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「失礼、取り乱してしまいました」
ミトラはまるで手の痛みで悶え苦しんでいたことがなかったかのように取り澄ました表情を浮かべると、簡潔に謝罪の言葉を述べた。
「……落ち着いてもらえたなら何よりです」
ビオは初対面ということに加えて、得体の知れない相手ということもあってそう応じるだけで精一杯だった。
ミトラはそんなビオの様子を気にした様子もなく、言葉を続けた。
「さて、仕事の話をしましょうか。
……グレンさんから直々に代理報告をするようにお願いされたというお話でしたが、その際に書類などを預かっていませんか?」
ビオはミトラの質問への答えというように、無言で書類の束を差し出した。
ミトラはそれを受け取ると、ぱらぱらと音を立てるように中身を流し見て――確認が最後の頁まで辿り着くやいなや、大きな溜め息を吐いて肩を落とした。
ビオはグレンから手渡された書類の中身もミトラという人物のことも知らなかったから、ミトラの反応の意図を素直に尋ねた。
「なにか問題でも?」
「何もありませんよ。なにせグレンさんのした仕事ですからね」
ミトラは余所行きの作り笑いを浮かべながら肩を竦めつつそう答えた。
だから、ビオは質問を追加した。
「じゃあ、なんでがっかりしているのか聞いてもいいかしら」
ミトラはビオの質問に、意外なことを聞かれたと言うように軽く目を見開いてみせた後で答える。
「……私のちょっとした思惑が外れてしまったからですよ。
誰だって何だって、期待していた結果が現実にならなかったら残念に思うものでしょう?」
ミトラの驚きには、当然のことを聞かないで欲しいという質問者への嘲りが含まれていたから。
ビオは少しだけ視線を鋭くして、問いを重ねる。
「グレンがあの竜を倒しただけでは足りなかったと?」
この問いかけに、ミトラは今度こそ純粋な驚きによって表情を変化させ、
「――あら、グレンさんに依頼を出したと喋った覚えはありませんが」
ビオは得られた反応に満足したように鼻で笑ってみせてから、ミトラが口にした疑問に対する答えを口にした。
「本人から聞いたのよ。中央で依頼を受けたからこの街に来たってね。
そしてその縁があったから、私は今ここにいるってわけ」
ミトラはビオの言葉に納得の頷きを返すだけだった。
しかしビオはまだ質問の答えをもらっていなかったから、言葉を続けた。
「あなたがなぜ竜が復活するという事実を把握していたのかはわからないけれど、グレンに出していた依頼は、あの竜の退治が目標だったわけよね。
それならその目的は無事に達成されたはずだけれど、あなたはそこにいったい何が足りないと言うの?」
「……答えなければならない理由が見出せませんね」
「こちらはあなたの疑問に明確な答えをあげたじゃない。
その対価として、私の疑問に答えをくれてもいいんじゃないかしら?」
「知らなかったほうが楽に生きることができるという事実も、世の中にはあるものですが」
「冒険者にそれを言ってどうするの」
ビオが笑ってそう応じると、
「程度は違えど、冒険者らしい冒険者ですね。グレンさんが気に入りそうな方です。
隠すような話でもありませんし、愚痴の代わりと思って説明をして差し上げましょうか」
ミトラは更に納得を深めたように何度も頷きを返してから、話を続けることにした。
●
ミトラは少しだけ考えるような間を挟んだ後で、なんでもないことを言うような口調で話を始めた。
「今回のグレンさんへの依頼、その最も大きな目的は、彼が冒険者をやめることが出来ないような理由を作ることでした」
ビオはミトラの言葉を聞いて、眉をひそめながら率直な感想を口にした。
「……何がどう繋がっているのか、よくわからないわね」
「そうですか?」
ミトラはビオから視線を外して、周囲を見渡す。
つられるように、ビオもミトラの視線を追う。
そこには、壊れた建物の数々があった。
「これだけ壊せば損害も相当なものになります。
その賠償を個人が背負うことになれば、少なくとも今の仕事をやめるわけにはいかなくなるでしょう」
ビオはミトラの発した言葉の内容に、引きつったような笑みを浮かべながら問いかける。
「本気で言ってるの?」
ミトラは平然とした様子で、何を当たり前のことを言わんばかりに吐息をひとつ吐いてから続けた。
「本気でしたよ。
そのために、不本意ながら、非常に曖昧な口約束という形で依頼を出したんですから。
私と彼が交わした契約は討伐に関してのみ。それも報酬に関することだけです。
その過程で発生した被害に関する保障などの話は一切ありませんでした」
ミトラは視線を再びビオへと戻して、いたずらな笑みを浮かべながら言葉を継いだ。
「……あなたたちの殆どはあまり意識していないかもしれませんが。
寄合所を通して依頼を受ける場合に署名する書類って、実は依頼達成過程で発生する周囲の損害を気にしないで済むような保険とかをしっかりと適用するためにあるんですよ」
ビオは降参というように両手をあげて、硬い声音で宣誓をするように言った。
「安易な口約束はしないように気をつけることにするわ」
「賢明な判断です」
くすくすと笑いながらそう応じたミトラに、ビオは両手を下ろしつつ、頭の中に浮かんだ疑問を投げかける。
「ただ、あのグレンって冒険者は、そんな賢明な判断もできないほど馬鹿な人間には見えなかったけれど」
ビオの質問に、ミトラは笑みを消してから応じる。
「そうせざるを得ない状況があっただけですよ。
彼は私個人に約束させたいことがあった。だから引き受けざるを得なかった」
「それを利用して型に嵌めようとした、と」
「そういうことになりますね。
有象無象の冒険者なら、うっかり先に行動を起こしてひっかかってくれるのですが」
一息。ミトラは手に持っている書類に視線を落として、
「グレンさんみたいな海千山千の冒険者ともなると、対応もきっちりしてますね。
街の復興費用は俺に押し付けるなよと、行動を起こす前に関係各所へ言っておいたみたいです」
ビオへと視線を戻すと、そう言いながら残念そうに溜め息をひとつ吐いた。




