第四十話 おっぱい星人、お手伝いする
「なるほど! たしかに坩堝だけ回転させればいいな! 炉は動かさなくてもよかったよ!」
「マインさん。もっと早く気付いてください」
「やだなあバスティアくん! 私のことは気軽に博士と呼んでくれたまえ!」
「……はい、博士」
この世界博士号とかあるのかなぁ?
……なんて益体のないことをぼんやり考えながら、引き返せないところにきた我が身を自覚する。
たぶん俺の記憶の中のおっぱい動画ライブラリから該当する存在を適当に翻訳してるだけだろう。爆乳博士のあやしい弾性力学実験シリーズあたりが疑わしい。
「博士はもっとこう、他人に思いやりを持つ設計を心がけるべきだと思います」
「私は常に他人のことを思いやって研究に励んでいるぞ? 他人が望む形に無頓着なだけで」
「善性に満ち溢れてるのがたち悪いなあ」
「あまり褒めないでくれ給えよ!」
設計改善の提言は無事に受け入れられ、炉と調整者ごとぶん回す狂気のコーヒーカップは改修されつつある。回転物の総重量が減ったので、炉の加熱と排熱も複雑化が可能になり、より細かい温度矯正が可能になった、らしい。
「これならオリハルコンの加工も可能になるかもしれないぞ!」
マイン……博士は喜んで設計図を引き直した。技術的なことはまるでわからないが、俺たちの仕事は博士の設計図通りに工事の手伝いをすることだ。仲間たちも各々の得意分野で作業を手伝ってくれている。
「貴様らはいつもこんなことをしているのか」
呆れた口調で俺に言うライラック。彼女は目下俺の捏ねた粘土を圧力魔法で炉の形に形成する作業をしている。今日は旅装ドレスではなくつなぎのようないで立ちで、もちろん胸元は大きく開く構造だ。なんか中学時代のジャージ姿の後輩を思い出さなくもない。しかし、いいですね〈詠衝〉のある職場。先の試合ではじっくり観察する機会もなかったので〈幻照〉と〈追陽炎〉のコンボでしっかりと記憶に刻みつける。
「いや、流石に土木工事の真似事は初めてだ」
ふん、と鼻で笑うライラック。
「そういうことを聞いているのではない。従者の貴様が一味の方針を決めるようなことをしているのか、ということだ」
そうか、最近あまり意識していなかったが、やはり慣れないものから見ると奇異に見えるよな。
「無理強いはしてるつもりはないんだがな」
「そうだろうな。彼女たちは喜んで従ってるように見える」
そこー、丸太傾いてるー、と奏鳴が〈伝声〉しているのが聞こえる。
ちらりとそちらを見たライラックは、探るように聞いてきた。
「彼女らの気持ちは気づいてるのだろう」
「ああ、まあ、うん、そりゃあなあ」
そうきたか。今まであえて考えないようにやってきたが、比較的男女の立場に差がない王都の人間にはやはりそう見えるらしい。
実際、俺だって木石の類いではない。自らに向けられている好意の感情は感じ取れる。そして、心地良くも思っている。だが、俺はおっぱい星人なのだ。本来好かれるようなことなど何もしていない。騙した結果として好意を寄せられているようなものだ。
「俺には応える資格がないからな」
「貴様が本気でそう思っているなら、貴様は女をもてあそぶゲスだ」
「……返す言葉もない」
せめて、彼女たちの前では、俺はバスティアであり続けなくてはいけない。騙したなら最後まで騙しきるのが、彼女たちへの最低限の礼儀だ。
……違うな。俺自身が彼女たちに裏切ったと思われたくないのだ。おっぱい星人にあるまじき不思議な執着だが。
「貴様の生き方は神話の時代に生きた英雄にしか許されないものだ」
「俺はそんな器じゃないけれどな」
「勘違いするな。私に言わせたら英雄などただのバカだ。賢く生きるすべなどいくらでもあるのに、周りを巻き込んであえて選ばなかった愚か者だ」
「厳しいな」
「貴様のことを王は気に入っている。バカであられては困るのだ」
ライラックは立ち上がった。目の前にはきれいに形成された炉の外壁がある。なんやかんや言ってもこいつも協力してくれている。
「すまんな、助かる」
「貴様のためではない」
* * *
「ふーっ…」
温泉に浸かると反射的にこの声が出るのは、日本人の血がそうさせるのだろうか。
紡績都市の名を冠しているが、フリントは鉱山都市なので街のあちこちに温泉がある。
マイン工房と宿の間にもいい位置に温泉があり、俺たちは毎日の仕事あがりの疲れをこの温泉で流すことが日課になっていた。
(しかし……これまた日本の温泉によく似ているな……)
こんなところにも盛り芸術の爪痕が残っていた。いや、これはもしかしたら砂霧たちが言っていた他の転生者の仕業かもしれない。なんにせよ、この地に元日本人の誰かがいたのは間違いないだろう。よりによって抹茶白玉とか残しやがって。グッジョブ。
入り口の横では牛乳が冷えていた……さすがにガラス瓶ではなく陶製の瓶で氷水に浸かっていたが…木でできた桶……手に取ってみると造りが微妙に樽っぽい……も転がっている。覗き防止のためか男湯のほうが高い位置にあるし、こうして男湯と女湯の間には木でできた柵もある。一瞬竹に見えなくもないが、なにかの木を加工してあるのだろうか。近寄って確認し……
「……おっす、ばすちー」
柵の上に奏鳴がよじ登って、こっちを見下ろしてるのと目が合った。
覗きである。
……ええと、こういうときはどうすればいいんだ?
この世界では女性圧倒的優位の感覚が正常だから……
「きゃーっ」
とりあえず悲鳴を上げて手に持っていた桶もどきを奏鳴に向かって投げつけてみた。
「うほーい」
奏鳴は嬉しそうな悲鳴をあげて撃墜されていった。
下の女湯の方できゃいきゃい声が聞こえるが、俺は落ち着いて温泉に入りなおす。
この世界では、温泉で覗きをしてまでおっぱいを見に行く必要がないのだ。
* * *
「見たまえ! これが新型回転式金属糸生成機だ!」
「一緒に造ったから知っています」
ミルヒアの疲れた声とは逆に、マイン博士は絶好調だった。
もっとも二週間にわたる作業工程は決して楽なものではなかったので、仲間たちのいずれもが大体ミルヒアと同じように消耗している。特に試験動作確認のたびに安全装置代わりに駆り出されていたバリエラの消耗がひどい。お疲れさまというしかない。
「さて、パーツごとの駆動テストは無事完了したからな。いよいよ本格稼働実験だ! 頼むぞバスティアくん!」
「はいはい、ここまできて嫌とは言いませんとも」
実際のところ、新式は素人目にも安全性が飛躍的に向上していた。まず坩堝に該当する部分の回転軸が吊り下げ型になった。これは回転物の構造が軽量化されたことで可能になったポイントだ。坩堝の下には熱を集中させるための炉、熱気を送り込んだり排気をしたりの調整用の管が複数伸びている。管はそのすぐ横にある土でできた大きなかまくらに繋がっている。ここが温度調整室だ。つまり、俺の仕事場になる。
調整室内部には炉の温度を測る計測器と、各弁の解放レバー、燃料を足すための炉の口と、送風をコントロールするファンの調整ペダルがある。制作に携わっているのだ。操作方法は理解している。
「さあ、加熱を開始してくれたまえ!」
「了解!」
燃料に点火し、送風開始。炉内だけでなく送風管の加熱も開始する。炉内の状態を知るのは計測器だけが頼りだ。
「いいぞ! バスティアくん! そのまま加熱を進めてくれ!」
博士の大きな声で言われなくとも、手近の計測器が指し示すのは130イグニス。145イグニスまであと少しだ。ファンを全開にし、排熱開始のタイミングを見計らう。
「……現在140イグニス! そろそろ回転の準備を!」
「いいぞ! こちらはすでにいつでも〈詠衝〉できるとも! 最高のタイミングで最高の回転を賭けられるぞ!」
……
(しまった!)
俺は今更ながら痛恨の失敗に気が付いてしまった。
このポジション、〈詠衝〉が一切見えないじゃないか! なんてこった! おっぱい星人一生の不覚である。今からでも覗き穴を進言……いやいや。
「バスティアくん! 温度はどうなってる!」
あ、いかん。雑念に気を取られていた。
「今143イグニス! 10秒以内に145に到達します!」
「わかった! 回転を開始する!」
計測器の数字が上がっていく……145! なるべくこの時間を維持するべく排熱を開始する。146……安定している。頭上からは軸の軋む回転音。
外がなにも見えないこの空間では、音だけが頼りだ。だが。
「「「やったー!」」」
仲間たちの歓声が実験の成功を俺に伝えてくれる。
* * *
「これが……ミスリル銀糸」
周囲に飛び散った銀色の糸をかき集めて手の上にのせてみる。うん、回収機構はまだ検討の余地があるが、工程そのものは大成功と言ってよかった。青白く輝く銀色の繊維はふわふわだった。
「よし! よし!」
博士がガッツポーズを繰り返す。研究成果が叶ったのだ。嬉しいに決まっている。
俺たちも肩の荷が下りた。これで解放される。
「おめでとうございます。これで……」
「ああ! やっと品評会に出展申請ができる! さあ、ここから移動用に小型化させてさらに安定性の高いものを品評会場に造るぞ!」
「……これで終わりじゃないんですの?」
「何を言ってるんだ君たち。はじめから品評会場で発表するためにやっているといったろう。これはあくまで基礎理論が正しかったことを確認するためのプロトタイプだよ。第一君たちの目的に必要なのは量産された高級魔障布の確保なのだろう?」
「ひあー」
バリエラが聞いたことのない悲鳴を上げてへたりこんだ。
まだまだ解放は先の話らしい。