今日からヤンデレ! ―憧れの先輩はヤンデレ好き!? それでも私、絶対諦めないから!―
「エリちゃん……ごめん……」
ピロティに小さく響く先輩の声。
今にも溢れ出しそうな涙を何とか堪えながら、必死で笑顔を作る。
「私の方こそ、ごめんなさい。迷惑でしたよね、私みたいな魅力ない子に、いきなり告白されるなんて……」
「いや、エリちゃんは可愛いよ」
「優しいんですね、先輩」
「いや、本当だよ」
先輩の事を嫌いになりたかった。
すっかり諦めてしまいたかった。
それなのに、先輩はどうしてこんなに優しいんだろう。
……悔しい。ズルいよ、山崎先輩。
どうしよう、きっと今の私、酷い顔になってる。
「そんな顔しないで。エリちゃんはいい子だと思うよ、ただ……」
「ただ……?」
「俺はヤンデレが好きなんだ!」
「ヤンデレ……って何ですか?」
「ヤンデレっていうのはね、病んでてデレデレな女の子の事だよ! すごく一途で、愛が重くて、好きな人に依存しちゃって……そんな女の子が俺は大好きなんだ! エリちゃんはいつも元気で可愛いけど……俺はもっと暗くて重い感じの子じゃないと恋愛対象として見られないんだ。ごめんね」
ヤンデレ……。
良く分からないけど、ツンデレとかの亜種なのかな?
先輩にオタクっぽい趣味があるのは意外だったけど……でもそれなら私でも可能性はあるって事だよね。
だって、先輩への愛の強さだったら、私は誰にも負けるつもりはないし。
「……先輩!」
「どうしたの?」
そして私は、先輩をじっと見上げて、力強く宣言する。
「私、ヤンデレになります! だから付き合ってください!」
でも……先輩は申し訳なさそうに首を振るばかりだった。
「言いにくいけど……ヤンデレっていうのは才能なんだ。なろうと思ってなれる訳じゃないんだよ」
「私、頑張りますから!」
「うーん。そういうポジティブな発想がまずヤンデレじゃないよね。エリちゃんは見た目も性格も爽やかすぎるし、元気すぎるんだよ」
「……なるほど。参考になります!」
私は元気だけが取り柄だと思っていたけど、先輩に好かれる為には元気を無くした方が良さそうだ。
メモしておこう。
「メモしちゃうかあ……そういう頑張り屋さんな所も……なんか違うんだよなぁ」
「わかりました! 以後気を付けます!」
えっと……ポジティブはダメ。
頑張ったらダメ。元気はダメ。メモしたらダメ。
しっかり頭の中にメモして覚えておかないと。
「あの……エリちゃん……やっぱりまだ諦めてないの?」
「はい! 絶対に完璧なヤンデレになって先輩を振り向かせてみせます!」
「やっぱり……なんか根本的に違うんだよなあ……」
「あっ、ごめんなさい! ちょっとポジティブ過ぎましたか?」
「いや、最早そう言う次元じゃなくてね。……きつい事言うようだけど、本当に砂の一粒程も無いから。エリちゃんのヤンデレの才能」
そう言われて、私はムッとしてしまった。
「先輩らしくないですよ! そんな事言うなんて! 先生に『才能無い』って馬鹿にされてレギュラー外されても、諦めずにずっと努力して来た先輩を私はずっと見てきました! そうやって頑張った甲斐があって、見事レギュラーに復帰して、春の大会でも大活躍したじゃないですか! 私も、勝手に自分の才能を見限って諦めたくないんです! 山崎先輩! 私にチャンスをください!」
「エリちゃん……」
「お願いします! 私だって努力すればきっと……」
口に出して、私は気付いてしまった。
ヤンデレは、頑張ってはいけない。先輩はそう言っていた。
でも、ヤンデレの才能が無い私は……頑張らないとヤンデレにはなれない。
「気付いたようだね。エリちゃん。ヤンデレのパラドックスに」
「先輩……私……」
「確かに、才能が無くても人一倍努力すれば、結果を出せる事はあるかもしれない。……でもことヤンデレ界においては、努力した時点でヤンデレではなくなってしまう。ヤンデレは才能がすべてだと俺が言った意味を理解してくれたかな? ……エリちゃんがヤンデレになる事は論理的に不可能なんだよ」
「そんな……」
「諦めて、もっといい人見つけなよ」
「……いる訳ない」
「…………」
「先輩よりいい人なんて、いる訳ありません!」
私はもう、それ以上先輩と顔を合わせる事は出来なかった。
放課後のピロティを駆けながら、暑い日差しへと駆け出す。
眩しさを遮るように、日焼けした腕でグシャグシャの顔を拭った。
悔しかった。
ただただ悔しかった。
自分の才能の無さが、残酷すぎる現実が。
◇
……あれ?
どうして私、ベッドに丸まって泣いてるんだっけ。
……そうだ。
先輩にフラれたんだ。
また涙が滝のように溢れて来る。
部屋が滲んで、歪んで行く。
なんとかティッシュを手繰り寄せ、鼻をかむと、ノックの音がした。
「エリ、ご飯よ」
「……いらない」
「あら、どうしたの?」
「…………」
「何だか元気ないわね」
元気ない……。
私が……。
私が元気ない……。
それって……!
「お母さん!!」
「……何?」
「今日の私ってそんなに元気無かった!?」
「そりゃあ……まあ……。見るからに落ち込んでるし、エリがただいまも言わないなんて珍しいじゃない。それに食欲も無いし。何かあったの?」
……そうだ。
私だって、年中無休でずっと元気な訳じゃない。
先輩は『努力してヤンデレになろうとしたら、その時点でヤンデレではなくなってしまう』と言っていた。
だったら、努力せずに元気を無くせばいいんだ!
どうしてこんな簡単な事に気付かなかったんだろう。
「お母さん! やっぱりご飯いる!」
きっとまだ可能性はある!
もっと元気を無くして、完璧なヤンデレになってやる!
そして絶対に山崎先輩を振り向かせてみせるんだから!
◇
それから私は、毎日のように夜更かしして、夜食も沢山食べるようにした。
私は元から食いしん坊だったし、夜更かしも好きなので、これは努力にはカウントされない筈だ。
そして、一か月もしない内に、不健康な生活がたたって、私は見た目も性格もどんどん暗くなっていった。
「エリ、どうしたの? 元気ないじゃん」
「…………」
「ちょっと! 何でシカト!?」
「…………」
「……何で答えてくれないの? 何かいってよ!」
「…………」
「もうエリなんか知らない!」
ヤンデレになると決めてから、段々と先輩以外の事がどうでも良くなって来た。
友達ごっこしていた女共も、ちょっとそっけない態度を取るようになったらすぐに絡んで来なくなった。
「……山崎先輩……今の私を見てどう思うかな……」
鏡に映るのは、淀んだ目の下に黒ずんだクマを湛えた、虚ろな微笑を浮かべる私の姿だった。
「……やっぱり……私ってブスだ……どんどんブスになってる……お腹もタプタプだし……どうしよう……」
ボサボサの髪を搔きむしる度に、鏡の顔が歪む。
私はヤンデレになりつつある。
でも……そのせいでこんなにブスになってしまった。
先輩にも絶対嫌われてしまう。
何もかも、先輩のせいだ。
「アハハハ……ウフフフ……」
嬉しい。先輩のせいで壊れていくのが嬉しい。
きっと世界で私だけが、こうやって先輩に壊され続けている。
それだけが、この地獄みたいな世界の中でただ一つの救いだった。
嬉しくて、嬉しくて堪らない。
……もっと壊れたい。
もっと壊されたい。愛してやまない先輩に。
先輩……先輩……山崎先輩……
◇
「エ……エリちゃん! 何だか最近、元気ないね!」
「……はい」
大好きな山崎先輩……。
でも山崎先輩が、こんなブスな私の事好きな訳がない。
分かっているのに、話しかけられただけで期待してしまう自分が悔しい。
「エリちゃん……大丈夫? えっと……何かあったの?」
「別に……何もないですけど」
そっけない態度を取りながらも、私の頭の中は先輩への愛で一杯だった。
もっと先輩の声を聞きたい。
匂いを嗅ぎたい。
息を感じたい。
近付きたい。
触れたい。
……先輩。
出来る事なら、今すぐにでも先輩と一つになりたかった。
でも、許されない。私みたいなブスが先輩に関わる事なんて。
先輩に嫌われちゃう。先輩が汚れちゃう。
というか先輩に相応しい女なんて、絶対存在しない。する訳ない。
もし先輩に近づく女がいたら、誰であろうと絶対に許さない。
先輩……。
チラチラと先輩の視線を感じる。
濁り切った瞳にも、ブヨブヨのお腹にも。
きっと先輩は、醜い私の姿を見下しているんだ。
もっともっと、私を粉々に壊そうとしてくれているんだ。
そう……この世界で、私だけを。
自然と私の口角がつり上がって行く。
きっと今の私は、世界一気持ちが悪い顔をしている。
「エリちゃん……!!」
やっぱり、見られてる……!
恥ずかしさから、慌てて顔を隠した。それでも食い入るような先輩の目線を感じる。
「うう……」
やめて……先輩! ……そんなに見ないで……気持ち悪い私を見ないで! ……先輩に壊されるのは大好きだけど……これ以上先輩に嫌われたくなんかないのに……!
「エリちゃん……!!」
「…………」
「エリちゃんが好きだ!!」
「えっ!?」
「エリちゃんの事が大好きだ!! 完全ドストライクだ!! ヤンデレの才能ないとか酷い事言ってごめんね!! 完璧すぎる程に完璧なヤンデレだよ!! 今のエリちゃんは!!」
「そんな……私ブスだし……」
「そんな事無い!! 濁り切った瞳が深淵のように美しいし、夜空色のクマがとってもキュートだ!」
「そんな……でもお腹もタプタプだし……」
「気にする事は無い! 帳のような……絶望のような柔らかさと包容力……とっても素敵だよ!!」
「先輩……」
「大好きだ!! 愛してる!! 俺と付き合ってくれ!! というか結婚しよう!!」
「先輩……」
「エリちゃん……!」
嬉しくて、嬉しくて。
幸せ何て反吐が出ると思ってたけど、この気持ちが幸せなら悪くはないって、そう思えた。
でも……いくらなんでも都合が良過ぎる。
先輩が私を好きになる訳がないのに。
そんな事あり得る訳が無いのに。
私、夢を見ているのかな。
頬をつねってみる。
鋭い痛みの後に、指に生暖かい血の感触が滲む。
心地よい冷たさが確かに滴り落ちる。
もしかして……これ……
……夢じゃ無いの?
「――先輩!!」
「エリちゃん!!」
飛び込んだ先輩の胸の中が、ぼやけた世界の中で唯一つの現実だった。
私は先輩の青いジャージを、嬉し涙で紺色に濡らしながら、生きている事を初めて実感できた気がした。
そうして私は、永遠にも、一瞬にも感じられる時間の中で先輩と抱き合った。一つになった。
……そして、先輩が優しく私の腕を振りほどく。
名残惜しい。
ずっと繋がっていたかったのに。
でも、まあいっか。
もうすぐ私と先輩は、永遠に、完全に一つになれる。
「エリちゃん……? えっと……なに……それ……?」
「どうしたんですか、先輩? そんなに驚いた顔して」
「いや……その包丁……何かなーと思って……」
「あ、これですか。先輩に悪い虫が付きそうな時、いつでも処分できるように持ち歩いてるんです」
「…………」
「あれ? どうしたんですか?」
「えっと……何で今……その……包丁を出したのかなって」
「もちろん、二人きりの世界で先輩と永遠に一つになる為です。安心してください。先輩を天国に送った後、すぐに私も行きますから」
「…………」
どうしたんだろう。先輩の顔がどんどん青ざめていく。
でもそんな先輩も可愛いな。
「エリちゃん……しっかり聞いてくれよ……あのね、エリちゃん……」
「何ですか?」
「俺は確かに、ヤンデレが好きだと言ったよ。言ったは言ったよ。言ったは言ったけど……ここまでは求めてないんだ。……言いたい事分かるかな?」
「言っている意味が分かりません」
「えっと……だから俺は……ちょっと暗い感じの子が好きなんであって……ガチでヤバい系は……駄目なんだ……まだ死にたくないし!」
きっと私の聞き間違いだ。
それか先輩が舞い上がり過ぎて、意味のない言葉を口走っているだけだ。
だって先輩は私の事が大好きだと言っていた。
そんな先輩が、私の為に死ぬのが怖いなんて、そんな事ある訳が無い。
「送りますね……先輩……天国で逢いましょう」
先輩は背中を向けて、私が包丁を刺しやすいようにしてくれた。
……と思ったら、ふざけて無邪気に走り出してしまった。
もう、本気で走っちゃって。可愛いんだから。
でも、残念でした。その先は行き止まりだよ。
「ひっ……ひいっ……!!」
へたり込んでフェンスを握りしめる先輩に、ゆっくりと近付いていく。
「先輩……愛してます……」
そして……
先輩の背中から、華い血潮が咲き乱れていった。
その美しさは、私達の門出を祝う花火のようだった。




