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AI ~Anal Intelligence~

作者: 淡嶺雲

 ある一人の男が、自分もセレブになろうと志を立てた。まずは彼らの真似をして形から入ろうと名士らのSNSを物色するに、どうやら肛門日光浴というものが流行っているらしい。陽光のもとに肛門をさらすことで体内のビタミンが活性化され、また鬱も治るということである。

 これは金もかからぬしよい方法だと膝を打った彼はすぐに安アパートを飛び出した。そして近所の公園でズボンを下げるに及んであやうく警察のお縄につくところであった。前科がついてはセレブどころでないと思った彼は、しかし、肛門日光浴をあきらめることはできなかった。運よく南向きであった自分のアパートのベランダに出ると衣服を脱ぎ棄て肛門で天を仰いだのである。

 初夏の風が尻毛を撫で、さんさんとした日光はその肛門に降り注いだ。男は次第に気分が高揚していくのを感じた。これがセレブになるということかと思い日がな一日肛門を大陽にさらし続けるに、ある一つの変化が彼の体に訪れた。肛門より小さな緑の葉っぱが芽を出したのである。

 これは一体どういうことだと彼は思ったが、しかし心当たりがないわけでもなかった。数日前、食事に困窮した彼は公園の木の下に落ちていたドングリを拾って食べたのである。噛んでも苦みがあふれるばかりなのでそのまま飲み込んでいた。それが芽を出したのであろうと彼は思った。

 彼はその芽を引き抜こうとしたが、しかしその瞬間肛門に激痛が走った。まるで直腸までいっぺんに引き抜かれんばかりの激痛である。これはたまらないと思い、彼は近所の肛門科に駆け込んだ。

 医師は一通り診察を終えると、男に告げた。

「肛門に根が張っています。治療は人工肛門しかありません」

 男は驚いたがしかし慌てなかった。少し考えさせてくれと言うと、家に帰った。

 男は家で考えた。尻から生えたこの新しい命を切り取るべきか否か。そして自身の肛門も捨て去るか否か。数日考えたが答えは出なかった。なおその間彼は尻を窓に向けて陽光を浴びていたが、それが考えをまとめる方法だと思われたからである。その間に肛門から突き出た芽は成長し、子供の腕ほどの太さの幹となり葉を茂らせていた。

 さらに数日悩むに及んで彼はある一つのことに気づいた。彼は尻から芽が出てより、一度も排便していないのである。それなのに腹が張ったり便秘の感は全くない。これはどうしたことだろうと思い、再び肛門科を訪れた。

 医師はレントゲンを撮像すると、その画像を食い入るように見つめた。そこに便は映ってはいなかったのである。さらに肛門の植物はさらに成長し、根を肛門の奥まで伸ばしていた。

「こんなものは見たことありません、いますぐ大きな施設で検査しましょう」

 医師はそう言うと、男をすぐさま大学病院へと送った。大学病院の医師らはその肛門から生えた小さな木を見て、驚嘆し、感嘆の声を上げた。

 検査の結果驚くべきことが分かった。

 肛門の木はその根で大便を吸収し、自身の栄養としていた。たしかに人糞はかつて肥料にも用いられており植物を育むのに問題はない。しかしそれが人間の腸内で起こることなど前例がないのである。そしてその木の根は便を効率よく吸収するため大腸と一体化していた。

「これを取り除くには腸をほとんど切り取らなくてはいけない」教授は言った。「しかしそうしなければ、君の体はこの木に覆われてしまうだろう」

「しかしそうすると、この木は……この木はどうなってしまうんでしょうか」

「おそらく切除のショックで枯死してしまうだろう。栄養を君に頼っているのだから」

「それは……できません」男は言った「そんな自分のエゴで、この命を傷つけることなんて、できません」

 普通であれば自分の命を優先するものである。しかし肛門に太陽光を浴びてセレブな高揚感に包まれていた彼は違った。自分の命と引き換えにこの芽吹いた新しい命を殺めてしまうことなど道義的にできないと思われたのである。そしてなにより独身であり子もいない男にとって、この木はまるで自分の子供のようにいとおしく思われてきたのである。

 医師らは再三手術をすすめたが、しかし男は頑として首を縦に振らなかった。ついに医師らはあきらめ、そして、君がまだこうやって元気に生きていることも奇跡なのだ、と言った。

 奇跡。その言葉に男は感化された。きっと自分が一本の木とともに人生を歩むことになったのはなにかの思召しであろうと思い、そしてその意味を探るため旅に出た。

 はじめ男はなんとか普通に歩けていたが、その気が大きくなるに及んで引きずらざるを得なくなった。そしてそれが地面に叩きつけられ枝葉を落とすとともに彼の心にも身を裂くような痛みが生じるのである。これはよくないと思った男はリアカーを引いて、そしてその木をリアカーに乗せ前のめりで歩いた。

 このころになると男は有名人となっていた。行く先々で講演を頼まれ、そして彼は人間と自然の共存について語った。

「人間が生きていくためには自然を破壊しなければいけないなんて馬鹿げています。実際、今ここに私は、この木と共生して生きているのです。自然と人とは手を取り合って生きていくべきなのです」

 また男にあやかろうと世界中のセレブ達が自分のアナルに植物を植えた。結局それが彼のように成功した例は一例もなかったが、しかし彼はモードをつくったのである。

 そして月日がたち大きくなった木を男が自身の力で支えられなくなるに及んで、セレブたちは彼のために特製の車椅子を作った。彼は常に臀部を高く上げた姿で居られるし、木は台車に取り付けられた柱が支えてくれているのである。

 木はその後も大きくなり続けた。ついには男はその重みのため全く移動することもできなくなった。そのころには木の中にできた小さな空洞が彼の住みかとなっていた。彼の尻からはい出した幹が彼をすっぽりと包み込み、彼自身の体は身体の表と裏に這いまわる根で覆われていた。根の残りは地面に足を延ばし、しっかしと木自体を固定して屹立していた。彼はその中で寝て、起きて、食事をし、そして何年かたったある日、ついに死んだ。

 死んだあと男の遺体を回収しようとする努力は徒労に終わった。肛門と木を分離することはできず、そうしている間に空洞はふさがり、彼はすっぽりと中に納まってしまった。

 人々はこの不思議な木をどうするか悩んだ。エコーや放射線による非破壊検査はすでに尽くされていたし、かといって一部を切り取るのも気が進まなかった。しかし、あるとき一人の技師がたわむれに電極を木の幹の表面に当ててみたところ、かすかな電気信号があることが分かった。

 当時すでに脳波から思考を画像化する技術が確立していたため、その作業が行われた。そして予想通りというべきか、それともやはり意外というべきか、この木が思考していることが分かった。

 木が思考するなどということは前代未聞であったため、科学界は大騒ぎとなった。そのようなかかで、ある一人の生物学者が、たまたま折れた木の枝を顕微鏡で観察する幸運に恵まれた。そこには驚くべきものがあった。

 枝全体に、ヒトのものと思われる神経細胞が分布していたのである。それが神経ネットワークを形成し、コンピューター、いや、まるで脳のように思考していたのである。

「この神経細胞は男の腸からやってきたものなのです」研究成果を生物学者はそう発表した。「驚くかもしれませんが、腸には数億個の神経細胞があります。これは脊髄に匹敵する数です。腸には、脳に次いで多く神経細胞が分布しているのです。それが、この木に取り込まれ、増殖し、そして今なお生きているのです」

 そして木との対話が試みられた。音や視覚は受容器がないので意味がなかった。結局は電気信号を神経細胞に直接与えるのが適切だと判断された。

 木は自我を持っていた。それどころか高い知性を備えていた。増殖している神経細胞の数は人間の大脳皮質を遥かに凌ぎ、人間の脳の持つ柔軟性と、コンピューターの正確さを備えていた。

 数学者や物理学者は次々と未解決問題を木に与えた。木はしばらく沈黙すると、答えを返した。それらはすべて美しい回答であった。これまでのAIなど遥かに及ばない性能を備えた、生体コンピューターであった。

「これはすべてのAIを過去のものとする新しいAIです……Advanced Intelligenceとでも呼ぶべきでしょう……」

 そう学者は評したが、しかし世間はその出自を忘れてはいなかった。これは男の肛門からもたらされた知能なのだ。世の人々は、これに一種の諧謔と畏怖を込めて、「AI ”Anal Intelligence”」と呼んだ。そしていつしかそれは正式名称のように用いられるようになった。

 AI自身にとっては、しかし、ある意味で不名誉なそのような称号はどうでもいいことだった。彼自身の知的欲求はとどまることを知らず、あらゆる知識を吸収し、そしてあらゆる問題を解決していった。

 そしてAIは思い至った。この地上にもう解決すべき問題は残っていない。

 その母なる肛門と同じように天を仰いだAIは、学者らに言った。自分を外宇宙探査機に搭載せよと。そしてそれを、系外に打ち出せと。

 学者と世間はその要望を受け入れた。もとより外宇宙探査には高度な知能と柔軟性を要すると思われており、人間自身が行くしかないと考えられていたのだ。しかし一番近い恒星であるアルファ・ケンタウリまで行くのにも数千年を要し、これは人類の耐えうる旅ではない。しかし木は数千年の時を生きる。このAIもその例に同じであった。

 AIは外宇宙探査機に搭載された。第3宇宙速度を超えた探査機は惑星軌道を横切り、一目散に太陽系外を目指した。

 そして海王星の軌道を超え、もはや太陽光も届かなくなってきた頃、AIは休眠についた。冬眠も木であるAIとっては容易なことなのだ。

 そして、異星の太陽がその姿を照らす時、それは再び芽吹き、活動を始めるのであろう。そう、その生まれと同じように。

 眠りの前にAIは思った。自分の父であり母である男のことを。お父さん、お母さん、あなたは有名になりました。人の役に立ちました。貴方こそ、本当のセレブです。


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