第三十三話 おっぱい星人、得がたき友を得る
「実に見事であったぞ! バスティア! まさか我が最強の親衛兵団がこうも容易く降されようとはな!」
三日ぶりに謁見する王は実に晴れやかな顔で俺たちを……いや俺を迎え入れた。
大会の授賞式も終わり、王直々にねぎらいたいという言葉を受けて、俺たちは再び玉座の間に招かれている。祝賀ということで件の新衛兵団の面々も憮然とした顔で並んでいるし、クラーリアもものすごい顔でこちらを睨みつけて同席している。そっちは好都合なのだが、名門貴族の名代連中も当然列席しており、その中にはすました顔でいるライラック嬢の姿も見える。うん、再び顔を合わす機会があるなら少し手心を加えればよかったかもしれない。王が何か言うたびにすました顔が微妙に引きつっている。もし館で犬でも飼っていたなら本当にごめん。
「先日は済まなかった。いや我が不明を恥じるばかりよ。まさか貴殿のような男がいるとは夢にも思わなんだわ!」
王は興奮の絶頂だった。俺を見る目がやたらとキラキラしている。あれだけ執心していたミルヒアやプニルたちに見向きもしない。
王は自分を含めた男たちの弱さとふがいなさに、ただ失望していたのだ。だから彼は心のどこかで英雄を求めていた。既存の力関係を自分の価値観ごとぶっ飛ばしてくれるような英雄を。
「なぜ貴殿は〈房珠〉を恐れず立ち向かっていけるのだ。その恐るべき胆力はどこから来る」
だっておっぱい好きだから! とはさすがに言える場面ではないので、あらかじめ用意していた答えを返す。
「背中を預ける仲間を信頼しているからです」
ミルヒアを、プニルを、デボネアを、他のみんなを信頼しているからできた戦い方である。これは俺のもうひとつの嘘偽りのない気持ちだった。
遠くに来たものだな、とふと思う。まさかおっぱい星人が仲間とともに戦うことになるとは前世では思いもよらなかった。
だが、ここからが本題だ。
これでやっとクラーリアと交渉をする準備が整った。
この感触なら心配はないだろうが、流れで賭けを有耶無耶にされてはたまらないとプニルが咳払いをする。
「おお、そうだったな、防衛計画の見直し案ということであったが、ふむ」
王はあごに手を当てる。
「しかし、現実問題、早急に対応するのは難しいのだ。貴殿ほど研鑽を詰んだ即戦力となる男を数確保することがどうにもな」
歯切れがよくないのは、王としても賭けの結果を裏切ることになるのは不本意だからだろう。
だが、その言葉を待っていたのだ。
目くばせをするとプニルが小さくうなずいた。一歩前に進み出て朗々と奏上する。
「お聞きください。すでに王はそれらの手練を手になさっております」
「ふむ? どういうことだ」
「クラーリア様でございます」
「え?」
急にその場にいる全員の視線を浴びて、険に染まっていたクラーリアがあっけにとられる。
そしてプニルは打ち合わせ通り、必殺の口上を述べた。
「クラーリア様は兄王様の助けとなるべく、すでに手練れの宵闇流の使い手を複数召し抱えておられます」
「なんと! それは真か!」
「わたくしの手の者に宵闇流に通じるものがおりますゆえ、真実でございます」
「え? ええ? え?」
事態が呑み込めていないのはクラーリア本人だけだ。居合わせた貴族たちも、新衛兵団も、ほう、と感心した表情で、今まで顧みられていなかった王妹を見つめる。
ヘンシャル王がクラーリアのを掴む。クラーリアはびくっと身をすくめて逃れようとするが、王は構わずまっすぐとクラーリアの顔を見つめていった。
「すまない、クラーリア。お前が国を思って手を尽くしていたこと、この兄はまったく気づきもしなかった。そしてお前の慧眼に礼を言いたい。この兄を信じて待っていてくれたのだな」
「え、ええ、はい」
答えながらも横目でこちらをぎろりとにらむクラーリア。あえてこちらはスルーだ。観念しろ王妹閣下。
王はまっすぐクラーリアを見ている。貴族たちも兵たちもクラーリアの挙動を見守っている。
クラーリアの目が泳ぐ。打算、計画、積年の恨み。しかしそれを維持するには、あまりにも今いる場所には光が当たりすぎた。
この状況でクラーリアが口にできる言葉はただ一つだ。
さあ、言え。言ってしまえ。
「……兄さまの手助けになればと思い」
クラーリアはとうとうそう口にした。兄王が妹を抱きしめる。
王は感極まって大声で叫んだ。
「我は間違っていた。圧倒的な魔法の力による統制こそがすべてを解決すると信じていた。だが、今ここに我を支える信頼すべき双輪の片割れに気づくことができた。この国は今一度強くなるぞ。我ら全員で成し遂げるのだ!」
誰ともなしに拍手が起こった。新衛兵団の皆も、ライラックたち公爵家の面々も、この構図を祝福した。強張っていたクラーリアの肩から力が抜けて腕がすとんと垂れる。
国王暗殺計画が完全に潰えた瞬間だった。
* * *
貴殿とはまだまだ話したいことがある、と是非に言われ、俺は王に城に引き留められた。
どうやら必要以上に気に入られてしまったようである。
プニルの顔には「今回の使節団の完全成功のために努めてこい」とはっきり書かれていたので、王の申し出を受けることにする。
「こちらに晩餐を用意させてもらった。おおいに飲み語り明かそうではないか、英雄バスティアよ」
いつの間にか英雄にされてしまっている。でも文字面的には「やる男」って意味だから間違ってもいないのか。過分な評価とは思うが悪い気はしない。
と、王に連れられて進む廊下で声をかけられる。
「もし、少々バスティア殿とお話をさせていただきたいのですが」
「ふむ、なら我は先に行っていよう」
王が気を利かせて席を外す。
俺とクラーリアは対面で向かい合った。
クラーリアが率直に聞いてきた。
「あなたが、この絵図を描いたのですか」
「ああ。そうさせてもらった」
クラーリアは小さくため息をついた。
「余計なことをしてくれました。これでもう……私の中の義は立ちません」
「そうか、それは何よりだ」
「……あなたは、私を諫めたつもりですか?」
クラーリアがこちらを睨みつける。だが、それはお門違いだ。
「俺が助けたかったのは、宵闇流の人たちです」
「彼らを……」
「彼らの力は、王国だけでなく、俺たちが、これからの世界が必要としている。こんなことで使いつぶしてもらうわけにはいかなかった」
戦える男はこの世界では貴重だ。それもたた力で立ち向かおうとするのではない。隙を突き、裏をかき、相手の上手を取ろうとする戦い方は、まさに実力本位のこの世界の穴を埋めてくれるもの。乳憎むものの掌上にない力。俺たちの戦いの切り札になってくれる予感があった。
「……本気で、世界を壊す相手と戦う気なのですね。あなたは」
再度のため息。しかし今回はどこか呆れたような、腹の底から吐き出すようなため息だ。
まるで、ずっとわだかまっていた黒い渦がそこから抜けていくのを見ているようだった。
クラーリアはぽつりと言う。
「悔しいです。貴方にとっては私など小さな障害のひとつでしかなかったということですね」
「それは買いかぶりです」
「いえ、いいのです」
クラーリアは濁りのない顔でほほ笑んだ。
「まずは英雄バスティア様にお礼を。国民に無駄に血を流させずに済みました」
ふわりと一礼。そして、同じ顔でもう一言。
「それとは別に、このツケは、いずれ世界が平和になった暁に、バスティア様に払っていただくことにしましょう」
「……お手柔らかに」
俺はそう答えるしかなかった。
「バスティア殿、まだか?」
王が呼んでいる。
振り返ったときには、すでにクラーリアはこちらに背を向けて立ち去っていた。
次に会う時は彼女はもう偽乳を身には帯びていないだろう。
* * *
王との歓談は大いに盛り上がった。晩餐の一席では語り足りず、俺たちは食事後も酒杯を交えて大いに語り合った。
王は話してみると聡明な人物だった。政治経済国防教育治安、様々な議題に関し多角的で挑む傑物だった。ただあまりにも急進的、そして旧体制への頑なさから周囲と隔絶していたにすぎないと思い知らされた。王の態度の緩和は貴族たちにも好意的に受け取られているらしく、それをもたらした俺自身への扱いもライラック嬢以外悪くない。居心地の良さの礼とばかりに俺も勉学レベルの生兵法とはいえ、王の言葉に対し前世の記憶を頼りに新たな見解を述べる。王は喜び、また新たな話題を俺にぶつける。俺もこの出会いを大いに楽しませてもらった。
結局、俺は三日三晩王の歓待を王城で受けることになった。
代わりに、この世界で初めて、同性の友人と呼ぶべき存在を得たのである。




