第十六話 おっぱい星人、氷原に踊る
「次向かうなら北がいいね。そっちからもう魔族が入り込んでるんだよね?」
砂霧の提案を受け入れて一度街へ戻る。山中を直接北に向かうより一度街に向かい街道沿いに進んだ方が近いからだ。
ついでにいつまでもリンゴ袋をかぶせておくわけにもいかないので砂霧の服を調える。ポンチョとミニのタイトスカート、ブーツにカチューシャとレザーづくめだ。ちょっとした西部劇風の格好だ。カチューシャのおかげで大きな狐耳がアクセのように誤魔化せる。しっぽは逆に堂々としていれば誰も気にかけないようだった。
人前に出せるいでたちになったので、ギルドに便宜上の砂霧の従者申請を済ませておく。
「あら、今度は女の子の従者を増やすんですね」
「ええ、不本意ながら」
「えっ?」
便宜上はミルヒアの従者ということになる。これで砂霧も領内では人間として振舞えるはずだ。
別に要らないのではないかと思ったが、プニルがどうしてもお姉さまに報告するというので、双子のところに途中経過を伝えに行く。
「ほう!」
「ふぅむ!」
「やあ、当代」
急に現れた狐耳の少女に興味津々で身を乗り出す双子に対し、砂霧はまるで気にも留めないマイペースだった。うちの主従ではおそらくミルヒアが一番腰が低い。
「まさかそんなことになっておったとはのぅ」
「バスティアの提案を受けておいてよかったわい」
双子のため息を砂霧への定例フニフニをしながら聞き流す。砂霧いわく、砂霧としての在り方を〈房珠〉に定着させるために、しばらくは定期的に砂霧の名前を呼びながら〈房珠〉を調整していく必要があるらしい。おっぱい星人としては願ったりかなったりだが、なぜかミルヒアの視線が怖い。
「して、その怪しい女とやらの人相を聞いておこうかのう」
「人間ということならば街に入ってくることがあるかもしれぬ」
双子の手際によって女の人相書きが完成した。長い黒髪をツインテ―ㇽにした黒目の女だ。身長は俺より低めだが歳のころは俺とほぼ同じに見える。いやこの世界では見た目の年齢はまるであてにならないのだが。
「街で見かけたら二人がかりで〈お願い〉して〈逗留〉してもらうわい」
そう言って双子は邪悪な含み笑いをした。
結局街で一泊してから北に向かう。久しぶりの朝の鍛錬にはリコルとミアが顔を出した。特にリコルの技のキレが飛躍的に上がっている。本格的に弟子育成をすることを考え始める。
昨晩は砂霧がどこで寝るかでひと悶着があった。バスティアの近くにいるよーと言ってた砂霧を、最終的にミルヒアが家主強権で自室に連行して事なきを得た。さすがに梁の上は二人寝るには狭すぎるので助かった。
せっかく減ったリンゴが朝の市場にて無慈悲にも再補充され。俺の荷物はますます重くなった。砂霧もリンゴは好物らしく、パーティーの必要量が増えている。仮にも俺を主というなら砂霧も少し持ってくれと文句を言ったが、砂霧に持たせた分は即食べられてしまうことが判明したので結局俺が持つ。
東に向かった時より一段厳重な装備で一路北へ。こちらも途中までは街道のある旅程だ。
先導する砂霧はあちこち飛んだり跳ねたり忙しい。いわく惑わす狐をやってたころは岩山からほとんど離れることはなかったらしく、もう見慣れぬ土地を歩くだけで楽しいそうだ。
「凍てつく熊はねえ、氷魔法と反響魔法を使うのさ」
岩の上で無意味にバランスを取りながら砂霧が言う。
「反響魔法というのはなんですか?」
「んー、じゃちょっと詳しく説明するね」
岩から飛び降りた砂霧が俺の前に背を向けて立つ。これはフニフニのおねだりだ。歩きながらフニフニしてやる。
「あたしたちにはね、それぞれ特定の魔族を退ける力が授けられているんだ。群れ追う狼は数で結界を超えようとする魔族を追い立てる力を、星追う鷹はスピードで無理やり結界を突破しようとする魔族をおいつめる速さを」
わたしは知恵を使って結界を抜けようとする魔族を幻覚で追っ払う力だよ、と砂霧。
「で、凍てつく熊は力で無理やり結界を抜けようとする相手にその力を反射させちゃう力を持ってる。それが反響魔法」
「かなり強力な防御魔法なのです」
「かといって距離を置くと氷魔法でガンガンくるのが凍てつく熊の厄介なとこだよね。どうやって倒すの?」
「どうすると言ってもな」
ふむ、と考えるが結局いつもの結論だった。
「相手が〈房珠〉持ちなら俺が近づいて封じるのが間違いないだろうな」
すでに視界には北の霊峰……もちろん並んだ見事な二子山だ……が入っている。
* * *
「これどうやって近づきますのッ!」
「どうにか封じられないかッ!?」
「無理なのですよぅ!」
がんぎんごんがんごんがんがんがん
大声で話さないとお互いの声が轟音にかき消されて聞こえない。
俺たちが隠れている岩の裂け目の直上で巨大な氷塊が砕け散った。ばらばらと破片が俺たちに降り注ぐ。砂霧の案内と魔力の探知でたどり着いた山麓の周囲は、まだ秋も深まり切る前だというのに完全に氷原と化していた。もちろん凍てつく熊の魔法によるものだろう。
凍てつく熊は熊というには小柄な少女だった。もしかしたらローレリアたちよりも見た目は小さいかもしれない。小さな熊耳が乗った透き通る青い髪をおかっぱ頭にし、瞳は金色に輝いている。全体的にぷにっと肉付きがよく〈房珠〉に至っては砂霧より一回り大きい。その〈房珠〉には遠目にも氷魔法の〈呪紋〉呪文が発動しているのがわかる。、
そして凍てつく熊はあらぶっていた。歪められた山の結界に俺たちが入ったと知るやものすごい勢いで急襲し、氷塊を生み出し投擲してきたのである。小柄な体から投げられているとは思えない速度で、羊一頭分ほどはありそうな大きな氷の塊が砲弾のように飛んでくる。右の投擲で発生した乳揺れの〈詠衝〉で左の掌の上に氷塊が産まれる。それを投げつけた反動の〈詠衝〉で今度は右の掌に氷塊を産むのだ。それが延々と繰り返される。
「うがーーーーーー!」
凍てつく熊が吼える。相応に幼い声だが、その大音声は岩越にも隠れている俺たちを震えさせた。かろうじてプニルが散発的に雷撃を飛ばして牽制しているために近寄ってこそ来ないが、このままでは削りきられてしまう。
「向こうの体力か魔力切れを待つのはどうでしょうか」
「やあ、凍てつく熊は熊だからタフだよ。それにあたしたち一応聖獣だからね。年季入ってるぶんだけ〈房珠〉の魔力も多いよ」
「打って出るしかないってことか」
「とはいえあの氷じゃ高速移動系を使っても足を取られて近寄れませんわ」
「そこは考えがあるが、問題は近づいた後だ」
「反響魔法……ですね」
「あれは相手の攻撃の衝撃でそのまま〈自動詠衝〉される鬼畜技だからね。普通に攻撃したら隙をついても不意打ちしてもカウンターされるよ」
「つまり、やっぱり俺が凍てつく熊に取り付けるかどうかの勝負か」
覚悟を決めるしかない。
「みんな、力を貸してくれ。これでいけるはずだ」
攻撃が緩まった一瞬の隙をついて、岩の裂け目から俺を背負ったミルヒアとプニルが同時に左右に展開する。凍てつく熊は両手に生成した氷塊を双方に投げつけてきたが
〈物理障壁〉!
バリエラの〈詠衝〉によりこの一撃ははじき返す。お返しとばかりにプニルが〈雷撃速射〉で弾幕を張る。低威力の攻撃ではあるが凍てつく熊のターゲットはこれでプニルに移った。
〈砂生成〉!
砂霧の〈詠衝〉が完成する。〈流砂〉のような大技は使えなくなったらしいが今はこれで十分だ。砂霧の〈房珠〉が震えるたびに氷原の上に凍てつく熊に向かって数条の砂の道が現れる。
〈脚力強化〉!
そしてプニルが作った熊の隙をついて、ミルヒアがばるんと大きく〈詠衝〉を繰り出し駆けだす。滑る氷の上に敷かれた滑り止めの砂を踏みしめ、一気に距離を詰める!
「がーーーっ!」
慌てて氷塊の向きウを変えて応戦する凍てつく熊だが、右に左にとミルヒアは砂道を跳び軌道を変えて捉えさせない。
「いきますよっ!」
そのまま肉薄したミルヒアが右の一撃を放つ。それを受けた凍てつく熊の左〈房珠〉が大きく揺れ、右の〈房珠〉に衝突した。その反動でバウンドした〈房珠〉からの衝撃が凍てつく熊の左腕に戻り……
「うがあッ!」
ミルヒアが撃ち込んだはずの衝撃が凍てつく熊の左裏拳から跳ね返される! しかしこの攻撃はミルヒアも想定している。即座に〈詠衝〉した〈突風〉の衝撃波で相殺し、ゴロゴロと後方に転がり逃れた。
「ふん…うっ!」
一瞬の攻防を制したと思っていただろう凍てつく熊に緊張が走る。
その時にはすでに俺が凍てつく熊の〈房珠〉を背後からがっしりと掴んでいる!
〈認識阻害〉
静かに発動したデボネアの魔法により凍てつく熊の意識から完全に姿を隠していた俺は、激突の隙を縫って凍てつく熊の後方にすでに回っていたのだ。
「ぐあ!?」
このまま一気に歪みを治そうと試みるも、凍てつく熊も当然無抵抗ではない。俺を振り払おうと周囲に氷の礫を生み出そうとする。
〈妨害〉!
間一髪で〈詠衝〉を解除するものの、このままでは埒が明かない。頼むぞミルヒア!
俺の心の声に呼応するかのように、ミルヒアが凍てつく熊に襲い掛かる。今度はしっかり最初の乳揺れからしっかりと〈詠衝〉の乗った必殺拳だ。その衝撃すらも反射しようとする凍てつく熊の〈房珠〉だったが
〈妨害〉!
ズドム
「うごぉ!?」
即座に〈詠衝〉を相殺する〈詠衝〉を熊の〈房珠〉にくれてやる。ミルヒアの攻撃は満額凍てつく熊に突き刺さった! しかし……!
「ぐふぉっ……」
当然その衝撃は熊の背後に張り付いている俺にも透過する! 頭蓋の先まで痺れるような振動が体内を走り抜けていく!
息の塊が肺から絞り出される。衝撃と寒さで〈房珠〉を掴む両手の感覚がなくなっていく。だが、ここで離したらもう二度とこの作戦は成功しない!
「ミルヒア!もう一発だ!」
「わかりました! いきます!」
ボゴム
「うがぁ!」
「げふぅ!」
ぐううう……! 凍てつく熊の体から人体が発生させてはいけないタイプの衝撃音が轟く。いや見た目はほぼ幼女とはいえ相手は熊だ。このくらい耐えるのかもしれないが、こちらにはやっぱりきつい!
「まだだミルヒア!もういっk」
「はい!」
ドズム
「ごあ……」
「ぉぅ……」
あ、だめだ、意識が飛ぶ、あかん。
「まだまだいきます!」
「すま、ミルヒア、ちょ」
「はい、そこまでですわ」
〈収束雷穿〉
ばちこん
「きう…‥」
俺の内臓がはじけ飛ぶギリギリのところで、いつの間にか距離を詰めていたプニルの高圧電流が凍てつく熊を鎮圧させたのだった。
もちろん俺も一緒に感電して鎮圧された。聖獣と関わるとこんなのばっかりだ。