第十七話 おっぱい星人、響きを穿つ
あまり山を離れたくないという凍てつく熊だったが
「結界から解き放たれれば契約も薄くなって、あの黒髪女殴りに行けるよ」
と砂霧に言われて
「うー、わかった。殴りにいく。ふんす」
あっさりと在り方の書き換えを受け入れた。
「というわけでボクは氷毬になりました。よろしく」
俺によっかかってフニフニされながら、元凍てつく熊は新しい在り方の名前をお披露目した。ちなみに聖獣たちにとって一連のフニフニは〈房珠〉に溜まった百年単位の凝りをほぐしているに等しいものらしく、ひどく気持ちがいいものだという。
「覚悟してはいましたけどまたフニっこ動物が増えました…」
「あたしのときと同じくいろいろ手続きしてやってよ」
「わかってますよっ!」
ミルヒアがじたじたする。プニルが今回はあらかじめ仕入れていたフード付きのコートをがぼりと氷毬に被せた。
「なにはともあれ、これで守護稜線の結界も半分までは回復しましたわ」
「残るは南か西かということですが、次はどういたしましょう」
「確か南が鷹さんで、西が狼さんでしたです」
「群れ狩る狼は集団戦に強いよ。星追う鷹はスピード型ね」
「そういえば砂霧さんは熊さんと鷹さんはあだ名で呼ぶですねえ」
「隣の結界の主とはなんとなく繋がりがあってねー。狼とはあんまり絡みがなかったのさ」
「脱線してますわよ」
「どっちも厄介そうなのが悩みどころですよホントに」
「んー」
それまで気持ちよくフニフニされてた氷毬がおずおずと発言する。
「ばすちあ。ボクの主観だけど、いい?」
「ん、いいぞ。言ってみな」
「もしかしたら、西の結界、まだギリギリもってるかも。結界繋ぎなおしたときまだダイジョブだった気がする」
気のせいかも……と段々声が小さくなる氷毬。
これは貴重な情報だった。
「つまり、西はまだ聖獣が耐えているところで、今行けば例の黒髪女が来るかもしれないってことだな」
皆がハッとする。敵がまだ計画の途中ということは、今動けばこちらが先手を取れるかもしれないということだ。
「決まりだな。次の目的地は西の霊峰だ」
* * *
(驚いたな……)
西の霊峰に向買う途中の光景は俺にとっても見覚えのあるものだった。まさに俺がこの世界にやってきたときにいた場所だ。不覚にも懐かしさ迄感じる。
ミルヒアを振り返る。目が合った。ミルヒアもこちらを見ていた。
ここはミルヒアと俺が初めて出会った場所なのだ。同じことをミルヒアも考えていたのだろう、なんとなくお互いくすりと笑い合う。
「ここはよくない場所ですわ」
逆に青い顔なのがプニルだ。いや、デボネアとバリエラの顔にも緊張が走っている。
俺が最初に来た場所ということは例のフレアクロ―がいた場所ということでもある。3人とってはトラウマの地であるのだ。
「さっさと狼さんを見つけて保護しますわ!」
青い顔のままざかざか進む。メイドさんたちも諫めもせずに早足でそれを追いかける。こちらがそれに合わせてやらなくてはいけない。
「なんであの3人イライラしてる?」
氷毬が不思議そうにこっちに聞いてくる。聖獣たちは特に指示しなければ俺と連動して動いている。隠すことでもないので伝えてやる。
「前にここで火の魔物に襲われたんだ」
「火の相手ならボク少しは防御できる。吹雪呼んだりはできなくなってるけど おー?」
氷毬がそう言い切るか言いきらないかうちにプニルが氷毬を抱えて連れて行ってしまった。
サラマンダーに対するトラウマは相当なものらしい。心の安寧になるなら氷毬を貸し出してやることにする。
「やあ、あれはこれから先が心配だねー」
今度は砂霧が声をかけてくる。
「群れ狩る狼の得意魔法は炎魔法だって知ったらどうなっちゃうだろうね」
「……まあ、それなら余計に早く対処しないとまずいな」
敵に回られたら結界だけでなくプニルたちの精神がピンチだ。
* * *
「なんで狐と熊がここにいるんだよ……」
「狼、ボクたち助けに来たんだ。こっちの人間たちはね」
「人間をアタシに近づけんじゃねえ!」
群れ狩る狼が一括して腕を振るうと地面に一直線の炎のラインが引かれた。
ひゃあ、と面白い声を上げて飛びずさるプニルお嬢様。
あわててコートをめくって霜を呼び出す〈詠衝〉をする氷毬。代わって砂霧が狼の説得に乗り出す。
群れ狩る狼は小高い丘の間にうずくまるようにしていた。長身の青みがかった黒髪で、やや浅黒い肌にはJカッブ級のロケット〈房珠〉が突き出している。凛と立っているなら思わず拝みたくなるような見事な業物であったが、苦しそうに肩を抱き、こちらを紫水晶のような瞳で睨みつけてくる様は、近寄ることすら躊躇われる苛烈さと痛々しさを纏っていた。
〈房珠〉からはまるで妖気とも呼ぶべき歪んだ魔力が溢れだしている。あれで理性を保っているのだから驚異的な精神力だった。
「だいたい狼に何が起こってるか把握してるよー。あたしたちも同じ目にあったからね。今なら楽に治せるから話を聞きなよ」
「うっせえ……アタシは結界を守るんだ……おまえらとは違う!」
「これは、どうしたものかな」
「なんか人間そのものに敵意抱かちゃってますです」
3人組の中ではバリエラは比較的冷静だ、と思ったらふるふる揺れる〈房珠〉がこっそり自分だけ〈耐火障壁〉を展開している。
「少しあたしたちに時間をくれないかなー。なんとか説得はしてみるよ」
「あんまり時間はかけられませんよ? プニルがなんか面白い感じに仕上がりつつあります」
「ボクもがんばるけど、だめそうなら出直したほうがいいと思う」
「じやなきゃ強行手段しかないか」
「なんだよォ。なんで狐と熊がここにいるんだァ?」
「!?」
相談していた俺たちの会話に知らない声が交じる。
周囲には十分に警戒していたはずだ。
「あーっ!」
氷鞠が怒気をはらんだ声で後方上空を指さす。
後方……上だと!?
「星追う鷹……」
振り返った砂霧が小さく呟いた。
上空には2つの影があった。
「あー。狐っちじゃん。なんで人間とつるんじゃってるの?」
ひとりは腕から金色の羽毛を広げて空を舞う少女だった。翼と同じ輝きを放つ肩で揃えられた金髪の下から、純粋に興味深そうにサファイアブルーの瞳でこちらを見ている。羽ばたくたびにFカップ〈房珠〉が揺れて飛行を助ける魔法が〈自動詠衝〉されていた。濃い目の〈呪紋〉からは他にも音を操る魔法の存在を感じる。
そして、もうひとりは
「なかなか狼が堕ちねーから様子を見に来たらよォ、畜生どもが脱走してんじゃねーかァ」
黒髪を左右に束ねたライダースーツ風の服に身を包んだ女が、星追う鷹に抱えられるようにこちらを見下ろしていた。
「このやろー!」
氷毬が掌に生み出した氷弾を黒髪女に投げつけたのは、女が星追う鷹から離れて地面に降り立ったのと同時だった。結界から離れた氷毬の氷塊はずいぶんと小ぶりになってはいたが、それでも直撃したらただでは済まない速度だ。タイミングも申し分ない。しかし
「熱くなってんじゃねェよ」
女が軽く手を払うと氷塊は空中で弾けて霧になった。
皆が唖然とする中で、俺だけには女が何をしたかが見えた。
(魔法そのものを歪めて消した……!)
俺が干渉できるのはあくまで〈詠衝〉前の魔力までだ、一度発動した魔法をどうにかすることはできない。それをあの女はやってのけたのだ。
群れ狩る狼を守るように陣形を整える俺たちを一瞥すると、黒髪女はふんと鼻を鳴らした。
「うぜえな。おい、鳥、あいつら潰しとけ」
「かしこまりー」
女に遅れて地上に降りた星追う鷹が〈房珠〉をぐるんと大きく〈詠衝〉させる。
「やっば」
砂霧が慌てて叫ぶ。
「みんな耳を」
「ははは遅ェ」
〈制圧音衝〉!
一瞬の後、まるで音でできた薄いガラスが俺たちの体を通り抜けたように感じた。
耳をふさいで対応できたのは少なからず予想ができていたであろう砂霧と氷毬、それと星追う鷹の〈房珠〉をガン見して魔法を読んでいた俺だけだ。前衛で張り詰めた音の直撃を食らったミルヒアとプニルは、糸が切れたようにその場に倒れた。その陰にいて直撃は免れたバリエラとデボネアも耳を押さえて悶絶している。そして耳を押さえていたとはいえ
「ごめん……〈塵霧〉を張る余裕がなかった……」
獣ゆえに人間よりはるかに音に敏感な砂霧たちも甚大なダメージを受けていた。苦しそうに膝をついている。
そしてそれは群れ追う狼も同様だった。
「あ……が……」
ただでさえ弱っているところに気絶するほどの音衝撃をまともに受けたのだ。見開いた目からは涙が流れ、口からは言葉にならない嗚咽とともに泡を吐きかけている。
(まともに動けるのは俺だけか……)
だが、これは好機でもある。黒髪女は俺のことを知らない。完全鎮圧が成功したと思っている。つまり、一手だけ隙が突ける。わざとダメージ甚大なふりをして倒れ込む。
位置を確認する。俺たちを鎮圧したと思っている黒髪女はこちらを歯牙にもかけず悠々と群れ狩る狼に近寄っていく。そして後方には星追う鷹が全体を射線に収めるように控えている。こちらがどのように動いても先ほどの音攻撃を放って来るだろう。
こつん
服に小石が当たる。ちらりと振り返ると、デボネアがこちらを見ていた。それだけで俺は何をするべきか理解した。やれるんだな? デボネア。
俺の視線にデボネアが頷き返す。より、腹は決まった。あとはタイミングだけだ。
「じゃあ今度こそ堕とし切っててやんよ狼ィ。したらそこのゴミどもを好きなだけ切り裂かせてやるからさ……なにィ!?」
そうだ、お前が俺の横を通り過ぎたその瞬間だ! 俺はおっぱい星人奥義〈死返〉を使って一気に起き上がる。これは転倒状態から跳ね起きることでラッキースケベを狙うための技だ。理想は寝ている状態から夢見のせいで跳び起きて、起こしに来た幼馴染のおっぱいにダイブすることだが、よく考えると俺に起こしに来る幼馴染はいなかった。しかし鍛錬そのものは俺を裏切らない。ここに繋げるのはもちろん〈点睛〉。起き上がった反動のまま一気に距離を詰める。ターゲットは……星追う鷹!
「おっとぉ、こっちきたぁ」
「潰せ! 鳥ィ!」
急に行動を開始した俺を、逃げるか、迎え撃つか。鷹の瞳に一瞬複数の選択肢が浮かび上がった。それも黒髪女の一喝でひとつに収束する。
「悪いけど、至近距離で悶絶してもらうね」
〈鎮圧音衝〉〈聴覚阻害〉!
直前起き上がったデボネアの〈抜頭〉による抜き打ちの〈詠衝〉が完成する。デバフの対象は、俺だ!
なっ! とでも言ったかのように星掴む鷹の唇が驚愕の声を上げたかのように開かれる。まあ、俺には聞こえないがな!
俺の体を失神レベルの音の壁が通り過ぎる。しかし、効かない。聞こえない! その音波は俺の鼓膜を震わせることはない。
ガシィ!
掴んだぜ!〈房珠〉! 瞬間的に身動きが取れない程度の〈妨害〉を流し込む。これで十分だ。星掴む鷹の飛行と魔法を補助していた〈詠衝〉は一時的に封じた。
「あとは任されたよー」
「このくらいはするっ!」
即座に聖獣たちの〈魔頭〉から発動された〈砂牢〉〈氷鎖〉が二重に星追う鷹を取り囲んだ。動きを束縛するだけでなく外部から鷹本体を守るためでもあるのだろう。星追う鷹はあとは砂霧と氷毬に任せればいい。
残るは……
「はははァ。お前、面白いことできるじゃねえか。狐と熊もてめぇの仕業かァ」
振り返れば黒髪女が群れ狩る狼の〈房珠〉を掴んだまま、こちらを面白そうに……いや、それ以上の憎悪の炎に染まった目で見ていた。
「その鳥ァ移動とかに便利だったんでペットに書き換えたんだけどなァ、まあいいさ。帰りは別の魔物でも書き換えて足にすっか」
本当に心底どうでもいいように吐き捨てる。
「帰りの足の心配とは、ずいぶん余裕があるな?」
「んー? 余裕あるように見える? 正解。もうオレの勝ちだから」
「ぐあああああああああ!!」
群れ狩る狼が吼える。苦悶に歪んでいた表情はむしろ晴れやかで……その瞳は血に濁っていた。
黒髪女がさらりと恐ろしいことを言う。
「書き換え完了だ。今のコイツは『〈房珠〉持つものと邪魔をするものを皆殺しにする』だけの存在になった」
「馬鹿な! そんな命令をすればお前もタダじゃ……?」
……さっきからの違和感の正体が、今になって分かった。なぜ俺は迷いなく黒髪女ではなく星追う鷹を制圧に向かったのか? 黒髪女には俺の技が効かないと本能的にわかっていたのだ。
こんな、こんなことがあり得るのか? 黒髪女の胸を凝視する。魔力の存在を探る。そして確信する。
「やっと気づいたかよ糞野郎。オレはゆうゆうと引かせてもらうぜェ。あとは狼、邪魔はしねえから役目を果たせや」
「……言うまでもない」
群れ狩る狼は黒髪女に背を向けて、こちらを睨みつけた黒髪の女に見向きもしない。
黒髪の女には、〈房珠〉がなかった。
「あばよ。この世界にきてここまで予想外を見せてくれたのはお前らが初めてだったぜ。この乳憎むものの思い出になってこの世から消えてくれ」
笑い声のような、憎しみのこもったような声を残して、黒髪の女は立ち去った。
俺たちは追いかけることができなかった。群れ狩る狼がその間に割って入ったからだ。そして……
「……嘘でしょう」
「悪い夢にも程がありますわ」
よろよろと復帰したミルヒアとプニルが怨嗟の声をあげる。俺も全く同意見だった。
群れ狩る狼は集団戦に強いよ。
砂霧の言葉が鮮烈に思い出される。
「そりゃあ数相手にも強いわけだ」
そして、俺たちの周囲を、群れ狩る狼が召喚した無数のフレアクロ―が取り囲んでいたからだ。