7
さて、中央の街からミスタンテまでの旅程において、経過を楽しむということもなくまっすぐに向かってきたグレンであったが、空いた時間で何もしてこなかったというわけでは決してなかった。
……なにはともあれ、まずは情報収集だよな。
グレンは中央で生きていくためにその時間の殆どを費やしてきたから、ほかの街については殆ど何も知らなかった。
それが最東端の街と呼ばれるミスタンテであれば、存在すらミトラに言われるまで知らなかったくらいである。
……関わりのないものなんて、知らなくても生きていけるからなぁ。
ミトラが堂々と言い放った、よそのことなんて知ったこっちゃない、という言葉を聞いた瞬間には呆れてしまったものだが。内容そのものには同意するほかなかった。ただの事実なのだから。
とは言え、関わりを持つに至ったならば、話は別である。
特に、その関わりというものが命のかかった仕事によるものであるならば。
知らなかった、気づかなかったでは済まされない話となることは明白だろう。
死ぬ間際に、その原因が少し調べればわかることだった、と知ってしまうことは誰であっても好ましいとは思うまい。
……少なくとも、俺はごめんだね。
そう思ったから、グレンは情報収集を行った。
街の造りをはじめとした地理情報から、どこの誰が偉いだのといった政治にまつわる細かな事情まで、その街に関わる情報は可能な限りの伝手を頼って集めていた。
当然のことながら、集める情報の中には、ミトラから依頼された討伐依頼に関わりそうなものも含まれていたわけだが――そこに妙な点があった。
……それらしい情報がまったくない。
ミトラが討伐とはっきり発言した以上は、打倒するべき対象となる何かが居るはずなのだ。
しかし、グレンはミスタンテに辿り着くまでの道中において、その何かに関する噂さえ耳にすることはできなかった。
……それに、依頼時に聞いた内容からしてみればこの街の雰囲気もおかしい。
ミトラが依頼時に発言した内容から推測できる内容として、討伐対象である何かは定期的にこの街にやって来ているという事実がある。
そしてそれは、わざわざ中央に救援を求めるほどに脅威を感じるものであったはずなのだ。
ただ、そんな脅威に追い立てられているような緊張感がこの街にはなかった。
目の前に広がっている光景、そこに漂っているものは、脅かされることなど微塵も考えていないことがわかる日常という気配だけだった。
……どういうことだ?
あの女に限って依頼を誤ることなどないと思うんだが、とグレンが自分の認識と現実との齟齬に疑問符を浮かべながらそんなことを考えていたところで、
「見かけないやつがいるとは珍しい。
この街に訪れた用件を聞いてみてもいいかしら?」
視界の外から響いた声が思索を中断させた。
●
グレンが音源に視線を向けると、そこには一人の女が立っていた。
……この街の冒険者か。
グレンは彼女の格好や雰囲気を見て、相手の職業を推測した。
「……中央から落ちてきた同業さんかしら」
彼女もまたグレンの外見を観察していたようで、自身の推論を口にした。
自身の職業をあてられたことに、グレンは意外を感じて、彼女が強く視線を向けている場所へと手を伸ばした。
そこには、グレンが顔についた傷を隠すための仮面があった。
だから、グレンは内心でなるほどと頷いた。
仮面は顔を隠すためにつけるものであるが、白昼堂々とそれを行うならば、単純に顔を見せたくないからつけていると考えたのだろう。
顔の造りに自信がないだけで仮面をつけるのも、視線を避けたいのに目立つという矛盾を抱えている点でおかしな話である。
ならば、そこには目も当てられない傷があると考えても不思議ではなかった。
……それを冒険で受けたものと決めつけるのも、少し短絡的な気はするがな。
とは言え、彼女の言葉は正解だ。
別に隠さなければならないことでもないと、グレンはそう考えてから話を継いだ。
「あなたも冒険者稼業を?」
「……女だてらに、とでも言いたいのかしら」
「まさか。男であれ女であれ冒険はできるものでしょう。
受けることのできる仕事の内容が変わることはあるかもしれませんが、それは性によって生じる差ではなく、個人の能力によって生じる差だと思いますよ」
「殊勝なことを言うわね」
「本心です」
「どうだか」
グレンはこのまま話を続けても彼女の険は抜けないと判断して、話題を切り替えた。
「それにしても、中央から落ちてきた、というのは面白い表現ですね。初めて聞きました。
意味はなんとなくわかるのですが、教えていただいてもいいでしょうか」
グレンのこの言葉を聞いて、彼女はしまったというように口に手を当てると、すぐに懊悩するような表情を浮かべ。たっぷりと時間を費やした沈黙を挟んでから言った。
「……中央でやっていけなくなって、方々の街に仕事場を移していくことをそう言うのよ」
「他人の不幸は蜜の味というわけですか。言う側は楽しそうだ」
「気を悪くしたかしら」
「事実を告げられて言葉を荒げるほど幼くはありません。気にする必要はありませんよ。
もっとも、痛いところを突かれて不快な思いをしない人間は殆ど居ないとも思いますが」
「……今後は気をつけるわ」
「それはよかった」
グレンが笑いを含んだ声でそう返すと、彼女は降参と言うように両目を閉じ、吐息をひとつ吐きながら肩を竦めてみせた。
ひとまず険は取れたと、グレンはそう判断して話題を進めた。
「そういえば自己紹介がまだでしたね。
私の名前はグレンといいます。よろしければ名前を伺ってもよろしいでしょうか」
「……ビオよ。ミスタンテへようこそ、グレンさん」
そして、自己紹介を終えた二人は握手を交わした。




