第7話 家出少女 ◇◆
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その日は朝からハルカの様子がおかしかった。
もちろんその理由に察しがついていない訳では無かったのだが、俺にとってそれは取るに足らない些細な出来事だと思っていた事が、あの事件の原因だったのかもしれない。
兎にも角にも、先に今回の顛末を告げるとしたらこうなるのだろう。
俺の年上の娘が家出した。
今回はただそれだけの、ありふれた話である。
◆◆◆
その日は朝から雨の降る、嫌な天気の日だった。
雨の日はどうにも肌がベタついて気持ち悪いし、髪もうねって思うように纏まらない。
アルマくんなんかは…
「何か違うか?」
なんて素っ気ない反応を見せるが、私の髪にいつもの様な艶やかさが無いことなど一目瞭然だろう。
とはいえ、まだまだ子供のアルマくんにとっては、それこそ取るに足らない事なのかもしれない。
「はぁ、今日は家にいよう」
「暇ならばアルマの為に働かんか」
「そうは言ってもやる事が無いのよ」
「ふん。これだから人間の女はダメなのだ。男の目が無くてはすぐに怠ける」
最近は頻繁に銀髪の女の子の姿になる小太刀ちゃんがそう言いながら私が食べていたクッキーに手を伸ばす。
ちなみに『小太刀ちゃん』とは、彼女がアルマくんに名前を付けてもらうまでの繋ぎとして私が付けた仮の名だ。
名前が無いというのは何かと不便だし、何かしらの呼称はあった方が良いと思って適当につけたものである。
「貴女こそ壁にかかっているだけなら、アルマくんのお手伝いをしたら良いじゃない」
「此れは道具に過ぎぬ。道具が自らの意思で動くわけにはいかぬだろうが」
「だったらお姉さんみたいに壁にかかっていてくれないかしら」
「呼んだかしらぁ?」
「呼んでないわ」
「そう。半身、あまりハルカに迷惑をかけてはダメよぉ」
「分かっておる」
「なら良いわぁ」
そう言って話に出されて一時的に人の姿をとった刀さんが、刀に戻り元の位置へと戻る。
ちなみに『刀さん』というのは、小太刀ちゃんと同じくアルマくんが名前をつけるまでの間につけた仮の名だ。
名前が無いというのは何かと不便だし……以下略。
「ほら、貴女もそろそろ壁に戻りなさい。アルマくんが戻って来たわよ」
「む、その様だな。ハルカよ、アルマに対して礼儀を欠くで無いぞ」
「私は貴女に礼儀を欠いて欲しく無いわね」
そんな事を言っている間に階段を上って来ていたアルマくんが部屋の扉を開き、中に入って来る。
小太刀ちゃんはアルマくんの前で人の姿を晒す気は無いのか、しっかりと壁に戻っていた。
「今、誰かいなかったか?」
「気のせいじゃないかしら。それよりも、用事はもう良いの?」
「ああ。川に土手を作るだけだからな。魔法を使えばすぐだ」
「そう、ご苦労様。今お茶を淹れるわね」
「悪いな」
初めこそはアルマくんと同じ部屋で暮らす事に疑問も覚えていたが、数日も経てば慣れるもので、この部屋にも私の私物がチラホラと増え始めている。
このポットも雑貨屋で安売りされていたものを買って来た私の私物だ。
「ふぅ。ハルカの淹れる茶は美味いな」
「アルマくんでも飲みやすい様に、出来るだけ甘い茶葉を使っているもの」
「そうか」
「ふふ。そう気難しそうな顔をしなくても、いずれコーヒーだって飲める様になるわ」
「別にそんな顔してない」
「子供なんだもの、苦いものが苦手でもおかしくは無いわよ」
「うるさい」
アルマくんとも大分打ち解けて来たとは思うのだが、まだまだ私に甘えてくれるほどではないらしい。
お母さんが厳しい人だからせめて私ぐらいは彼を甘やかしてあげたいのだけれど、そう上手くはいかないわね。
「……ハルカ?」
「ごめんなさい。少し考え事をしていただけよ」
「そうか」
普段は愛想悪くしているが私の反応があるとホッとした顔を見せるあたり、アルマくんの可愛らしいところも何となくわかってきた気がする。
あまり彼に入れ込むつもりはないが、一緒にいても不快でないというのは子供相手にはかなり珍しい事の様に感じられた。
「そういえばこれ、母さんがハルカにって」
ふと思い出した様にアルマくんがどこからか皮袋を取り出し、私の前に無造作に置いて見せる。
テーブルに当たった時にジャラリと音がしたし、今日までの私のお給料がここに入っているらしい。
「あまり多くは無いが、店で働いた分だ」
「ありがとう。リヴィアさんにも後でお礼を言わないとね」
「冒険者としての仕事があればもう少し稼げるんだろうが、最近はろくな魔物被害も無いからな。どうしても巣穴で素材集めをする事になる」
「それでも一般的な平民と同じぐらいの日給なんだもの、なかなか世知辛いところよね」
「初心者向けの迷宮だから、そんなもんだろ」
アルマくんの言うように、この村のすぐ近くにあるダンジョンに出没する魔物は、この前アルマくんが封印した大型の魔物を除けば、どれも弱い魔物ばかりで素材を集めても大した稼ぎにはならない。
安い素材を大量に入手して冒険者ギルドに持って行った事もあるが、イリスさんに…
「こんなに持って来られても要らないし、売り捌ける訳無いよね? というより、ハルカさんは冒険者登録していないんだから、もっと自重しても良いと思うんだけれど、そこの辺りはどう考えているのかな?」
と笑顔で言われてからは、大量に抱える事となった魔物の素材を少しずつ冒険者ギルドに売りに行くだけが私の追加収入となっていた。
こんな事では、いつ私が日本に戻るための旅に出る資金が溜まるのか、見当もつかないわね。
「はぁ……」
「どうかしたのか?」
「いいえ。何でもないわ」
「そうか? それじゃあ、少しだけ出かけて来る」
「あら、買い物なら私も付き合うわよ?」
「いや。客が来たから、相手をするだけだ。直ぐに終わるから付いて来なくて良い」
「そう?」
「ハルカは次のお茶を淹れて待っててくれ」
「そこまで言うなら分かったわ。大人しくアルマくんが戻って来るのを待ってるわね」
「ああ」
そう言うとアルマくんは壁にかけてあった剣を一振り手に取り、部屋を出て階段を降りて行く。
客が来たと言うからてっきりお店の方にお客さんが来たのかと思ったのだが、家の外に出て行くあたり、お客さんが来たのはこの村に、という事らしい。
『おい人間の女よ。そこでアホ面を下げていないで、アルマの後を追わぬか』
「でも、アルマくんはここで待ってろって言ってたじゃない」
「それはアルマなりの気遣いに決まっておろう」
アルマくんがいなくなるや否や人型になった小太刀ちゃんが小棚から秘蔵のチョコレートを取り出して齧り始める。
私が買って来た物なのにいつの間にか無くなっているとは思っていたけれど、この子が犯人だったのね。
これだから我儘な子供は嫌いなのよ。
「私はアルマくんに保護されている身だもの。あまり迷惑をかけられないの」
「恩を返す気が無いとは、とんだ恥知らずめ」
「何ですって?」
「おっと。あまり道具に当たるものではないぞ。それこそ器の小ささを晒す行為だからの」
「半身。道具なら、道具らしく大人しくしていなさい。ごめんなさいねハルカ。湿気で刃が曇るのか、今日は半身の機嫌が悪いみたいだわぁ」
「別に子供の言うことなど気にしていないわ」
「そぉう? あらぁ、どこかに行くのかしらぁ?」
小太刀ちゃんと同じ部屋にいたくなくて部屋から出て行こうとしていた私を、人型になったカタナさんが呼び止める。
「ちょっとそこまで出かけるだけよ」
「ならぁ、此方を持って行くと良いわぁ」
「貴女、アルマくんの所有物なのでしょう? それに、私にはこれがあるから十分よ」
「今回は半身が迷惑をかけたお詫びとして特例よぉ」
「どういうつもりかしら?」
「随分と疑ぐり深いのねぇ」
「生きる上で必要な事よ」
「今回はその聖剣もどきよりも、私を持っていた方が都合が良いというだけよぉ。片刃の剣も使えない訳ではないのでしょう?」
この世界に来てからは我流に染まりつつあったが、私の戦闘スタイルは剣道をベースにしているし、片刃の剣どころか刀を使えない道理はない。
しかし刀さんの思惑が読めないのは、どうにも頷き難い訳で……。
「此方を連れて行ってくれたら、後で半身を土下座させてあげても良いわぁ」
「よろしくお願いするわね。さぁ、行きましょう」
小太刀ちゃんのツムジを眺める事が出来ると言うのなら、刀さんを連れて行かない理由はない。
私の秘蔵のチョコレートを食べた報いを受けると良いわ。
「お、おい! 此れは絶対に土下座など…」
ギャイギャイとうるさい小太刀ちゃんを捨て置き、武器の形をとった刀さんを連れて一階に降りる。
一階ではリヴィアさんが雨でお客さんの来ない扉を眺めながらボンヤリと頬杖をついていた。
「ハルカも出かけるのか?」
「はい。少しだけ」
「あまりアルマを困らせるんじゃねぇぞ」
「…………分かってます」
リヴィアさんに言われるまでもない。
アルマくんは追われる身の私を引き取ってくれた恩人なのだ。
彼の迷惑になる前にはここを出て行くつもりである。
「夕飯までには帰って来いよ」
「…………はい。失礼します」
そうしてリヴィアさんに見送られて『炎の種火』を出た私は、ローブに打ち付ける雨音を聞きながら人通りの少ない街中をゆっくりと歩く。
「さて、どうしたものかしらね」
『まずは村の入り口に向かってちょうだぁい』
「何故?」
『彼が貴女を置いて一人で出て行った理由ぐらい分からない訳ではぁ、ないでしょう?』
「自分の問題を人任せにするなという事かしら?」
『そういう事かも、しれないわねぇ』
私が西方教会に追われる身だと分かっていながら白々しい。
アルマくんが私に合わせたくない相手なんて他に思い当たらないし、村に来た客というのは、私を追って来た西方教会の犬で間違いないはずだ。
アルマくんが雑兵ごときに劣るはずもないだろうし、代わりに追い払ってくれるのなら知らないフリをしておきたかったのだが、この刀は私のそんな無責任な行いを許してはくれないらしい。
「はぁ……。それにしても貴女、普通に私の頭にテレパシーを送ってくるのね」
『てれぱしぃ? よく分からないけれど、早く行った方が良いと思うわよぉ〜』
「まったく。本当にみんな身勝手なんだから」
『それは自分の事を言っているのかしらぁ?』
「分かったわよ。分かりました。行けば良いのでしょう。行けば」
『その通りよぉ〜。さぁ、さっさと走ってちょうだぁい』
「あの妹にして、この姉ありと言ったところかしらね」
そうして私は口煩い刀さんを腰に差しつつ、土砂降りの雨の降る村を走り抜けるのであった。
……そういえば今朝からわたあめの姿を見ないのだけれど、どこに行ったのかしら?