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ビオとグレンが入った酒場はミスタンテという街の中でも高級店として名高い店のひとつだった。
過度に飾り立てていないものの立派な外装に、華美にならない程度にしっかりと整えられた内装を見れば、初めてやってきたグレンでさえすぐにそれとわかったくらいだ。
他人の奢りで飲む酒はうまいものだ。
その値段が高ければ高いほど。
だから、グレンはつい聞いてしまった。
「生きてるうちに一度は入ってみたかったとか?」
ビオはグレンの問いかけに、心外だという表情を浮かべながら応じた。
「まさか。奢って貰えるからって使ったこともない店に連れて行くほどクズじゃないわよ。
……常連だ、とまでは言わないけどね」
そして一拍の間を置いて、悪戯な笑みを浮かべながらこう言った。
「財布の中身が心許ないというのなら、多少は出してあげるから安心しなさいな」
グレンはビオの言葉に、降参だというように両手をあげて見せた。
ビオはその反応に満足したように頷くと、店員を呼んで席に案内してもらうことにした。
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二人が案内された席は、密談に相応しいような個室だった。
席に案内されたグレンは席につく前にお品書きをちらりと一瞥してから、懐から取り出した貨幣を店員に握らせて言った。
「それで可能な限りの上等な酒と食事を提供してくれ」
店員は訝しげな表情で握らされた貨幣の額を確認した後で、目を見開いて驚いてみせると、畏まった態度で深く頭を下げてから立ち去った。
先に席について一連のやり取りを見ていたビオは、自分の対面に座ろうとするグレンに向かって問いかけた。
「私がお金を出してあげる必要はなさそうね?」
「際限なくたかられては流石に厳しいですが、多少ご馳走するくらいの余裕はありますよ」
グレンの回答に、ビオはぴゅうと口笛を吹いて応じて。
「……ところで、その口調疲れない?
さっきみたいな口調でも、私は全然気にしないけれど」
グレンはどうするか迷うような間を挟んでから、吐息をひとつ吐きながら言った。
「それじゃあそのお言葉に甘えるとしよう。俺も堅苦しい口調は苦手でね」
そしてその言葉通りに、彼の口調は少し崩れ、その口調に合わせるように姿勢を崩して楽な姿勢で椅子に座りなおした。
ただし、顔を覆う仮面だけはつけたままだった。
……どうやって食事をするつもりなのかしら。
そんな彼の様子を見ながら、ビオは呑気にそんなことを考えていたが、その内わかろうだろうと思考を切り替えていって、思考の熱を吐息と一緒に吐き出してからわずかにそれていた視線をグレンに戻した。
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「それじゃあ、話を聞かせてもらえるかしら。
まずは、あなたがどんな依頼を受けてこの街にまでやって来たのかを知りたいものね」
グレンはビオの問いかけに、少し考えるような間を置いた後に、確かめるような声音でこう言った。
「……中央で依頼を受けてこの街に来たことまでは話していたな」
ビオは首肯を返してから話を繋げる。
「珍しいこともあるものよね。それで、肝心要の内容はどんなものなの?」
ビオの更なる問いかけに、グレンは何でもないことを話すような口ぶりで応じた。
「何かを倒して来い。そして、もしもそれができなければ、可能な限りの情報を持って帰って来い。
ただそれだけの単純な依頼だ。
――よくある話だろう?」
ビオはグレンの言葉を聞いて、困惑とも苛立ちともつかない形に表情を歪ませながら、しぼりだすような声音で応じた。
「……概要としてまとめれば、そうなる話は確かによくあるけど」
ビオがそう言いながらグレンに向けた視線には、話の先を催促させようとするような、鋭く強い、力のこもったものだった。
グレンはまぁ落ち着けと言うように、片方の掌を自身とビオの間についたてのように立ててから話の続きを口にし始めた。
「そう怖い目で見ないでくれ。俺が理解できている範囲の話はしっかりと話すとも。
……まぁ、それでも先ほどより少し情報が増える程度であって、本質的には大差ないんだがね。
あくまで依頼をもってきたやつが言っている話では、だが。
そう遠くない内に、この街に何かがやって来るらしい。
その説明のときに相手が襲撃という単語を使っていたから、その何かは脅威となり得る敵性物体ということになるのだろうと、俺が判断しているって話さ」
ただ、グレンが付け足した説明の内容があまりにも信じられない内容だったから。
ビオは何か悪い冗談を聞かされたような気分になって、鼻で笑いながら問い返した。
「……本気で言ってるわけじゃないのよね?」
グレンはビオの問いかけに即答した。
「大真面目さ」
グレンが寄越してきた即座の肯定に、ビオは面食らって戸惑った。
冒険には命の危険が常に付きまとうものだ。
特に、それが何かを倒すだとかいう内容であれば尚更である。
だからこそ、依頼を受けるときに必要な情報が揃っているかどうかは、引き受けるか否かを判断する重要な情報となるのだ。
しかし、彼が受けた依頼にはそれらが全く無かったと言っているわけで、ビオならずとも、真っ当な神経と判断力を持ち合わせた人間なら戸惑って当然のことだった。
ビオは生じた戸惑いから完全に復帰できずにいたものの、それでも会話を続けるべく、思ったことを口にした。
「……正気の沙汰とはとても思えない経緯ね。
中央にいる冒険者は、全員そんな感じで生きてるの?」
「まさか。俺がそんな依頼でさえ断れない状況になっていただけだよ」
グレンはビオの皮肉めいた言葉に気を悪くした様子もなく、自嘲するような声音でそう応じるだけだった。
ビオはグレンの態度にますます困惑を深めてしまって、二の句を継げなくなった。
そうして降りた居心地の悪い沈黙は、店員が注文した料理を持ってくるまで続いていた。




