第2話 異世界は恐ろしい ◆◆◇
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私、月見遥は女子高生だった。
芥川龍之介や太宰治などの文豪の作品が好きな事と、剣道でインターハイで優勝した経験のある事意外は他の女子高生と何ら変わらなかったと思う。
よく友人からは和風の大きなお屋敷に住んでいそうとか言われていたが、特別にお金持ちの家に生まれたわけではない私はごく普通の一軒家でごく普通の両親とともに幸せな生活を送っていた。
そう、あの時までは………
「汝を我が国の【勇者】として召喚した。今日この時より汝を我が国及び西方教会の勇者として任命し、魔王討伐の任を与える」
正直、理解出来なかった。
冬休みの剣道部の稽古を終えた私は帰宅途中だった筈だ。
制服も竹刀も何も変わらず身につけているし、私自身の体に異常はない。
だが、自分を取り囲む人々の視線は敵意とまでは言わずとも私に対して友好的な態度は示さず、そして周囲の光景は見慣れた通学路から見たこともない教会へと変貌を遂げている。
この場が教会であると判断したのは大きなステンドグラスと、周囲の人々の宗教家の様な質素で清潔感のある服装によるところでもあるが、私の第六感は周囲の空気が私の親しみ深い日本の–––それどころか地球のものではないことをうっすらと感じとっていた。
私は焦った。
ここは私の知るところではないし、いるべき場所でもない。
今すぐに元いた通学路に、両親の待つ家に帰りたい……。
「ここはどこですか? 今すぐに私を元いた場所に返してください」
「それは出来ません。務めを果たしてください」
「務めとはなんですか? 何の権利があってこんな事をするのですか?」
「務めとは我が国を脅かす【魔王】を討ち亡ぼすことです」
布で顔を隠した人々の表情は分からないが、おそらく抑揚のない声で話す人々に私の常識は通じない。
おそらく人権なんてものは一切考えていないだろうし、私の事をその【魔王】という誰かを倒すための道具が兵器としか考えていないのだろう。
「私には特別な力なんてありません。今すぐに開放してください。貴方達が私を元の場所に返してくれないなら自分で帰ります」
「それは出来ません。貴女には【魔王】を討ち亡ぼしていただきます」
「だからっ…………私は今すぐに帰ると言っているでしょう! 邪魔をするなら容赦しないわ!」
もう我慢の限界だった。
この人達では話にならない。
こうなったらこの教会から外に出て、街行く人にでもここの場所について問おう。
もしかするとこの感じた事のない空気は私の勘違いで、おかしな宗教団体の跋扈するただの海外だったりするかもしれない。
そう考えた私は竹刀を取り出し中段に構え、正面の男に向けた。
相手は20人前後だが、私なら全滅させる事は出来なくても逃げ出すための道ぐらいは開けるはずだ。
「怪我をしたくなければ道を開けなさい。竹刀とは言っても当たりどころか悪ければ命を落とすわよ」
「仕方ありません。勇者様はご乱心の様だ。やれ」
「彼のものを封じる鎖をここに【鎖束縛】」
「なっ!?」
思わぬ攻撃に反応できなかった私は男の手から伸びた鎖に竹刀を絡め取られ、動きを封じられる。
そこで瞬時に竹刀から手を離して徒手格闘に切り替える事が出来れば、その後の未来は変わっていたのかもしれない。
「彼のものを封じる鎖をここに【鎖束縛】」
「彼のものを封じる鎖をここに【鎖束縛】」
「彼のものを封じる鎖をここに【鎖束縛】」
「彼のものを封じる鎖をここに【鎖束縛】」
「くっ…こんな事が」
全身を鎖に捉えられた私は身動きを取れない。
ただ私を見下ろす奴らを睨みつける事しか出来なかった。
◆◆◆
「ん、んんっ……………朝か」
森の中で目を覚ました私は顔に落ちた朝露を拭い、凝り固まった体を伸ばすために立ち上がって伸びをする。
現在私がいるのは『エイムス』という名の小さな宿場町の近郊の森の中だ。
『エイムス』には私と同じ髪の色をした少年が暮らしていると聞いて遥々やって来たのだが、飛んだ期待外れだった。
彼にはあの赤い髪の母親がいると言うし、私と同じ世界から来た日本人である可能性はまずないだろう。
念のためあと数日はここに滞在してあのアルマと呼ばれる少年に接触してみるつもりだが、周囲の人々と友好的に暮らしている彼が私と同郷である可能性はかなり低い。
「キュー、キュー!」
「あぁ、おはよう。わたあめ」
私の使い魔のシルバースカロウであるわたあめが私のマントから這い出て来て、私の肩の上で顔を拭き始める。
わたあめは私に似て綺麗好きで頼りになるパートナーだ。
それにシマリスにしては毛が長くてふわふわだし、その長い銀色の体毛が太陽光をキラキラと反射していて今日も惚れ惚れする。
「お前は今日も可愛いなぁ」
「キュ?」
何が? とでも言いたげに首を傾げる仕草なんて、もうかなり最高だ。
私を勝手に召喚して監禁し拷問の様な日々を送らせた上に、廃棄処分と言って【最終迷宮】に放置した西方教会には殺意しか湧かないが、それでも【最終迷宮】でわたあめと出会えた事だけは私にとって唯一の救いと言えるだろう。
「よし、それじゃあ今日は近くの迷宮に行ってみようか」
「キュキュキュ?」
「そう、迷宮。ほら、あそこに大きな洞窟が見えるでしょう? この時間ならまだ冒険者達もいないだろうし、闇市でお金を稼ぐなら魔物の素材が一番なのよ」
「キュー、キュキュー」
「え? 何かあっても私を守るって?」
「キュキュー! キュキュキュー!!」
わたあめが私の肩の上を駆け回ってやる気満々である事を示す。
可愛いだけじゃなくて私を守ってくれる凛々しさまであるなんて、流石はわたあめだ。
「それじゃあ早速行くよ」
「キュキュキュー!!」
「もう、そんなに髪を引っ張ったら痛いわ。わたあめったら、血が滾ってしょうがないのね」
「キュキュッ!? キュー!!」
ふふっ、わたあめったら興奮しちゃってそんなに魔物と戦うのが楽しみなのね。
それじゃあ今日も日本に帰るために頑張りましょう!
◇◇◇
夜は母さんの経営する『炎の種火』で働く俺だが、昼間も酒場で給仕をしているかと問われればそうでは無い。
昼間は冒険者ギルド職員としての仕事が俺を待っているのだ。
母さんのツテで3年前から始めたこの仕事だが、当時10歳の俺に金勘定や依頼の発行なんて出来る訳もなく、俺に任された仕事は魔物の生息域の調査だった。
迷宮や樹海に出向き、頼まれたポイントを回っていつもより数が多ければそれを間引いた上で上司に報告する。
俺にとっては比較的簡単な仕事ではあるのだが、これによって冒険者達が危険な目に合わなくて済むと言うのだから、それなりにやり甲斐は感じていた。
「おはようアルマくん! 今日も朝から偉いね!」
「おはようございますイリスさん」
「うん! おはよう!」
『冒険者ギルド・エイムス支部』に足を運んだら、ここの支部長であり唯一の受付嬢でもあるイリスさんが俺に挨拶をしてくれた。
エイムス支部は他の冒険者ギルドに比べてかなり規模が小さく、所属する職員も俺とイリスさんを含めて5名しかいなのだが、イリスさんは17歳という若さでありながら支部長を任されている…
俺の憧れの先輩だ。
「よしよし。それじゃあ今日も元気なアルマくんにご褒美をあげよう! はい、これ!」
「サシェですか?」
「そっ、私の新作! 今日からまたあそこで売り始めるんだ〜。ちょびっとだけ魔物避けの効果と気持ちを落ち着かせる効果があるんだよ?」
イリスさんは支部長としての仕事のかたわらで、持ち前の【調香師】というクラスを活かして、花や葉っぱなんかを細かく砕いて小さい袋に詰めた、サシェの職人もやっている。
彼女が言うには「あくまで趣味の範囲だから大したことないよぉ〜」という事らしいが、イリスさんの作るサシェは大人気で、ギルドの受付に置いておけば2日と持たずに完売するほどである。
本来冒険者しか出入りしない冒険者ギルドに主婦のおばさんや、若いお姉さんがサシェ目当てで足を運ぶあたり、彼女の作るサシェがどれほど人気か伺えるであろう。
「ありがとうございます。大切にしますね」
「うんうん。アルマくんは良い子だねぇ。もう弟にしちゃいたいぐらいだよ!」
「や、やめてください。俺ももう子供じゃないんですから」
「そんな事言っても、アルマくんはまだ13歳でしょ? やっぱりまだまだ子供だよぉ〜」
そう言ってイリスさんが俺の頭をわしゃわしゃと撫で始める。
嬉しいような恥ずかしいような、……いや、やっぱり恥ずかしい。
「や、やめてください!」
「そうだぞイリス。あんまりアルマにちょっかい出すと【剣鬼】が殴りこみに来るぞ」
そう言って現れたのはレンディー・ステイ。
【解体師】のクラスを持ち、イリスさんや俺と同じ冒険者ギルドの職員で、俺の敵だ。
「でもレン、アルマくんってばこんなに可愛いんだよ? ほらほら〜」
「若いうちから年上の女に可愛がられていると、ダメなやつになるんだ。それ以上はアルマの将来に良くない」
「え〜、もしかして嫉妬〜?」
「はいはい。嫉妬でもなんでも良いからもう仕事の時間だ。おいアルマ。お前もそろそろ行かないとだろ?」
「ちっ、うるせぇ」
「おお、怖っ。なぁイリス。なんで俺はアルマにこんな嫌われてるんだ?」
「そのヒゲが似合ってないからじゃない? ねぇ〜、アルマくんもそう思うよねぇ〜?」
「はい。凄くダサいです」
「分かった分かった。俺が悪者で良いから早く仕事を始めてくれ」
「はいはい。それじゃあアルマくん。これが今日の調査書です」
イリスさんが渡してくれた調査書には【獣の巣穴】通称「巣穴」の迷宮周辺の地図が記載されており、異常があればそこに適宜情報を書き加えていくのが俺の大まかな仕事である。
「まずは巣穴の周りを調査して、それが終わったら巣穴の中。まぁ、いつも通りだね」
「分かりました。何かいつもと違う事はありますか?」
「えぇっとそうだねぇ〜。あ、例の黒髪の女の人を見つけたら連れて来てくれると助かるかな。ほら、噂話で怪我した男の人いたでしょ? あれ、たまたま迷宮の攻略に来てた貴族様のご子息なんだよねぇ〜」
「なるほど。つまりその女の人に仕返しがしたいと」
「まぁ、そういう事になるかな。でもこの女の人の件は出来たらで良いや。どうもそのご子息さんがその日酔っ払ってたみたいで、噂話自体が何かの勘違いって可能性もあるし」
「分かりました。それじゃあ行って来ますね」
「うん! 大丈夫だとは思うけど一応気をつけてね! それと、これは今日のおまじない。アルマくんにとって素敵な一日になりますように、【小回復】!!」
イリスさんは毎日こうして俺を送り出す際に、【小回復】をかけてくれる。
なんでも西方教会での祝福によく使われる【聖属性魔法】の真似らしいが、西方教会で本物の祝福を受けた事のある俺からすると、イリスさんのおまじないはただ恥ずかし嬉しいだけのイベントでしかない。
「よし! これでアルマくんは今日も大丈夫! それじゃあ行ってらっしゃい! 今日も元気に行ってみよー!」
「はい、行って来ます」
こうして、俺はいつも通りに巣穴と周辺の見回りに出かけたのであった。
今日のイリスさん、このサシェと同じで良い匂いだったな。