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 扉を開いた先にあったのは、廊下と同じように月光とわずかな灯りに照らされた暗い空間だった。


 扉の正面にある大きな窓から入る光の下で、そのすぐ傍に備え付けられた小さな机の上にある燭台の灯りに照らし出される人影は、部屋に入ったグレンよりも小柄な女のものだった。


「……こんな時間に異性のもとを訪れるのは、あまり褒められた行動ではないよ。邪推を生む」


 部屋に入り、扉を閉めようとしていたところにかけられた言葉に、グレンは失笑を返す。

 ただ、向けられている視線に険の色が増したことを感じ取ったから、彼女が抱いただろう誤解を訂正するために言葉も追加した。


「誤解をしてくれるなよ、アカリ。君とそうなる、ならないの話で笑ったわけじゃない。

 今の俺と誰かの間に、そんな想像をするやつはいないだろうという意味で笑ったんだ。

 それでもなお邪推されるとすれば、それは俺の側だけだろうよ」


 グレンの言葉を聞いて、彼女――アカリはその内容に納得がいかなかったのか、不満の色がにじむ声でこう言った。


「謂れのない噂のネタにされるだけでも、いい気分はしないものだよ」

「……そう言われてはどうにも返しようがないな。

 二度とは無いことだと思うが、次があれば気をつけるとしよう」


 グレンはアカリの言葉を聞いて、降参だと言うように肩を竦めながらそう返した。


 アカリはグレンの反応に満足したようには見えなかったけれど、溜め息をひとつ吐いて表情から険を抜いた後で口を開いた。


「それで? こんな夜更けに、男女の誤解を受ける可能性のある状況になってなお済ませてしまいたい用事の内容は、いったいどんなものなのかしらね」


 アカリの声には表情から消えた険の色がそのまま乗っていた。

 グレンはそこで再び失笑してしまいそうになったものの、その笑みを決して表には出さないように努めつつ、話を継いだ。


「仕事の話だよ、アカリ。

 ――ああ、だが、そうだな。男女で言うところの別れ話をしにきたんだ、俺は」


 しかし、自分で口にした内容を聞いて、笑みを堪えきることはできなかった。


 アカリはグレンの笑みを見て、苦虫を噛み潰したような表情を浮かべた。


「……なんで?」


 その声音には、様々な種類の何故が含まれていた。


 グレンはその中のひとつを拾い上げて応じた。


「一緒に仕事を続けることが、お互いのためにならないと確信したからだ」

「今日の仕事もうまくやったじゃない、私たち」

「俺がこの確信を得たのは、今日の仕事を終えた、まさにその瞬間だったよ」

「ふざけた物言いをしないで!」


 グレンの笑みを含んだ声音に我慢ならないとばかりに、アリサは燭台の乗った机の天板に、己の拳を叩きつけた。


 鈍い、肉を叩く音が響き渡った。


 その音が暗闇に溶けて消えた頃になって、グレンは再び口を開いた。


「……ふざけた物言いは俺の癖だ。知ってるだろう?」

「……冗談を言いに来ただけならもう出て行ってよ」

「一党を抜けたいっていうのは本気で、真面目な話だぜ」

「だから、ふざけたことを言わないでって言ったんのよ。

 仕事はうまくやれてるでしょうが。今日だってうまくやった。

 稼ぎだってかなりいい方のはずだし。分け前だって、活躍に応じてしっかり分けてるじゃないの」

「ああ、十分すぎるほどに貰っていると思っている。そこには感謝しているとも。

 ただ、問題は報酬云々のところじゃない」

「じゃあなにが問題だっていうのよ」

「これ以上一緒に仕事をし続けること、それ自体が問題なんだ」

「……私たちの一党と、私たちそれぞれに関する格付けを知らないわけじゃないでしょう?

 私たち以上にうまくやれてる連中なんて、どう頑張って数えても両手で足りるほどしかいないのよ。

 今日の仕事だって、並の連中なら一人か二人欠けていて当然の内容だったけれど、私たちは一人たりとも犠牲を出さずにやり遂げたじゃない」

「そのあたりの事実を否定するつもりはないさ。俺たちはそれだけのことをやってきた」

「だったらなにが不満だって言うの」


 そう返すアカリの顔は苦渋で歪んでいた。

 お前の言いたいことはまるで意味がわからないと、そう語っているかのように。


 ただ、グレンはアカリの表情が表現している心情を正しく理解していた。


「もう限界だろう、お互いに」

「……受け入れられない」


 アカリが漏らした言葉の通りに、現実を突きつけてくるグレンの行動が受け入れがたいものだから、彼女の表情が歪んでいるのだと。


 だから、グレンは何でもないことを話しているかのような様子で話を切り替えた。


「……今日もギリギリの仕事だったな。

 迷宮の奥深くまで入って行う狩猟は、常に命の危険と隣り合わせだ。

 疲れがたまれば不意を衝かれることもある。その際に傷を受けて、倒れることだってある。

 瀕死の重症を負うことはある」

「…………」

「うちには優秀な治療術をもっているやつがいる。

 だから今日も、俺はギリギリのところで踏ん張れた」


 グレンはそこで考えるような間を置いた後で、続けてこう言った。


「でもまぁ、毎度毎度、大きな傷を負って金を稼いでいる人間が居ると、人間関係は拗れていくものだ。

 みんな大人だから、表に出すことはないのだろうが。胸のうちには不満が燻っていることだろう。

 しかしそれらの感情は、一度でも表に出てしまえば、うまくやってきた俺たちの関係が修復不可能なところまで壊れてしまう代物だ」


 アカリの苦しそうに歪んだ表情の中で、目と口元が今にも泣き出しそうな形に変わっていく。


 グレンはアカリの表情の変化に、謝罪と感謝、その両方の思いを心の中で浮かべながら言葉を続けた。


「今ならまだ、俺たちはいい仲間だったと、そう言って別れることができる」


 その声音は、有無を言わさず結論を促す類のものだった。


「……あなたは本当にそれでいいの?」


 搾り出すような声で問いかけたアカリの言葉に、グレンは無言で頷きを返した。


 グレンが首肯を返した後、アカリはもがき苦しむような表情で何度も口を開きかけたけれど。

 やがて全てを諦めたように吐息を吐き、わかったという言葉だけを口にした。


「冒険をして、その過程で負傷する。そしてその傷が理由で、現役から退く。

 この街ではよくある話だ。君が気に病む必要はない」

「当事者になるとは思わなかった」

「俺もそうだったよ」

「……ほかの連中には言ってないのよね、これ」

「ああ、そうだ。言っていない。

 うちの頭目は君だからな。

 この手の話は君を通して伝えたほうがいいだろう?」

「後処理が面倒なだけでしょうが」

「よくわかってるじゃないか」

「……自分でやらない以上は、どうなったって文句は言えないと思いなさいよ」

「信用している」

「ホント、随分と都合のいいことだけを言う口よね」

「それが俺だ。形が変わっただけで、中身は変わっていない。

 ……そのつもりだったんだがな」


 グレンはそう言うと、アカリに背を向けて扉を開いた。


「夜分に押しかけてすまなかった。

 もっと早くに決断するべきだったよ」

「あとのことはちゃんとやる。だから、もう行って」


 そして視線を交わさないまま二人の間でそんな言葉が飛び交った後に、扉の閉まる音が続いた。



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