後編
【ある少女の物語】
「ようやくこのくるみちゃん様の出番ってわけね。遥ちゃん、行くよ~!!」
遥の鼓動が高鳴る。くるみちゃんによってときめきを覚える。それは片思い相手の智也に対するものでも、この現状に対するものでもなかった。
ぱさぱさぱさ。
遥の脳裏に唯一の友人であった白い猛禽類が掠める。
「K、あなたは……幸喜」
こうして、遥の『二酸化炭素を固定化する能力』によって、二〇二〇年の三月、北京とニューヨークをダイヤモンドと同じ硬さの物質の雹が襲った。二〇三〇年の温室効果ガス削減目標をより野心的にさせるための脅迫は一時は成功するかに見えた。しかし、物質の資源活用が見出され、失敗に終わった。遥は能力の代償として、様々な記憶を失い、歩行もままならなくなった。
それからまもなくして遥は死んだ。
理由は心不全と診断された。通常なら考えられないことだが、なんらかの原因で心肺機能が低下していたのかもしれない。ナースが発見したときには、ベッド上に掌ぐらいの石が置かれていたが、医師と共に再度訪れた歳には、もう無かったという。
超能力研究会は解散し、それぞれの道を歩むこととなった。
そして、80年が過ぎた。物質は人工的な作成が成功し、ガイアモンドと呼ばれている。水素作成の触媒や有害物質の除去として活用されている。しかしながら、二〇三〇年の温室効果ガスの削減目標を含むパリ協定とSDGs(持続可能な開発目標)の達成は失敗した。技術革新は行われたものの、不平等さを無くすことはできず、世界は都市化とスラム化が同時に進むモザイク状の様相を呈していた。貧困層は子供を養うことが困難であり、至るところに施設が作られた。KEI、NANO、ALICEはそんな施設を抜け出した子供たちであった。
【不安】
みしり、みしりと階段を上がる。この瞬間がいつも鼓動を激しくし、気持ちが高ぶってくる。右か、嫌、左の部屋だ。左の部屋の奥へと進んでいく。壁沿いに箪笥があり、シングルベッドがある。そして化粧台。このパターンだと.....、KEIは化粧台をゆっくりずらす。物陰には、指輪が落ちていた。暗くてよく見えないが、宝石がついていそうだ。
「KEI~どうだ?」
NANOの声が聞こえる。
「収穫ありだ!そっちは?」
「こっちはなさそうだな~」
すると、遠くからサイレンの音が聞こえてくる。
「 KEI、行くぞ」
指輪をポケットに入れると、速やかに階段へ足を踏み出す、手すりを使って。パキッ。手すりの持ち手の部分が砕ける。早まったか。階段を転がり落ちる。頭を強く打ったようだ。ふくらはぎにも刺すような痛みが走る。こいつはまいった、NANOが上手くやってくれたらいいが。
「だから、この家には何もなかったんだって。それに変な音がするし、幽霊がいるかも」
「はいはい、お友達もいるんだろ?さ~て、かくれんぼはお終いだよ~」
ちっ。いつものアイツがやってきちゃったか。
「はい、み~つけた」
「よぉ、KING。見ての通りだ。何の抵抗もできない。もっともこの家には何もないがな」
「この家には何もない。たしかに。なぜならおまえさんが持ってるからだよな?」
KINGはKEIの服を確かめると、すぐにポケットから指輪を発見した。
「お、指輪か。石はねぇみたいだが、ないよりはましだな。じゃぁ、お疲れさん」
KINGはあっさり帰って行った。これで何度目か。やつにとっては楽な仕事だな。
「 KEI、大丈夫か!」
「ああ、足はそうでもないが、頭がくらくらするな」
「しかし、まったやられちまったな」
「まぁな、でも収穫がないわけじゃないぜ」
そう言うと、 KEIはNANOにキスをした。
「ん?なんだこれ?」
NANOは口から小さな玉を取り出した。
「指輪の石さ。工具で外して、舌の裏に隠してたんだよ」
「さすがだな!」
今度はNANOからキスをする。舌を絡ませあっていると、二人は股間が固くなってくるのを感じる。
「ぷはっ、続きは帰ってからだな。手を貸してくれるか?」
「いつも身体ごと貸してるだろ笑」
NANOはKEIをエネバイクの後部座席に乗せ、帰路についた。家に着くと、かわいい天使が出迎えてくれた。
「这之后我们还要不要做爱?」
「余計なお世話だ。早く寝ろ!」
「I miss U]
[はいはい、ミスミス。KEI、消毒液取ってくるな。」
NANOが闇夜に消える。
「KEI大丈夫?」
「ALICE大丈夫だよ。ほら、今日の収穫だ」
「hmm,よく見えないよ」
ALICEの大きな目がより大きくなる。
「KEI待たせたな。足出せ」
「サンキュ。ついでにこいつを磨いてくれ」
「こすってこすって」
「アルコールでいいのか」
「ああ、多分ダイヤだ」
NANOは消毒液をTシャツの端に染み込ませると、その石を磨いた。
「ALICE、エネフォンで照らしてみてくれ」
ALICEが光を照らすとその石は七色に輝いた。
「きれいね、ねぇ、私とどっちがきれい?」
「何度目だ、その質問」
「どっちよ!」
「KEIがここまでして取って来たダイヤに軍配が上がるかな」
「ふ~んだ。今日は『セックス』してあげないんだから」
「いいぜ、俺はKEIと楽しくやるからさ」
「なによ、もう知らない!」
そう言うと、ALICEは奥の部屋に引っ込んで行った。
「NANO、行ってやれよ。俺はいいから。後々めんどくさいぞ」
「んなこと言っても、あれは中途半端だからな。俺はKEIとの時間を楽しみたいがな」
「妊娠したらやっかいだからな。それ以上にALICEの機嫌を損ねるのがやっかいだ」
「はいはい、俺はお姫様を慰めに行きますよ」
すると奥から張り裂けそうな声が聞こえてきた。
「あたしがしたいって言ってるのになんで来ないのよ!」
時すでに遅しか、もしかしたら月のもののせいかもしれない。とはいえ、ALICEの部屋には何も置いてないから大丈夫だと思うが、なにも?
「NANO!まずい、ALICEはいま!」
KEIの頬を風がよぎる。すると、頬から一筋の血が垂れる。がっしゃ~ん。何かが割れる音がする。もう、なんだっていい。もはやこの家は、世界一固い鉱物が飛び交う殺戮の家になってしまった。時間をかけている余裕はない。虎穴に入らずんば虎子を得ずだ。ALICEに近づかなければ。
「ALICE!こっちを見ろ!」
ALICEは天を仰いだまま直立し、涎を垂らしている。ALICEの念動力は直線しか描けない。ダイヤが水平方向に動いた瞬間がチャンスだ。ALICEに直進することができる。あと一歩。そのとき、バキバキ、床が抜けて足が嵌る。しまった。後方から風の音が聞こえる。絶体絶命だ。
「は~い、お姫様。お口にチャック。チュパ」
NANOがALICEにキスをしている。ALICEも意識を取り戻したのか、キスに夢中になっている。真後ろでコトンと音が鳴った。身体は冷や汗でぐっしょりだ。NANOがアイコンタクトとピースサインを送ってくる。KEIはゆっくりと足を引き抜くと、惨状を見渡す。この家も頃合いか。KEIとNANOは物心ついたときからの中だが、ALICEと出会って1年。既に家は5件目である。なかなか気に入っていたんだが。
はじめてALICEに出会ったとき、彼女は赤黒く汚れたパジャマを着て仁王立ちしていた。鋭い目つきをしながらも無表情のその顔は、1つの住居を仰いでいた。そして、その横からは重機がのろのろとスピードを上げながら押し寄せている。
「あぶない!逃げろ!」
KEIは思わず叫んでいた。振り返る少女。後方から衝突音が響く。
「なんなの、あんた」
少女はまたもや鋭い目つきになる。悪寒が走る。
「ママー」
子供の声が聞こえる。住居からなんとか出て来られたようだ。全員助かったのだろうか?
「ちっ。あんたのせいでやり損ねたじゃない。どうすんのよ」
少女の目に力が宿る。
「目的はなんなんだ?よ、よければ手伝うよ」
「目的?そんなの衣食住に決まってるじゃない?誰もがそれを求めてるのよ」
「そ、そうか。じゃぁ、うち来ないか?」
「あんたん家を乗っ取ればいいのね?」
「いや、違うんだ。友達と毎日物資調達してるんだ。それを分けるよ。君はお家で好きなことしてればいいからさ」
「トモダチ?」
「そ、そうだ、君ともトモダチになろう。ねっ?」
「『セックス』をするってこと?」
「ん?いや、そういうタイプじゃないっていうか、その、たまには、そうだね。友達もいるし、いいかもね」
「分かったわ。連れて行きなさい。」
「えっ」
「私を抱っこしなさいと言っているの。早くなさい」
KEIは言われるがままALICEを抱っこした。ん?軽い。確かに痩せ細っているけど、いくらなんでも軽すぎやしないか?
「早く進みなさい」
「は、はい、お嬢さん」
そして、一年が過ぎた。幸いにもNANOがALICEの扱いに長けていたのが救いだった。ちなみに、ALICEというのはNANOが名付けた。施設の本のキャラクターにいたらしい。こんな獰猛なキャラクターなのだろうか。
KEIは毎日の生活に満足していた。NANOは仕事の上でも生活の上でも重要なパートナーだ。彼と一緒ならこんな世界でも上手くやっていける気がする。しかし、たまに思う。貧困、飢餓、健康が脅かされる世界で自分はいつどうやって朽ち果てていくのだろうかと。
破壊された壁から、ぼんやりとい煌びやかな光が見える。都で生活するにはお金がかかる。戦利品を都で売却した日銭で流浪の生活をするのがやっとだ。「学校」などは行ったことがないが、施設のときや戦利品で得た書物で勉強するのがKEIは好きだった。ダイヤは明日売らないとな。少しばかり心を痛めながら、KEIは横になる。温度計は35度を指していた。
【都にて】
寝ているNANOとALICEを伏し目に、そっとダイヤを手に取ったKEIは、一番近い都、オオミヤに向かう。ダイヤの売却手段は2つある。1つは店舗に赴いて鑑定してもらうこと、もう1つはネットを利用することだ。後者の方が高い額がつく可能性があるが、KEIはネットカフェの料金すら払えない。何より身分証明書もないのだ。そこで、KEIは価格調査のためにこうしている。
「こんにちは~」
「いらっしゃいませ、どのような御用で?」
口は笑っているが、目は笑っていない。いつものことだ。
「このダイヤを鑑定してほしいんですが」
店員の目の色が変わる。
「ほ~いいダイヤですね。少し汚れているので洗浄してきていいですかな?」
これもよくある手口だ。裏ですり替える。
「いえ、洗浄は結構です。その分安く買えるならお得じゃないですか?」
「ふむ、たしかに、では汚れの分も差し引いて5万円でいかがですか?」
「この辺で一番高くダイヤを買ってくれるところはどこですか?」
「ふむ、もちろん、当店です」
「二番目は?」
「しいていうなら、Cryt.coですが、オオミヤにはありませんな」
「サンキュー」
KEIは勢いよく飛び出した。Cryt.co。KEIは念じる。KEI自身も分からないのだが、そうするとなんとなく方向が分かるのだ。気配を消せるNANOと探索能力があるKEI、二人の相性は完璧だった。
KEIは15分ほど南下すると、再びビル街に辿り着いた。ここにあるといいんだが。ここには官公庁の地方部署がある。KEIには一生縁のないところだろう。そもそも、税金も消費税しか払っていない。それにしてもここは風が強い。と、その時だった。強風が吹いたかと思うや否や、一輪の向日葵が空に舞った。KEIは思わず手を伸ばした。しかし、届かない 。そこに黒い影が舞い上がり、向日葵を掴んでいた。まるで鳥のようであった。
「すまない、ありがとう」
「いえ、よかったですね。向日葵」
「あぁ、彼女の命日なんで......ん?」
その黒い影はKEIをじっと見つめる。
「そうか、君か」
KEIにはなんのことだか、よくわからない。
「一緒に来てくれるか?」
「えっ?その、どこに?」
「あぁ、そうかまずは向日葵か、これはちょっとした旅になるな」
なんだか嫌な予感がする。NANOもALICEも置いてきてしまっているのに......。
「でも、そうか、君は一体ここで何をしているんだい?」
「ぼくは、このダイヤを換金しないといけないんで、ここで」
「百万」
「えっ?」
「百万円で買おう、そのダイヤ。それならいいだろう?」
「そんなの信じる人......」
すでに彼の右手には札束が握られていた。
「これで君の用件は終わった。違うかな?」
百万円あれば、NANOもALICEも豊かな暮らしができるそれが一時的なものだとしても。
「分かりました。僕やります」
NANO、ALICE、少しだけ待っててくれ。
「よし、決まりだ。私のことはKとでも呼んでくれ」
「あれ?僕もKEIです」
「運命とは面白いな」
「えっ」
「KEIこっちだ」
KEIは言われるがままについていく。KEIは思う。この黒ずくめの男を。まず第一に、暑くはないのか?気温は恐らく40度は超えている。黒のズボン、黒のトップスにコート?、そして黒のニット帽からは銀色の髪が覗かせている。黒のサングラスをしているので、表情が読めないどころか、年齢も分からない。そうこうしているうちに霊園に着いた。自分はこんなに立派なところに埋葬してもらえるのだろうかとKEIは考える。
「水を汲んできてもらえるかな?」
「分かりました」
KEIは近くの水道場に行き、蛇口を捻る。流れているときには分かりづらいが、バケツに入れると微かに濁っている上、浮遊物も散見される。それでも都会の水は綺麗だ。水がいっぱいになると、KEIはKのもとに駆け付ける。機嫌を損ねて百万円を失うわけにはいかない。Kは「佐藤家」と書かれた墓の前に立っていた。向日葵を手向ける。そして、KEIが渡したダイヤを隣に置く。
「今年は特別だよ。遥。80周年の命日に2つのプレゼントを持ってきた。このダイヤと少年だ」
ん、僕がプレゼント?というか80年も前に亡くなった人を参るなんて一体?
「この青年はね、欲しいものを探すことができるんだ。そうだろう?KEI君」
心臓の拍動を感じた。どうして?一体?
「私はね、人の能力や心を読み取ることができるんだ。そして、長年探してきたんだ、君をね」
この人もまた特殊な能力を持っていたのか。登場からなんとなく察せられたので、さほど驚きはしなかったが、それは次の台詞を
聞くまでの間だけであった。
「君が協力してくれれば、遥は生き返る」
【この国の中心】
薄汚れた窓の外では、すごい勢いで景色が後方に遠ざかっていく。これが「鉄道」か。巨大生物が大きな口を開けたような入り口、人はまばらだが、そこに入るのは一抹の恐怖を覚えた。他の人と違ってKは、小さな入り口の方へ向かう。コンピューター画面にカードのようなものを照らすと、
「何名様ですか」
と、コンピューターが問いかけてくる。Kが答えると、コインが1枚出てくる。
「これを失くさないようにな」
自分を失くさないようにな、と聞こえた。そのコイン一枚を握りしめて、KEIは外の風景を見渡す。僕は、一体どこへ向かうのだろうか。
「というわけなんだが、分かったかな」
Kが話しかける。いや、話しかけていたのか。
「えっと、どの部分のこと、かな?」
「まぁ、簡単に言えば、私の旧友に会うということだ、もっとも生きてるかどうかは分からないがな」
恐ろしいことを平然と言ってのけるな、この人は。この人くらいの年代で特区に暮らしている人はそう簡単にはなくならないだろう。
「イケブクロ、イケブクロです」
電車のアナウンスが鳴る。
「次の駅だ。準備はいいか?」
「え、あ、はい」
何の準備だろうか。降りる準備?しかし、KEIは人生で特区に来ることがあるなんて思ってもみなかった。この国には中心がない。いや、行政や商業が賑わっている場所はあるものの、各地域に分散しているし、どこかを中心と特定しようものなら、某国のターゲットとなってしまう。首都機能は終わりを告げ、特区制度になってから50年。その1つが......。
「シンジュク、シンジュクです」
KとKEIは、再び小さな入り口に向かう。Kは素通り、そして、KEIはコインを機械に入れる。
「ありがとうございました」
アナウンスがなんだか、心許ない。
「というわけで、ここからは君の出番だ」
「えっ?」
「この女性を探してほしい」
そこには黒とピンクの派手なドレスを着た可愛い女の子が写っていた。20代くらいだろうか?
「名前はくるみちゃんだ。80年前の写真だ」
くるみちゃん。可愛い名前だ。それでリスの刺繍が施されているのか。ん?80年前?
「え~っと百歳ということですか?」
当たり前のことを意味もなく口にしてみる。言って初めてやはり当たり前ではないことに気づく。
「生きていればな」
KEIの住んでいる地域では、50歳頃になると、何らかの方法で消息を絶つものが多かった。施設で子供の面倒を看ることはできても、老人の面倒を看ることは難しい。それが百年というのだから、潤沢なお金があってしかるべきなのだろう。
「ん~くるみちゃん、くるみちゃん」
必死に思い浮かべるが、答えが1つに定まらない。
「では、こっちはどうだ?」
そこには灰色のパーカーを羽織った、ピンクのモヒカン頭の青年が写っていた。
「これも80年前ですか?」
「そうだ」
やれやれ、こんなことやったこともないのに。さっきより反応が強い。しかし、10か所以下に絞れない。
「一つずつ回るしかないな。何、時間はある」
NANO、ALICE、まだ帰れそうもないよ......。
【再会】
KEIとKがシンジュクを歩き回り1時間。目的の人物だろう人に出会うことはなかった。
「すいません、お力になれなくて......。50万円でもいいんで、そろそろ終わりにしませんか?」
KEIはKの顔色を伺う。そろそろ帰らないと、ALICEが何をしでかすか、分からない。
「ふむ、そしたら、これはどうかな?」
Kが出してきたものは、小さな石だった。あれ、さきほどのダイヤ、ではないな。しかし良く似ている。
「ガイアモンドだ。いまや街中で使われている。もっともこれはそのベータ版とでもいう、荒いものだがな」
ガイアモンド、名前はもちろん聞いたことがある。水素製造や有害物質の除去に使われていたはずだ。しかし、そんなものでスクリーニングしたら、街中が引っかかってしまう。ベータ版と言ったが、どういうことか。
「試しにこれで探してみてくれ」
Kは疲労をよそに改めて集中してみる。やはり街中に光を感じる。ガイアモンド?を握る手に力がこもる。すると、1点だけ強い光を発する場所を見つけた。ここは......。
二人は光を頼りにとある場所に来ていた。今からおよそ二○○年前に生まれた皇室の庭園。もっとも今や、皇室の「人間宣言」を基に皇室は事実上解体し、誰が皇族の血を引くのかは明らかにされていない。皇室の所掌事務は政務が行うものとされ、政務ポストが増やされるという「民主主義の拡張」が行われたのだ。もっともKEIが生まれる前の話であるが。そんなKEI達が訪れたのが、ここシンジュク御苑であった。
「あそこです」
KEIは御苑の隅にこぢんまりと佇む甘味屋を指差す。
中に入ると、ひんやりとした空気が店内を包み込んでいる。寒い。しかし、Kは、
「かき氷を、抹茶、あんこ、バニラアイスをのせて」
「はい、そちらさんは?」
目がくりっとしたショートヘアの女性が注文を取ってくれている。
「えっとお茶を」
「少々お待ちください」
女性はさっと奥の方へ引っ込んでしまう。ん~たしかにくるみちゃんさんに似てないこともないかな。伝票をちらっと見る。「三」という数字が見える。、あとは見えない。三〇〇円ってことはないだろうから、三千円か、う~む。
すぐに女性がお茶とてんこ盛りのかき氷を持ってくる。
「きみ、ちょっといいか?」
Kが女性に話かける。
「この女性に見覚えはないか」
80年前の写真に見覚えはそうそうないだろうなと思いながら、KEIはお茶をすする。
「いや~分からないですね~。すいません」
そういうと、女性は奥に引っ込んでしまう。思ったより短い旅だったな。珍しい経験もできたし、帰りにお土産を買って帰ろう。Kはというと、かき氷にも手を付けず黙ったまんまだ。微かにBGMが聞こえる。恐らくこのまま冷凍庫に入れてあったのだろう。なかなかかき氷は溶けない。かき氷が溶けるのが先か、Kの沈黙が解けるのが先か。もうすするお茶もないのにすすっていると、Kが立ち上がった。
何を思ったのか、店の奥へと足を踏み入れる。おっとお茶を頼んでくれるのかと達観していると、
「きゃっ、お客さん何ですか!」
と大きな声が聞こえてきたので、近づいてみる。
「てん、いるんだろ。Kだ。出て来い」
てん?くるみちゃんじゃなかったのか?
「何をしに来たんじゃ、Kよ」
突然、空間から人影が現れた。うん、だんだん慣れてきたぞこの感覚。
「そこにいるのが、くるみちゃんだな?」
Kの目の先にはベッドに横たわった老婆がいた。ゆったりとした服のようではあるが、細部に飾りつけなどあり、若かりし日のころを連想させる。脇の棚の上にはパーティの写真と石が飾られている。
「おじいちゃん、知り合いなの?」
女性店員が問いかける。
「誰にでもある忘れられない過去の一つと言ったところかのう」
くるみちゃん、と呼んでいいのか、老婆は黙ったまんまだ。体調が悪いのだろうか。
「妻はこの通りだ。儂も若くない。何をしに来たか知らんが、できることなぞないぞ」
てんと呼ばれた老人はそう言って、また姿を消した。再びBGMが鳴り出す。どことなく心が落ち着く。
「遥を救える、と言ったらどうする?」
遥さんとは何者なんだ?KEIは緊張感に耐えられず、再びお茶をすすりたくなったが、もちろんない。というか、トイレにも行きたい。
「遥......」
老婆がかすれた声を出す。今の平均寿命は何才だっただろうか。確か分散が大きいから中央値の方が意味があったはずだが、目の前の百歳は超えているであろう、老婆の体調が心配だった。
Kが老婆のもとで耳打ちをする。何と言っていいるのであろう。
「ダメだ」
Kの背後から、怒気を孕んだ声がする。姿は見えない。
「妻の体調が優先だ」
「あなた、わたしは......長くないわ。そうでしょう?あなたと......一緒になれて幸せだったわ。お商売も山あり谷ありだったけど、時代と共に変わる環境に適応していけたわ。でも、遥のことだけは気がかりだった。あなたもそうでしょう?」
「しかし、私は遥よりお前の方が大切だ」
「あなたはいつもそう言ってくれたわね。あなたが奏でる音楽より、あなたの甘い言葉の方が私は好きよ」
KEIは自分がここにいる意味がいよいよ分からなくなってきた。どうしたものか。
「さぁ、KEIくん、君の出番だ」
えっ?
「君の能力をくるみちゃんの『ときめきを与える能力』で強くし、時を操る魔女を探し出してもらう」
【過去へ】
「国連へ行くぞ」
唐突な彼の言葉にKEIはなんとかついていく。もっともいつも唐突だが。
国連の本部はアメリカのニューヨークにある。国連は各国の拠出金により、複数の下部組織と共に運営されている。言わば、政府の中の政府である。そんな国連はいまや各国からの拠出金はなくなり、人員派遣という形で共同運営されている。いわばスパイで成り立っているのだ。つまり、幾度の非常事態環境に晒されて生まれた、自国優先的危機回避権により、国家間の移動と貿易が許可制になり、国際協調というものは形骸化した。国連の仕事で最も重要なことは各国のホワイトペーパーをホチキス止めすることであった。
そんな国連に行く日が来るとは、KEIは夢にも思わなかった。
「着いたぞ」
Kの言葉に我に返る。ここがニューヨーク、なわけはなかった。ここは......アオヤマだ。
「国連大学だ。この中には数々の国連組織が入っている。支部が中心だが、本部機能をもった組織もある。私達が向かう国連広報センターもその一つだ」
国連広報センター、なるほど確かにそこなら、僕の能力を使えるかもしれない。
1時間前。
「何度も言ってるが、儂は知らんからな。辛い思いをするのはお前だからな」
「辛い思いをするのはあなたでしょ。私がいなくなったらどうするの?さぁ、協力して」
いくらか老婆の口調が活気づいたような気がした。
「これで最後だぞ。最初で最後のチャンスだ。必ず遥を助け出せよ」
「あぁ、プラン通り行けば問題ないはずだ」
「じゃぁ、いくよ、ええとどちら様でしたっけ?」
「はい、えっとKEIです」
「あらまぁ。一緒なのね。それじゃぁいくわよ。何年ぶりかしらね」
「何年ってレベルじゃないだろうに」
「あなたは早く『心を落ち着かせる』音楽を流してちょうだい」
老人の姿が消え、BGMが流れ始める。気持ちが安らぐ。
「えええいぃい!」
老婆が叫ぶ。KEIは心の奥底がほんのり暖かくなるのを感じた。感じて終わった。
「あれ?成功したんですかね?」
「あたしゃね~失敗したことなんてないんだからね」
「もしかしたら、タイムラグがあるのかもしれない。どっちみちくるみちゃんにはこれ以上力を使わせることはできない」
「あれまぁ、Kったらちょっと見ないうちに人間らしくなったわね、うふふ」
よく分からないが、これで僕の能力は強くなったということなのだろうか。
「じゃぁ、私たちはこれでお暇するよ。お嬢さん、かき氷ご馳走様」
「もう二度と来るな、黒梟」
てんさんが毒づいた。
そして、KEIは言われたのだ。「国連へ行くぞ」と。そして、この状況である。30代か40代の女性が後ろ手を手錠にかけられている。女性もさぞかし驚いたことだろう。銀行や店舗ならいざ知らず、警備員さえ雇えない国連のしかも広報センターを襲う輩がいるなんて。
「あなたたち、何を考えているの?ここには、お金も無いし、機密情報もない。広報センターなの。誰もが知る権利のある情報しか載ってないわ。むしろ、拡散してくれるなら、大歓迎よ。パスワードも教えるから、毎日来てちょうだい」
女性の意見はもっともだ。天地がひっくり返ろうとも、KEIならこんな場所は襲わない。
Kは女性からパスワードを聞き出すと、黒い画面を開き、何やら打ち込んでいる。
「管理画面にはここからは入れないわ。パスワードの問題じゃないの。ここのアドレスからは入れないの」
「ふむ、でもつながっているということだな。KEIやってみてくれ」
「ええ、そうですね~」
とりあえず、返事をしたものの、どうしたものか。こんなことやったことがない。
「ていっ」
KEIは掛け声を放った。何の反応もない。
「そうだな。練習をしよう。エネフォンはあるか?」
「いや、なくて......」
「お嬢さん、エネフォン貸して」
お嬢さんと言われたのが嬉しかったのか、女性はすんなり渡した。そういえば、Kは何歳なんだ。
「エネフォン同士でやり取りできるのは知っているな?しかしそれでは、世界中のエネフォンとつながってしまう。だから、近距離しか利用できない周波数でやりとりをする。そうすれば、君は私しか検知できない」
「いや、ちょっと待ってください。世界中のエネフォンとつながれるなら、ここに来る意味なかったんじゃ」
「それはセンシティヴィティとセンシヴィリティの問題だ。君の負担をできるだけ軽くするために、範囲は狭める必要がある。私の読みが正しければ、時間を操る能力者は重役の影にいるはずだ」
短周波で実験してみると、Kの存在を端末からほのかに感じられた。
「その感覚を意識して、パソコンに向かってみてくれ」
「......」
KEIは真剣に集中する時間を操る能力者、能力者、そうか日本とは限らないんだ。ということは……。
「Kさん、分かりました」
【国境を越えて】
中国。この国の隣にある最も大きな国。それが第一認識だろう。もっともそれすら碌に知らずに人生を終える人も少なくないだろう。そして、この国から文字を奪った国。日本では、地名に漢字を使うことは公に認められていなかった。英語と言えば、イングランドというように、漢字と言えば中国でなければダメなのだ。だから、日本を指し示す地名に漢字を用いることはできない。それで、一方では人名にはアルファベットを使わなくてはならない。これはアメリカの影響だ。日本は独立した国ではあるが、いまや米中の支配下にある宙ぶらりんの存在。だとKEIは思っている。何しろ学校に行ったことなどなく、施設の本や盗品で断片的に得た情報だからだ。
しかし、流石に中国に行くのであれば一度帰りたい。
「K、悪いが一度家に帰りたい。金も渡さないと、死にかねないからな。いや、死ぬのはアイツらじゃないんだが」
「ああ、構わない。道筋は大体見えた」
「じゃぁ、空港で待ち合わせで」
「ダメだ。私も行く」
「えっ、いやっ来なくていいよ。何しに来るんだよ」
「KEIはエネフォンも持ってないし、このまま逃げられると困るからな」
確かにそうか。Kの立場からすると、日給百万円で逃げようとしている男に見えるのか。NANOともしばらくしてないからとも思っていたんだが、どこか空き家を探すか。
「分かったよ。家にお姫様がいるから、彼女の相手をしておいてくれよ」
「ああ、よく分からないが、大丈夫だろう」
それにしても腹が減った。朝から何も食べていない。そうだ、お土産を買わないと。
「K、ここらへんで何か旨いものはないか」
「ふむ、旨いかどうかは分からないが、エネフォンで注文するのが早い」
「いやまぁ、そうなんだけど、都会のものを食べたいじゃんか」
「今はどこでも何でも手に入るはずだが」
「はいはい、お金がある人の言い分ですね」
「アオヤマ、旨いもの」
Kがエネフォンに話しかける。
「お客様の好みの情報がインプットされておりません」
女性の声が聞こえる。まるで人間そっくりだ。
「KEI、適当に使ってくれ」
適当にったって。KEIは特に好みはなかったが、持ち運びのことを考えて、お弁当を3つとケーキを2つ買った。KEIはあまり甘いものが好きじゃないというわけではなかったが、罪悪感があって食べる気になれない。施設でケーキを食べられるのは年に1回だった。誕生日という意味ではない。施設全員の子が1年に1回1つのケーキを分けて食べるのだ。もちろん、そんなに大きなケーキではない。スポンジにチョコレートをかけただけのケーキ。事実上、チョコレートをなめているようなものだ。そんな環境でKEIとNANOは育ってきた。施設にいられるのは10歳までだった。法的には15歳までいられるはずだが、補助金の金額が変動するうえ、「維持管理費」が増大するため、10歳の誕生日に「サヨナラパーティ」を開いていた。ケーキを食べるたびに恐怖感が募っていく。そんなとき、心の支えだったのがNANOだった。そして、10歳の誕生日の前夜に二人で施設を飛び出して、3年。お互いの能力でなんとか生活してきた。しかし、この生活もいつまで続くことか。
住居に戻ると、整然とした惨状が広がっていた。もともと物などないので、荒らされる余地がないのだから、その対象は二人以外になかった。白と黒。闇夜の中、僅かにそれだけ感じられる。白、つまりALICEは全裸で手が後ろに変な角度で回されている。少し開いた股からは赤黒い液体があった。そして、NANOは、NANOは他の黒と同化してよく分からない。服は着ているようだが、ボロボロだ。そして、腹に突起物がある。これは......。
「それはナイフだ。KEI。触らない方がいい。二人とも暴行されたようだ。時間もかなり経っている」
「よくわかるな、K」
「なに、夜目は効く方なんでね」
二人が暴行を受ける。今までトラブルがなかったわけじゃない。この近辺で住むためのルールは理解していたつもりだ。しかし、ここまでのことが突然......。KEIはその場にへたり込む。膝がぴしゃりと液体を弾く音を出した。どうすればいい?病院になど行けるわけもない。施設に戻るか。いや奴隷になるだけだ。そもそも二人は生きているのか?生きていたとして何ができる?
KEIはポケットにある百万円の存在を思い出す。そうだ、これを使えば......ナニカデキルカモシレナイ。
「そろそろいいか、KEI。中国に行こう」
「この状況で、そんなことがよくも言えるな!人でなしが!」
「あいにく人じゃないんでね。冷静になった方がいいのは君の方だ。過去に戻ればこんなことは起きない」
「過去に戻る、過去に戻るってホントにそんなことできんのかよっ。それよりいまこの二人を救う方が先決なんじゃないのか」
「君は何か勘違いしている。私は頼んでいるわけではない。命じているのだ。この状況で誰が一番強いか分かるかな?二人をかばいながら、私に勝てるほど君は強いのかな、おチビちゃん」
この闇夜の中で見えるのは、銀髪と黄色い目。Kの大きさは闇夜と等しくなった。
「......分かった。付き合おうじゃねぇか、K。中国に行ったら、二人は助かるんだな?」
「正確には過去に行ったらだ。中国で二人とも死ぬ可能性がある。もっとも私は死なんがね」
「過去でもどこでも行ってやるよ。その前にだ」
KEIは弁当箱を2つ開ける。
「ありがたいが、私は食べない」
「食える時に食っておくんだよ。もう食えないかもしれないからな」
KEIは弁当をかきこみ、咽る。水が飲みたいと思うが、今日は水汲みをしていなかったことに気づく。もし、うまくいかなかったら、二人を埋葬するか、川に流すか、と一瞬考えが過る。いや、うまくいかなかったら帰ってこれるわけない。これから行こうとしているのは、世界を牛耳っているあの中国なのだから。
【潜入】
飛行機に乗って空を飛ぶのが夢だった。KEIは施設にいるとき、交代制で使えるエネフォンで見る飛行機の動画が好きだった。それは閉塞した世界からの脱出が、新たなる束縛でないことを意味していたからかもしれない。そして遂に空港に来てしまった。人はほとんどいない。
「K、ここからどうすればいいんだ」
「まずは荷物を預ける」
「荷物なんて持ってないじゃないか?」
「今に分かる」
二人は搭乗券を買い、荷物預かり所に向かう。
「お預かり荷物がある場合、こちらにお乗せ下さい」
機械からアナウンスが流れる。
「乗れ」
「えっ?」
「いいから、乗れ」
KEIはしぶしぶと台の上に乗った。
「こちらのお荷物は積載サイズ、重量共にオーバーしております」
Kが話しかける。
「こいつは私のペットだ。搭乗券は2枚買ってある。ペットを預ける価格より高い。仮に死んだとしても文句は言わない」
「えっ??」
「......少々お待ちください」
「必要ならもう1枚搭乗券を買おう」
結局、KEIは3枚の搭乗券をお土産にすることを条件に貨物室に運ばれた。1枚はNANOの分、1枚はALICEの分、最後の1枚はKEIの分、これで3人で旅行に行った気分になれるかな。そう思いながら離陸まで2時間が過ぎた。KEIは半ば寝ていた。というより寝ていた。そのあとの3時間が地獄だった。
早朝の北京は気持ちいい、そう思う男はここにはいなかった。無表情な男と寝不足で頭痛と吐き気の三重苦の男が空港前に降り立った。
「市街まで遠くない。が、その様子だと自力での移動は無理そうだな。車を呼ぼう」
Kがエネフォンで操作している間、KEIは昨夜、弁当を2つ食べたことを後悔していた。なぜ同じ種類の弁当にしたんだろう。
程なくして車が到着する。楕円体を半分にして、水平面を地面に向けたような形をしている。最近、流行りのオヴァールと呼ばれるものだ。
「こんないいものに......」
「空輸は大変だったろうからね。気楽にしてくれ」
狭い密室で二人となると、何だか緊張する。何か話した方がいいのだろうか?
「遥......さんとはどんな関係だったんですか?」
「私は遥のペットだった」
「えっ?」
この人は「ペット」という言葉の使い方を分かっているのだろうか。
「そして、私のせいで死なせてしまった」
日が出てきてKの表情が良く見えるようになってきたが、表情に変化は見られなかった。80年前、Kがてんとくるみちゃんとそして遥と共に挑んだ社会変革に失敗し、遥が犠牲になったことなど、KEIには預かり知らぬことであった。
「ここでポーターと接続します」
車内アナウンスが流れると、前方から黒の百葉箱のような形の車体が流れてくる。交差点の角でこちらのオヴァールは停止すると、ポーターは左折し、つまりこちらから見ると右に曲がり車体に近づくと、車道と歩道の間の防護柵にするすると入っていく。まるでパズルが組み合わさるかのようだ。ポーターの窓とオヴァールの窓が同時に開き、ポーターからスライドが飛び出し窓の淵にかかる。
「君の朝食だ」
「えっ?」
正直気持ちが悪くて食欲どころじゃないが、この親切心を無下にするほどKEIの心は汚れていなかった。
「あ、ありがとうございます」
スライドの上の紙容器を手に取ると、ほのかに熱が伝わってくる。スライドは引っ込み、ポーターは逆走して柵から抜け出すと、そのまま来た道を逆レーンで帰っていく。オヴァールの先頭車両になる形だ。オヴァールも走り出す。先ほどに比べて加速が緩やかな気がする。
「いただきます!」
KEIはそう言って蓋を開けた。かつ丼だった。
「ゲン担ぎだ。二人を絶対助けるんだろ」
「......」
えっ?これ食べないと二人は助からないの?そんなわけないよね。これ食べなくてもいいよね。
「食えるときに食うんだろ?遠慮するな」
えっ?この人昨日の夜からなんか怖くない?なんか悪いことした?
「ああ、そろそろ着きそうだから、手早くな」
KEIは諦めた。考えることを。そして口にした。旨い。あれ、もしかしてまた水ない?
オヴァールはスムーズにある建物の前に止まった。KEIはかつ丼の残りをこっそり座席に残して降りた。オヴァールは逆走して帰っていく。Kはというと、既に入り口の警備と話している。Kが何かを見せながら話しているが、何を話しているのか分からない。警備も語気が強い。KEIがそろそろと近づくと、警備の顔がこちらを向き、何かをまくしたてる。「子供」と言ってるのは分かった。そこで、KEIは驚いたのか口から出してしまった、かつ丼を。警備が明らかに怒り狂っている。ゲートが開き、中からR2D2 のような円塔型のロボットがやってくる。KEIのかつ丼の上に覆い被さるとなにやら機械音を立てて、逆走して戻っていった。そのときKが持っていたものを放り投げ、国務院の中へと走り出す。
「行くぞ」
KEIも警備員も舞い散る紙幣に目を取られている。はっと気が付き、KEIが走り出すものの、警備もさすがに行動にでる。ゲートは閉まり始めていた。まずいっと思ったものの、警備員がKEIのかつ丼があった場所で滑って転倒する。KEIは押し出されるような形でゲートの中へと滑り込んだ。すぐに警報音が鳴り出す。KEIは慌てて走り出し、Kの後へ続く。しかし、建物の扉はロックされている。すると、KEIはなぜか知らないが気持ちが悪くなってきてその場にへたり込んだ。こんなときにまたかつ丼のせいかと思いきや、Kも座り込んでいる。これは飛行機のときの感覚と似ている。
「おはよう。非中国人の方々。どこの誰かな」
目の前に映像が映し出され、音声が聞こえる。なぜかNANOの容貌から女性の声がする。
「こういうものだ」
Kがエネフォンを見せる。するとNANOはにやりと笑い、
「ようこそ、非中国人。北京大学第一病院産科・小児病院に行きなさい。合言葉は......」
そう言うと映像が消えた。気持ち悪さも治まったようだ。出口に向かうと、警備がしかめっ面をしている。ただで通してくれるのだろうか。思った通りゲートは開かない。すると、上空からドローンが2体飛んできた。ドローンが両脇からリングを2つ出し、脇を固定する。すると、二人は北京の上空を舞った。これは本当に空を飛んでいる。すると、前方に茶色い屋根をした建造物の集合が見える。とてつもなく広い。周りが水で囲まれている。その奥には南北に長い池がある。
いよいよ建造物の上に差し掛かると、一部の色が周りと異なっている。それが2か所ある。これは影?試しに手足をばたつかせてみると色が揺らぐ。これは投影されているのか?KEIの位置が池に差し掛かると、同様に影ができたが、それは単なる黒色であり、先ほどのものとは異なった。先程のものはまるで……。
二人は池を通り過ぎると、病院の屋上に降り立った。ドローンは自動的に帰っていく。屋上には扉はあるが、もちろんロックがかかっているであろう。先程の合言葉で空くのだろうか。
「妲己・呂雉・武則天・西太后」
KEIがそう唱えても、扉は開かなかった。代わりに機械音がどこかから聞こえる。振り返ると、床の一部が開いていた。中を覗くと梯子があり、降りられるようになっている。行く先は明るい。
梯子を下りるとそこは病室であった。一人部屋であり、物がほとんどないところはKEIの家と似ていた。ただ違うのは、清潔であり、いろいろな器具がベッドに寝ている女性につながっているところだ。美―美を擬人化したような、白く透き通った肌をして、整った顔立ちをした女性が横になっている。
「起きろ」
Kが女性の身体を揺らす。本当に恐れ知らずの男だ。何度か揺らしたのち、女性が体を起こした。女性は何も身に着けてなかった。
「なんじゃ、こんなあけがたに」
「明け方というより朝だな」
本当に礼儀というものを教えてやりたい。
「ふたりとも、わらわをみてもなんのはんのうもないのう。おとこであることをすてたか」
「私は人間ではないし、こいつは同性愛者だ」
同性愛者?なんのことだ。なぜ区別する?
「あ~むかしからおったのう。そうりょにおおかったきがするが、あえてそうりょになったものもいたのかものう」
「用件だが、世界を二〇二〇年に戻してほしい」
「かっかっかっ。そんなことをしたらわらわはしんでしまうだろうのう」
世界を?二人だけが戻ればいいのではないか。
「世界を戻せばおまえも戻るだろう、西太后。それとも妲己と呼んだ方がいいか?」
「久しく聞いたな。その名前を。たしかにうまくいばな。しかし、わらわはもどりたくない。ふたりでいってきてくれ」
この人が西太后?そして妲己なのか?。
「わらわはじかんがあやつれる。そのおかげでときのけんりょくしゃのもとでおおきなちからをふるってきた。せいたいごうもそのかたちのひとつじゃ。しかしできないこともある」
「時の権力者とはおまえのことだろう。何が望みだ」
「わらわのけつえんかんけいをしりたくてのう。にせんにじゅうねんじてんのでかまわない。もどったらわらわにつたえてくれ」
そんなふわっとした約束でいいのか。
「だそうだ。KEI」
「えっ」
「もの探しはおまえの仕事だろ」
血縁関係って何親等までなんだ。
「二人を救うためには何でもするんだろ?」
何だか、いつも追い込まれてるな。
「はい......やりますよ」
少しの静寂が訪れる。
「だめじゃな。ほんきでそうおもっとらん」
「真剣に考えろ」
え?そんなこと言われても。
「ほら、こっちへこい、おまえさま」
KEIは抱きしめられる。柔らかい身体に包まれ、良い香りがする。
「わらわのことをもっとかんがえよ。いぬがにおいをおぼえるように、わらわをどこでもとくていできるようからだでおぼえよ」
特定。特定。心の中で念じる。
「もうよいかの」
女がエネフォンを取り出すと、そこから映像が部屋全体に広がる。それは家系図なんてものじゃない。進化の過程を表した系統樹のようだった。勿論、規模は筆舌に尽くし難いが。
「かっかっかっ。これでまたおもしろいげーむができるのう」
何が何だか分からない。
「二〇二〇年でおまえが調べたことが、今反映されたんだよ」
「まだ、確定していないのに」
「おまえの気持ちもこの魔女の気持ちも確定したから、他の選択肢がない。運命は決まったんだ」
「まぁそういうことじゃな。ではまいるぞ~それい」
二人が過去に戻される。確かに他の選択肢がない。
【二〇二〇年にて】
気づくとそこは、病室だった。何の代わりもない。彼女が寝ている以外は。
「おい、起きろ」
KEIが再び彼女の身体を揺らす。先程よりはスムーズに起きる。
「なんじゃ、おまえさまがたはこんなあけがたに」
「私達は80年後の未来からやってきた。お前の力を借りてな」
Kが事情を話す。
「ほう、おまえさまがたはわらわのまつえいをたどることができるのか、じつにおもしろきことかな」
本当にできるのだろうか、KEIは不安になる。
「なに、このいいんのしゅっしょうきろくとてらしあわせてけんしょうすることもできる。きらくにやれ」
そう言って彼女はパソコンを差し出す。KEIは心を集中させる。「彼女」はどこにいるんだ。
人間の個体差はDNA上0.1%だと言われている。これを個性と呼ぶ。参考までに記述すると、人間とチンパンジーの差は1%である。なぜ、このような僅かな違いで生物としての大きな違いが生まれるのかについては割愛するが、いまKEIがやろうとしているのは0.1%以下の差異の検出だった。ぼんやりとした光が見える。それは大都市の夜景を宇宙から眺めたようであった。数多な星々の数々をどう処理していいか分からない。
「KEI、アウトプットは私が引き受けよう」
Kはパソコンに向かうとACCESS を使ってデータベースを作り始めた。KはKEIの心を読んで、それをパソコンに打ち込んでいいるのだ。この作業にはどれだけ時間がかかるのだろうか。
「くるしゅうない。しかし、おまえたち、かこをかえることはかのうじゃが、どちらのみらいにもどるのじゃ?」
どちらの未来とはどういうことか。
「私は戻らないが、KEIは二人を助けたいんだから、元の未来に戻るんだろうな」
「元の未来に戻っても二人は助からないじゃないか」
「二人を襲った何者かがいる。その前に戻ってその何者かを撃退するなり、逃げるなりすればいい」
そういうことか。そういうことなら。
「お姉さん、この作業が終わったら元の世界に返してください。僕が来た1日前の日に」
「「だめだ(じゃ)な」」
二人の声が重なる。
「遥を救う必要がある。そのためには『人に声を届ける』能力者が必要だ」
「わらわのくにではたこくのえすえぬえすがきんじられておる。このくにをでてわらわのまつえいをさがしておくれ」
重責だ。KEIは思う。何故こんなことになってしまったんだ。何かがおかしい。
それからひたすら能力を使い続けた。名前と顔は分からないが、場所はわかる。それを国務院が持つネットワークで特定し、情報をデータベース化するのがKの仕事だ。寝食惜しまず続けたが、やはり能力のパフォーマンスが下がってしまい、数時間に一度休憩を取った。もっとも作業量として、KEIより遥かに多いKは休みなしで働いている。そんなとき、KEIは時にを操る魔女と雑談をした。彼女がどんな人生を送ってきたのかを、KEIの住む二一○○年はどんな時代なのかを。
あるとき、珍しくKのポケットから音が鳴った。Kは端末を操作している。
「なんじゃ、おまえさま。おなごからのでんわか?」
「大丈夫だ。気にするな。KEI、続きをやろう」
そして、作業が終わったときには3日間が経過していた。
「すべては網羅していないが、経済的に人格的に優位で子孫を残せそうな個体を選別した。ここから辿っていけば二一○○年には十分なデータベースができているだろう」
「かっかっかっ。くるしゅうない。どうじゃほうびにわらわといっせんまじわるか」
「未来でも言ったが、私は種族が違うし、こいつは同性愛者だ」
「ほう、はやりのえるじーびーてぃーというやつよのう」
「えるじーってなんですか?」
「LGBT。簡単に言えば、生物学的な性の行動を取れないマイノリティだ」
「マイノリティって......男が男を愛することは普通ではないんですか?」
「ふむ。あまりおおやけにはいいにくいものよのう」
そうだったのか。KEIは幼く、貧しかったがエネフォンや書籍のおかげで情報には多く触れていた。しかし、失われた文化については、つまり、歴史の誤謬について知るのが難しいということはまだ分かっていなかった。
「かっかっかっ。そうおちこむでない。わらわもいつのじだいもあくじょとよばれておった。。おんながひとをころしたり、けんりょくをえただけでそうよばれる。おとこをみてみよ。ごまんといるではないか。たにんのひょうかはたにんのりえきにつながっておることをおぼえておくがよい」
そのとき壁の一部が開いた。
「失礼します。」
スーツ姿の男が3人入って来た。壮年の男が彼女に話しかける。何と言っているかは分からない。残りの男2人は、KEIを取り囲み、書類作成と写真撮影を行った。
「これでおまえさまはこのくにのいちいんとなった。こうどうするのにべんりじゃろう」
「もう貨物室で苦しまなくてすむな」
確かにあの体験はもう二度としたくない。しかし、戸籍も元の世界に戻ったらおじゃんか。そう考えると口惜しい。
「ではまっておるぞ」
二人はそれぞれスマホを受け取ると、医院から出てタクシーで北京国際空港へ向かう。
「このスマホには香港SIMが入っている。GAFAMを利用できるはずだ」
これは、映像が浮かび上がらない。この小さい画面で見るのか不便だな。GAFAMが何か良く分からないが、再び精神を集中させる。この3日間で大分トレーニングされたはずだ。
「K、『人に声を届ける』能力者についてだが、複数人いるようだ」
「そうか、日本にはいるか?」
「......ああ、日本にもいるようだ」
「じゃぁ、戻るぞ。日本へ」
【時を操る魔女】
日本へ戻る飛行機の中、KEIは時を操る魔女の血縁関係を調べていた3日間に思いを馳せていた。
この3日間ずっと、時を操る魔女とKEIと過ごしてて感じたことがある。2人は良く似ている。食事も取らなければトイレにも行かない。というよりほとんど姿勢が崩れない。時を操る魔女は寝たきりだし、KEIは起きたままだ。室内でもサングラスをしてるから視線も分からないし、キーボードをタイプする指が動き続けるだけだ。
KEIはそんなことはできないので、睡眠や食事の時間は最低限取らせて頂いていた。しかし、そんなことでは到底息が詰まる。そこで、時を操る魔女がたまたま起きてる時は話しかけたりもしていた。
「え~っと、妲己・呂雉・武則天・西太后さん」
「なんじゃ、そのじゅもんのようなこしょうは?しかもどれもあくじょとよばれたなまえではないか。ほかのよびなはないのか?」
えっ、僕が考えるのか?
「そうだ、KEI。気の利いた名前をつけてやれ」
Kが姿勢を一切変えずに割り込んでくる。
「え~ん~。じゃぁ、それぞれどんな人だったか教えてもらえますか」
「そんなもの、わらわはおぼえてるはずがなかろう。いつのはなしだとおもってるのじゃ」
「妲己は、罪人2人を戦わせて、勝者を酒でできた池に放り込んで、敗者を蠍がいる穴に落とした。呂雉は、旦那の愛人を拷問・強姦した後、手足目耳咽を奪い、トイレにつき落とした。武則天は、愛人との娘を絞め殺し、それを皇后の仕業だとして、皇后の座を奪った。西太后は、戦争時に和平を訴えた皇帝の愛人を井戸に投げ込んで殺した」
「う、わ~……」
KEIの顔がみるみる青ざめていく。
「はて、そんなことしたかのう?おそろしいのう」
時を操る魔女はあっけらかんとしている。
「わらわはこのとおりほとんどのじかんをねてすごしている。わらわがひょういしていたときも、わらわがじょげんしていたのはわずかなあいだじゃよ。それにわらわはりすくをさけることはとくいじゃが、ころせとまではいっておらんはずじゃ。それをおこなったのはあくまでひとのえごというものじゃ」
なるほど、妲己・呂雉・武則天・西太后というのは同一人物ではなく、それそれに時を操る魔女が憑依していたのか。
「なんだかしゃべりすぎたのう。ねむくなってきた。ではひきつづきたのんだぞ」
そう言うと、時を操る魔女は再び眠りについた。
「彼女の代償は、起きていられる時間が短いということだ。彼女は、『今日』を延々と繰り返している。そして、この医院で卵子を取り出し、人工授精で子孫を増やしている。彼女が血縁を知りたがっている理由はそういうことだ」
「なんなんだ、代償って?それに彼女は人間なのか?」
「前者の質問だが、能力を使うには犠牲を伴うことになっていた。しかし、君が生きる二一〇〇年では、犠牲がなくても能力が使えるものも出てきた。人類の進歩と言ったところか。後者についてはもちろん単純な人間ではないだろうな。人間の姿をした何かだ」
「K、お前も人間の姿をした何かなのか?」
「私はもともと梟だ。代償は輪廻転生の輪から外されることだ。解脱というやつだな」
「解脱ってそれじゃ……」
「さぁ、油を売ってる場合じゃないぞ。仕事に戻れ」
KEIが知っている限り、輪廻転生や解脱というのは仏教用語で、解脱に成功したのは仏陀ただ一人であるはずだった。
【帰国】
「会いたっくて~会いたっくて~会いたっくて~あなたに~」
渋谷の大型スクリーンに映し出される女性アイドルグループ。二人はそのライブ映像を見ていた。
「いるか?」
「ああ、いる。だが、どの女性かまではわからない」
「真ん中の子じゃないのか?」
「いや、おそらく後方の、画面にはあまり写っていない女の子たちの誰かだ」
このアイドルグループは地域ごとにグループをもっているようで、特定するのが難しそうだ。
「他の候補はいないのか?」
「他となると、この人ですかね」
KEIのスマホではュースが流れており、都知事が日本で開催されるオリンピックについて語っていた。
「ちょっと難しそうだな」
「ちょっとどころじゃないだろうね」
KEIの能力は探しものを見つけることだが、名前や顔などは分からない。位置を明らかにするだけだ。
「LIVEが終わったようだ。移動するぞ」
彼女らがパフォーマンスしていたのは同じく渋谷にあるイベントホール。ここから次はどこへ向かうのか。タクシーに乗り、追跡する。と言っても、目の前には車はなく、KEIの感じるところを追いかけるだけだ。しばらくすると、ターゲットの動きが止まった。スマホの地図アプリで照らし合わせると文京区の一角のようだ。到着すると、そこはマンションであった。
「途中で、立て続けにアルフォード3台とすれ違った。おそらくここはアイドルの寮なのだろう」
有名女性アイドルの寮。もしかしたら、国務院より難攻不落かもしれない。そういえば、どうしてKはあのときあんな無茶を。結果オーライだったからいいものの。
「ここで張り込みだな。もしもし、いますぐ車を1台納品して欲しい。来てくれたら、現金で支払う」
今回は慎重だな。こいつも学ぶこともあるのか。
しばらくすると、軽自動車が二台、二人の元に到着した。壮年の男性は当初怪訝な顔をしていたが、KEIから現金を手渡されると、いくらかにこやかな顔で帰っていった。お付きの若者は能面のような顔を終始していた。もっと愛想が必要なんじゃないだろうか。
こうして二人の張り込みは始まった。思った以上に人の出入りが多い。アルフォードがやってくることもあれば、マスクをしたり、フードをかぶったりして出てくる人もいた。もっともそれがアイドルとは限らないが。男性と一緒に中に入っていく女性の姿もあった。アイドルであればスキャンダルだ。そうしてまた、3日過ぎた。
昼頃。ロングヘアーの女性がマンションから出てきた。ジャージ姿で眼鏡をかけている。この3日間することがなかったので、ひたすらこのグループの顔と名前はもちろん経歴まで勉強していたのだが、全く誰だか分からない。
「K、この女性だ」
二人は同時に飛び出し、KEIは背後から口と上半身を、Kは下半身を持って後部座席に入り込む。女性が二人に膝枕してもらっている状態だ。女性は目を見開いたまま動かない。口を塞がなくても良かったかもしれない。試しに外してみる。
「......」
やはり何も話さない。
「君の名前を教えてくれるかな?」
ここの主導権は事前にKと打ち合わせして、KEIが握ることになっていた。Kの高圧的な話し方では恐怖を与え、逆効果だ。
「僕たちは君に危害を加えるつもりはないし、これは誘拐でもない。いや、誘拐かもしれないが、協力してくれたら解放するよ」
そのとき、ぐ~うというこの場には似つかわらわくない音が流れた。Kはご飯を食べない、ように見えるし、KEIが出した音でもなかった。
「ご飯......ください。ぐ~う」
この場をKに預けるのは不安だったので、Kに食料調達に行かせた。
「ご飯を買いに出かけるところだったんだね。でも、他の時はどうしてたの?」
「寮母さんが作ってくれるんだけど、寮母さんにもお休みが必要だから......お正月だったし」
お正月ってなんだ?それより、ようやく口を開いてくれた。
「そうなんだね。ご飯はすぐにKが持って来てくれるからね。僕の名前もKEIっていうんだ。よろしくね。君の名前は?」
「なんで名前も分からないのに私を誘拐したの?」
「それはね、う~ん口で説明するのは難しいな。たとえば、このセンターの子、六本木近くに住んでるね」
彼女の目が再び大きくなる。
「ハッカーかなんかですか?」
先程から彼女は自己開示せず、質問が多い。こちらの内情を明らかにしたいのだろう。聡い子だ。
「ん~そういう見方もできるが、たとえば君の実家の場所も当てることができる。......新潟、だろ?」
「違います」
困ったな~。新潟で正解だと思うんだけど、心を開いてくれないな~。そのときKが運転席に乗って来た。おにぎりとお茶それぞれ二つをこちらに渡すと、車が発進した。
「え~とおにぎりはシーチキンとたらこどっちがいい?お茶はカフェイン?ノンカフェイン?」
「たらことノンカフェイン」
KEIはシーチキンを食べながらこれは何の肉だろうと考えていると、彼女の目から一筋の涙が流れた。KEIの良心が痛む。そうだよな、誘拐されて辛いよな......。
「彼女は被災したときのことを思い出したようだ。アイドルになったのもボランティアで公演してくれたアイドルに感動してのことだ」
そのプロフィールは確か......。
「川口、満穂さんだね」
彼女の目がKEIの方を向く。
「一九九五年生まれ。おうし座のAB型。新潟グループの副キャプテンに最年長でなる。将来の夢はモデルだが、留学も考えている。最近の関心ごとはSDGs」
KEIが一息に言う。どうだとばかしの顔だが、彼女は冷徹に、
「そんなのファンだったら誰でも知ってるわ」
既に食事は済んでいる。
「ちょっとどこにいくか知らないけど、これだけじゃ足りないわ。サラダも追加してちょうだい、あとお汁粉」
この空気から自分に主導権があると悟ったのか、満穂は強気な姿勢に出た。
Kは無言で車を再びコンビニに乗り入れた。
「あなた、見たところ子供のようだけど、SDGsが何か知ってるの?」
KEIの学習は一夜漬けならぬ3日漬けだったわけで枝葉末節のことまで調査していない。たしか、
「Sustainable Development Goals.持続可能な開発目標......」
「それで?」
KEIは黙ってしまう。
「十七のゴールと一六九のターゲットからできているの。そもそもは二〇〇〇年に国連で採択されたミレニアム開発目標(MDGs)に遡るわ。ここでは途上国にだけ焦点をおいて開発目標を掲げたわらわかしながら、時が経ち環境、社会、経済といった問題が世界共通の問題としてようやく意識されてきたの。それで二〇一五年にこの二○三○年の目標が採択されたの。先進国も途上国も共にいつまでも成長できるようにと」
雄弁な子だ。そういえば現役大学生だったか。いつの間にかKが戻ってきて、車を走らせる。シーザーサラダとココアが手渡された。
「ゴール1.貧困」
貧困。KEIは貧しかった。この二〇二〇年の日本レベルで言えば、暴力的に貧しかった。これは二〇三〇年に達成したのち、崩れてしまったのだろうか。それとも......。
「ゴール2、飢饉」
食べることもままならない、貧困とどう違うのか。
「ゴール3、健康」
NANOとALICEのことを思い出す。医療機関にすぐアクセスできたらあるいは。ん、これも貧困とつながっているのではないか。
「ゴール4、教育」
KEIの学習道具は交代制のエネフォンしかなかった。施設の大人たちは赤子の面倒を看るだけで手いっぱいだったのだ。
「ゴール5、性の平等」
性の平等とは何だろうか。同性愛が肯定されているということだろうか。
「ゴール6、上水と下水」
KEIは川の水を飲んでいたし、トイレは適当な場所でしていた。それではいけないのだろうか。
「ゴール7、クリーンエネルギー」
エネフォンをはじめとして、多くのものが太陽光などでエネルギーを生み出し、消費ていた。これは達成したのか。
「ゴール8、働きがいと経済成長」
KEIの世界では経済成長はどうなっているのだろう?都市部では発達してそうだが、スラム街では何の生産性もないのではないか?働きがいとはなんだろう。労働とは生きるために不可欠なものではないのか。
「ゴール9、技術革新」
KEIの世界ではすでに技術が成熟していたのか、新しい取り組みは見えなかった。どこがティッピングポイントだったのだろうか。
「ゴール10、人や国の平等」
平等。そんなものはあるのだろうか。KEIの住処とオオミヤ、シンジュク、中国、そしてこの二〇二〇年の世界。どれも違う。
「ゴール11、まちづくり」
KEIは思い出す。紫禁城で見た色の揺らぎ。景観が映像で置き換わる時代のまちづくりは機能性の追求なのだろうか。
「ゴール12、ものの責任」
ものの責任とはどういうことだろうか。KEIはいわゆるハイエナであった。空き家に入り、金目のものを見つけ出す。しかし、金にならないほとんどのものは放置されたままだ。これは誰に責任があるのだろうか。
「ゴール13、気候変動」
確かに二〇二十年は寒い。冬にしても寒い気がする。何度くらい違うのだろうか。
「ゴール14、海の豊かさ」
KEIは海を見たことがなかった。いや、飛行機の上から見たはずだが、闇夜に包まれていて分からない。
「ゴール15、陸の豊かさ」
豊かさとは何だろう。動物も植物もKEIの住処には散見されるし、都市部でも緑は点在している。
「ゴール16、平和」
KEIの世界では国連が形骸化し、戦争も行われていたが、予定調和であった。軍需のためである。
「ゴール17、パートナーシップ」
つまり協力ということか、今がまさにその状況じゃないのか。一筋の光を見出し、KEIが口を開こうとすると、
「きみが協力してくれればSDGsは達成できる」
えっ、遥さんを救うんじゃないのか?
【占い館】
とある商店街の一角で、十代と思しき女性が緊張した面持ちで両手を出している。その両手を握っているのが、これまた珍妙な風貌をした女性であった。鮮やかな色をした黄色の上物にその上に鮮やかな紫色のたすき帯があり、ハイウエストのロングスカートになっている。その上にピンクのもこもこのフリルダウンを前を開けて着ている。コンセプトが分からないが、寒さに負けたことは否めない。
「それで、先生どうですか?受験、まずはセンター試験上手くいくでしょうか?」
先生と呼ばれた女性が隣のピンクモヒカンをした男性に耳打ちをする。
「そうですね......。今のままでは難しいです。でも、あなたがもう一歩前に進み出れば、道は開けます。先生の催眠術で暗示をかければ、あなたは今よりもっと勉強に打ち込めるはずです。あなたの熱意を応援したいので、通常では1万円のところ九八○○円で行うと先生は仰っております」
「あの......。口コミでは千円でやってくれた人もいるようですが......」
「それは昔の話......じゃなくて、ケースによって難しさが異なるので、九八○○円になります」
「そしたら、絶対受かりますか」
「ぜったい、ではないですが......」
「じゃぁ、千円のコースでお願いします」
先生がきつい目つきで耳打ちする。
「では......千円頂戴します」
女性が男性に千円を渡すと、先生は女性の両手を左右に揺らした。そして女性の両肩をトンと押した。
「これで、あなたへの暗示は終了しました」
「私こんなところで何してるんだろ。家に帰って鬼滅の刀見なくちゃ」
そう言って、女性は去って言った。こういうケースはままあるものだ。
「相変わらず上手くいってないようだな」
「K,珍しいな、こっちまで来るなんて」
「ちょっと協力してもらいたいことがある。車に乗ってくれ」
Kが運転する軽自動車はもちろん4人乗りだ。残りのメンバーは、KEI、ピンクモヒカンをした男性、占い師、満穂と1人多い。
「KEIはトランクだ。じゃぁ、出発するぞ」
どうしていつも僕だけこんな目に......。
新宿の歌舞伎町。大通りを三回曲がり小道に入る。そのビルは喧噪が静寂に変わる一角に位置していた。空きビルなのかテナント募集中と書かれている。ビルの二階に上がると、いくつか部屋がある。Kが扉を開けた部屋の表札には「超能力研究会」と書いてある。
「まぁ、適当に座ってくれ」
と言っても、コンクリートの地べたにパイプ椅子が一脚あるだけだ。
「はっぁ~、てん!あんた、ほんと交渉が下手ね」
今まで黙ってた占い師が喋りだす。
「いつになったら、千円以上取れんのよ!占いは無料なんだから、催眠術で金取んないとどうしようもないじゃない!」
「そんなこと言ってもオイラだって一生懸命やってるんだよ。くるみちゃんこそなんだよあの催眠術の動作。全然進歩してないじゃないか」
何を言ってるのか分からないが、二人の名前だけは分かった。満穂さんはどうしていいか分からないだろうな。
「あははっ、あなたたち付き合ってるの?まるで夫婦漫才ね」
はじめて満穂さんが笑顔を見せた。
「「そんなわけない」」
二人が合唱する。
「いいかな、みな」
Kが場を正す。
「これから行ってもらいたいことを説明する。こちらの女性、満穂は『人の心に声を届けることができる』能力を持っている。だが、未熟だ。それをくるみちゃんの「人にときめきを与える」能力で、開花させてもらう。その後、満穂にSDGsの大切さについて、全人類76億人に伝えてもらう。これで世界は変わる」
今の説明で理解できたものがこの場にいただろうか。
「ねぇ、K.思うんだけど、まず自己紹介から始めない?あと、オイラ達まだご飯食べてないんだよね」
「そうか、じゃぁピザでも頼もう」
「いっつもピザじゃん。乙女の気持ちも考えてよねっ」
「なら、寿司でいいか?」
「私、美味しいところ知ってるんで、そこにしましょう」
いつの間にか満穂さんが馴染んでる。KEIは疎外感を感じた。
【エール】
3人が寿司をつまみながら酒を飲んでいる。まだ、昼過ぎだというのに。その3人はもちろん、くるみちゃん、てん、そしてパイプ椅子に座る満穂さんだ。
「てんくん、次はウニね」
「まほほん、はい!」
「ちょっと~満穂ちゃん、さっきもウニ食べたでしょ?」
「もう1皿あるんだからいいじゃないですか。あ~ウニ美味しい」
この3人が仲良くなったのは理由がある。まず、行きの車中にて、Kが満穂さんの悩みの種を解決したからだ。彼女は卒論のまとめ方に悩んでいたのだ。アイドル稼業と学業の並行は大変だろう。年末年始はお仕事が多く、1月締め切りの卒論を終わらすべく引きこもっていたのだ。そこに、Kがぺらぺらとあることないこと語ったのものだから、満穂さんは卒論の目途がついたのだ。そして、自己紹介のとき彼女は実名ではなく、芸名を名乗ったものだから、てんが反応したのだ。
「えっ、川口満穂ってあのアイドルグループの?」
「はい、そうです」
「ええ~そうなの、オイラ大好きなんだよ。今度、まいやんのサインもらってきてくれよ」
「あ、はい。1枚ならなんとかなるかと」
「やった~、まほほんありがと。立ってると疲れるでしょ、まぁ椅子に座ってよ」
「まぁ、握手会で慣れてるので......じゃぁ、お言葉に甘えて」
と、そこに、寿司と酒が来たものだから、話も弾む。くるみちゃん、に至ってはもとが歩くスピーカーのような子だったらしく、「代償」でこの部屋以外で話せないものだから、自然と口数も多くなる。
「その代償の話なんだけど、代償がないと能力は使えないの」
満穂さんが問いかける。
「この時代では代償がないとコントロールできない」
「あたしはこの部屋以外では話せない。もちろん、手話覚えたけど」
「オイラは『心を落ち着かせる』能力を使うとき人から姿を認識されなくなることが代償さ。便利なときもあるけど」
なんだかずいぶん代償に差があるな。
「そして、KEIについては、セックスができなくなることが代償だ」
「「ええっ」」
3人が驚く。そして、当の本人も驚いている。もっと良い嘘のつき方があるだろう?
「一生童貞なんて可哀そうっ。ちょっとてん!あんた、そういう店連れてってあげなさいよ」
「オイラッ?で、でもそうだな、ん~これが終わったら一緒に行こう」
「私の、写真だったら、好きにしていいから」
満穂さんがさらっと驚くことを言う。でも、アイドルだもんな。そういう目で見られるよな。
「それで、満穂。君は何を犠牲にする?」
「私は......」
突然誘拐されて、何かを犠牲にしろと言われる。そして、何を犠牲にするかを即決するというのは無茶がある。
「代償は大きければ大きいほど、能力が強くなる」
「っていってもKさっ。全人類に声を届けるなんて無謀にもほどがあるよ」
くるみちゃんが制する。確かにそれは満穂さんの命を懸けても達成できることなのか?
「しかし、彼女の知名度は上がるだろう。アイドルとしては良いことなんじゃないか?」
「でも、私の一存で芸名を使うことはできないし、実名を出すのもちょっと......」
「君はなんのためにアイドルになったんだい?人々を幸せにしたいからじゃないのか?アイドルとはもともとは偶像という意味だ。つまり、ある種の神であり、信仰の対象なんだ。これは本当のアイドルになれるチャンスだ。それができないのなら、アイドルなんていっそのこと辞めてしまえばいい」
「まほほんになんてこと言うんだよ。まほほんが被災から立ち直って、アイドルになるまでどれだけ苦労したか。今だって、大学と並行しながら、頑張ってるんだよ。そのうち、もっと有名になる日が来るっていうのに」
「いえ、でも......ありかもしれない」
満穂さんが神妙な面持ちで話す。
「アイドルの寿命は短いわ。大学も卒業するし、そのうちアイドルも卒業だって思ってはいたの」
「そんなまほほん、夢だったモデルや女優になるチャンスもあるのに、これからだよ!」
「てんくん、別に諦めるわけじゃないの。女優や歌手なんて向いてないと思うし、芸能界で生き残るにはモデルかなって思ったの。でも、震災のとき本当に苦しかった。そんな人が世界中にいるんだって思ってSDGsのことを学び始めたの。アイドルは一度もセンターどころか、選抜に選ばれなかったし、このまま続けてもたかが知れてるわ。海外に出て演出側に回ってみたいと思うの。それで世界中を明るくしたい」
「ひゃ~あたしとそんな変わらない年なのにしっかりしてるわねぇっ」
「まほほん!感動したよ」
てんが涙目になってる。
「ただ卒業公演は出させてほしい。もしかしたら、センターを踊れるかも。そういう代償は可能?K」
「ああ、言わば借金みたいなもんだな。『代償の借金』。その代わり、能力にも制限がかかる。このプロジェクト中しか能力は制御できないと考えた方がいいだろう」
「それで良いわ。ちゃんと自分の力で声を届けたいもの。あとは私だってことをばれないようにして欲しいんだけど」
「それなら、こいつを使おう」
Kはスマホの画面を全員に見せた。
【バーチャル】
武蔵高校の椎名智也は忙しい。朝5時に目を覚ますと、1時間英語の勉強をする。その後、メールを10通ほど女性に送る。パターン化されているので、コピペするだけだ。佐藤遥、あいつはなんだったのか。昨日のことを思い出す。いきなり訳の分からないゴミをまき散らしたのだ。歪な形をした球状の物体。もうちょっとでヤれるところだったのに。ゴミはとりあえず燃えないゴミとしてまとめておいた。学校生活は楽だ。授業中はキーワードだけ抑えて、あとは教科書を読んでおけばいい。何故なら、教科書を作った先生の方が授業をしている先生より偉いからだ。剣道部で全国大会に出場し、文化祭実行委員長もやってる、内申点も高いはずだ。大学受験の推薦もどこか貰えるだろう。そんな椎名智也の誰にも明かしていない楽しみの一つが、バーチャルYoutuberココロアイを見ることであった。
Youtuberという存在は既に大衆に認知されているものになっているが、不特定多数に自分の容貌を明らかにするのは抵抗があると感じる人も少なくないだろう。そこで生まれたのが、バーチャルYoutuber、略してVtuberである。画面で話してるように見えるのは、アニメキャラクターであり、3Dモデルで設計されているものまである。音声に至っても今やボイスチェンジャーはハードウェアでもソフトウェアでも存在しており、永遠の不在証明をしながらも、不特定多数にメッセージを届けることができる。ココロアイはヲタクが好みそうな可愛い容貌と声はもちろん、表情や動きがリアルであり、人気を博していた。
椎名智也は陰ながら、ココロアイの熱狂的なファンであり、サブスクや投げ銭もしていた。つまり、無料で見られるYoutubeにお金を払ってより良いサービスを享受していたのである。いくら女を喰っても、ココロアイには代え難いものであった。
そんなココロアイが新しい動画を公開したと通知が来た。何やら「SDGsを応援しよう」とある。クリックしてみると、映像が流れだす。
「は~い、バーチャルYoutuberのココロアイで~す。ちょっと、ちょっと、そこのあなた!何してるの?私のこと見てる場合じゃなないでしょ!いや、私のことは見て!もっと見て!FacebookやTwitterで拡散して!もっといろんな人に見て欲しいの!なんでかって?そう、SDGsよ!えすでぃいいじ~ずよ。これはね......」
SDGs。聞いたことがある。国連の開発目標だったはずだ。もっとも国際ルールは各国の自治権に干渉することができないため。強制力がないものばかりであり、実質玉虫色の建前に過ぎないと思うのだが、知名度が高いのはESG投資と結びついているせいか。
関連動画をみるとココロアイはもちろん、他のV―tuberもサジェスチョンに出てきた。どれもSDGsを謳っている。しかも、どれも再生回数が1K以上だ。Youtubeを収益化するには、チャンネル登録者数が千人以上、1年間の再生時間が四千時間以上となっている。1K、つまり千回以上の再生回数を出すと、今後有望であることが分かる。そんなにバズってるのか。さらに調べると、英語、フランス語、スペイン語、中国語の動画が散見された。中国に至ってはVPNなど工夫をこらさない限り、Youtubeは見られないよう国が制限しているが、それでも再生回数は1Mに近い。これは何が起きているんだ。
薄手のダウンとウールのパンツに身を包んだKEIが街を散策している。今日は3人は用があるからと、KEIは自由行動の日となったのだ。ならば、せっかくだから東京観光を、ということになったのだが、KEIの頭からは2人のことが離れない。そもそも満穂さんが見つかった時点でKEIはお役御免ではないのか。早く元の世界に帰りたいと思いながら、冬のバーゲンというものを体験し、行列のできるつけ麵屋に並んでいる。いま、何かできることはないのか。たとえば手紙をKEIの住処に隠しておけば......いや、前の住民が見つけるだろうし、改築工事もあるかもしれない。あるいは、自分の先祖を見つけて殺してしまえば運命は変わるんじゃないか?そんな残酷な思考が頭を一瞬よぎりぞっとする。とにかく明日Kに元の世界に戻してもらうよう聞いてみよう。そう言えば遥さんはどうなったんだ?
翌日、Kから電話で、仕事は終わりだ、と告げられた。なんだかあっさりしたものだ。最後に、できるだけ金を買ってから帰るといい、と言われた。確かに物価が時間と場所によって違うということは体験した。その方が価値があるのだろう。航空券を買うお金を残して、金を購入した。手のひらに収まる大きさで何だか心許ない。KEIはそれをポケットにしまうと。空港へ向かった。残念ながら、税関のことなど良く分かっていない。
空港に着くと、待ち時間の間にFacebookを開く。SDGsについて発信しているページやアカウントが散見されているのはいつものことだが、KEIが探しているのはそこではなかった。広告が出ているアイドルグループの新潟ページを見る。
「このたび、わたくし、川口満穂は3月の大学卒業と同時にこのグループを卒業することになりました。第二の故郷である新潟を盛り上げたいとこれまで全力で駆け抜けてきました。ファンの皆様には感謝してもしたりません。卒業式のあと、新潟のイベントホールでライブを、その後バスで移動して都内でライブを行います。CDを買ってくださった方から抽選で10名様にこのバスツアーをご同行して頂けます。なお、未成年の方は対象外となります。詳しくはHPから......」
商魂たくましい。Kがあの日、満穂さんに提案したのはGAFAMを使うことだった。すなわち、Google(Youtube)、Apple、Facebook(Instagram)、Amazon、Microsoftだ。これらのIT企業の巨大ネットワークまたはデータベースを使うことで効率的に全人類にアクセスするということだった。これこそがハッカーである。満穂さんは少し考えてから、
「サーバーや役員にアプローチするってことよね」
「理解が早いな。そういうことだ」
巨人達による同時進行の広告費不要、対象制限なしのマーケティングが展開される。そして、
「私の卒業公演もステマ、さりげなく入れさせてもらうわね」
「好きにするがいい」
こうして、満穂さんはくるみちゃんに能力を開花され、ミッションをこなしたのだった。
【もう1つの世界】
KEIはへとへとになりながら、北京国際空港からタクシーに乗った。まさか、あんなことがあるなんて。北京第一病院に着くと、KEIはふと立ち止まった。そういえばあの壁どうやって開くんだ?受付に言って聞いてみる。なんと聞こうか?
「あの……西太后さんはいますか?」
「西太后?お名前は?」
「KEIと言います」
「あ~少々お待ちを」
少しすると、この前の壮年の男性が出迎えてくれた。
「お待たせしました。どうぞこちらへ」
最上階まで登ると、例の壁が開く。中を覗くと、時を操る魔女がやはり寝ていた。
「xxxxxxxxxxx」
男性が何やら語り掛ける。すると彼女は目を覚ました。
「なんじゃ、おまえさまがたこんなあけがたに」
時刻は昼を回っていた。
「あの、元の世界に帰りたいんですけど、その1日前に」
「もとのせかい?はて」
KEIは一から説明する。
「ああ、あのくろふくろうのことか。それでおまえさまはどちらのせかいにかえりたいんじゃ?一つはSDGsが達成された世界。もう一つはSDGsが達成されなかった世界」
前も聞かれたような気がするが、NANOとALICEのいない世界に価値などなかった。
「そうじゃな、そうじゃな。おまえさまのようなものがおるから、あやつはなんどもくりかえしてるのじゃな」
「えっ?どういうことですか」
「いや、きにせんでもよい。ごくろうであった。それい」
あの、話の途中だったんですけど。あたりを見回すと、そこはKEIの住処がみえる。あれ、時を操る魔女は時間を操るだけじゃなかったのか?すると、住処から誰かが出てくる。咄嗟に物陰に隠れる。すると、出てきたのはKEIだった。なるほど、これからダイヤを売りに行くんだ。ということは成功したってことか。KEIは急いで住処に入り、二人を起こす。
「NANO、ALICE。起きるんだ。今日誰かが襲ってくるんだ」
う~んと身体を起こす二人に、事情を説明する。ダイヤを売った件でALICEの怒りが高まったが、何とか宥めた。
「えっと金貰ったの?」
NANOの眠たそうな問いかけに金塊を見せる。
「「おお~!」」
二人はようやく目が覚めたようだ。
「まずは、この金で朝ごはん食べようぜ」
「私、パンケーキがいいな~」
ことの重大さを分かっていないようだが、オオミヤに行けばやり過ごせるか。
「じゃぁ、とりあえず服を着てくれ」
オオミヤに着くと三人は金塊を換金しに、困った時のの何でも屋に入った。
「お~KEI、なにがいいものはあったか」
店のおやじが出てくる。やはり商売は機械相手より人の方がいい。
「これ金なんだけど、どうかな?」
「ほ~これは高額すぎてうちでは買い取れんな。売上の5%で買い取り先を紹介してやるぞ」
ということは百万以上か、もしかすると2倍3倍ということもあり得る。
「おじさま、サービスしてあげるから1%にしてくれない?」
「はっはっは、私が捕まっちまうよおじょうちゃん」
「じゃぁ、おやじさん、5%と20万のうち高いほうならどうだい?」
NANOが切り返す。
「ああ、わらわゃかまわんよ」
店のおやじが不適な笑みを浮かべる。
「おやじさん、ありがとう。また来るよ」
そう言ってNANOは踵を返した。
「おい、NANO」
慌てて追いかける2人。
「どうしたんだ?一体?」
「あの感じだと、これは四○○万以上の価値がある。そして仲介業者に売るよりはエンドユーザーに売る方が、高く売れる」
「それじゃ、オークションってことね!」
ALICEが楽しそうだ。
「だけど、未成年だと保護者の同意書が必要だし、高額取引だと登録料も馬鹿にならない」
「KEI、中国籍のパスポートがあるだろ。それで同意書を作ろう。支払いは落札価格から行うとして、担保は俺たちにしよう」
「いざとなったら、私がこの力でなんとかやってやるわよ」
本当にこの二人は頼もしい。しかし、この二人を手にかけた奴は一体?
オークション会場には人間はKEI達しかいない。あとは映像のアバターが立ち並んでいるだけだ。半透明なので、後部座席からでも商品が良く見える。ドローンなどのハードウェアはもちろん、アプリや不動産の権利までも売られている。そこにKEI達の金塊が現れた。特に珍しいものではない。百万円からスタートが始まった。
「こちらは18金百グラムになっております」
アナウンスが流れる。すると会場がざわめき、二〇〇万円、三〇〇万円と価格が上がっていった。NANOが満足気な顔をしている。ここで五百万円と急に価格が高騰した。
横を見るとALICEがエネフォンを片手にニヤニヤしている。おいおいちょっと待てよ。こっちが落札したら破産しちまうぞ。すると、六百万円のサインが表示された。それからも徐々に数字が上がっていき、終了のアナウンスが流れ出したとき、金塊がふわっと浮いてクルクルと回り着地した。そのとき、一千万円のサインが付き落札となった。本当に心強い。
それから、3人はブランチを食べながら、今後のことを話した。
プラン1 養子になる。
施設を出た子は原則、奴隷として引き取られるが、まれに養子として引き取ってくれることもある。三百万円の持参金があれば養子にしてくれるかもしれない。しかし、3人は離れ離れになってしまう。
プラン2 3人で二〇二〇年に行く。
過去の施設では一五歳まで施設にいられることができる。ただ、西太后が過去に再び戻してくれる保証がない。何しろ、交渉材料がないのだ。
プラン3 今までの生活を続ける。
もっとも簡単な方法ではあるが、貧しくて飢えて不健康で不衛生な生活が持続可能とは思えない。SDGsのことを思い出す。SDGsが達成できた世界に行くべきだったのか。
「それにしてもね~私がレイプされるなんて到底思いもつかないわ」
「俺もALICEを置いて逃げることなんて簡単だけどな」
ぺちゃ。生クリームがNANOの鼻先につく。
「もうセックスしてあげないんだからね」
「それしか言えんのか、おまいは」
疑問点に再び戻ってくる。確かにそうなんだよな。というか今回の件は分からないことが多すぎる。
「そもそもさ、話ができすぎてない?小説じゃないんだからそんなご都合主義的なことないでしょ」
「順に考えていこう。まず、風に舞った向日葵を手に取ろうとしてKEIはKと出会ったんだな。そして、能力を強くしてもらった。で、中国に行くわけだが、国務院への突入は無謀すぎないか?殺されてもおかしくなかったぞ。それに国務院の対応がおかしい。なんで親切に、その楊貴妃だかなんかの場所を教えてくれたんだ?普通ならKと国務院、時間を操る魔女がグルだったと考えるのが自然だ。そして、KはなぜそんなにSDGsについて詳しい?まるで二〇三〇年を体験したようじゃないか」
ALICEとNANOに突っ込まれてKEIは冷静に考える。
「Kに電話してみれば?」
ALICEが何でもないことのようにエネフォンを手渡してくる。これは今電話をかけたらどうなるんだ?Kは二〇二〇年に残ったままのはずだ。しかし、同時に今日、KはKEIと出会うはずだ。ぐうぜんの向日葵を媒介として。Kの番号をプッシュする。すぐに電話が通じる。
「もしもし、Kか?」
「ああそうだ、お前は誰だ」
「KEIだ。二〇二〇年で別れた」
「あぁ、うまくやってるか?」
「税関で金の持ち込みが税金かかるなんて知らなかったよ。汚職国家じゃなけりゃ捕まるところだった」
「それは大変だったな」
「最初から全部知ってたのか?」
「ストーリーがないとキャラクターは動かない。自分の人生をA4一枚に圧縮して交換しても愛は芽生えない。ものごとが自然に進むことが大事なんだ」
「それにしてはずいぶん不自然だったぞ。ところでいまお前はどこにいるんだ?」
「悪いな。そろそろ行かなければいけない」
そう言ってKとの電話は途切れた。これがKとの最後の会話となった。エネフォンをALICEに返す。
「これはあれよね」
「あれだな」
「ねぇ、KEI。私達本当に襲われたのかな」
「おまえ、ちゃんと確かめなかっただろ?」
「そんなこと言っても血が出てたし、ナイフが刺さってたし」
「血なんて言っても成分検査したわけじゃないし、ナイフだって取っ手を私の力でNANOに固定することなんて容易いわ」
え?それじゃぁ。
「じゃぁ、これから準備しましょ。あなたを騙すために。3人で仲良くね」
◆ ◆
二一〇〇年の世界では多くの仕事が機械にとって変わられていた。だが、まだまだ人間が介する必要のある仕事は多かった。接客などの人と対面する仕事は未だに機械より人が行うことを好む者は多かった。介護、看護、水商売などは業務効率向上に機械が用いられることがあっても、完全に人に置き換わることはないだろう。逆に、人間が行うことがブランディングになり、高所得者には人気だった。
今やニュースも小説もほとんどを機械が書いている。人間ができるのはそれを元にした意見交換だった。3人は各新聞社や出版社に連絡を取っていた。KEIの時間旅行を始めとした様々な体験が価値があるのではないかと考えたからだ。残念ながら、どれも信憑性がないとして一周された。KEIはKの言葉を思い出していた。「ストーリーがないとキャラクターは動かない」
「NANO、ALICE。奇を衒った話じゃだめなんだ。もっとシンプルなストーリー。俺達の現状を書こう」
3人がそれぞれ施設を逃げ出し、今日まで生きてきたこと。日々の暮らしを世界に伝えていこう。KEIはそう2人に提案した。つまりプラン3だ。プラン1もプラン2も自分達でリスクをコントロールすることはできない。だったら、
「たとえ途中で野たれ死のうとも、俺達が生きた証を残していこう。それを見た施設の子達の中で人生を謳歌してくれる子達がいるかもしれない。それに上手くいけば誰かが目をかけてくれるかも知れない」
「逃亡者が情報発信をする、ね~。ずいぶんマゾヒズムが過ぎることだ。もっとも施設は15歳まで俺達を保護する義務があるんだから、法律違反しているわけじゃないんだけどな」
NANOが答えてくれる。
「私は苦労するのは嫌よ。あんたたちしっかり働きなさいよね」
ALICEが答えてくれる。
3人の気持ちは1つだった。
3人のサバイバルブログは話題となり、とある芸能事務所から声がかかる。それは川口満穂が設立したものだった。
【佐藤遥とK】
ピコン。Kのスマホが音を鳴らす。メールをチェックすると、超能力研究会の掲示板から誰かがメールを送ったらしい。その書き込みを見ると、Kは次のように返信した。
「あなたが孤独に押しつぶされる前に連絡を頂き、ありがとうございます。よろしければ一度直接お会いしてお話し伺えればと思います。都内在住K」
そして、一週間後に新宿駅で会うこととなった。
「なんじゃ、おまえさま。おなごからのでんわか?」
「大丈夫だ。気にするな。KEI、続きをやろう」
年明けの新宿は普段と比べると人込みが少ない気がする。受験勉強で家に籠るもの、有給で冬休みを伸ばしているもの、西口のオフィス街はもう少し混んでいるのだろうか。しかしながら、東口の喫煙所は盛況だ。今日日、大手振るって堂々と煙草を吸える場所は少ない。
「もう、なんでこんなところ選んだのよ、K。洋服に煙草の匂いがついちゃうじゃない」
くるみちゃんは、今日はレースの襟にピンク色と黒色のワンピースを着ている。細部には白色でリスの刺繍が施されている。対してKはいつも通り、黒のサングラス、黒のニット、黒のコートである。
「匂いというのは、人を引き寄せる力がある。屋台の焼きそばを見ると、焼きそばが好きでもないのに食べたくなるだろう。それと同じことだ」
「ふ~ん、ところで満穂ちゃんといい、今回の子といい、あんた最近もってるわね」
そこに黒のダッフルコートを着た女性が現れた。あたりをキョロキョロ見回しているが、どうもくるみちゃんの恰好が気になるようだ。
「あなたですね。こんにちは。Kと申します」
「あ、こんにちは。なんで私だと分かったんですか」
「分かりますよ。あなたは特殊な人間だ。こちら側の人間ですよ、ね?」
女性は少し怯えたような表情を見せる。
「はい、はる……Hと申します。よろしくお願いします」
3人は事務所に着くと、ヒーリングミュージックが流れている。てんがいるのだ。ひとしきり自己紹介を済ませる。
「あなたは能力を制御できていない。あなたはこの能力を使いたいですか?それとも元の生活に戻りたいですか?」
「わたしは......普通の生活を送りたいです」
「では、簡単なことです。『私達と今日出会ったことをなかったことにしてください』これがあなたの代償となります。これであなたの能力は抑えたままにできます」
「えっ?そんな簡単なことで......?」
「はい、帰り道は分かりますか?」
「は、ありがとうございました」
女性が背を向ける。ドアに手をかけると顔だけ3人の方に向けた。
「あの、勘違いかもしれないんですけど、どこかで会ったことありますか?」
「いえ、勘違いでしょう。今後会うこともないと思います」
そうKが答えると、女性は少し寂しそうな顔をして去っていった。
「いいの~K?今回の子は当たりだったんじゃないの?」
「ああ、満穂の能力だけで大丈夫だ」
「まほほん、サイン忘れずに貰ってきてくれるかな?」
3人は閉じられた扉をしばらく眺めていた。
遥が犠牲になった時間軸では、遥は死ぬまで幸喜のことを想い続けた。この別れは、遥とKが二度と出会わないという永遠の別れを意味した。
「遥……さよなら」
翌日、KはKEIに電話を掛けた。
「仕事は終わりだ。ご苦労だった」
「えっ?遥さんは大丈夫だったのか?」
「ああ。とりあえずはな。帰る前に金をできるだけ買っておくといい」
そう言うと、Kは電話を切った。
佐藤遥はその後、奇妙な現象に悩まされることはなくなった。バレンタインの日に椎名智也の自宅を訪ねるが、誰も出迎えてはくれず、玄関の前に手紙と共に包みを置いて帰ってきた。これが遥と智也の関わりの最後だった。相変わらず、智也は校内外で複数の女性と一緒にいるところが目撃されていたが、遥は耳をふさぐことしかできなかった。
もうすぐ春休みに入ろうかとしている、とある下校途中、背後から声をかけられた。
「佐藤遥さんですか?ライターの御手洗と申します。少しお時間よろしいですか?」
話を聞いてみると、例の列車内での奇妙な現象についてだった。しかし、遥はどう説明したらいいのか分からない。超能力研究会の話はすることはできない。
「ちょっと分からないです。人違いなんじゃないですか?」
「そうですかね。あなたがこの物体を撒き散らしたところを目撃したという人物がいるのですが」
智也だ。遥は瞬時に察する。
「これは科学技術ですか?それとも超能力のようなものですか?他にもこういうことができる方はいるんですか?」
「知りません。放っておいてください」
そう言うと遥は駆け出した。そんなことでは逃げられないと知らずに。そのライターは定期的に現れた。しかし、どこの誰かも分からないし、家族や警察にも相談できなかった。しかし、あるときからふっと現れなくなった。まるで誰かがこの世界から消し去ってくれたかのように。
それからの遥の生活は至って普通だった。大学受験を迎え、第一志望校には落ちるものの、都内の名の知れた私立大学に合格し、文学部に入学した。在学中は父のアルコール中毒からの脱却を補助し、父は再び筆を取るようになった。最初の復帰作の表紙を遥が描いた。モチーフは梟である。しかし、それが彼女の遺作となった。彼女は不慮の交通事故に遭い、この世を去ってしまう。
そして二〇三〇年。温室効果ガスの削減目標を含むパリ協定とSDGsの達成は失敗した。満穂の呼びかけは短期間的なものであり、二〇三〇年までのモチベーションの維持に繋がらなかったのである。
こうして元の世界と対して変わらない二一〇〇年を迎えた。Kのエネフォンに電話がかかってきた。
「もしもし、Kか?」
「ああそうだ、お前は誰だ」
「KEIだ。二〇二〇年で別れた」
「あぁ、うまくやってるか?」
「税関で金の持ち込みが税金かかるなんて知らなかったよ。汚職国家じゃなけりゃ捕まるところだった」
「それは大変だったな」
「最初から全部知ってたのか?」
「ストーリーがないとキャラクターは動かない。自分の人生をA4一枚に圧縮して交換しても愛は芽生えない。ものごとが自然に進むことが大事なんだ」
「それにしてはずいぶん不自然だったぞ。ところでいまお前はどこにいるんだ?」
「悪いな。そろそろ行かなければいけない」
そう言うとKは電話を切った。
「大丈夫ですか?」
Kの傍らの少女が尋ねる。
「ああ、大丈夫だ。それよりきみの『世界を愛させる能力』には期待してるよ」
「そんなたいそうな能力じゃないですよ。良い感じの二人をくっつけるだけですよ」
「それはくるみちゃんの力で大きくなるから大丈夫だ。じゃぁ、行くぞ」
Kはこれまでも過去へのタイムスリップを何度も繰り返してきた。そしてこれからも何度でも繰り返し続ける。持続可能な社会のため、そして遥を救うため。
「運命を操る魔女は相当な頑固者のようだ。まぁ、私は諦めないがね」
街中にはBGMが流れている。
「プリーズプリーズ 一人にしないで 置いていかないで 私を」
二〇年代の懐メロを聞きながら、二人はその場を後にした。ミュージックの後にはニュースが流れる。それは1人の女性演出家が国から表彰されたというものだった。従来、表現というものは政府に相反するものがあった。それを政府広報としてのエンタメにしたてあげた女性演出家として彼女は知られていた。その彼女がアイドル時代に唯一センターを踊った曲が先ほど流れた曲だった。
【フィナーレ】
音楽業界の不況は続くばかりである。それは必ずしも違法ダウンロードが原因というわけではない。公式の配信サイトやライブ、握手会などへと価値が移行しているのである。モノから体験に。そんな代表格とも言える有名アイドルグループのライブが新潟のイベントホールで行われている。
「会いたっくて、会いたっくて、会いたっくて、あなたに~」
会場が盛り上がる中で一人の袴姿の女性が入ってくる。
「遅くなってごめんなさい!川口満穂!本日大学を卒業しました~!」
会場が一層盛り上がる。
「そして、大好きなこのグループからも卒業しま~す!」
まほほん。辞めないで。ずっと応援してるよ。様々な掛け声が聞こえる。
「私は、これからこういう空間を、組織をもっともっと作っていきたいです。男性も女性も演者にも応援者にもなれる時代を作っていきましょう!では、聞いてください。『あなたと共にいつまでも』」。
「プリーズプリーズ 一人にしないで 置いていかないで 私を
プリーズプリーズ 一人にしないで 置いていかないで あの子を
私がどんな人でも構わないでしょ あの子がどんな人でも気にしないでね
あなたの中で生まれんだから あなたを大切にしていきたいの
いつまでも あなたとともに いつまでも」
黒のニット帽に黒のコート、黒のサングラスを掛けた男がイベントホールの傍で佇んでいる。周りには、チケットを買えなかったファンがライブ配信されてるスマホを片手に掛け声をかけたり、販売されているグッズを購入したりしている。
男は踵を返すと、その場を後にし、喧騒の中へと消えていった。黒梟の旅は終わらない。今日もまたどこかで獲物を狙っている。そして、獲物に甘い言葉を囁くのだ。あなたは特別だ。あなたには才能がある。囁かれたものは自尊心をくすぐられ、代償を厭わず、その能力を使う権利を行使してしまう。だが、社会とはそういうものだ。才能を自他問わず認められたものが、その能力を活かし、社会を支えている。能力を眠らせておくことは、社会の損失である。ただ、一方でそれが個人の幸福を最大化する保証はない。
黒梟は囁く。持続可能な社会のために。まるで誰かにそれを命じられているかのように。悲喜交々の声が上がる中、黒梟は翼を広げ舞い上がる。




