第四十四話 おっぱい星人、帰路につく
「迂闊だった。ここまで入り込まれているとは」
久しぶりに王都の地を踏んだライラックは馬車の上から目抜き通りの商店街を見て唸った。
「なにか気になることでもあるのか?」
「あるに決まっている。見ろ、あのマークを」
一見普通の雑貨店だが、その看板の片隅にBLの文字を意匠化した紋章が掲げられていた。
「あれはブラーレス商会の品を扱っているという認識票だ」
「ブラーレス商会は流通を担っている大商会ですわ。別にそこまで異常なことではないのでは?」
プニルのもっともな疑問にライラックはますます眉間の皺をよせた。
「プニル殿、品目が問題なのです。あちらの店をご覧いただきたい」
指さす先には食用油を扱う露店がある。もちろんBLの紋章を掲げていた。
「珍しい雑貨や領内で賄えない品を商うなら問題視するほどではありません。領内で生産されるべき日用品や生活必需品の類にまで入り込まれているのが問題なのです」
「こうして見ると、ほとんどの店がBLを扱っていることになりますわね」
「一見それとわからない隠れBLも含めたら、どれほど侵食されているかわかりません」
「それってまずいん?」
深刻そうな表情のライラックに奏鳴が混ざってくる。人の目に触れるところでは気晴らしに飛ぶこともできないから暇なのだ。
「超簡単に説明してやる。この国の米の流通を扱ってる大手がブラーレス商会だ。もし連中の機嫌を損ねて流通が止まったら、この国では餅が食えなくなる」
「やべーじゃん」
「砂糖が止まったら菓子も食えなくなるだろうな」
「ちょーやべーじゃん」
「ちょーやべーのだ」
ライラックはため息をついた。
「早急に王に奏上せねばならん」
* * *
「なるほどな、ブラーレス商会か」
「はい、こちらの把握できないところでかなり影響力を伸ばしているようです。迂闊でした」
無事に高級魔障布納品を確認し、宵影衆の面々向けの装備の手配を済ませたばかりの王が唸る。
「紡績都市がそのようなことになっているとはな……我のところには全く情報が入っていなかった」
「言い訳になりますが、我々のところにもです。諜報機構そのものが陳腐化していると考えていいかと」
「だったらますます宵影衆を重用したらいいと思いますよ。彼らの本業は隠密ですから」
「本当にクラーリアの先見の明は大したものであったなあ」
王は自嘲の笑みをする。
「宵影流のセプト師範に尋ねれば、さらに残存する実践流派の使い手が見つかるかもしれません。王都の諜報能力と影響力の強化は、世界規模での対応を必要とする我々にとってもありがたいことです」
「なかなかずけずけと言ってくれる」
王は愉快そうだった。
「よし、防衛隊の顧問としてセプト師の招集を打診しろ。並行して王都内の在野の戦力の見直しを行う。即交渉徴用できるだけの予算を組め」
王が矢継ぎ早に出す指示をライラックが書き留める。
「王都外周部の生産農家や工場の実態調査団を編成しろ。調査項目は肥料や一次材料の供給状況だ。王都の壁の外側に入りこんでいるブラーレス商会の実態を把握しろ。即時対応可能な隠密戦力を組織できるならそれを聖都やディカップにも派遣だ」
「肥料や一次材料、ですか」
俺が聞くと王は頷いた。
「王都外壁の関税記録にブラーレスの影響力が残っていないのなら、その手前の段階で浸食されていると見るのがよかろうよ。食用油にまで浸食されているとなれば、すでに原材料の生産を取りやめて輸入に頼り切っているところがある可能性が高い」
なるほど……ただ、漠然と格安の物資を売りつけてくるよりも、生産体制に入り込むのがブラーレスのやり方か……たしかにフリントでも心臓をひとつ掌握するだけで街をひとつ掌握しきっていた。
「さすがです。俺には全く思いつきもしない話です」
「バスティア殿は統治者としての視点を教育された立場ではあるまい。むしろ従者としては過分な見識を持っているように思うが、どこで学んだ?」
「ええ、いい師に巡り合いまして」
俺は言葉を濁した。高校や予備校の先生にお世話になったのはまあ嘘ではない。こうして場所を変え役にたつことがあるとは当時は欠片も思っていなかったが。
「ふむ、いつか会ってみたいものよな」
王はそれ以上深くは聞いてこなかった。なにか察してくれたのだろう。
「しかしこの件、エルブレストも影響のある話であろう。そちらの対応は足りているのか?」
王がペンの用意をしながら尋ねてくる。
「今、エルブレストに渡す手紙を書こう。協調に関する正式な受諾の返答と、今回の件に対する我の所感を記しておく。あとはバスティア殿をかなり借りてしまった礼だな」
ふと、王は思い出したように言った。
「バスティア殿、本気で我の下で働く気はないか?」
「可能な限り、お役にたてればとは思いますが、主はただ一人と決めておりますので」
「うむ、忠義に厚いことはいいことであるな」
王もそこまで本気ではなかったようだ。ほどなく書簡に封をすると、俺に渡してきた。
「楽しかった。貴君ならいつでも歓迎する」
「俺も楽しい時間を過ごせました」
心から跪いて、王の書簡を受け取った。
* * *
「まったくよ、この歳になって宮仕えたぁ、人生何が起こるかわかんねえやな」
セプト老は豪快に笑った。正式に王都の隠密部隊と諜報部隊の指南役を引き受けたと言っていた。
「あのバカ弟子どもはまだまだ半人前だからな。あの程度で一人前ぶられちゃ代々継いできた看板に申し訳が立たねえ」
出会った時より10年は若返ったかのような表情だった。
王都を離れる当日、俺たちは宵影流道場の裏庭を借りて集まっていた。帰路で運ぶ荷物の整理が必要だったからである。
「で、なぜこれだけの量になる」
「だってお餅が食べれなくなるってライライが言ってたっしょ」
奏鳴たちが真剣な顔で積み上げているのは餅の箱か……
「いや、あれはたとえ話で、本当に餅が無くなるわけじゃないぞ」
「あ、そなの? でもエルブレストだとあんましお餅売ってないし、せっかく買っちったからばすちー頼むぜい」
「頼むぜい言われても限度がある……」
「ばすちーにはあれがあるじゃん」
「あれは常動は無理だ。それに重さはともかく嵩がありすぎる!」
「なんだなんだ、またやってるのか馬鹿ども」
2頭立ての馬車に荷物を積み上げたライラックが裏庭に入ってきた。
「酷い有様だな。王からの下賜品がまだこれだけあるのに」
「嘘だろ……」
「嘘なものか、というより、貴様らが所望したのだろうが。高級魔障布」
無情なほどにその通りだった。
そんな俺の顔をじっと見ていたライラック。
「ふん、初めて貴様が絶望する面が見れた。実に愉快な気持ちだ」
「……お気に召しましたか」
「愉快なものを見せてくれた礼だ。私からも餞別をくれてやる」
「追い打ち!?」
「要らないなら持って帰るが」
「ええと、なにをいただけるので?」
「これだ」
「これ?」
「この馬車を丸ごとくれてやる」
……
「マジで!?」
「マジだとも、要らないなら持って帰るがな」
「要る! 要ります! 馬にはライラとラックと名付けてかわいがります!」
「やめい馬鹿者」
ライラックが胸元を引き下げて威嚇する。ああごめんなさい、それ俺にとっては威嚇にならないんですよ。ひたすら感謝である。今ならきっとヒップホップ一曲歌えるほどに感謝。
またもしげしげとこちらを見つめるライラック。
「そういえばそこまで喜んでる貴様の顔も初めて見たな。糸の時もほっとした顔はしていたが、予想外の喜びに打たれる顔ではなかった」
「そうだったか?」
「ああ、そうだった」
つかつかと寄ってきて、俺の胸をどんと叩くライラック。
「貴様の胸の内など知らん。何にこだわっているかもな。知りたくもない。だが、バカはバカらしく、そうやってたまには仲間に本心からの表情を見せてやることだ」
「俺もあんたが笑ってる顔も俺初めて見たよ」
「バカめ、そういう言葉こそかける相手が違うだろう」
くっくっく、と笑い、ライラックは馬車を降りた。
「達者に暮らせ。我らが王のためにもな」
「そういえば、公爵家は王のことを嫌っていると思っていたのだが、あんたは違ったな」
「それはとんだ勘違いだ。籠の中でしか生きられぬと思い込んでいた鳥が大鳳だったと知って喜ばぬ道理もあるまい」
まっすぐこちらに向き直る。
「それを気づかせてくれた点については、感謝する」
「あんたのためではない、よ」
俺の返しを聞いたライラックは最後にもう一度おかしそうに笑った。




