長篠の戦い
鏡は設楽ヶ原と思われる景色を映し出している。そしてそこに並ぶ羽柴や丹羽、佐久間のじいさんの部隊。東側から武田の騎馬隊がものすごい勢いで迫って来ているが、全員馬防柵の後ろで、鉄砲隊を先頭にしてどっしりと構えている。
「始まりますよ!」
「キュン(わかってます)」
そして、武田の騎馬隊がある一定の距離まで織田軍に迫った、その時。
銃声。
火縄銃から発射された無数の弾丸が空を裂き、武田の騎馬隊を撃った。崩れ落ちていく騎馬と歩兵たち。ある者は痛みで暴れる馬に振り落とされ、ある者は直接弾丸を受けて倒れ込む。
苦しみ方も倒れ方も三者三様で、この光景を一言で表すとしたら、それは「地獄絵図」という言葉が相応しいのではないかと思った。
ソフィアが思わず息を呑む。
「これは……」
「キュキュンキュン(随分と一方的だな)」
織田方は土塁と馬防柵に守られた鉄砲と弓の兵がひたすらに射撃を繰り返し、次々に武田の騎馬兵を退けている。見た感じ、こちらには負傷した兵がいるかどうかすら怪しい。
数が違い過ぎる。武田側の事情はよくわからないけど、勝頼はこちらの兵数を甘く見ていたのだと思う。だから決戦を選択した。偵察部隊の一つでも放てばよかったというのに、織田家を舐めていたのだろう。
有能な将というのは情報収集を怠らないと聞く。信玄が生きていたのなら、そもそも長篠の戦いは起きていなかったのかもしれない。彼我の戦力差を正確に把握した上で撤退を選択していただろう。
武田側はまず馬防柵を引き倒さなければならず、ただひたすらに無謀な突撃を繰り返しては数を減らしていくばかりだ。
「もう大勢は決しているのでは……」
「キュン(だな)」
「撤退しないのでしょうか?」
「キュン(さあ)」
凄惨で目も当てられない光景に、もうそろそろ見るのを止めるべきか、なんて思っていたところで不意にソフィアが鏡を消した。するとすぐに六助が陣の中に入り込んでくる。
「プニ長様! 鳶ヶ巣山砦への奇襲が成功した模様です! 酒井隊はそのままの勢いで周辺の砦も次々に攻略し、長篠城から奥平隊も合流して追撃戦に移る模様!」
「キュン? (まじ?)」
「よくやった、と言いたいところだけどお腹が減ったワン! おせんべいを持って来て欲しいワン! と仰っています!」
「キュウンキュキュン(もはや完全にねつ造じゃねえか)」
「おお、これはソフィア様いらっしゃいませ! おせんべいかしこまりですっ!」
勝勢でテンションの高い六助は、そう言って敬礼ポーズ――――以前にソフィアがやったやつの真似――――を取ってから陣の外に消えて行った。
こちらに伝令が来たということは、もう勝頼の本陣には鳶ヶ巣山砦の件は伝わっているはずだ。織田・徳川軍が長篠城の救援に成功したということは、武田側の退路が脅かされるということと同じ。
六助はすぐにせんべいを持って来てくれた。正直俺は全く要らないんだけど、それは黙っておこう。それからソフィアは陣の中に誰もいなくなったことを確認して再度鏡を設置した。
「さて、どうなりましたかね」
早速ばりぼりという咀嚼音を響かせながら、ソフィアが鏡を覗き込む。そこには尚も馬防柵に向けて突進を続ける武田兵の姿があった。
「まだ攻撃を続けていますね……というか、さっきより激しくないですか?」
「キュン(だな)」
先程よりも必死になっている武田軍の姿を見ていると、まさか全軍総攻撃の指令でも下ったのかと思えてしまう。それぐらい必死だ。待機する兵の数も減り、前線にいる者のほとんどは馬防柵を引き倒そうとしている。
対照的に織田・徳川軍はほとんど数を減らしていない。黙々と準備が出来た者と入れ替わっては、土塁で身を隠した鉄砲兵が火縄銃を撃つ。
一人、また一人と崩れ落ちる武田の兵士たち。
しかしその時、執拗なまでの突撃が遂に実を結び、とある箇所の織田軍の馬防柵が全て引き倒された。
「柵が倒れるぞぉー!」
「退けぇーい!」
速やかに鉄砲兵が引き払うが間に合わず、一人が武田騎馬隊の槍の餌食になってしまう。しかし。
銃声。
その騎馬兵も即座に鉄砲の餌食となる。見てみれば馬防柵を越えた武田兵は二~三十名程しかおらず、その他の兵もすぐにこちらの鉄砲や弓、そして歩兵が討ち取ってしまった。
恐らく、鳶ヶ巣山やその周辺の砦の陥落を知った勝頼が、活路を見出そうとして逆に前進をしたのだろうけど、それが戦況を悪化させていた。ただでさえ数で負けていた武田軍がさらに減っている。馬防柵を越えたところで、敵兵を倒す力がもう残っていないのだ。
思ったよりも敵兵が多かったこと、それ故に戦力を削られ過ぎてしまい、馬防柵を破ったところで勝利出来ないこと。勝頼はそれを察したのか、武田兵はようやく撤退を開始した。
法螺貝の音。そして和太鼓の音。
それらが戦場へ響き渡ると同時に武田兵がこちらに背を向けた。
「撤退じゃー! 退け退けぇー!」
「武田が撤退するぞ! 追えーぃ!」
織田軍の指揮官がそんな武田兵たちを指差しながら指令を飛ばす。兵は残った馬防柵を自ら乗り越え、追撃戦に入った。
「徳川の方も似たような感じですかね?」
ソフィアがそう言うと、映像が徳川方面に切り替わる。元いた世界の家でリビングでアニメを観ていたら、親父に勝手にチャンネルを切り替えられてイラッと来たのを思い出した。
徳川方面は設楽ヶ原の南側だったはずで、長篠城を奪還出来なかった為、北側に撤退する武田軍としては最後尾に当たる部分だ。
織田軍と同じように馬防柵を乗り越えて追撃戦に入る徳川軍。その中に見覚えのある姿があった。
黒く大きな鹿の角の装飾を施された兜に、約六メートルにも及ぶ柄を持った大身槍「蜻蛉切」。遠くからでも一目でわかるその雄姿は、天下無双の豪傑、本田忠勝その人だ。
「相手はあの武田、決して油断はするな! 常に複数名で行動し、単独で突出しないように!」
自身も追撃戦に入りながら部下たちに注意を促している。追いついた敵兵の首を取りながら、他の織田徳川軍と共に北上していく。
「軍旗を捨てるとは何事か!」
その一方で、逃げ惑う武田軍が投げ捨てた旗を拾いながらそんなことを叫んでいた。手柄よりも生き様や主君への忠誠を大事にする彼らしい。
追撃戦は順調に進んでいき、いくらか進んだ頃。
「そろそろ敵の殿軍が立ちふさがる頃だ! より一層気を引き締めよ!」
言った側から本田隊の先には武田軍所属と思われる隊が現れた。
「ぬっ」
「あっ」
「「あれは!」」
鏡の中の忠勝と、横にいるソフィアが同時に驚きの声をあげる。
精鋭部隊の象徴とされる、赤で統一された軍装。小勢にも関わらず、敵に向けて堂々と立ちはだかる姿からはまるで敗勢を感じさせない。
ソフィアがその名を叫んだ。本当に時代劇好きだなこいつ。
「『赤備え』……! 山県昌景隊です!」
その「赤」を一目見ただけで徳川軍が怯むのがわかった。それを鼓舞するように忠勝がどんどん部下たちを追い越していく。
「怯むな! 数はこちらの方が上だ!」
我に返ったように動き出した忠勝の隊が戦闘に入る。鉄砲がないこともあって、先程よりもいい戦いになっている。やはり「赤備え」は伊達ではなく、数が同じなら本田隊と言えど負けていたのかもしれない。
そして奮戦する部下たちの戦いを眺めながら、お互いの将が顔を合わせた。
「貴殿が山県三郎兵衛か。その勇名は聞き及んでいる」
「そういう貴殿は本多平八郎であるな」
「貴殿に限らず、武田の武将たちを亡くすのは惜しい。正直残念でならぬ」
「であるか」
覚悟を決めた侍にそれ以上かける言葉などない。赤い仮面に隠れた素顔は窺い知れずとも、山県の目は死地にあって尚も鋭く光っていた。




