開戦
鳥居強衛門の社会的な命を懸けた働きによって、徳川軍が奮起。長篠城はどうにか落城することなく持ちこたえた。
一方で順調に行軍を続けた織田・徳川連合軍は長篠城近くの設楽原というところに到着、ここに陣を構えることになる。その夜、プニ長本隊の陣営にて合同軍議が開かれた。
「鉄砲を使用するのに最適な地形に候」
「ですね」
明智が一同を見渡しながらそう言えば、六助が首肯する。もちろんこれまでの戦でも鉄砲は使用されて来たわけだけど、今回は地形が鉄砲の使用により適しているためどんどん活用していこう、ということだ。
設楽原というのは小川や沢に沿って丘陵地がいくつも連なる場所で、あまり見通しがよくない。でも、逆を言えばそれは相手からもこちらの陣地を見通すことが出来ないということでもある。
「兵を敵から見えないよう、途切れ途切れに布陣させるべし」
「それに加え、川を堀に見立てた防御陣を構築しましょう。川の両側にある台地の斜面を削り、土塁や馬防柵を設けて簡易的な城のようなものを作るのです」
明智と六助によって次々に作戦が立案される。
「地形を利用した城を? なるほどそれは素晴らしい作戦ですね。どのようにして発案なさったのですか?」
秀吉に問われ、六助は何故か少しばかり照れたような表情で語り始めた。
「最近、南蛮人が島の外からやって来て、彼らの宗教を日本に広めようとしているでしょう? それで実は京都にいた際に布教活動の許可を得る為、私のところに宣教師がやってきたのです」
「ほう。それで?」
「海外における戦争の話などを聞きました。その時に、この野戦築城という技術を聞いてかっこいいな、やってみたいなと思いまして……」
「な、なるほど」
真剣に話を聞いていた秀吉は対応に困り、それっきり閉口してしまう。他の家臣団もそれは同じのようで、何とも言えない空間が陣内に形成された。
でもその空気を突然、爽やかな笑い声が軽やかに切り裂いた。一同が思わず振り向いた先には家康の姿が。
「いやあ、六助殿は相変わらずでございますな」
「全くお恥ずかしい限り」
本当に恥ずかしいと思う。まあ「かっこいいからやってみたい」の精神は理解出来ないでもないけど。
「ですが、今のところ有力な作戦であることは紛れもない事実。織田家の皆様は如何ほどにお考えですかな?」
ざわざわと、家臣たちはそれぞれ隣に座っている人と話し合う。ああでもないこうでもないと皆が一通りやり合ったところで、一瞬の静けさを縫うような、全員に注目される絶妙なタイミングで秀吉が口を開いた。
「とにかく、家康殿が仰る通り素晴らしい作戦であることには違いありません。それで話を進めていきましょう」
「だがそのような鉄砲隊を主力とした戦い方で大丈夫でござるか? 相手はかつて最強とも謳われた武田軍の騎馬隊でござるぞ?」
この世界に来るまで、俺はてっきり「歩兵や騎馬兵に対して鉄砲は無敵」なものだと思っていた。単純に遠距離から敵を倒せる武器だからだ。でも、この世界の場合は一概にそうとは言い切れないらしい。むしろここでは、鉄砲に対して騎馬兵が突っ込んでいくことは「正攻法」とすら言われている。
俺がいた世界にあった銃のように連射がきかないことと、あまり数を用意出来ないことがその要因だと思われる。射撃から射撃までの間に一気に距離を詰めてしまえば、鉄砲兵は成すすべもなく倒されてしまうというわけだ。
柴田は途切れることなく懸念を言葉にしていく。
「かの騎馬隊の馬なら銃声で怯むこともないし、足も速い。よほど円滑に次の射撃準備を行ったところでどうにもならんでござろう」
すると秀吉は、その顔に汚い大人の笑みを浮かべながら答えた。
「そこは物量で押し切るのですよ。今回、織田軍は大量の鉄砲を用意しています。その数はおよそ二千挺ほど。徳川と合わせれば三千挺近くにもなります。それを土塁や馬防柵に守られた兵に持たせれば、如何に武田の騎馬隊といえども容易に突破出来るものではありますまい」
「なるほど。最前列の武田兵がこちらの鉄砲兵に到着しきる前に全て倒すことが出来る算段でござるか」
「そういうことです。一発で仕留めることが出来なくとも、負傷でもさせることが出来ればその負傷兵を後退させる為に人手が必要になりますからね」
「ふむ」
柴田があご髭を撫でながらしばし考え込む。
鉄砲約三千挺というのはいまいちピンと来ないけど、こいつらの話からすれば驚異的な数ということになるみたいだ。
そこで、聞き慣れない男の声が耳に届いた。
「あの、一つよろしいでしょうか」
兜で髪型まではわからないけど、ぱっと見では真面目そうな青年サラリーマンという印象を受ける。今日から社会人一年目です、みたいな感じだ。
「酒井忠次殿、どうぞ」
六助に促され、徳川軍の武将と思われる、酒井忠次と呼ばれた男は皆の視線を浴びながら口を開く。
「私に作戦案があるので申し上げたいのですが」
「是非教えていただきたく存知ます」
「鉄砲と弓の腕に覚えのある精鋭を集めて隊を結成し、鳶ヶ巣山砦に奇襲攻撃を仕掛けるというものです」
「ほう」
六助の好奇の視線を受け、酒井は言葉を重ねていく。
「夜間に豊川を渡り、長篠城南側の山を尾根伝いに進みます。少数でその経路なら見付かる可能性も低いでしょうし、必ずや成功するものと」
「なるほど。それでうまくかの砦を落とすことが出来れば、我々の最優先事項である長篠城の救援を果たせる、ということですね」
豊川は、長篠城の東側を通って南西方向へ伸び、今回主戦場となるであろう設楽ヶ原の南を沿って流れている川だ。鳶ヶ巣山砦ってのは知らないけど、話からすれば長篠城近くで、豊川から東側にある砦のはず。
織田徳川連合軍の背後から南に進んで豊川を渡り、武田軍の正面を迂回する形になる。でも……。
ちらと、宵闇に塗られた南の山々に視線を向ける。今は良く見えないけど、あの険しい山の中を進んで行くのか……勝利の為に仕方ないとはいえ、お疲れ様ですとしか言いようがない。
そこで家康が話に割り込んでくる。
「一応ですが、半蔵の忍び部隊からの情報では、南側の山々に布陣している武田兵は確認出来ないとのことです」
「ふむ。まあ主戦場からは程遠いですからね。伏兵の可能性もなくはないですが、あまり現実的ではない」
他の家臣団からは「妙案ですな」とか「さすがは酒井殿」などといった言葉が聞こえてくる。どうやらかなりいい作戦みたいだ。
作戦を吟味してぶつぶつ一人でつぶやいている六助に、家康が尋ねる。
「どうでしょう。ここは一つ、忠次の案を採用してやっては」
誰もが酒井の案を賞賛し、採用ムードが漂っている。でも、六助は意外にも首を横に振った。
「それはなりません」
意外な反応に一瞬時が止まってしまう。ようやく動き出した家康が、不思議なものを見る目で問い掛ける。
「それはどういった理由で?」
「何か……だめだからです」
「え?」
「どう説明したらいいのかわからないのですが、だめです」
「申し訳ない。出来ればもう少し具体的に……」
小さい子供がだだをこねたような言い分に、さすがの家康も苦笑している。
「えっとその、危ないからです」
「何がどう危ないのですか?」
「何ってほら、山の中を歩くとか危ないじゃないですか」
「六助殿、一体どうなされたのですか?」
「どうも何も、山道に武田兵のいる可能性が微塵でもある以上は危ないじゃないですか!」
「そんなことを言っていたら戦なんて出来ないでしょう」
「大量の武田兵が潜伏していたらどうする気ですか?」
「それだけいたら主戦場の設楽ヶ原が壊滅しますよ」
明らかに不自然な六助の態度に、全員が首を傾げている。
「と、とにかくその作戦はだめです!」
「そうですか、六助殿がそう仰るのなら仕方がありませんね」
あからさまに納得が行かないながら、家康は引っ込んだ。立場的にも、同盟とはいえ援軍に来てもらっている立場な家康は強く出れないのだろう。
結局、酒井の案は採用されないまま軍議はお開きとなった。