められてる感じ?」
砂霧は芝生の上にごろんとうつ伏せになった。
「例えばさ、お腹が空いたとして、お餅を食べるのも白玉を食べるのも自由です、って言われて、好きに選べたって感覚があたしの自由」
「結局お餅だろそれ」
「そ。だけど今のあたしはお腹が空いたから、あえてなにも食べないとか、そういうことも選べるわけさ」
「それって幸せなのか?」
「幸せだよ」
砂霧が芝の上に肘をつく。
「怖くてどうしようもないときに、逃げたほうが絶対にいいときに、逃げなくていいもの」
意外だった。砂霧は頭がいい。すべて計算ずくでやっていると勝手に思っていた。
「砂霧でもそう考えるときとかあるんだなぁ」
「そりゃああるよ。絶対に聞かないほうがいい質問をあえてしてみようとか、前のあたしなら絶対になかったもの」
「たとえば、どんなだ?」
「……バスティアは、前いた世界に戻りたい?」
「え?」
唐突だった。考えたこともなかった。
でも、砂霧は本気だった。普段なるべく目立たないようにしてる狐の耳がピンピンに立ってる。こちらの言葉と真意を聞き逃さないように。
「いや、そんなことは思ったこともない」
掛け値なしの本音だ。だってこんなおっぱいに溢れた世界とか他にないもの。
しばらく耳をピクピクさせていた砂霧は唐突にぐにゃりと弛緩した。
「良かったよぉ〜怖くて今まで聞けなかったんだよ〜」
「なんでそんなことを心配していたんだ」
どうしても苦笑いが出る。
「だってさ、モリアーティもアンティバストも、この世界を壊そうとしてるでしょ?」
「ああ」
「だから、バスティアの世界から来た人たちにとっては、この世界って嫌な世界なのかなって」
「ああ、そういうことか」
砂霧の不安の正体がわかった。他の異世界人たちの行動を見れば、俺の本心に何らかの疑惑を感じてもおかしくはない。
たしかに、この世界は何でも思いどもりにできる気ままな世界ではない。男の身で感じる不自由は前の世界よりも多いくらいだ。
だけど、俺はおっぱい星人だからなあ。
こうやってポンチョの隙間から無防備に〈房珠〉をのぞかせてくれる世界が嫌いなわけがない。
「大丈夫だ。この世界は俺にとっては理想の世界だよ」
スマホやパソコンやゲームもない。コンビニも通販もない。お世辞にも便利とは言えない世界だが、この世界でなら俺はおっぱい星人でいられるのだ。
この世界に替わりになるものはない。
そして、この世界で出会った仲間にも、代わりはいない。
「じゃあ、バスティアって、前の世界はあんま好きじゃなかった?」
微妙に答えにくいことを聞いてくる。最大の懸念が晴れたおかげで砂霧の抑えていたものが決壊したらしい。
「そういうわけじゃないけれど、俺はまあ変わり者だったからなあ」
曖昧ににごす。まさかこの世界でやってきたことがもれなく官憲沙汰になるとはとても言えない。
「あはは、あたしらとおんなじだ」
しかし、砂霧は俺の答えに満足したようだ。愉快そうに笑った。
「じゃあ、バスティアがいた世界って、どんなだった? 聞かせてよ」
「俺のいた世界か……」
長くなるぞ、と前置きしてから、俺と砂霧は割り当てられた残り時間を二人で楽しんだ。




