宮廷を追放された錬金術師、善人ばかりの旅団に拾われ幸せを手に入れる ~私の才能に今さら気付いたってもう遅い! 甘い言葉で利用して『芋臭い没落貴族の娘に興味はない』と言った王子に協力なんてしない!~
私の生まれは辺境の小さな貴族の家柄だった。
富も権力も、貴族と呼ぶには小さすぎて、少し裕福なだけの家だったと思う。
あまり記憶にないんだ。
だってその家は、私が大人になる前に没落してしまったから。
当主である父の病死。
流行病にやられて、あっけなく父はいなくなってしまった。
続けて、父の代わりに頑張っていた母が過労死した。
これもあっけなく。
子供だった私には何も出来なかった。
悔しさを感じることすら出来ず、ただ悲しかった。
でも……
母は最期、私に言い残した。
「ユリア……幸せになりなさい。自分の……したいことを……して」
苦しくて辛い……弱音をはいてしまいそうな時に、母から出た言葉は私の幸せを願う一言だった。
思えば父も、同じことを言っていた。
自分たちの後を追うことはない。
貴族であることが幸せだとは限らない。
もし、自分らしく生きられる道があるのなら、迷わず進めば良い。
幸せになろう。
強い父が、優しい母が。
安心して天国で過ごせるように。
私は私らしく生きて、幸せを掴んで見せる。
ロクターン家。
それが私の生まれた家で、王国の南端にある小さな領地を統治していた。
両親が他界したことで、貴族としての威厳は保てなくなった。
領地は王国に返上。
いずれ別の領主が誕生するだろう。
屋敷での生活にもお金はかかる。
母が私に残してくれたお金もあるけど、当然無限じゃない。
使えばなくなってしまう。
どれだけ切り詰めて使っても、五年くらいが限界だ。
それまでに生きていく術を見つけなければならない。
幸い私には、誰にも教えていない特技があった。
いや、特技ではなく才能と言ってしまったも良いと思う。
錬金術。
物質同士を掛け合わせ、新しい物質を錬成する。
使える者が限られている魔術の亜型。
私には錬金術の才能があった。
一生、使うことなんてないと思っていたけど、錬金術師は貴重だ。
使い熟せるようになれば、必ず生きるための武器になる。
私は生まれ育った土地を出て、王都へ向かった。
王都、王宮には専属で働く錬金術師がいるという。
目指すなら一番良い場所を。
宮廷錬金術師になることを目標に、私は王宮に駆け込んだ。
それから年月は流れ。
五年後――
◇◇◇
水が流れる音。
金属同士が擦れる音。
台座に刻まれた錬成陣の上に、数種類の薬草が置いてある。
あとは水の入ったガラス瓶と少量の塩。
「よし」
準備は整った。
私は錬成陣に両手をかざす。
すると、錬成陣は光り輝き、用意された素材が消えていく。
素材を分解し、再構成している。
光が極限まで強くなって、次第に弱まり消えていく頃には、青い液体の入った小瓶がちょこんと置かれていた。
「うん、成功」
私は小瓶を手に取り、成分を分析する機材に流し込んだ。
ざっと確認した限りでは、予定した通りの出来だ。
「うーん、まだ効果が薄いかな? これじゃ万能ポーションとは言えないよね」
私が作ろうとしているのは、どんな傷、どんな病もたちまち癒せる万能ポーション。
これ一つで全ての病を駆逐し、人々を苦しみから救えるような。
夢物語みたいなポーションを作るため、私は日夜研究に励んでいた。
十七歳になった私は、宮廷で働いている。
念願だった宮廷錬金術師には二年前に着任した。
十五歳の成人と同時に宮廷に入れたのは運が良かったし、私が最年少だったらしい。
驚かれはした。
けれど、褒められることはなかった。
私の出自、辺境の貴族に生まれながら没落し、身一つで王都までやってきたこと。
哀れな娘だと言われ、宮廷での扱いはあまり良くない。
本来宮廷付きという役職は、名のある貴族の中から選ばれることがほとんどだった。
私はその中でも例外だ。
落ちた元貴族、いわば一般人から宮廷付きに選ばれたのだから。
中でも一人。
特にちょっかいをかけてくる人がいる。
「あら? こんな時間から働いているのですか? 相変わらずせわしない方ですね」
素材を研究室に運ぶために廊下を歩いているところを、彼女に声をかけられた。
派手な金髪に派手な衣装。
見るからに貴族の令嬢らしい立ち振る舞いの彼女は、私と同時期に錬金術師になったミーニャ・フロレンティア。
フロレンティア家は王都でも名のある大貴族で、そこに生まれた者は代々、何かの分野で秀でた才能を持っている。
当代では錬金術師としての才能を持った彼女が生まれた。
貴族の生まれという点では似ているけど、ここに至るまでの道程は全く異なる。
彼女は家柄のお陰で、宮廷付きの試験を受けずに宮廷錬金術師になった。
それだけ期待され、贔屓されていた。
「ミーニャさんこそ、こんな朝早くに来られるなんて珍しいですね? 研究ですか?」
「研究? ふふっ、そんな面倒なことしなくても、私は正解にたどり着けるの。貴女みたいな凡人と違って……ね?」
彼女は自信の塊だ。
錬金術師にとって大事な研究という過程を軽く見ている。
しかし現に、彼女はこれまでに多くの成果を出してきた。
私が研究の果てにたどり着いた物を、彼女はいつも一歩先にたどり着いていた。
悔しいけど認めるしかない。
彼女はきっと、天才なのだろうと。
「近々いい発表が出来ると思いますわ。楽しみにしていてくださいね?」
「はい。私のほうも近いうちに出来そうです」
「へぇ~ それは楽しみね」
彼女に負けたくない気持ちが、私のやる気をかきたてる。
天才に努力で勝ちたい。
恵まれた人に、恵まれなかった人が勝てる未来を想像して、奮い立つ。
ただ、それだけじゃない。
私のやる気を保ってくれている人が、もう一人いる。
私が研究室に戻ると、彼が扉をノックした。
「入るよ、ユリア」
優しい声に振り返る。
声とピッタリな表情をした彼が、扉を開けて研究室の床を踏む。
「やぁユリア、今日も頑張っているね」
「ありがとうございます。ゼノン殿下」
ゼノン・マクスウェル。
私が暮らす国、ソロモン王国の第一王子様だ。
「重たそうな荷物だね? まさか自分で運んできたのかい?」
「はい」
「そういうのは男に頼むと良い。君は女性なんだから、もし怪我でもしたら大変だよ? 必要なら僕を頼ってくれたらいいのに」
「そんな! 殿下の手を借りるなんて」
彼はゆっくりと首を振る。
「遠慮はいらないよ。錬金術師は国の発展に大きく関わる役職だ。君に期待している分、有意義な環境で研究に取り組んでほしいのさ」
「殿下……」
彼はとにかく優しい。
かけてくれる言葉も、表情も全て。
きっと心も。
私みたいな元田舎貴族の没落令嬢なんて、普通なら相手にもしないのに。
殿下は期待してくれているんだ。
私の頑張りを認めてくれている数少ない理解者。
「無理せず頑張ってくれ。僕が王になった時に、君の話を自慢したいからね」
「はい!」
彼に褒められると心が躍る。
期待されていると知って、やる気が何倍にも膨れ上がる。
彼の力になりたい。
期待に応えたいという思いで胸がいっぱいだ。
不遜なことはわかっている。
釣り合わないということも……でも私は、殿下のことが好きなんだ。
「ところでこれ、また新しいポーションかい?」
「あ、はい! 以前から試してた万能ポーションの試作品です」
「へぇ、ついに完成したのか?」
「いやまだまだです。既存の病気には効果がありますが、末期まで進行してしまった物は治せないので……」
病気の強さによって効果が異なる。
これではまだ、万能ポーションとは呼べない。
「十分に凄いじゃないか。これ一つでたくさんの人たちが元気になる。素晴らしい発明だよ!」
「あ、ありがとうございます」
殿下にそう言ってもらえただけで幸せだ。
頑張った甲斐がある。
「いつ発表するんだい?」
「まだ決めていませんが、十日以内には研究データをまとめようかと思っています」
「……そうか、なるほど。もし良かったら僕にも見せてもらえないかな?」
「もちろんです」
殿下にはいち早く見てほしいと思った。
錬金術は難しいし、素人には理解できない内容も多い。
だから説明は簡易的に。
足りない部分は資料にまとめて殿下にお渡しした。
いつも、新しい研究が進む度にこうして説明する機会を頂いた。
今から思えば、おかしい所しかない。
だけど私は気づけなかった。
認められた嬉しさで、全然見えていなかったんだ。
◇◇◇
事件は三日後に起こった。
正確には、気づいたのが三日後というだけで、事件そのものは少し前から起こっていたのだろう。
発表があったんだ。
新しいポーションが完成したという。
その内容は……私が開発途中の万能ポーションだった。
「そんな……どうして?」
意味がわからなかった。
私は誰にも話していない。
殿下以外には。
発表者の名前には……
「ミーニャさん?」
彼女がこのポーションの開発者として名前が挙がっていた。
確かに彼女も、近いうちに良い発表があるとは言っていたと思う。
だけど、今回のは明らかにおかしい。
提出された資料は、そのまま私が研究していた内容だった。
寸分たがわず、まったく同じ内容だ。
いかに同じ素材、同じテーマで研究を下としても、ここまで似ることはありえない。
「まさか……」
彼女が私の研究成果を盗んだ?
可能性としては考えられなくはない。
思えば今までだって、私が考えていた理論を先に発表したり、似た物を提出したり。
不自然な点はあった。
ただ彼女が天才で、私より優れているからだと思っていたけど……
もし盗んでいたのなら、全て私の成果だとしたら。
でも証拠はない。
彼女に問いただしたところでしらを切られるか、最悪私が悪者にされてしまう。
名家の生まれである彼女には後ろ盾があるんだ。
無策で挑めば、立場が危うくなるのは私のほう。
どうすれば……
「そうだ」
一人、味方をしてくれそうな人がいるじゃないか。
この件に関しては特に、真実を知っている人が。
「殿下に相談しよう!」
殿下は知っている。
彼女が発表したポーションの開発者が私だということを。
王子である彼が証人になってくれたら心強い。
彼ならなんとかしてくれる。
私に期待してくれている彼なら――
急いで研究室を飛び出し、私は殿下のお部屋に向った。
時間的には執務を終え、自室に戻っている頃だろう。
殿下のお部屋を尋ねるなんて、普通に考えたら失礼極まりない。
でも今回は事情が事情だ。
やさしい殿下ならわかってくださる。
そう信じていた。
そしてたどり着いた。
殿下の部屋をノックしようとした時、声が漏れてきた。
「君は今日も美しいね」
「ありがとうございます、殿下」
殿下ともう一人、聞き覚えのある声。
聞き間違えかと思ったけど、次の言葉で確信へと変わる。
「今夜も来てくれてありがとう。嬉しいよ、ミーニャ」
「めっそうもない。私の心は殿下の物です」
ミーニャさんの声だ。
殿下の部屋に彼女がいる。
時間的にはとっくに仕事を終え、王宮を出ているはずの彼女がなぜ?
ううん、それよりも声の感じがまるで……
「殿下……今夜も優しくしてくださいますか?」
「もちろんだよ。君は頑張ってくれているからね」
「まぁ嬉しい」
愛し合っている男女のよう。
私はすでに、殿下の部屋を訪ねた理由を見失いかけていた。
それ以上に動揺していたんだ。
彼女と殿下が、この扉の向こう側で何をしているのか。
気になって仕方がなかった。
けれど……
「君の発表、素晴らしかったよ」
「ありがとうございます。全ては殿下のお陰です。殿下があの女から手に入れた情報を下さったから」
え……?
今……なんて?
「いつものことさ。彼女は単純だからね? 少し褒めれば簡単に見せてくれたよ。大事な研究データだというのに」
「ふふっ、罪なお方。ですが聊か今回は強引過ぎたのではありませんか? これでは殿下が疑われてしまうかも」
「それはないさ。彼女が僕を信じているからね? 僕が疑われるどころか、今よりもっと近づこうとするんじゃないかな?」
「そうなれば殿下の思い通りに動く人形の出来上がりですね」
ああ……聞き間違いじゃない。
二人の会話は、私のことを言っている。
私のことを蔑んでいる。
「つくづく不憫な娘だ。せめて唯一の長所を有効活用してあげないと」
「ええ。全ては殿下と、私のために」
どこまでが本当で、どこからが嘘なのだろう。
いいや、きっと全てが嘘だったんだ。
私に見せていた表情も、言葉も、どれも偽物で……今、聞いていることが真実。
利用されていたんだ。
私は……殿下と彼女に、弄ばれていた。
後ずさる。
一歩、倒れるように。
大きく後ろに出た一歩が、廊下に音を響かせる。
その音は部屋の中にも届いていた。
「――?」
「誰だ?」
扉に駆け寄る音がする。
きっと殿下だ。
逃げないと、立ち去らないと。
そんなことを思う余裕すらなくて、扉が開いて殿下が現れた時、私は絶望を覚えた。
「殿……下」
「ユリア? どうしてここに――」
一瞬で理解したのか、殿下の表情が変わる。
蔑むように冷たい眼差しで私を見る。
「そうか。今の話を聞いてしまったんだね?」
「あ……わ、私は……」
「最初に言っておくけど、全て事実だよ? 君のことは最初から利用させてもらった」
悪びれもなく、堂々と殿下は罪を告白した。
きっと罪だとは思っていない。
だから答えられる。
「ど、どうして?」
「どうして? それは何に対してかな? 君を利用していたこと? それとも優しくしていたこと?」
どちらも、と答えるだけの力が出ない。
代わりに部屋の奥から、ミーニャさんが口にする。
「どちらもじゃありませんか?」
「そうだろうね。まぁ一言でいうなら、君が扱いやすかったからだよ」
「あ……」
扱いやすい?
「優しい言葉をかければ簡単に信用して、靡いてくれるだろう? 最初は遊んであげようかと思ったんだけど、さすがに没落した辺境貴族……芋臭さを感じる娘は嫌だからね」
「芋臭い……」
「あらあら、酷いお言葉」
「そうでもないさ。褒めているんだよ? 芋臭いだけの娘じゃなくて、利用価値はあったんだからさ? 君の努力はちゃんと実を結んだよ? 君より美しくて家柄もある彼女によってね」
二人は見つめ合う。
厭らしく、愛らしく。
私だけがショックを受けている。
利用されていたことより、裏切られた気分が大きい。
私にかけてくれた優しい言葉も、全部嘘だったんだと。
知ってしまったら、涙が止まらなくなった。
「ぅ……――」
気付けば私は逃げ出していた。
真っすぐに廊下を走って。
「あら? 逃げてしまいましたよ?」
「いいさ、どうせもう潮時だ」
「本当にひどいお方……でもそこが素敵です」
「ははっ、君の美しさには敵わないよ」
◇◇◇
早朝。
普段なら起きてすぐ、研究所に向かう時間だ。
でも今日は、そんな気分になれなかった。
「……夢」
じゃない。
現実だ。
私が昨夜、あの場所で見聞きした全ては。
信じたくない。
だけど信じないわけにはいかない。
目の前で見てしまったから。
私の耳でハッキリと聞いてしまったから。
疑いようのない事実を。
嘘を嘘だと見抜けなかった……自分の愚かさも含めて。
「悔しい」
涙は昨日のうちに出し尽くして枯れた。
今は悲しさより、悔しさのほうが目に染みる。
これまでの努力を踏みにじられ、利用されていたんだから。
トントントン――
ふいに扉をノックされた。
こんな朝早くに誰だろうと、私はゆっくり扉へと向かう。
泣いて晴れた瞼を擦りながら。
扉を開けると……
「え?」
「ユリア・ロクターンですね?」
「は、はい」
扉の前に立っていたのは、屈強な騎士三人。
背も高くて威圧感がある。
「陛下がお待ちです。ご同行願います」
「え、陛下が? どうして?」
「それは私どもからはお伝えしかねます。ともかく来てください」
「はい」
陛下から呼び出されるなんてありえない。
ただ、思い当たるふしはある。
昨晩のこと……殿下とミーニャさんが行った不正。
もし陛下がそれに気づいてくれたのなら、これはチャンスだろう。
違った用件だったとしても、陛下に真実を語ることが出来る。
そう思っていた。
王座の間。
陛下が謁見の際に用いる豪華な部屋。
赤いカーペットの先に玉座があって、陛下はそこに座している。
四十代後半の男性で、髭が厳格さを醸し出す。
雰囲気だけで、この国の王様なんだとハッキリ伝わる。
「来たか? 宮廷錬金術師ユリア・ロクターン」
「はい」
私は膝をつき、頭を下げる。
すると陛下は淡々と語り始める。
「宮廷付きとは、選ばれし者たち。才能は当然、努力を欠かさず、わが国のために貢献することこそが使命。なればこそ、それ相応の待遇を与えている……が、君には失望した」
「失……望?」
「わからぬか? 君は宮廷付きでありながら、私の期待を裏切ったのだ」
予想していた内容と違う。
なぜか私に対して怒っているように聞こえる。
いや、怒っているんだ実際に。
なぜ?
その答えは、陛下の隣に立つ彼の姿を見て理解した。
「殿下」
「ゼノンから聞いたぞ? 君は同僚の研究成果を盗み、自分の手柄にしようとしたそうじゃないか?」
「なっ……そんなことはしていません!」
「ほう? ならば君は、ゼノンが嘘をついたというのかね?」
陛下の鋭い視線が突き刺さるようだ。
どうやらゼノン殿下に嘘の情報を教えられてしまったらしい。
私が動くより先に、今朝のうちに。
息子の言葉を信じている陛下には、私の声は届かない。
それでも私は言い返す。
感情が高ぶって、悔しさが前面に出てしまった。
「成果を盗んでいたのは殿下たちのほうです! 私の成果を殿下が盗み、ミーニャさんに渡していたから! だから私よりも先に――」
「ふざけるな!」
それが良くなかった。
陛下の前だというのに堂々と、殿下のことを悪く言ってしまったから。
「この期に及んで嘘を並べるか! 救いようがない……今すぐこの者を叩き出せ!」
「はっ!」
「ま、待ってください!」
もはや何も届かない。
騎士たちに両腕を掴まれ、無理やり王座の間を追い出される。
抵抗しても意味はないけど、私はなんとか弁解したかった。
言葉を並べて、真実を口にして。
けれど、誰も信じない。
私の言葉なんて、聞いてすらもらえない。
結局私は……貴族の肩書を失った時から、何も変わっていないんだ。
◇◇◇
王宮を追い出されて三日。
私は一人、行く当てもなく彷徨っていた。
陛下から言い渡されたのは、王宮及び王都からの追放。
金輪際立ち入ることは許されない。
もしも破れば、罪人としてその場で処理される。
ほとんど無一文で追い出されてしまった私は、王都の次に栄えているサエカルという街にたどり着いた。
別に目指していたわけじゃない。
適当に歩いてたら、なんとなく到着しただけ。
「これから……どうしよう……」
何も考えていない。
何も考えられない。
積み上げてきた物は、たった一日で失ってしまった。
今の私に残っている物はなんだろう?
空っぽになった私に価値なんてあるのだろうか?
これでどうやって、幸せになれるというの?
ああ、わからない。
もう何も……
「いらっしゃいませー! 新作入荷してますよ!」
悲嘆にくれる私の声をかきけすように、周囲から客引きの声が飛び交う。
なんだか妙に賑やかだ。
ここは以前にも訪れたことがあるけど、前はもっと静かだったような……
よく見ると露店が多い。
なにか催しがあるのだろうか?
「……関係ないか」
どれだけ賑わっていようと、私には関係のないことだ。
お金もないし、このままだと餓死する。
そんな危機感すら薄れて、もうどうでもよく感じてしまっていた。
「おいおい、なんだよこの値段! 高すぎんじゃねーのか?」
「いえ、この値段で適切です。むしろ安い方ですよ?」
「ふざげんじぇねーぞ! こんな高いわけねーだろうがぁ!」
立ち去ろうとした時、男の人の怒声が響いた。
私が目を向けると、露店の一か所で何やら不穏な空気が漂っている。
売っているのはポーションのようだ。
可愛らしい赤髪の女の子が接客をしている。
「もっと安いに決まってんだろ! 冒険者なめてんじゃねーぞ!」
「い、いえそんなつもりは」
女の子は困っていた。
それに赤髪の所為かな?
少しだけ頬が赤いように見えて……体調が悪そうだ。
そんなのお構いなしに男は乱暴な口調で言い続ける。
「いいからこの値段で売れよ!」
「いけません。値段はこれ以上下げられないので」
「うるっせーな! 文句言ってんじゃねーぞ!」
男はお金をたたきつけ、ポーションを奪って立ち去ろうとする。
遠目に見てもあきらかに足りていない。
女の子は慌てて追いかけ、彼の手からポーションを取り返そうとした。
「ちょっ、待ってください!」
「触るなガキが!」
「きゃっ」
女の子はポーションを持ったまま地面に倒れ込む。
倒れた時に肘を打ち付けたのか、ぶつけた部分から血が流れる。
周囲がざわつく。
なのに誰も助けようとしない。
私以外は。
「だ、大丈夫?」
自分でも意外だった。
流れる血を見たら、咄嗟に身体が動いていたんだ。
気付けば倒れた彼女に駆け寄っている。
「お、お姉さん?」
「なんだてめぇ! お前も邪魔するのか?」
「貴方こそ何を考えているんですか? お金も払わずに商品を取り去るなんて……ただの泥棒じゃないですか!」
「んだとてめぇ! 女の癖して嘗めた口きいてんじゃねーぞ!」
男は腰から剣を抜く。
往来で堂々と、切っ先をこちらに向ける。
私も女の子も、刃を向けられたら恐怖を感じる。
彼女の震えが伝わってきた。
私だって怖い。
怖いけど……重なる。
つい先日体験した理不尽と、目の前で起きている理不尽が。
それがどうしようもなく、腹立たしい。
「さっさとそれをよこせ。俺が買ったんだ。もう俺の――」
「やめとけよ」
男の腕を鷲塚む。
オレンジ色の髪に赤い瞳。
どことなく、誰かに似ている雰囲気の青年が私たちを庇った。
「なんだてめぇ? てめぇも――いっ!」
メリメリメリ。
掴んだ腕が音を立てている。
彼は細腕で男の腕を握りつぶす勢いだった。
「やめろと言っただろ? これ以上やるなら、このままへし折るぞ?」
「っ、わ、わかった! わかったから離してくれ」
痛みに耐えかねた男が逃げるように後ずさる。
はれ上がった腕を見ながら、謝罪するのかと思ったら……
「てめぇ……」
「なんだ? まだやるなら相手になるぞ?」
「っ、なんなんだよ。お前には関係ないだろ!」
「あるにきまってるだろ? うちの団員……妹に手を出したんだ」
妹?
そうか、似ていると思ったのは彼女に。
それに団員って?
「四風の旅団『春風』は俺のホームで、ここに居る連中は俺の家族なんだよ」
「なっ、お前が旅団長のエアルなのか」
「ああ。だから言っただろ? 無関係なわけあるか」
「く、くそが……」
彼の名前を聞いた途端、男は悔しそうな顔をして去っていった。
なんだったのかわからない。
とりあえず助かった。
「はぁ……ありがとうな。助けてくれて」
「え? いえ私は……!?」
緊張が解れたからか、今さら気づく。
呆気にとられていたせいか、忘れてしまっていた。
彼女が怪我をしていることを。
加えて身体が熱い。
「はぁ、はぁ……」
「レンテ!」
彼も彼女の辛そうな表情に気付いたようだ。
レンテというのが彼女の名前らしい。
「どうした? 怪我痛むのか?」
「……違う」
「え?」
怪我は大したことない。
見た感じ、軽い打撲と出血で済んでいる。
苦しんでいる理由は別だ。
「きっと病気です。熱もある」
思えば最初から顔が赤かった。
あれは髪色の所為じゃなくて、熱っぽかったんだ。
「くそ気付かなかった。早く病院に――」
「大丈夫です」
幸いなことに一つだけ、ポーションの残りがある。
ただ傷を治すだけのポーションだけど、これに使用した材料なら、発熱を癒す効果に作り替えれば。
「お、おい何をしてるんだ?」
「少し待ってください」
私は懐から手袋を取り出した。
手袋の内側には錬成陣が描かれている。
取り出したポーションに手をかざし、錬金術を発動させた。
「君は……錬金術師だったのか?」
「はい」
「何をしてるんだ?」
「ポーションを一度分解して、作り変えています。ただこれだと傷は治せないので、清潔な布と水がほしいです」
打撲と擦り傷のほうは応急手当が必要だ。
彼も理解してくれてすぐに立ち上がる。
「わかった。それは俺がとってくる」
その間に私はポーションを作り変え、彼女に飲ませた。
解熱鎮痛効果のポーションだ。
症状的には風邪に近いし、これで一先ずは落ち着くだろう。
ポーションの良い所は、すぐに効果が現れることで、飲み干した直後に彼女の顔色が改善していく。
「ぅ……あれ? 身体が楽に……」
「良かった。ちゃんと効いてくれたみたいですね」
「レンテ! 元気になったか?」
「お兄ちゃん? えっと……」
彼女は私に目を向ける。
「彼女が助けてくれたんだよ」
「そうだったんですか? ありがとうございます!」
彼女は笑顔でお礼を口にした。
無邪気で太陽みたいな笑顔で、見ていてホッとする。
その所為か、一気に緊張がほぐれて。
ぐぅ~
大きくお腹の虫が騒ぎ出す。
「ご、ごめんなさい! 私はこれで」
「いや待ってくれ! 良かったらお礼をさせてくれないか?」
「え?」
「受けた恩は三倍にして返す! それが俺たち四風の旅団のモットーなんでね?」
そう言って彼も笑う。
妹さんと似て、太陽みたいに温かな笑顔だった。
これが私にとって運命の出会いになると、この時は知らなかった。
◇◇◇
王宮の一室。
ユリアが使っていた研究室に足を運ぶ二人。
ゼノン殿下とミーニャ。
「ようやくすっきりしたね?」
「ええ」
「手はず通り、ここにある物は君が使って良いよ。そのままにしてあるから、全部君の好きにすればいい」
「ありがとうございます」
残された研究データを見ながら、ミーニャはニヤリと笑う。
「最後の最後まで可哀想な人でしたね」
「ふふっ、君だってそう思っていないだろう?」
「ええもちろん、邪魔で仕方がありませんでしたから」
ゼノンにとっては利用しやすい駒。
ミーニャにとっては目障りな女。
彼女がいなくなったことは、二人にとって良いことだった。
「ですがよかったのですか? これで一人、宮廷錬金術師がいなくなってしまいましたよ」
「構わないさ。一人くらいなら補充も効く。使えそうならまた利用するまで」
「酷いお方」
「君のためでもあるんだよ?」
彼らが想像する未来は、どれも自分たちに都合が良いものばかり。
この先にあるのは幸福だと、信じて疑わない。
だが二人は知らない。
失った物の大きさを……
ユリア・ロクターンという錬金術師が、ただの天才では収まらないということを。
これからすぐに……知ることになるだろう。
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