表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

夢読姫綺譚(本編・外伝・関連)

天使のレクイエム 〜空想的美学の終焉〜

作者: 愛野ニナ



 

 立ち入り禁止の屋上で、私は天使を待っている。

 コンクリートの上には、白いチョークで描かれたらくがき。

「HEAVEN」

 下手なアルファベットの文字と、その先に延びた矢印が一箇所だけ破れた金網のフェンスを指し示していた。

 私はその矢印に従って進み、破れたフェンスをくぐり抜ける。

 宙とフェンスの間の数十センチの地面は、たぶん生と死の境界線だ。

 ここから飛び立てば、私も天使になれるのだろか……

 穏やかなはずの初夏の風は意外に強くて、私はいつも軽いめまいをおこしてしまう。

 刹那の浮遊感。

 街の景色がゆらめいている。

 そこから視線をゆっくりと上げていく。

 高く、高く。

 さえぎるものない青の虚空へ。

 私の見ているこの空は、漆黒の闇に無数の星が煌めくあの宇宙へと続いているのだ。

 空の果てにはきっと永遠だってあるのだろう。

 吸い込まれてしまいそうな青の世界に、私は忌まわしい重力から解き放たれて、空に落ちてゆく自分を想像する。

 そうすると、私の体は青に溶けて透明になり、やがて何も見えなくなっていく。

 自意識だけが、青の虚空を漂い、それは次第に膨張しながら希薄になって空いっぱいに広がっていくのだった。

 もしかしたら、あの時、私は本当に飛んでいたのかもしれなかった。

 もう少しで何かが見える…、感覚の先で何かに触れたその刹那、

 ぱん。

 鼓膜の奥で乾いた音がはじける。

 見下ろせば、いつもの街の景色。

 軽い失望。そして安堵。

 この矛盾した感情に戸惑いながら、やっぱり私はただの臆病者なんだと自嘲してみる。

 やりきれない虚しさが、ただ胸に残る、だけ。

 それでも私は自分の爪先を見つめながら、

 ひょっとしたら飛べるかもしれない、なんてことをまだ考えてみるのだった。

 境界線を一歩踏み出せば、別の世界へ行けるだろうか。

 ここではないどこかの、いまではないいつかへ。

 私をとりまく平凡な日常を全て脱ぎ捨て、遠い遠い世界へ。

 でも、たぶん私には無理だと思う。私は天使にはなれそうもない。

 だから、飛ばない。

 翼の無い私の体は地上に落ちて、ただ無惨な死体をさらしてしまうだけだろう。

 私はそうやって毎日、自分が生きているということを確認していた。

 生と死、有と無、それらはいつも曖昧だから。

 思春期のセンチメンタルだと笑わないで欲しい。

 あの頃の私には、たぶんそういった「儀式」が必要だったのだ。



 

 境界線の少女はきっと今も、

 あの場所で風に吹かれているのだろう。

 永遠が見える…と、風がささやく。

 少女は微笑を浮かべる。

 その瞳は、どこか遠く、どこにも無い楽園を見つめている。

 でも、それはもう、今の私には二度と見ることができなくなってしまった。

 そろそろ決別しなくてはならないのだろう。




 風よ、願わくば、

 境界線の少女のために、

 せめて優しいレクイエムを……




評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ